働きがいとは?

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小豆島の新漬けオリーブ。以前に旅行に行った日が丁度、新漬けの販売解禁日だった。普段は輸入のもの、即ち新漬けでないものばかりを食べているのだけれど、初めてこれを食べてはまった。その後浜松町にあるクライアントのビルのそばでこのシーズンに売っているのを発見し、クライアントを訪問した際に買ったものだ。今年はふるさと納税で申し込んだ。解禁日が過ぎてもなかなか送ってこないので、ヤキモキしていたが、やっと先日到着。

やっぱり美味いのだ! 輸入物などは塩抜きしてから食すと良いよ。

今日は、「働きがい」について少し考えてみたい。人生は「就学」「就職」「引退」の3ステップで進む。その先は「死」しかありません。前者2つが昔に比し長くなりました。これからますます長くなるだろうし、「就職」「就学」「就職」と2サイクルや3サイクルの人も増えるでしょう。恐らく多くの人にとって最も長いのが「就職」。即ち働いている時間です。頑張って付加価値を高めなければ稼ぎが少ないし、ある意味競争の世界ににいざるを得ない。多くの人は競争他者と闘っているからです。その「就職期間」をいかに充実して送ることができるかは重要なテーマですね。即ち「働きがい」を感じて過ごしたいということです。

 

働きがい」とはなんだろうか。公益財団法人では、働きがいを「ワーク・モチベーション」と定義しています。ちょっと思い出してください。HRの人なら全員が知っていますね。フレデリック・ハーズバーグの「二要因理論」の「衛生要因と動機付け要因」を。仕事への満足度は、「衛生要因」即ち職場環境や給与や福利厚生などの、本人からすると外的な与えられる要因と、「動機付け要因」即ち仕事がもたらす達成感や成長、困難な仕事にチャレンジする機会や責任ある仕事を任されるなどの、自分の気持ちが鼓舞される内的要因、正に動機付けがあります。前者はなければ不満に感じる、後者はあればやる気が出る。という違いがあります。仕事へのモチベーションは、外発的に(「衛生要因」によって)生まれるのではなく、仕事そのものから内発的に(「動機付け要因」)生まれることが研究から明らかになっています。

 

実は、日本をはじめ世界の働きがいのある会社ランキングを発表し、その実現をサポートする「Great Place to Work® Institute(以下、GPTW)」では、働きがいの定義を「働きやすさ」と「やりがい」の両方が揃っている状態と定義しています。「働きやすさ」とは快適に働き続けるための就労条件や報酬条件などにリンクし、上記の「衛生要因」だと理解できます。仕事のモチベーションと同様に、「働きやすさ」だけを向上させても、「働きがい」は上昇しません。そこに必要なのが「やりがい」なのです。

 

やりがい」をもっと考える必要がありますね。これは個人個人の「仕事観」という価値観に強く結びついていると思います。何のために仕事をしているのか? 何を成し遂げたいのか? 何が喜びなのか? などですね。働く意味を充足できれば、仕事に対するやる気やモチベーションが上がりますよね。自分の能力が活かされた時には「やりがい」を感じますよね。日々成長を感じることができれば「やりがい」を感じますよね。そうです、「やりがい」とは仕事そのものや仕事を通じて得られた「変化」に起因するものなのです。

 

さて、話が繋がってきました。「働きがい」とは「衛生要因」「動機付け要因」の両方を上げていかなければなりません。最近では前者を象徴するのが「働き方改革」ですね。前者はビジブルなのでコンロトールすることは比較的容易です。それに、長きにわたる組合との交渉などで、ほとんどの企業ではやるべきことはやり切ったに近い感覚だと思われます。もちろんこのコロナ禍で出た新しい在宅ワークに関する設備投資やルール整備の問題が残っている企業は多いと思いますが。そうなると、フォーカスすべきは「動機付け要因になるわけです。

 

皆さんも覚えていると思います。2017年にアメリカのギャラップ社が世界で実施した従業員のエンゲージメント調査を。日本はやる気のある社員がたった6%。やる気のない社員が70%を超え、対象国中ほぼドべだったのを。日経新聞で取り上げらた時にはびっくりするとともに、なるほど~と妙に納得したものでした。その後もたくさんのメディアで取り上げられ、話題沸騰。それを引用した書籍はたくさん発行されたし、エンゲージメント上げるためのHRTechサービスがたくさん登場しましたよね。そうです。日本の問題は「やりがい」を上げるということなのです

 

これには、以前に書いた日立の矢野フェローの研究も深くリンクしていますね。社員のHappinessは「やりがい」を高めるのです。

この辺に関してはたくさん書籍やWebサイトに取り上げられていますから、是非ご覧になってください。

 

前回男性性と女性性の話を書きましたね。記事に登場するホフステード社の友人から不確実性に対する話を聞きました。「不確実性の回避」とは不確実な状況や未知の状況に対して、不安やリスクを感じる程度を言います。曖昧、未知、予知不能な状況にストレスを感じ、避けようとする願望強いのか、弱いのか、ということです。ホフステードの5次元モデル(4) 不確実性の回避 (hofstede.jp) に書かれていることを引用しながら考えを述べますね。「不確実性の回避度」が高い文化の国では、不確実性を減らすためにいろいろなルールや規制、縛りなどの仕組みや約束事がたくさん用意されます。「不確実性の回避度」が高い国の典型が日本なのです。それに対して「不確実性の回避度」が低い国の特長とはどんなものでしょうか。想像がつきますよね。リスクの度合いがわからなくても初めてのことであっても、それほどストレスを感じない文化なのです。まず、やってみよう、なのです。ルールは少なく、本当に必要なルールのみです。野中郁次郎氏も言っていますね。日本をだめにした理由の一つが「オーバー・コンプライアンス(過剰統制)」だと。通じる話です。同社は「不確実性を回避する傾向の強い国では人々は不安で忙しそうで、ソワソワしています。平均すると、あまり幸せであると感じていません。」と言っています。なるほど~ 皆さんもそう思うでしょ。仕事上でもがんじがらめで縛られていたら「やりがい」を感じませんよね。

 

社員が光り輝きイノベーティブでオープンな会社は、社員の自律度が高いと感じます。自分で考え自分で判断し自分で行動します。排他的ではなく、人々が交わり共感しあい助け合い楽しみながら成果を追求します。そこには手続きの煩雑さや面倒くささは存在しません。指示待ち人間は存在できません。

 

とはいえ、ルールがないわけではありません。当然ですよね。ネゴの余地のない規則やルールが厳然と存在します。分野ごとに〇〇さえ守れば、やり方は問わないなどという感じです。自由度が高い。その反面、外資系などはその原則を守れない人は厳しく罰せられます。先日歴史の長い典型的な日本企業の部長と話しました。部長には絶大な権限が与えれれていました。皆さんのイメージよりはるかに高額の受注権限です。いくらまでは部長権限で受注判断ができるのです。これは外資系にも存在しないと思います。日本法人であれば確実にHQの承認が必要になる話です。そこまで自由度が与えられている。もしかしたら上場企業の社長の権限より大きいかもしれません。日本企業も変わってきたものです。

 

ところが、その企業がやりがいに溢れているのかと問われれば、「NO」でしょう。ご多分に漏れず、社員のモチベーションやエンゲージメントの向上が課題なのです。現場に権限が委譲されればやりがいが出る、というように簡単に解ける問題ではなさそうです。

 

私は、自分の仕事観、即ちなんのために働くのか? 働く喜びとは何なのか? などに真剣に向き合うことをお勧めします。自分の気持ちを整理し、それに忠実に生きるのです。自分の存在価値を感じ、チームの存在価値を共有し、その実現に邁進するのです。不確実な世界と向き合い、逃げずに楽しむのです。できるかできないかではない。やってみるのです。行動するのです。それがあなたの存在価値なのですから。

 

以前に書いたかもしれませんが、最近ある組合幹部の方と話し合ったときにそんな話題になりました。組合は長い間福利厚生や給与などのアップの交渉ばかりをやってきたが、すでにそういう時代は卒業すべきなのではないか。社員に「やりがい」を感じさせるためには交渉でなく、両者が手を取り合って問題を解決していかなければならないのではないかと。時代は変わったのです。Nomalがない以上NewNomalなど存在しないのです。自分たちで考えるしかない。そこに労使など関係ないのです。

 

冒頭、競争の世界にいざるを得ない、と書きましたが、多くの人にとってはそうかもしれませんが、そうしなければならないということも全くありません。ジェレミー・リフキンの言うように共有社会になっていけば、価値観はガラッと変わります。幸せと競争は無関係です。企業の多くもそのような価値観が社員や社会の共感を得るでしょうし、やりがいを感じるかもしれません。たとえ、競争の時代を長く送ってきたとしても、その世界から離れて、自分の価値を誰かに提供する喜びを糧に生きている人もたくさんいるでしょう。現在の私もそうです。

 

文化に抗うということの困難さは容易に想像がつきます。リーダーの力に負うところも大きいでしょう。しかし、それを乗り越える斬新なリーダーがたまたま現れるという幸運を待ってもしょうがないのですよ。一人一人が自分と向き合い自覚をして変わっていくしかないのです。