1on1がパワハラ? うそでしょ・・・

ロジック・ブレイン社の企業における1on1の実態調査によると、「1on1ミーティングの際、上司と本音で話すことができていますか?」に対して「はい」が57.8%。「1on1ミーティングの際、パワハラを感じたことがありますか?」に対して「とてもある」が12.8%、「たまにある」が31.6%で合計44.4%がパワハラを感じているとのことだった。

本音で話せていないと感じる人が4割以上。パワハラを感じたことのある人が4割以上。この結果を見て管理職の皆さんはどう感じるのだろうか? A「自分は絶対にそんなことはない」ですか? B「もしかすると自分もそうなのかもしれない」ですか?

勝手なことを言いますと、Aに客観性はないですよね。部下の感情は全然違うかもしれません。人間は結局自分に都合の良い判断をします。そもそも部下からフィードバック(FB)をもらったことなどないでしょう。仮にあったとしても、もしあなたが普段から一種の圧力を醸し出している人だったら、部下は正直なFBを話しませんよね。そう理解すべきです。

更に、オブラートに包みながらも、本音はなかなか話せませんとかの感想が述べられたとしても、部下のことを「僕はオープンなのにあいつはなぜ遠慮するんだ、そこがダメなんだよな」なんてボヤいたり部下の姿勢を批判したりします。それを正常性バイアスといいます。自分にとって都合の悪い情報は聞き入れないことです。何度も書いていますよね。また、エンゲージメントサーベイの結果が良かったら、上司に「僕がフランクに1on1やっている成果が出てますね~」なんて鼻高々になるし、結果が良くないことを、上司に注意喚起されたら、その管理職は「どれだけオープンに接しようが、今の若いもんは本音を語らないんですよ」なんて自分のことはさて置いたコメントを平気で吐いたりする。これは正に「自己奉仕バイアス」です。成功すれば自分のお陰、失敗したら他人のせいにしてしまうバイアスです。最低ですね!

でも、どちらも「あるある」ですよ。間違いなく、多くの人(あなたも私も)がそのバイアスに陥っていることは間違いないのです。

どうすればいいのでしょうか。もちろん、Bの理解をするべきです。これは言い換えれば「自分と向き合うこと」ですね。鏡に写る自分を見るように、三者の目で自分を見ることです。難しくても、事実を直視しようと努力し、真実を理解しようと努力し、反省し、行動を変えることです。もしかしたら・・・とよぎったら試しに行動を変えてみたらいいのです。その繰り返しがあなたを優れたリーダーに押し上げることでしょう。

 

冒頭の話に戻りますね。パワハラに感じるひとが4割以上。感じるかどうかは受け手の問題ですから、何を言っても感じない人もいれば、ほんのちょっとしたギャグでそう感じる人もいるでしょう。いずれも、上司の、相手の表情とか振舞などから感情を読み取る力で感じなければなりませんね。特に、上司の単刀直入な質問は部下の不安と混沌を生んでしまうものです。「あの件どうなったんだ?」「反応はどうだった?」「次はどうするんだ?」などというぶっきら棒な質問にはへこみます。「何のことを言ってるの?」「誰のことを言ってるの?」「何を期待しているの?」「新人の僕に分かるわけないじゃない」「何を心配しているの?」「部長はどこまで理解して聞いているの?」純粋な部下は緊張し部長の気持ちや本音を理解しようと、頭の中はグルグルですよね。ちょっとでも反応しようものなら、「そんなことを聞いているんじゃないよ」だって。だったら何を聞いてるの?

部長に悪気があるかどうかは全くどうでもよく、部長が悪いのは間違いありません。これはパワハラに感じられてもしょうがありませんよね。こんな風景が日々展開されている可能性がありますね。だからFBが必要なのです。本人ではなく、周りにの人でもいいですよ。以前に在宅オンラインが当たり前になったときに話題になった川柳です。家族にオンライン会議の様子を聞かれたのでしょうね。記憶では「会社では 偉そうなのね お父さん」(笑) 立派なFBです。

上司は的確な質問をすることがとても重要です。クローズドな質問(YesかNoの返事で終わってしまう質問)は最小限に止め、オープンエンドな質問(答えが決まっていない質問)を、背景や意図を分かりやすく伝えたうえで行うことが必要不可欠です。徹底して優しい表情と言い方でね。そして、立て続けの質問や上司が持論や指示を長々行うことなどは絶対に避けなければなりません。やるべきは、的確な質問と、傾聴、相手に対して深い好奇心を抱くこと、承認・称賛です。そして最小限のアドバイス(*)と、協力です。「僕が助けられることはあるかな?」という感じです。

(*)なぜ最小限のアドバイスが大切なのでしょうか? 手取り足取り詳細にアドバイス(というより指導)してしまうと、部下は考えなくなるからです。結局指示待ち人間を作ってしまうことになります。

ミーティングの満足度は、自分が話した量に比例すると聞きました。腹落ちしますよね。1on1も同じですよ。聴いてあげることが大切なんです。即ち、話しやすい質問をすることです。もちろん核心・本質に到達できるような問いを。即ち部下が自分と向き合うようにです。上司は命令する人ではありません。触媒なのです。化学反応を助けてあげる役目なんです。

上司との魅惑のランチの席ですら、心を開いているとは限りませんぞ。
上司は丁寧な準備をして1on1に臨むべきです。

 

僕の吟味とソクラテス

この歳になって教養のなさを反省する毎日です。例えば、歴史や哲学。前にも書きましたが、出口さんの著作である「哲学と宗教全史」を読んで、砂漠が水を吸い込むように学ぶ楽しさを味わったり、ウォーキングしながらその手のポッドキャストのコンテンツを聴き、学んで感動したりしています。そんなエピソードを一つ書きますね。

 

ソクラテスはご存じですよね。紀元前400年くらい前まで生きていたギリシャの哲学者です。実は彼は著作を残していないので、言われていることがどれだけ本当なのかはよく分かりません。ちなみに著作を残していないのは、キリストやムハンマドなどもそうなんですよ。要は、弟子たちが(本当かどうかは分からないが)教えを書き残したのです。

例えば、ソクラテスの言葉として有名なのが「無知の知」ですね。何も知らないことを自覚する人は、しない人より優れているという意味ですが、彼はそんなことを言っていないというのが最近の研究の主流になっているらしい。曰く、「不知の認識」すなわち、知らないことを認識することが大切だ、と言いたいらしい。それはさておき、ソクラテスは結局処刑されてしまいます。要は、本質を追求した人は社会に受け入れられたわけではないのです。

さて、こんな話があります。真っ暗闇にが象がいたとします。何人かが何も知らずにそれに触ります。誰も、世の中に象という存在がいることを知りません。ある人に聞いたら、足が凄く太い生き物だと説明します。別の人は、鼻が凄く長いと。別の人は耳が大きいと。更に、皮膚が凄く固いと。それぞれが様々な表現でどのような生き物か説明します。すべて正しいが、よく分からない。各人は他者の言うことに対して「そんな生き物ではない」と思います。

そんなことは、僕たちのビジネスでもたくさん経験していませんか? 見ているビジネスの状況は皆違います。自分の見ているビジネス環境・状況が正しいと思っている。しかし、それは一面でしかない。そして、もしかしたら各人がバイアスを持っていて、そう思い込んでいるだけなのかもしれないし、思っているものと違うものは、無意識に見ていないのかもしれない(「正常性バイアス」都合の悪いものは見たくない)。

例えば、正義や悪も一つではない。プーチンの正義は僕たちの正義とは全然違う。ロシア国民の多くは、僕たちとは全く違う景色を見ているのです。もしかすると、僕たちだってバイアスにまみれているのかもしれないのです。

即ち、正義や悪という一見普遍的なものも何が正解なのかなんて分からない。マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」にも似たような話があったような記憶があります。

 

さて、想像してみましょう。何が正解かなど分かるわけがない状況で、リーダーはどう振る舞うべきなのでしょうか。ファクトとデータで論じればいい、って? そのファクトだってバイアスかもしれませんよ。都合の良いデータだけ見ているのかもしれませんよ。それに、データなんかほとんどないことばかりですよ。データが集まるまで待つのですか? いつまで? それでいいんですか?

状況は時々刻々変わっていきます。時間がたてばチャンスはなくなる。リカバリーにより多額なコストがかかる。さ、今すぐ決めなさい! 

何が正解がわからないことばかりなのに、あなたは決めなければならない。鼻が大きな何かって敵ですか味方ですか? どうやって判断するのですか?

それでもあなたは判断しなければならないのです。

 

戦略判断には正解などないのです。正解など分からなくても決める。それがリーダーの仕事です。

リーダーは判断をしなければならない。それは間違いない。さあ、どう向き合うべきなのでしょうか。

 

見る景色は人により違う、経験も違う、感度も違う。あなたは学び続け(実際経験をすることだけでなく、本を読み話を聴き疑似体験することも含めて)、センスを磨ぎ続けるしかないのです。

そして、「きっとこうだろう、やってみよう!」 と決めるしかないのです。それは正解ではないかもしれない。しかし、多くの部下が、賭けてみようと思えるリーダーの物語(ナラティブ)に共感すれば、賭けは成立するのです。

 

何が善であるか絶え間なく「吟味」して自分の生を正しく導き続けたソクラテス。リーダーの使命も同じだと思いませんか?

また、吟味を続けるということは、「より良く生きる」ということに他なりません。即ち、考え続けることはウェルビーイングに必要不可欠なのだと思います。流されない人生。自分で考え自分で決める。吟味の先に自立があり、自立の先にウェルビーイングがある。そう思うのです。

 

僕の考えは、あまりに薄っぺらく説得力もない。それは間違いない。しかし、それが僕の吟味だと思う(吟味の限界?)。

歴史や言い伝えらえているエピソードなどをヒントにして、僕が勝手に考えているのです。現代のビジネスシーンに置き換えたり、混沌とした組織の感情の渦を想像してみたり、経験の浅い社会人を主人公にしてみたりして、僕自身の経験や直観が語りたがっている物語り(ナラティブ)を創造しているのです。

語りたいという気持ちを想像できない人も多いでしょうね。僕なりに表現すると、年長者の奉仕、貢献、利他心・・・う~ん、どれもぴったりしないかもしれませんが、これからもっともっと成長・活躍してほしいビジネスパーソンに対して少しでも役に立ちたいのです。それは一種の押し付け、ごう慢なのかもしれません。いつもきっとそうだろうなと感じています。否定はしません。利他心と利己心は表裏一体だと思います。ペアなのかもしれません。

そんな気持ちは会社勤めをしていた時から、実はずっとありました。誰かの役に立ちたい。特に若い人の役に立ちたい。違う景色に気付いてもらいたい。自分とは何なのかを考えてもらいたい。変化から逃げないでもらいたい。見たくないものを見てもらいたい・・・

そう、それって「吟味を続けること」なのだ。「吟味」って何? しっかり調べて確かめること? いや、それだけでは何かが足りない。そう、本質を確かめるために考え続けることなのだと思う。ソクラテスに笑われるかもね(^_-)-☆

洞窟のイドラ」経験していないことも想像力でカバーしないとね。
4つのイドラ - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

 

そうだ、選挙に行こう

民主主義はとても面倒だ。

しかし、僕たちは民主主義だからこそ、自由を謳歌している。ロシア、中国、北朝鮮をはじめとする専制国家の抑圧や排除、プロパガンダ、軍事的・経済的暴挙、人権無視などを受け入れることはとてもできない。

 

しかし、僕たちは民主主義のライセンスを放棄していると思う。そう、意思決定に参画することが最高のライセンスなのだ。しかし、選挙の投票率は漸減し続け、ひどく低迷している。国政選挙においては、特に参議院選挙の投票率が低い。前回の参院選(R1)の投票率が48.80%。年代別に見ると、10代が32.28%、20代が30.96%、30代が38.78%とこれら若手の投票率がワースト3だ。将来は彼らの手にあるのに、その将来を放棄している様に見える。高齢者は早晩いなくなる。君たちが社会の担い手だし、意思決定の中心になっていかなければならないのに、参加の機会を捨てている

意図的に拒否しているのだろうか? 主義主張があって拒否しているのであろうか? 残念ながらそうではあるまい。

その裏にあるものは「無関心」ではないだろうか。「関係ない」という当事者放棄。これほど恐ろしいことはなかろう。極端な状況を想像してみると良い。投票者がある世代の人しかいなかったらどうなるのかと。例えば70歳代しかいなかったら。候補者はその世代にフォーカスした政策を打ち出し、他の世代はすべて無視する。働き手は搾取され、将来に希望を失う。それでは国家のサステナビリティはなくなり、自然死への道を進む。もちろん、70代の人の中には国を憂い、高齢者に額ずくだけの候補者には投票しないかもしれないが、人間は結局自己保存の本能に従い、多くの人は自分にとって都合の良い候補者に投票するでしょう。そうは思いたくないが、そんな悲しい未来が頭をよぎる。

 

一番恐ろしい「無関心」。当たり前のように「関係ない」と言ってしまう若者。想像力が乏しすぎる。「当事者意識」「オーナーシップ」なき人々が国民の過半を占める民主主義国家って何? 

皆さんご自身はもとより、子供たち、友人などと話しましょう。選挙のこと、日本の未来を決める当事者意識のこと。

7/10に行われる参議院選挙。今までより、少しで良いから真剣に向き合いませんか。

 

無くなって初めて分かる。それがいかに重要だったか。

民主主義をそのように扱ってはならない。

何でも神様にお願いすればよいというものではありません。
自分の意志で自分の将来を切り開かければ、ね。
神主の祝詞でも、○○さんは頑張ってるから助けてあげてほしい、と言っているのですよ。
即ち、彼(彼女)は自分の力でできることはすべてやった。
だから、あとは助けてやってください、とね。
@素盞雄(すさのお)神社

 

ウェルビーイングをもう一度深堀ってみる

皆さん暑い夏、いかがお過ごしですか? 今日は少し整理をしてみたいと思います。

 

僕は今まで時々ウェルビーイングのことを書いてきました。とても大切な概念で、僕たちがどのように人生を送るかに大きな影響を与えると思っているからです。

 

少し前に行われた慶応大学の前野教授(幸福学)の講演を少し引用して、整理してみたい。言うまでもなく、Well BeingとはWell=良く Be=在る ということですから、良好な状態を示すわけです。「幸せ」より広い概念なわけですね。

シンプルに「幸せ」を想像すると、「欲」にリンクする「比較できるポジショニング的な優越感に繋がるもの」が思い浮かびますよね。それを彼は「地位財」型の「幸せ」と言っています。他人と比べられる「財」、即ち金やモノや社会的地位などです。それを有することで、「金銭欲」や「物欲」「名誉欲」を満たし「幸せ」を感じるというものですね。これって、普遍的なものでしょうか。例えば僕などはぼぼなくなりました。欲しいものがなくて困るという境地に入っています(笑)(涙) そう、嗜好は変わるし、満たされたと感じた一瞬を過ぎると虚しくなったりもするし、「足るを知る」という価値観にいつかは到達するのではないでしょうか。要するにワンポイントの刹那的な「幸せ」なのでしょう。

それに対して「非地位財」型の「幸せ」とな何なのでしょうか。ここがポイントなのですが、彼はこう言っています。

三つの種類が存在する。一つ目が身体的に良好な状態(Well Being)」で、簡単に言うと肉低的「健康」ですね。二つ目が精神的に良好な状態」で、心の「健康」です。そして、三つめが社会的に良好な状態」で安全安心な環境にいられるかなどでしょう。私はそう理解しました。

二つ目と三つ目を少し深堀ます。「精神的に良好な状態」ですが、これは彼がいつも言っていることですが幸せには4つの因子があるというものです。これがないとWell Beingであり得ないという重要な視点です。少し僕の解釈を込めて書きますね。自己実現とそれに伴う成長です。ここで大切なことは「やってみよう因子」です。自分の強みや主体性を活かして、自由に新しいチャレンジをすることですね。ここに上司の問題や企業カルチャーの問題が大きくかかわるわけです。Amazon「2Waydoor」の話は前に紹介しましたよね。そして、野中郁次郎名誉教授の「三つの過剰」が日本をダメにした話もしましたよね。これが分かっていないと従業員のWell Beingは実現できないのです。とても重要なことなので心から理解してほしいものです。これも前に書いたギャラップ社のQ12とも同じ話ですよ。皆話はリンクしています。それらをメタ認知することによって僕たちの行動は変えられます。もっともっとWell Beingな職場を作れるのです。それほど難しい話ではありませんよ。

続いて②「つながりと感謝」です。彼は「ありがとう因子」と表現しています。人は他者と繋がらないとWell Beingを感じません。そのためには「多様性」を楽しいと感じる寛容性や、利他心が必要不可欠です。変化の激しい現在、イノベーションこそがそれを乗り切り楽しく仕事をする源泉です。しかし、境界を作ってしまってそこから出しようとしないムラ社会組織が跋扈していますよね。それではイノベーションは実現できません。対人的な交わりには信頼関係が必要不可欠です。境界を越えてコラボレーションを起こす「コレボレーション・リーダーシップ」がこれからの時代の最も重要なリーダーシップだと以前に書きましたよね。認め合う力は「女性性」と言ってもいいでしょう。リーダーには女性性が必要不可欠です。これも書きましたよね。

そして③「前向きと楽観」です。彼は「なんとかなる因子」と言っています。私は「自己効力」だと思っています。全力でチャレンジすれば何とかなる、と思って進むことがどれだけ楽しいことか。それを体現できるチームでありたいですよね。これは、①の「やってみよう因子」と同根ですね。

最後が④「独立と自分らしさ」です。「ありのまま因子」と表現していますね。意志をもって自分らしくいることは即ち「自立」だと思います。そして、リーダーがコミットしなければならないことが職場の心理的安全性」です。「1兆ドルのコーチ」にこう書かれています。心理的安全性とは、ありのままでいることに心地よさを感じられるような風土のこと」です。いろいろな表現がありますが、僕はこれが一番腹落ちします。「心理的安全性」に責任を持つのはリーダーの使命です。特に在宅オンラインワークが増えた現在最も注意を払わなければならないことがここですね。この点もリーダーの女性性に深くかかわることです。

さて、なぜ「非地位財型の幸せ」が大切なのでしょうか。それは「地位財型」と違い長続きするからです。刹那的ではないのです。そしてそれは伝染します。自分だけ幸せということではなく、チームの公共善に繋がり、「ヘルプシーキング」(これも書きましたね)が日常的に起こり、心理的安全性」が定着し、共感の嵐が起こり、前向きに全力で仕事をすることが楽しくなるのです。

 

今回は復習的にまとめてみました。こう書いてみると分かるでしょ。決して難しいことではないのですよ。「やればできる!!」のです。しかし、それができない人が多すぎる。Heaven’s Kitchenの読者の皆さんはできますよね(笑)

「ちむどんどん」から考える - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting

 

支援型リーダーシップの春 - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

 

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エンパワーメント - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

 

今の業績は3年前に仕込んだもの - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

 

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働きがいとは? - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

 

「心理的安全性」 - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

夕闇迫る街は黄色。街で働く人々は皆笑顔。そうこなくっちゃね(^^♪
キッザニアにて

 

流れを変える~あなたの上司の自己保存

「上司の言うことは絶対ですか?」

僕は大昔、上位上司(上司の上司)から「上司の教育はお前の仕事だ」と言われました。「何言ってるの。ふざけないでほしい」と思いましたよ。逃げてばかりの上司を連れ戻すのは専ら私の仕事でしたが、その結果その上司のお陰で私は自立したとも言えます。なんでも自分でやらなければならなかったのですから。結局、私の自立は加速し、その後部長になったときには、大胆な意思決定を上司に相談なく行いました。その時の上司は前述の上位上司だったのですが、「勝手なことをするな」と怒られましたよ。実はその人が過去に意思決定した不良案件の損切だったのです・・・。私は心の中で「よく言うよ」と叫んでいました。私が異動しその部署の責任者になり、私の責任で清算したわけです。過去の負の遺産を切り捨てる(歴史は残ります)のは当事者ではなく後任など第三者にしかできないものです。それも自己保存の本能の表れでしょう。先送りしたって何も解決できません。思い起こせば、サラリーマン生活の中で、何度か前任者の負の遺産のけじめを付けました。やるしかないと決めてしまえばできないことはありません。まわりの人々も実は内心ほっとしているのですからね。苦しんでいる部下の気持ちを考えれば、さっさと決めるべきなのです。誰が結論を出すか(上品ではありませんが「けつを拭く」か)だけの問題です。面倒ではありますが、苦ではありません。エネルギーは次につなげるため向けるべきなのです。私が責任を取ればいい。部下たちには新しい仕事で活躍してほしいのです。

実は、私はそのことで誰からも責められませんでした。もちろん私もやるべき検討は多面的に行いました。顧客を法的に訴えるとどうなるのか、損害賠償という事態になったときのリスクはどうなのかとか、法務等関係部署を巻き込んであらゆるシナリオを検討しました。当然誰にも文句は言われません。ただし、上司には結果を報告しただけです。誰かがいつかやらなければならないことです。たまたま僕が異動して事実を知ってしまった。そうなったら僕に躊躇は全くありません。さっさとやる。一択です。

確かに前任者は気分が悪いでしょうね。忘れた(忘れたい)ゾンビが生き返り陽の下に晒されるのですから。でも、分かっています。本当は有難く思っていると。言われませんでしたけれどね。

ホッとした部下の顔が見られただけで満足です。クリアになった視界を見つめて前に進めることが何よりなのですから。

 

流れに身を任せることは、ある種「潔い」と考えがちですが、やることは全部やった、あとは「天命に任せる」というのと、変わることから逃げている(先送りしている)というのでは、天と地ほどの違いがありますよね。これも前に書いた「メタ認知」ができるかできないかがポイントだと感じます。今の自分を客観的に見ることができるかですね。

 

全ての生物には自己保存の本能があるといわれています。あなたの上司もです。それに気付いた時あなたはどうしますか?

僕は起業以来、仕事で使う封筒や、ファイルや、ルーズリーフの用紙などなどの多くを100円ショップで買っています。その中で先日最高にイノベイティブなものを発見しました。私はビジネス書を読むときに、気になったところにやたら付箋を貼っておくのです。あとでもう一度読み直して、必要だと思ったところをWordで書き留めておくのです。いろいろな付箋を使いましたが、一枚づつ取るのがとても面倒なのです。スーパーのあのロールしたビニール袋に入れる時のようなストレスを感じるのです。今回発見したこれは、一枚とると次の一枚の端っこがカバーの上に飛び出るという優れものです。スキップしたくなるほど感動しました。顧客の困りごとをよく分かっているからできることですね。
今年最高のBest buy(*^^)v

 

会議のカルチャー問題は大きいが容易に変えられるはず

企業の管理者と話すと、必ずといっていいほどぼやきのように語られる話が

会議が多い」です。僕は「あなたの意志の問題でしょ」と言いたい気持ちを押さえて「なぜでしょうか?」などとその原因に向き合うように質問を続けます。

その原因は何でしょうか。少し整理してみたいと思います。

まず、権限委譲が進んでいないことですね。私の体感で話しますと、例えば部長などの管理者の多くは、自分の権限と責任を矮小化しています。即ち自分で決めてはいけないと思っているわけです。従って免罪符をもらうために上司を巻き込み説明・承認のための会議を設定するわけです。上司も、それはあなたの責任で決めなさい。事前の承認は不要ですとは言わないわけですね。それでは変革を推進する管理者は育ちませんよね。いちいち承認をもらわないと何もできない管理者なんて不要です。ほとんどのこと(決して全部ではない)は事後承諾で問題ないと私は思っています。

更に、その原因を考えてみましょう。それは上司の問題ですね。そもそも企業の幹部はこうでなければならないというバイアスが根強くあります。それは以前にも何回か書いたあるべきあるべきリーダーシップの固定観念です。即ちリーダーとは力強く指示するものだという思い込みです。私はこれを悪しきC&CCommand & Controll)と呼んでいます。某社の昔のCIではないですよ(笑) 要するの幹部がいちいち指示するカルチャーで育った人は指示待ち人間になってしまうわけです。上司の承認がなければ何もできないわけです。そんなカルチャーで育った集団は、自分の責任と権限を矮小化してしまうわけですね。悲しいかな当然の帰着ですね。

また、優先順位を他人に委ねるという情けない幹部がそういう状況になりがちです。何のアジェンダ優先するかは経営問題ですよね。幹部は自分で決めるべきです。それが仕事です。それを部下に開放する(会議を勝手に入れられる)からそれだけで時間が無くなるのです。それも、先ほど書いたように、そもそも部下が自分で決めればよいことを会議で議論(実際は上司に決めさせる)するからですね。その積み重ねが結局優先順位の高い事業戦略や重要案件の将来を検討するというような最優先課題をないがしろにしてしまう結果につながってしまう。当の幹部もそれを反省してマネジメントの変革をしようともしない。そんな企業は自然死へ向かうのは当然ですよね。すべて上司即ち幹部自身の問題です。誰のせいにもできません。更に最低な人たちは、なんだかやたら忙しい自分を見て「俺は頑張ってるな~」なんて勘違いしている。救いようがありません幹部は常に最重要アジェンダにフォーカスすべきです。最重要ミッションは「サステナビリティ」のはずです。

残念ながら幹部であってもバイアスまみれです。これは避けようがありません。幹部でなくても、常に鏡に写る自分を見て「これで良いのか」「自分は最善を尽くしているのか」「優先順位は間違っていないか」と問いかけ続けなければなりません。それができない人はリーダーになってはなりません。部下が不幸です。

次に申し上げたいのは、冒頭の話に戻りますが、C&Cの蟻地獄から逃れることです。管理職が考えるべき部下の育成のポイントは、部下の自立です。要するに、「自分で考え、自分で決め、さっさと行動すること」です。もちろん、それは放っておくことではありません。「どうするつもり?」と問いかけ、「それでお客様はどう思うだろうか?」などと適切な問いを壁打ちのように連打し、自分で考えることの重要性を癖づけることです。そしてずっと見守るのです。これには以前に書いた「女性性」が必要不可欠なのです。多くの人がそれを理解していません。

「ちむどんどん」から考える - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting

管理者など幹部の人は自覚してほしいのです。あなたの頭脳と情熱と行動力と時間は経営資源なのです。その優劣で企業のサステナビリティは決まるのですよ。

 

少々角度を変えて生産性の話をしましょう。会議の構成要素は「所要時間」「参加人数」「開催頻度(回数)」といっても良いでしょう。考えてみてください。例えば、そのすべてが半分に出来ればどうなるのかを。分かりますよね。投入工数は1/8ですよ。分かりますか。更に、忘れてはならないパラメーターが、会議のための資料作成根回し(事前会議)ですよね。皆さん分かっているでしょ。資料を制限すること、参加メンバーが事前に理解する努力をすること、など、できることはたくさんあるはずです。それはもはや企業における規律といっても良いでしょう。そういう変革ができない管理者は不要だと僕は思います。意志の問題です。言い訳は通用しません。

バイアスから解き放たれなければ新しい世界は作れない
21世紀美術館(金沢)
プールの下は予約制(涙)

 

自立とウェルビーイング

最近クライアントと対話していてふと気づいた。長い社会人人生の中で、より良くあり続ける(即ちWell-Being)ためには、他者との関係を客観的に感じ取ること、そして、自分なりの考えをちゃんと持つことが必要不可欠なのだろうと。当たり前のようですが、それができていない人が多いと感じます。

 

例えば、アセスメントという機会がありますよね。多くの企業で行っているのではないだろうか。その結果をちゃんと受け止めていますか? 結果が出たときだけ、「ああそうなんだ」と思っても、それを受け止め行動を変えようと努力する人は少ないでしょう。そう、真剣に捉えていないし、自分を客観的に見る努力をしていませんね。自分を俯瞰的に見る、即ちメタ認知してみることの大切さを考えたい。

アセスメントでなくても、こんな機会はあるでしょう。信頼できる、空気を読まないストレートでオープンな友人からフィードバックを受ける。「君って〇〇だよね」と。素直に受け止める器のない人は、「この野郎! 好きなこと言いやがって。豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ!」なんて相手を恨んだりする。そんな人は大切なフィードバックの機会をすべて失うわけです。方向修正する機会や成長する機会を失っているわけですね。すべて、批判に受け取ってしまう。その延長線がTESマンに囲まれた裸の王様の生活に行きついてしまうことを知らないのでしょう。耳の痛いことを言ってくれる人を遠ざけ、耳障りの良いことを言ってくれる人だけを取り立てるわけです。いますよね。万が一そういう人が幹部に昇格したら、YESマン以外のすべての人から、尊敬されるどころか呆れられることは間違いないでしょう。つまり、すごく勿体無い人生を送ってしまうということです。

人は弱い。実に弱い生き物です。自分のことを自分の都合よく解釈している。実は他者からこう見えているという客観はなかなか得難いものなのです。その事実に向き合うことは案外難しいのです。そう、見たくないものは見えないのです。その本能に抗うことがフィードバックを得て考え直すことなのです。

自分を客観的に見るということはどういうことなんだろう。僕は思う。見たいものだけ見る弱い自分の頸木から逃れること。それは自立主体的に生きるということ。自分と他者の関係を理解し、どのように生きるべきなのかを考えること。そうすれば、自ずと、相手の顔色を窺い、お追従的人生を生きるという選択はしないのではないか。意味のない会議に参加する、嫌々指示に従う、フィードバックもない報告書を書く、型にはめたがる上司や会社に従う・・・ 自分は何を考え、何を喜びに感じて仕事をしているのか。心に向き合い正直に生きてほしい。自分の姿をメタ認知することから始めよう。その先にあるのは、「りたい自分」のはずだ。

そう。受け身ではない自立したキャリア主体的な仕事自分で考え、自分で選択した行動。(そんなこと許されないなんていう)許す許される(それも頸木)ではない自立。そんなこと許されないなんて、あなたの思い過ごし・虚像にすぎないのです。

 

自立・自律がウェルビーイングのスタートライン。自分で選んだ行動を堂々と行う。ありたい姿を堂々と追及する。できないと思っているの? やってないだけでしょ。

ウェルビーイングは自立なしに成立しないと分かってほしい。

今までの自分からの自立。バイアスからの自立。学習してきたことからの自立・・・

それが実行できると、スカッとした人生にギアチェンジできるような気がする。

キャリアの自立を地でいく「マーヴェリック」。だからカッコいい。