ハンズオンと新しい経営学を

緊急事態宣言が解除された以降、かなり日常を取り戻しつつあります。それはいろいろなところに表れますね。皆さんもお感じの通り、電車のラッシュが感覚的には7割がた戻ったとか、週末の車の渋滞が昔に戻ったとか・・・ 私が先日気付いたのは、新聞。折り込み広告がほぼ昔の量に戻ったのと、旅行社の全面広告が出始めましたね。この辺がマーケットの変化をよく表していますね。最近東京の感染者が再度増えつつありますが、一人一人は細心の注意を払い続けてもらいたいものです。企業も活動にネジを巻き始めるとともに、職場クラスターを絶対に起こさない覚悟をもって、対策を施してほしいと思います。

 

アメリカは1960年代以降日本の成長論理を学び、それを読み取られ1990年前後に完全に彼らのオリジナルの経営手法が日本のそれより勝り、潮目が変わりました。ITを活用した経営改革が必ずその中心にあり、ERPの台頭、流通革命やeコマース、少し前のインダストリー4.0等、実はその中心に経営論を考え抜く学者やボストン・コンサルティングなどのコンサルが存在していました。彼らが提唱する経営論の変革がアメリカを支え、新しいビジネスモデルのほとんどはアメリカから起こるほど、劇的にアメリカは成長してきたのです。


僕たちは、それら新しい経営論を勉強しなさ過ぎる。差は開く一方。もっともっと学ばなければなりませんね。それら新しい経営学を網羅的に教えるのが早稲田の入山教授だったりするわけで、僕はもっともっとHBRや書籍が売れてほしいと願っています。


1990年代の日本の停滞。止まったように旧態依然とした経営手法。その間世界の事業改革のメガトレンドが一気に進み、遅れた業界は完全に置いて行かれました。

 

会社が経営危機に陥っても、そこに働いている人たちは「自分たちはやるべきことをちゃんとやっている」と思い込んでいるので危機感を持てないケースが多いと感じます。機能別の組織が肥大化し、顧客や競争相手即ちマーケットで何が起きているのかに鈍感になる。それが自分は問題ないという視野狭窄を生んできました。経営幹部のハンズオンも足りず地政学的変化やテクノロジーの進歩にも感度が薄い気がします。IPAはいろいろな調査研究で(経産省も同様に)日本の企業のDX化の遅れを問題視しています。その底流には危機感の欠如が大きくのさばっている気がしてなりません。そこにこのコロナ禍。企業は今までの延長線上には成長など全く描けません。もともとそうなのに目をつぶってきました。見たくないものは見えないのです。しかし、今直視せざるを得なくなった。平時に変革を続けられる企業は残念ながら稀です。だからこそ危機感がそのエネルギーになるはずです。企業にとってはある意味このコロナ禍がチャンスなのです。

 

多くの産業セクターで生死の選択を迫られる企業が多発するでしょう。国内海外ともに今までのやり方で営業活動すらできないのです。この状況は相当長く続くでしょう。ワクチンが市場に行渡るまでには数年かかるでしょう。新興国も含めた渡航の完全自由も相当先です。今までのやり方ではトップラインは戻りません。延命させることと成長させることとは設計思想が違います。企業には両面必要です。これから何が起こりえるのか、ホラーストーリーも描かなければなりませんし、どこにどのような機会があるのかに想いを巡らせることも必要なのです。

 

今だからこそ、新しい「晴耕雨読」を。企業における「耕」とは、一言でいうと「ハンズオン」が大前提ですね。ハンズオンと新しい経営学を学ぶことの両利きが必要不可欠だと思うのです。

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旬をいただく。佐藤錦は日本の象徴的果物だと思う。桜好きだからそう思うのか?

 

100年の意味

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web会議のない朝。2時間強のウォーキング。雲の動きが速い。梅雨入りが近いぞ。


■人生の意味

リクルートワークス研究所の調査では、日本企業の中には社内失業者が現在推計408万人いるとされています。日本の雇用システムである年功序列や終身雇用が悪影響を与えているのは間違いありませんが、右肩上がりの経済成長の中で、ローコスト大量生産が求められていた時代が終わり、多様化したニーズに対して価値を創造し続けることしか、成長の芽がなくなっている中で、社内で価値を出せなくなっている人が増えているのと同時に、企業サイドもそういう人材を育てられていないし、使いこなせていないことが大きな要因だろうと推測します。
 
人間はなんのために働くのでしょうか? 一人一人が社会の中で付加価値を創り出すから社会が存続します。そして、その価値の大きさによってほかの人の便益や感謝の量が変わります。それが対価となって人々の生活が成り立ちます。一般的にその対価を得るために、起きている時間の多くを仕事に費やします。もちろん能力や情熱の多くも投入します。
 
従って、多くの人にとって否が応でも仕事観が人々の価値観の重要な基軸になると思います。自己実現と仕事観が同じベクトルに重なった時に、人々は最も充実を感じるのだろうと思います。
 
そこに必要不可欠なのが、“学び”です。上質なインプットを得て、それを消化し成長し続けなければ、人生はただの消耗戦です。徐々に細っていく人生に甘んじることは、人が本能的に持つ自己実現欲求にも逆らって生きることです。そこに充実感は存在しにくいでしょう。前にも書きましたが、私にとっては、先細りの人生は最も避けるべきものです。
 
本質的には、利己的な満足を得るために利他的に生きる、ということが人間のエコシステムだと思います。そのエコシステムの一員になるために、自分の能力を発揮しましょう。周りの人達とつながりましょう。できることはあるはずです。


 
 ■人生100年 
NP(NewsPicks)の記事によれば、「最先端のサイエンスでは、老化を予防することにとどまらず、夢のような『若返り』についても現実味を帯びてきています。」とのこと。節制をすることが寿命を延ばすということは、1930年ころから分かっていて現在も定説です。一方、人間の欲望は千差万別で、運動もせず食べたいものを食べたいだけ、それも夜中まで食べる一方で、長生きしたいと願っている人もたくさんいます。
 
それが、医学の進歩によって、そのような長い間のの不摂生をキャンセルできるようになりかけています。なんだか、人間の倫理観というか本質的な価値観も変わりかねない時代が訪れそうです。努力したものが報われるという時代の終焉です。もちろん、そのような医学はめちゃくちゃ高価格で提供されるわけで、高収入者あるいは資産家しか利用できないわけですが、そもそも高収入になるためにすごく努力したのだから当然でしょ、という資本主義的意見もありましょうが、貧乏根性の染みついた私から見れば、ただの強欲にしか見えません。金持ちは努力しないで寿命を買えるのですから。
 
そもそも私は、長寿であることに価値を感じてはいません。もちろん、若くして癌になったりアルツハイマーになったりするような方々を、最新の医療で何とか救えないかと思います。しかし、高齢者の寿命を科学の力で更に延ばしていくことに意味を感じません。

 「長生きする」ことの価値ってなんだろう?

2016年のベストセラー、リンダ・グラットン氏のはライフ・シフト 100年時代の人生戦略」で先進国で2007年以降に生まれた人の半分が100歳まで生きる予測(恐ろしいね)を引き合いに出し、「『教育・仕事・引退』といった3ステージの人生モデルが崩壊した」ということ。「今の60歳は昔の40歳と同じぐらいの健康状態を持っています。しかも昔の40歳よりも20年多く経験を積んでいます」という状況を捉えれば、昔でいう定年・引退という概念がもはや意味を持っていないということがよく分かります。

彼女の主張で納得するのは、僕たちは「有形資産」と「無形資産」という2つの資産を考えることの重要性だ、との考え。「有形資産」とは、お金やモノのことを指しますが、それ以上に健康や仲間、変化への対応力といった「無形資産」が重要だとの主張です。「平均寿命が短い時代では、『引退』ステージのために、金融資産を蓄積することが合理的でした。しかし寿命が延びると、お金を蓄積するより、『より長く働くための資産』を蓄積する必要があります。それこそが、『変身資産』、『生産性資産』、『活力資産』からなる『無形資産』です

その中でも特に『変身資産』という捉え方が面白い。これからの人生は今までより多い人生ステージを歩んでいくことになります。そのプロセスで、自分自身でその変化を制御することが求められます。「自分は一体どうなりたいのかを選択しなければならないのです」 必要なことは、「具体的には自分自身に対する深い理解や、変化を助ける多様なネットワークが挙げられますが、変身できることそれ自体が、これからは資産になってくるのです」 これはとても刺激のある指摘ですね。変身できること自体が資産(能力とも言えるのではないか)だと。う~む。唸らざるを得ません。

更に彼女の主張は「重要なのが、余暇の時間をレクリエーションではなく『リ・クリエーション』(再創造)に使うことです。余暇の時間は引退後ではなく、人生のあらゆるステージに細切れにやってきます。その時間を学ぶ時間として使うべきです」 「リ・クリエーション」(再創造)ね、これまた唸ります。そう、またここで“学び”の重要性が指摘されています。

人生のステップを再構成する。言い換えれば、自分を再創造する。そのためにはそのプロセスで上質なインプットを得て消化する“学び”が必要不可欠ですね。

そう、長生きすることに意味があるわけではないのです。本人が社会の中で充実を感じられることが何より大切でしょう。目的を失っては生きる喜びは感じられないでしょう。目的を考え、自分を再創造する・・・ 惰性で生きないためのハードルは、自分で設置しないとね。

私自身は、長生きしたいなど考えたことはありません。人とのかかわりの中で楽しく価値を発揮しているうちに、「そう言えば、清水さんいないわね」「先月死んだらしいぞ」なんてポックリ逝くのが理想ですね。賞味期限はあと10年くらいかな。十分です。
ところで、私は「健康のためなら死んでもいい」なんて言いがちな健康オタクではありません。お美味しいものを食べて、美味しいお酒を楽しみながら、日常はバランスよく節制する、そんな均衡を保つのが心地よいと思います。
一方、記事の中にある「20年分の不摂生をキャンセル」する医学の時代が来つつあるとは。なんと神をも恐れない所業なのでしょう(笑)。人間の欲はどこまで進むのだろうか。同様に、私は、もし不摂生を続けた人にポックリ逝ける薬を処方できるようになれば、どれだけ多くの人が不摂生の蟻地獄に落ちていくのだろうかと、想像すると恐ろしくなります。子供が親にプレゼントしたりしてね。ああ、恐ろしや。
健康寿命も金で買える世の中か~ 
僕は、DIY健康寿命を延ばすぞ! でも寿命自体は長い必要はない。

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人生、価値を発揮できるうちが花

 

 

 

 

しぶこの全英18番の陰に青木コーチ

楽天マガジンのお陰で、雑誌のチョイ読みが自宅のデスクでできる。ちょうど今斜め読みしたのが「Motor Magazine」 そこにこんな記事が。「ティーティングからコーチングへ」 去年すい星のごとく登場したゴルフの渋野日向子のコーチ青木翔氏の話だ。優勝した全英オープンでキャディーをしていたので、ご覧になった方も多いと思う。彼はもともとアカデミーを主宰しスイング技術や方法論を生徒に教えていた。いわゆる指導者、即ちティーチングだ。彼は、それでは指示待ちの子供を育てるだけだと気付き、「ことらが正しい結論を知っていても、それを教えてしまっては、選手が自ら結論を出せなくなります。こちらが答えを教えることを繰り返しては、一度解決した答えはクリアできるでしょう。でも、新たな問題に直面した時に、自分自身の力でそれを解くことは難しくなる」とコーチングの神髄に気付く。その成果が結実したのが全英オープン最終ホールの渋野選手のあの強気のパットだ。あのような痺れる瞬間にラインを読み、かなり強めのパットをしたのは、渋野選手自身の判断だ。彼は、「本人がラインを読み切りバーディーを決められれば、とてつもなく大きなものを得られる。仮に読みが間違っていたとしても、彼女の決断を尊重していたでしょう。それが成長への原動力になると思っていたから」と。そう、あの「強気のパットはコーチングの賜物だった」「コーチングの要諦は教えないこと。見守ることだ。」選手はコーチングによって自立していく。自分に問いかけ自分で解を見つけていくのだ。

私もコーチの端くれなわけだが、いつも反省する。そう、私はしゃべり過ぎる時があるのだw。我慢が何より大切なのに…。もちろん私だって成長してますよ。学び続けてるのですよw。この歳になって成長途上! それはそれで良いではないかw

クラアントの行動を変えることが私の存在価値。でも、青木コーチの言うように、私が教えるのではないのです。自分で変わるのです。そのためにクライアントは自分で気付いて自分で反省して自分でどうすべきか考えて自分で腹落ちして、そして行動するのです。私はヒントに繋がる質問をするだけ。特に答えを知っているときは、知っているだけに我慢するのは容易ではないのです。しかし、彷徨うクライアントを、手を替え品を替え質問を繰り出す努力を続けて、迷宮から救い出すことを愚直に続けるのです。まるでテニスの壁打ちの“壁”のように。

同時に、以前に紹介したように私のアプローチは“Coaching & Consulting”、のふたつの融合を旨としている。ある時には経験や知見に基づいて、アドバイスしたりフレームワークを教えたりする。しかし、それが過ぎてしまうと青木コーチの指摘の通り、クライアントは自ら考えることを止めてしまうのです。その塩梅にがバランスした時に、クライアントは視界が一気に開けたことを感じるでしょう。

修行の日々は続く。

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ベランダのミニトマトも順調に成長中。小さな実をつけ始めた。私も見習わなくてはw

 

 

 

フェラーリでぶっ飛ばす?

気分転換したいですよね。

そういう時、今まで皆さんどうしてました?

僕は、

・シムで体を動かす 

・ウォーキング

・映画を観る 

・都会を歩く 

・ブラ~っとドライブに行く

・本屋で本をあさる

・読書

・美術館に行く

・ゴルフを楽しむ

・旅行に行く など

そもそも、昔と違って買いたいものも明確にないのに、ぶらっとショッピングに行くことはない。もともと一人で食べ歩きもしない。従い、気分転換はこんなところ。

そんな気晴らしも全くできない日々。そりゃ読書もしますよ。映画も観ますよ。家でね。そのほかも全くできない2か月が過ぎた。ジムは今日から営業再開したらしいが、ソーシャルディスタンスが守れるわけはないと思い、行く気にはなれない。

今シーズンは好きなF1を観ようと有料放送の契約はしたものの、中止が続き、すぐ解約。暇つぶしに楽天マガジンの契約もした。でも、それでは気持ちが埋まらない。何かやりたい。

 

で、

プレステ4を買ってしまった。

今年5が発売されるらしい今どきになって… 

そして、生産を縮小しているせいか、SONYストアでも売っていなく、定価よりかなり高いお金を払わないと買えないのにだ。なんとバカバカしい。

と思いながら、クリックしてしまった。

で、先日届いた。

そして、グランツーリスモをダウンロードして始めた。

 

時々仮想空間で車を飛ばして憂さ晴らしをしている。

これって、憂さ晴らしなの?

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すぐに飽きてしまうのか?

 

 さ、仕事しようっと。

 

新しい時代の始まり

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明けない夜はない



徐々に日常を取り戻し始めます。それ自体は悪いことではありません。感染リスクさえ極小化させる一方で、経済の復調を目指さなければ、不幸の連鎖が止まらなくなります。

想像しましょう。これからどういう景色が増えていくのか。
・マスクを付けない人が増える。
・電車などが徐々に混み始める。
・オフィスが徐々に混み始める。
・街自体が混み始める。
・レストラン、飲み屋などが営業を始める。
・それらが混み始める。
・夜の街や電車の中などに酔っ払いが増え会話が増える。
・旅行や出張など移動が増える。
・即ち3密を恐れない人が増える。などなど。

そんな中で、スマホを毎日何度も消毒し続けるような感染をシビアに恐れる人達と、どんどん脇が甘くなっていく人達とのギャップがどんどん広がっていく。お互いを罵り「感染を広げるつもりか?」「緊急事態宣言は終わった。何を神経質になっているのだ?」という分断が色濃くなる。そんな悲しいことにならないようにしたいものです・・・

徐々に変わりつつある世界を想像しよう。そして正しく恐れよう。少しずつ恐々日常を取り戻そう。3密回避はワクチンが浸透するまで続けるという、新しい生活原則を当たり前と理解しよう。もう、昔には戻れない、戻ってはならないと理解しよう。

テレワークやマスクや手洗いなどの習慣、ちょっと体調が悪ければ、仕事を休むこと、それを当然と受け入れる上司や顧客、時間から成果への報酬価値観の変革、オンラインでもリーダーシップやコラボレーションやイノベーションが起きる変革などなど、永遠に忘れず文化として定着させよう。

元に戻るんじゃない。新しい時代が始まったのだ。

 

 

書き換えられようとしている未来に向かって

加藤大臣の責任逃れ

加藤厚労大臣の「我々からすると誤解だ」発言が世間を騒がせましたね。相談センターや保健所がなかなかPCR検査をしてくれず、病院も含めてたらい回し状態になったなんていう話が、あれほど世の中を騒がせた原因が、37.5度4日連続などのクライテリアだったにも係わらずです。保健所に勤めている方々も呆れ返ったことでしょう。

以前にも書きましたが、人の上に立つ人(現場に指示を出すスタッフも同じ)は指示を出すことが責任で、あとは現場に任せた。それが上手くいかなかったら現場の責任だと逃げるようでは話になりませんね。上手くいけば自分のおかげ、上手くいなかければ部下のせい。最低の上司のパターンと同じです。そもそも目的は何なのか? それが分かっているのだろうか? 責任とは最終的に結果を出すこと。言い訳は一切できません。現場がどうなっているのかをハンズオンで把握する、上手くいくように適時指示を変える、必要な資源を手当てする、上手くいくまでやり続ける、現場を鼓舞するなどという行動力がトップには必要です。

本件は全くそうなっていませんね。この混乱の責任の多くは加藤厚労大臣にありますね。また、官僚とは法律を作る人と言われます。そう自覚している官僚も多いはずです。それに従いオペレーションをやるのは、関連団体か地方自治体。官僚の多くは法律は作ったら仕事は終わり、という感覚で仕事をしているのでしょうね。それが本来の分担かもしれません。しかし、カオスの中でその考えをベースにして一気に解決できるとは思えません。カオスから抜け出すためには強いリーダーシップが必要です。そのリーダーシップは誰の手にあるべきなのか? そう考えれば、加藤大臣が第三者的なコメントを吐く責任逃れを、誰もが許せないと思うのは当然です。

これだけ、現場の混乱がメディアに取り上げられ(それがかなり誇大化されているかもしれませんが)ているわけですから、知らないとは言えませんし、優秀な官僚が支えているはずですから、情報はいくらでも足元にあったはずです。都合の良い話には耳を貸し、そうでない情報には蓋をしていたのでしょうか。事実は分かりませんが、トップは意志さえあればすべて掌握できたはずです。責任逃れは甚だしく、常識的に考えれば解任は免れません。

 

■企業幹部の登用とHR

企業においても同様です。自分の権限と責任を矮小化し、さらに失敗した時に他人のせいにする(今回は誤解と言っていますが同じです)などという最低の幹部は、速やかに去ってほしいと思います。皆さんがそう感じていないとするなら、周りにあまりにもそんな人ばかりで鈍感になっているのかもしれませんよ。要注意です。そもそもそのような性根の持ち主を登用してしまう、評価眼のない上司やHRは大反省すべきです。上司がいかに登用したいと具申してきても、コーポレートの人事が過去の行動や評価を客観的に分析し、上司のまがった評価を正す意志を持ち行動すべきです。多くの企業においてHRの権限が弱すぎます。HRはもはや経営そのものと言っても良いと思います。企業は人で成り立っているのですから。企業の成長はHRが決めていると言っても過言ではないのです。どのような人材を採用し、育て、リテンションし、どのような人材ポートフォリオを将来の成長に向けて構築していくかで、企業の天井は決まってしまうようなものです。経営陣はどのように優れた戦略的HR部隊を擁するべきなのかをよく考え、リクルートも含め考えるべきです。もちろん言うまでもなく、人事の傲慢や暴走は絶対に許せません。経営陣との信頼関係は必要不可欠ですし、誰におもねることもない独立マインドも必要ですね。戦略的で清廉なHRは、企業にとってなくてはならない存在だと思うのです。

 

■コロナ禍の終息 

一方でコロナ禍がいつごろ終息するのかの見通しがないのが、僕たちを不安にさせます。人口の7割が抗体を持つまでは終息しないというのが、恐らく正しい科学的見立てなのでしょう。それに関して、慶応大学環境情報学部教授でありヤフーのCSOでもあるデータサイエンティストの安宅和人さんが、ブログでこう書いています。

https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/2020/04/04/190643

「ご存じの方もいらっしゃると思うが、コロナを含む感染症のための病床数は4/4現在、日本全体で4,000あまりだ。一度入院したら2週間はいなければならないとすると、年間52週で26回転、4,180 x 26 = 108,680 = 約11万人の治療が可能ということになる。入院が必要な重症化率が世界平均同様に5%だとするとこの国が現在対応できる感染者数は年間で11x100/5= 11x20 =220万人に過ぎない。これでは「もしキャパを溢れさせないとするならば」50年以上(57年+)の時間がないと今の人口(12,600万人)全員に免疫ができることはない。50%を目指すとしても29年だ。普通の経済的な感覚ではほぼ無限に続くことになる。

仮にこれが1万までCOVID対応可能な病床が増えても同じ計算で、免疫を持つ人を50%にしようとすると約12年かかる。3万まで増やしても約4年だ。つまり、向こう数ヶ月で沈静化するという可能性は中国のような完全シャットダウンを行って封じ込めない限り考えられない。この状況は他の主要国もそう変わらない。したがって"手なり"で考える限り、来年オリンピックが当初期待していた形でできる可能性は低い。

実際にはいま世界で知られているだけで100以上のワクチン候補の開発プロジェクトが進んでおり、6月にも動物治験に入るもの、9月にも人間での治験に入るものなどがあり、早ければ年始にはなにか生まれてくるだろう。ワクチンは当然のことながら社会の免疫獲得を劇的に加速する。とは言え、これが10億単位で量産され、世界中の人が打ち終えるのには少くとも数年はかかるだろう。経済的な主要国の50%までをターゲットにしても、現実的な楽観シナリオでも1-2年はかかるというのが普通の見立てではないだろうか。」

日本だけを見ても、今の病床数が増えなければ、抗体が50%の人にできるまでに29年かかるという。ベット数に拘束される方程式。医療崩壊をさせずに自然に抗体が浸透していくことは不可能なのです。どんどん感染しても病床とドクターの数に余裕があるから大丈夫という状況になるなら問題はないとも言えますが、今までの状況を見てもそのようになるとは誰も考えてはいまい。感染を抑制することなしに放置すれば、間違いなく医療は崩壊し、多くの人が亡くなっていく。さらに言えば、日本だけ見てもそのような状況であり、新興国ははるかに状況は厳しい。ロックダウンにより感染を食い止めた武漢では、また感染者が出たという報道の通り、移動が再開すれば必ず 第2波、第3波が来ます。

言うまでもなく、解はワクチンです。それが世界中で普及し人口の大半が抗体を持つまでは、去年までの当たり前の暮しには戻れないのです。感染爆発にならないように、それまでは耐え続けるしかありません。1年か3年か10年か…? 今時点では誰も分かりません。更に言うと、いつまた未知のウィルスが登場するかは分からないのです。温暖化によってそうなる可能性は高まっているとも言われます。僕たちは最悪の事態に備えなくてはなりません。世のリーダーは人々にそう伝えなくてはなりません。パリ協定を無視するような人がリーダーを語ってはならないのです。

そう考えると、僕たちは価値観を変えるしかありません。昔に戻るのではなく、新しい世界とはどうなるのかを想像し、それに合わせていくのです。それができる人が、新しい幸せを獲得し、できない人は懐古的な世界に閉じこもって、不平不満を言って生きるのです。最悪は利己的な価値観に飲み込まれ、自分さえ良ければよいと、閉じこもって生きることになるのでしょう。人間はコミュニティーの中でしか生きられません。新しいコミュニティーの中で、社会とどう繋がって生きれば良いのかを問い直しましょう

残念ながら多くの産業セクターは生き残るのが厳しくなります。新しい人生観やライフスタイルに合った産業が伸び、そうでない産業は衰退するでしょう。しかし、チャンスは必ずあります。

未来は書き換えられようとしています。そのような状況でも、新しい未来を考えている人はたくさんいます。きっと明るい未来はあります。

もともと人類史上最も変化の激しいと言われる現代、今までの延長線上に未来などなかったのです。それが、更にコロナ禍によって更に新しい文脈に書き換えられようとしているのです。新しい未来には、恐らく今まで経験したことのない困難が待ち伏せしているでしょう。しかし、どんなことがあろうとも、未来を創り出せるのは僕たちしかいないのです。科学者を中心とする人々の英知と、人類全員の愛と利他心さえあれば闘えるのです。

 

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愛さえあれば

 

コーチにできること

現代に生きる聖書」(曽野綾子)に“キリストの弟子パウロの手紙”が紹介されています。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

そう、人間の関係すべては自分の行動で決まるのです。決して求めるのではなく、与えることで成長していくのですね。しかし、本当にそうできているのかはなかなか自覚できないものです。そのためには、一人一人が自分を映す“鏡”を持たなければなりません。そして規範とすべきもの即ち“鑑”は自分で考え抜き、書き下さねければなりません。書き下して目の前に置いておかなければ、規範は忘れがちなものです。決意は自分の琴線に触れる言葉にして、忘れないようにしなければなりません。人間は必ず楽な方に向かってしまいます。すべての物質が重力に逆らえないように。

コーチの端くれをやっているといつも思います。想いは行動に宿ると。逆のように感じるかもしれません。行動することによって想いがより強まり定着していく、と思うのです。そして、行動を変えることの難しさを常に感じます。

“鏡”に映る自分を見て何を感じるのだろうか。そもそも“鑑”を持っているのだろうか。

クライアントの行動を変えることが、私の存在価値だと思う。しかし、それは驕りかもしれない。私にできることは、“鏡”を持つこと、即ち自分と向かい合う勇気を与えること、そして、自分の琴線に触れる文章に書き下すことのお手伝いをすることです。

自分で気付き、だからこそ自分の力で行動を変えることができる。私のクライアントが全員そうなることが、私の喜びです。

変革なき人生は、愛のない人生と同じくらい虚しいものです。

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