アマゾンと宇宙旅行

アマゾンのCEOを退任したばかりのジェフ・ベゾス氏が宇宙船からカウボーイハットをかぶって颯爽と降り立ったのはつい先日。今富豪たちが宇宙に向けて事業を展開している。リチャード・ブランソン氏、イーロン・マスク氏もそう。巨万の富は宇宙への投資へ向かってきた。それが連続して花開いた形だ。それは多くの人たちの称賛を集め、夢を実現する民間人がNASAなどからフロンティアを取り上げたようだ。

 

そんなベゾス氏は輝かしい姿の裏で、批判にさらされている。今回の宇宙旅行?に対して、宇宙から戻ってこないように求める署名運動が複数立ち上げられていたことは、日本ではあまり話題になっていない。Foebesによると、同氏は「『すべてのアマゾン従業員と顧客に感謝します。これにお金を出したのはあなたたちだったのだから。心の底から非常に感謝しています』」「ペットボトルに用を足さざるを得ないような過酷な労働環境に置かれているともされるアマゾンの従業員たちは、自分の労働が実を結び、自社の大富豪の創業者がついに宇宙カウボーイのコスプレをする機会を得られたことを目にして、大喜びしたことだろう」などと皮肉っている。「深夜の人気トーク番組の司会者スティーブン・コルベアは、大きな批判を浴びたベゾスの発言について、『笑えるね。彼は税金も、従業員の給料も払っていないのだから』とコメントした」また、民主党アレクサンドリア・オカシオコルテス下院議員は「アマゾンの労働者がこのために代償を払った。低賃金や、労働組合潰し、過酷で非人道的な職場、パンデミックの中で健康保険がない配送ドライバーといった代償を通じてだ」いかにも社会主義的な価値観を持つ彼女らしいコメントだ。同様に社会主義的なバーニー・サンダース上院議員はそれにかぶせる様に「アマゾンの労働者が医療費や家賃、子供の食費を捻出するのに苦労している中、大富豪が数年にわたり連邦所得税を全く払わずに宇宙に行ったことに、私は感心するべきなのか? そんなはずはない。今は地球上の労働者に投資すべきときだ」とツイートしたとのことだ。

 

彼らの行動は富豪の傲慢なのだろうか。確かにイノベーションを起こし、結果として巨万の富を得た。そのイノベーションの恩恵は我々も受けている。しかし、その富を宇宙の軌道の上に自分のモニュメントを建てることに使っているようにも見えるこの行動は、傲慢と思える。更に、前にも書いたようにトランプ氏もそうだったように、税金も支払っていないその所業は庶民感覚からしたら許しがたい。私のようなちっぽけな個人事業主、本当にボールペン一本という単位で本当に必要なものしか経費算入もせず、ゴルフをしようが何を買おうがプライベートとは100%分別している、そんな絵にかいたような正直者(正しい納税者)からすると、背徳と感じる。

 

そして、更にその利益が努力によるコストダウンによって成し遂げられたものなら称賛するが、得られた利益も従業員に還元せずに貯めこんでいたとするなら、従業員が自分の雇い主を宇宙から帰ってくるなと思ったとしても、その気持ちは理解できる。

 

今、ベーシックインカムの議論が再熱している。富める者は益々富み、そうでないものはより置いてきぼりになる構図は、(ピケティ氏が言うように)富の再利用(株はずっと上がり続けるなど)、即ち富は富を生む原理からして、間違いない構図であり、それを是正するには税などの社会システムの変革なしに成し遂げられない。それが、ポストトランプの民主党内の論争だったわけで、その先鋒がサンダース議員だった。若者の多くは、その社会主義な考えに共感し大きなウェイブになった。ベーシックインカムを私はあり得ない施策だと思っていた。就業意欲を下げ、働けるにもかかわらず率先して働かない人たちを増やすだけではないか。それらの人の生活費を働いている人が負担する構図は、どう考えても納得できないと。しかし、その後世界では多様な実験が行われてきた。ある実験では、ベーシックインカムを得ても、ほとんど就業意欲は減らないことが証明されたとのこと。また、先ほどのように富める者に富は更に集約される現実を是正するためには、相当大胆な政策が必要だろうと感じるようになり、その選択肢の一つになり得るのではないかと思い始めた。富の再配分になり得るということだ。

 

アメリカンドリームという言葉がある。富豪になりあがることを称賛する。アメリカでは富豪は社会から露骨に寄付を求められる。もちろん、恵まれない人々のために寄付する富豪も多いが、社会に役立てるイノベーションに多額の投資をする富豪も多い。しかし、その多くはまた富を生む。寄付ではなく投資だ。社会還元とは言いにくい。もちろん社会変革を進める意味は大きいが。

 

せめて地球の未来のためにそのお金は使ってほしいと思う。脱炭素や公害対策、教育支援、食や、水や、エネルギーやウィルス対策などなど、地球の未来は不確実なことばかりだ。リターンを求めてもいいから、せめてそのような分野に富を使ってほしいものだ。庶民のやっかみに聞こえるかしらw

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地球はいつまで美しいのか? 子孫のために守るべきことはたくさんある。

 

価値観を晒す

以前に「自分を知っているのだろうか」的な書き出しのブログを書きました。私も自信はありません。自分と正直に向き合って生きてきたのかが問われたら、どう答えられるのだろうか。

私たちは日々選択しています。この暑さで怠惰な自分の生活を許すのか。運動不足解消のためにウォーキングに行くか行かないか。そんな些細なことも含め、怠惰になりがちにな自分と向き合っているのかどうかの積み重ねは、人生を大きく変えるかもしれません。自分の性格、パーソナリティー、趣味嗜好・・・一言でまとめると「価値観」、によって人生は変わってきます。

しかし、価値観は変わっていくのでしょうか。もちろん変わります。私だって高校生の青い青春の時と今では当然違います。東日本大震災で被災された人たちは、否が応でも価値観を変えたと思います。同時に言えることは、変わるとはいっても、それにはそれなりに大きな経験や学び、もしくは時間が必要でしょう。そう、ころころは変わらないのだろうと思いますね。

人間の本性は変わりにくい。自分と向き合おうがすぐには変わらない、というのが正直なところでしょう。しかし考えると、「行動」はすぐにでも変えられます。必要なのは「意志」だけです。意志さえあれば行動は変えられるのです。行動を変えると何が起きるのでしょうか。そう、「新しい経験」が始まるのです。新しい経験は私たちに新たな世界を見せてくれるかもしれません。その積み重ねが価値観の変化だと思うのです。私もそのようにして、経験を積み成熟してきました。価値観の変化は、私にとって「成熟」や「Progress(進歩、前進、発展、発達)」に感じます。

今週発売された「PRESIDENT」でダイキン工業会長の井上さんが、このようなことを書いています。「若者は人と会いなさい。ベテランは苦労を伝えなさい」と。ベテランと若者のコミュニケーションは、以前から激減していますね。先輩と飲みに行くのを嫌う若者。そうでなくてもコロナ禍で減ったコミュニケーション。もはや絶望的とすら感じます。多様性が大切だとの考えはここでは書きませんが、兎角外国人とか異性がターゲットになりがちですが、実は世代間の断絶が大きな問題になっているのではないかと感じます。少なくとも、ベテランは多様な経験をしています。それが成功だったのか失敗だったのか、どのような学びであれ、反面教師であれ、それを聴くことは「学び」になるはずです。「疑似体験」以外の何物でもないはずです。その多くは私たちの「自己効力」にプラスに働きかけてくれるでしょう。

とはいえ、若者にとって非常に煙たい存在になりがちなのはよく分かります。自嘲的ではありますが、なぜかを考えましょう。まずは、ベテランの経験談の多くは「自慢話」であること。更に、とても押しつけがましく聞こえること。シラケている若者のオーラをまるで無視して「偉そう」なのです。それでは、若者が心を閉ざすのも当たり前ですね。せっかくの機会は台無しです。

実は、私はコーチングしているクライアント(皆さん管理職以上のエクゼクティブです)に自分の価値観を晒すことをお勧めしています。TPOをわきまえて(これが大切)、「実は私は・・・のようなことを大切にしてるんだよね・・・。昔・・・のようなことがあってね。その時・・・と感じたんだ(決心したんだ)」のような自分の琴線に触れる価値観のエピソードを話すのです。それは失敗談の方がよいかもしれません。さっきの自慢話に聞こえませんからね。押しつけがましく聞こえないように、自分が経験を経て何を大切にして生きているのか(仕事をしているのか)を話すのです。その時、自分は「永遠のルーキー」(まだまだ学び続けたい)でありたいと心から思うことが大切です。そうすることによって、若者の心に近づくことができ、あなたに対する扉は大きく開きます。あなたを理解し、いろいろな機会に下す判断や議論の裏に、あなたの価値観があることを理解するはずです。それは即ち、信頼関係が深まることを意味します。また、疑似空間で同じ体験をすることによって「自己効力」を高められます。即ち、「私にもできるような気がしてくる」のです。

もちろん、「人と会いなさい」の対象は上司やベテランに限りません。できるだけ、多くの人、立場や経験の違う人と会うことをお勧めします。「疑似体験」は視野を広げます。必ずしも自分で経験する必要はありません。一生頭に焼き付いている映画もあるでしょう。実際にリアルに面談する必要もありません。オンラインのフォーラムに参加するだけでも、ワークショップに参加するだけでも、さらに、本を読むだけでもいいんですよ。本だけで学んだ人を揶揄する人もいますが、要は消化する能力の問題です。そう言う人は残念な人ですね。

 さて、帰省も旅行もままならない夏休み、どう過ごしますか。こんな我慢続きの1年半。“もう無理!”と思う気持ちもよく分かります。Forbesによると前FDA長官は、ワクチン未接種者の大半はデルタ株に感染するだろう、との見解を示しました。ワクチン接種率の高い英国の感染拡大は正にそれを示していますね。さて、本当に11月には日本においても希望者にワクチンが行き渡るとするなら、それまでの辛抱です。デルタ株の感染力は想像を超えます。であるなら、もうしばらく今まで以上の我慢をすべきです。もう少ししたら希望が見えるはずです。そう思いましょう。

PS. ちなみに、その雑誌には「年収が高くなる度ほど読書好き」と書いてあります。そして、ビジネスに関する書籍の割合が増えるというデータも。なるほどね。私の体感では「できるやつの多くは読書好き」そして「できたやつの多くも読書好き」かな。リベラルアーツ的な書籍の比率も私よりは高いかも。

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未経験のチャレンジは価値観を変える

 

経営責任って何?

社長の謝罪が続きます。みずほFGの坂井社長は、傘下のみずほ銀行で続いたシステム障害に対して、株主総会で謝罪したのはつい最近のことです。みずほ銀行の障害は、遡れば勘定系刷新の大プロジェクトを何度もサービスインを延期したところから始まり、今年の2月から3月にかけても何度も障害を起こし、銀行業務の血脈ともいえるシステムの信頼を失墜させたとして、糾弾されてきたわけです。その責任を取り、坂井社長が4月に銀行協会の会長になる予定を見送り、銀行の頭取交代人事も急遽中止しましたね。

そして、先日の三菱電機の杉山社長が過去から続いていた検査不正の責任を取って、辞任することを発表しました。それが、株主総会直後であり、その席では何も説明すらなかったことから、情報開示に後ろ向きな印象が致命的になった印象です。

 

経営責任とガバナンス責任とは何だろうか。

システム開発の実態を社長が分かるのだろうか。検査の実態を社長が分かるのだろうか。もちろんNOだ。しかし、責任を取らなければならない。考えてみてほしい。トランプ氏が大統領時代に責任を取って辞任しただろうか。担当大臣なり幹部なりを首にしただけだ。安倍氏は責任を取っただろうか。頬被りして時がたつのを待っているだけだ。

 

企業は株主のものという株主至上主義は過去のものになりつつあります。社員やビジネスパートナー、社会などなど多くのステークホルダーすべてを意識し経営しなければなりません。企業はそのすべてのステークホルダーのために利益を出し投資をし成長していかなければなりません。そうしなければ、社会価値を発揮し続けられないからですね。しかし、そうし続けるためには、誰かの為ではなく、ステークホルダー間の利害をバランシングさせ、企業が正しくオペレーションできているのかどうかを監督しなけらばなりません。もちろんオペレーションしている本人ではない三者が行わなければなりません。ステークホルダーは第三者の報告だから信頼するわけです。

 

一方経営責任とは何なのだろうか。ガバナンスが、企業が正しく機能するための監督機能だとするならば、経営責任とは監督責任を果たすことになります。即ち、取締役が経営責任を一意に担うことになります。事実、取締役は株主総会で選任されます。即ち、企業内の密室では決められません。その人たちがちゃんと監督して企業を機能させてください、できなければあなたたちの責任ですよ、という考え方ですよね。即ち、株主の代理としてちゃんと監督してくれ、ということです。しかし、考えてみてください。日本の企業のほとんどすべては、現場のたたき上げ、即ち営業や技術や研究所などで結果を残して評価されて昇格してきた人たちが、役員や社長になりますよね。現場で実際仕事をしてきて、事実を良く知っている人たち即ち事業執行のプロの人たちです。その人たちの一部が取締役を兼任しています。言い換えれば、現場の長が監督もしているのです。執行と監督の矛盾する二役を演じているわけです。経営責任を、現場を監督できなかった私の責任とするならば、どちらの責任ですか? 日本人は、「社長を連れてこい!」とか「社長に責任を取らせろ!」とか言いますよね。それってどちらですか? 

 

海外では当たり前のことですが、CEOは別にしてCOOやCXOは〇〇責任者と言われても、取締役ではない人がほどんどです。取締役のほとんどが社外取締役の企業が多いのではないでしょうか。社長が責任を取って退任しますと言っても、取締役の退任は株主総会での決議がなければならないわけで、先日の東芝のようにわざわざ臨時の株主総会開催しなければ交代はできません。即日退任できるのは、執行役としての社長という役目だけです。ということは、経営責任というのは、取締役ではなく、社長という最高執行責任者が持たなければならないものということになります。

 

先ほどのように、取締役が検査オペレーションの実態を知っているわけでもありませんし、それに普段から責任を持っているわけではありません。それは現場の責任者の責任です。しかし、取締役はそれが機能できるような組織構造や意思決定構造が構築されているのか、それをリードできる経営層がアサインされているのか、などを監督する責任を持つことになります。

 

コーポレートガバナンスコードというものがありますね。コードとは規則のことですが、この場合はそれほどきついものではなく、緩い規則、考え方のようなものと理解します。東京証券取引所が制定した通り、上場企業に向けたものです。即ち株主を意識したものですが、実はその中に「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」が含まれています。即ち、ステークホルダーとの関係を理解した上で、透明で適切な意思決定・企業運営をするために必要な仕組みを定義しているのです。

 

深い階層構造、ノルマ達成のプレッシャー、減点主義、情実人事、評価の不透明感、出世するためには都合の悪い情報は見せたくない感情、知らなかったで逃げられる事実、失敗やリスクや障害を報告すると叱責される事実、誰のために働いているのかの価値観の欠如、倫理観より自分の利益・組織の利益、上司に対する不信感、上司や幹部の価値観は全く分からないなどなど。日本の企業は前時代的価値観を引きずっているムラ社会そのもののような気にもなります。規模こそ巨大でも、中身はムラそのもの。執行とガバナンスの何たるかすら分かっていない。そんな企業が多いのかもしれません。

 

今から20年以上前、ある品質保証の部門長にとてもお世話になりました。彼はその時点で定年前の大先輩。工場内でも大御所的存在で各製品開発部門から一目も二目も置かれていました。私はある重要顧客に対する担当営業部門長で、障害対応を工場と共に行っていた際、彼が乗り出してくれてとかく縦割りで動きの遅い工場を束ねてくれたのでした。顧客フォーカスの精神、品質に対する執着チームワーク技術者の責任・・・彼が発するメッセージは技術者の心を突き動かしました。彼の品質に対するこだわりは技術者のプライドに火をつけたのでした。

 

以前にこんな話もありました。私がある新任の品質管理部門長のメンターをしていた時のことです。納期や予算を守ろうとする顧客フロント部門と、ぎりぎりのせめぎ合いをしている製造部門、その狭間で、厳密な線引きをしなければならない品質保証部門。出荷を止めるべきところを、いいから出荷しろ、顧客には話を付けるという顧客フロント。彼はあるべき姿を突き通すべきですね。しかし、現実を前にすると迷いが出てしまう。何と言われようが守るべきことは譲らない。それが存在意義でないか。そんな議論をしたことを思い出します。何のために品質保証をするのか。すべて顧客のためですよね。顧客との信頼関係があるから会社が存在し得る。それを自ら壊すことは、ネゴの対象になり得ない最重要価値観であるはずです。予算が未達になるとか、自分の評価が下がるなどということは、どうでもよいことなのです。その強い意志さえあれば、三菱にはなっていなかった。

 

決して個人の強い意志だけに委ねてはなりません。組織の強い意志会社の強い意志、それは文化であり、風土であり、理念であり、プライドです。別に血判状が必要なことではありません。企業の最も重要な土台です。土台の弱い企業は必ずいつか揺らぎを始めます。その揺らぎは気付かないうちに大きな振幅となり、社員が気付いた時には柱は折れかけ、屋台骨は腐り始めています自然死への道はそうして進んでいくのです。土台を修復すること、これは身体でいうなら手術ではなく、根本的な治療を意味します。医師のアドバイスに従い、漢方薬でも飲んで、怠惰な日常を見直し、生活習慣を改善し、トレーニングをして筋肉を増強することを意味します。そうです、たやすく改善できることではないのです。しかし、それ以外に土台を再び強固にすることはできません。

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雨の都。大手町で二回目のワクチン接種。次のアポまで1時間。ググってみたらその場所まで徒歩で1時間3分。躊躇なく歩いた。ビショビショになったけどね。しかし、人通りがあまりに少なくとても淋しい都だったな。

 

新しいチャレンジ

私たちは、自分のことを良く知っていると思いますよね。当然です。自分なんですから。しかし、自分が知っている自分と、私以外の他者から見えている自分(わたし)にはきっとギャップがあるはずです。そして、それは具体的にどのように違うのかを理解していませんし、しようともしていません。


例えば、仕事をしている時を考えると、私たちは多くのステークホルダーと共に仕事をしています。部下や上司、ある目的のために組成されたチーム、顧客、ビジネスパートナー、取締役会などなどの人たちが自分のことをどういうパーソナリティーの人と思っているのかによって、ビジネスの成果やチームワークに影響が出ます。

 

そして、もしそれを知ることができれば、日々のアプローチも変わってきます。やりたいこと、ありたい姿を思い描き、それに向かって進むのであれば、それにプラスとなるパーソナリティーと、その逆にマイナスになる可能性のあるキャラクターがありますよね。ビジネスシーンで自分のパーソナリティーの何かが、他者から見てマイナスになる要素があるのだとするならば、そのマイナスが出ないように行動を変えることができます。

 

人間は本性は簡単には変えられないとしても、行動は変えられます。他者がどう感じているか、自分の価値観や行動を突き動かすドライバーがどのようなものか、それらがマイナスの影響を出してしまう可能性があるなら、それが出ないように行動を変えればよいわけです。

 

実は、私はある友人からあるアセスメントの存在を教えていただき、それが私が仕事としているコーチングや人材育成にとても有効だと考え、そのアセスメントの認定コーチの資格を取ることにチャレンジしています。アセスメントコーチとは、詳細のアセスメント結果を読み解き、本人にフィードバックし本人の気づきを促します。また、上司などと共有することで本人の人材育成をより丁寧にオーダーメイドに行うことを促します。また、コーチやメンターがいる場合にはそのコーチングやアドバイスにアセスメント結果を反映することができます。即ち、本人のパーソナリティーの光の当たっている部分も当たっていない部分も併せて理解した上で、コミュニケーションできるわけです。コーチングや人材育成の適切性というか寄り添い方をよりインクルーシブにするというか、より手厚いアプローチができると思ったのです。

 

認定研修の冒頭に、私自身がアセスメントを受けました。結果はびっくりです。私が感じている自分のパーソナリティーを見事に表している結果が出ました。それどころか、エッジが効いたというか、思っている以上に明確に表されていました。もちろん違和感もあります。先ほど書いた通り、自分が知っている自分と他者から見た自分は違う人がほとんどでしょう。そして、アセスメントは膨大な被検者のデータ分析が蓄積されて精度が高いと言っても、回答している本人のその時の気分の持ちようによって誤差もあるだろうし、100%丸裸になって応えることは難しいでしょう。また、自分のことをこう思いたいという長年の一種のバイアスから逃れられないこともあるでしょう。しかし、かなりの確率でアセスメント結果が私のパーソナリティーを表わしていると、確信しました。

 

コーチングやメンタリング、上司の日常のコミュニケーションもそうですが、インクルーシブであることがとても重要です。いろいろな言い方はあるでしょうが、理解して包み込む感じ、寄り添っている感じ、愛情に近いものという感じとも言えます。しかし、私はそれだけでは本人はホッとし安寧を得られるだけで、そこに前に進む進歩、プログレスの喜びがなければ意味がないと思うのです。1年前より今、昨日より今日、今日より明日というプログレスが。インクルーシブであることに必要なのがパーソナリティーをより深く理解しようとする気持ちでないでしょうか。

 

いまあるクライアントにそのアセスメントを受けていただき(フィードバックはベテランの認定コーチにしていただいた)、その結果を共有してメンタリングを開始するところです。私も近い将来その認定をとり、自らがアセスメントコーチとして、更に深くクライアントに貢献できるようになりたいと考えています。

 

人に関わる仕事をしていると、私のコミットメントは何なのかと自問します。コーチングも人材育成も成果は明確ではありません。医者や弁護士のように、完治させること勝訴することを契約できません。しかし、私はクライアントの行動を変えられなければ意味がない職業だと思い、常にクライアントには「私はあなたの行動を変えることをコミットします」と話しています。もちろん、残念ながら頑として心が拒否姿勢の人も中にはいらっしゃいます。いわゆる「コーチャブル」でない人です。そうであっても、手を変え品を変えコーチングするのが仕事です。人に関わる仕事は深くてエンドレスです。だからこそ、常に自分を磨き続けたい。だから、こうして書いていることで自分を鼓舞し、自分のパーパスを腹落ちさせているのです。

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自分の中には必ずブライトサイドとダークサイドがある

 

自由主義の限界が来ているのか

自由主義は限界が来ているのでしょうか。

トランプ前大統領は、米疾病対策センターの予算を減らし、オバマ政権時代に設けられた疾病対策部局を解体しました。コロナウィルスのような危機に対応する体制は、彼が弱体化させていたのです。彼は科学者の警告を無視し、完全に舐めた対応をし対策を講じなかったわけです。もし彼が大統領でなかったら、たとえ共和党の別人であったとしても死ななかった人はたくさんいたはずです。世界一裕福な国アメリカの現実がそこにあります。

振り返ってみれば、アメリカの成長は科学を重視したことにあった。国家予算をふんだんに科学の進化に当ててきました。政府の支援によって世界一科学が進化しその結果経済が潤った。大学などの研究機関だけではなく民間企業にも税制などの戦略を駆使して、イノベーションが生まれやすい環境を作ってきた。ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ氏は去年こう言っています。

「米国が右往左往しているのは、政府を弱くし過ぎたからです。その起点は、80年のレーガン大統領の登場。英国は前年にサッチャー首相が誕生していた。両者は『経済運営で問題は政府、解決は市場』と主張した。イデオロギー市場原理偏重の新自由主義、政策は規制緩和・福祉削減・緊縮財政、つまり『小さな政府』。市場の規制を外し、大企業を優遇すれば、経済は活性化し、経済規模が拡大し、全体の暮らしが向きが良くなるという理屈です。この路線は今日まで続き、トランプ大統領の出現に至るのです」

更にこう続けます。「全くの過ちです。新自由主義の名の下に富裕層が強欲な利己主義を発揮しただけです。米国最上位1%は今日、全米の資産の約20%(恐らく今日ではもっと)を持っています。一方、労働者の実質賃金はこの40年間、変わっていない。しかも、この間に拡大した経済規模は、第二次大戦直後からの30数年間の三分の二でしかないのです。米国で貧富格差の拡大と並んで独占化が横行しています。21世紀に入ってからはIT業界に顕著です。・・・ 米国の競争原理は骨抜きになりつつあります」

「疫病・災害・気候変動などの危機から国民を守り、社会全体に奉仕するのは本来、政府です。無数の利己心を程よく調整し、社会を秩序立てる『見えざる手』は結局、市場には存在しない政府を強くし、市場に適切な規制をかけ、政府・市場・市民社会が均衡関係を保つような資本主義が望ましいと私は考えます。『進歩資本主義』と名付け、新自由主義路線からの転換を提唱しています」と。

 

日本を見てみましょう。日本は更に「小さな政府」で有名です。消費税は低く更に歳入に対する政府支出も少ない。2000年から2010年の間に国家公務員は82万人から31万人に減っています。国のIT予算は2004年から2008年の間に9%位減っています。特殊法人も大半がなくなりました。自分で食っていけ、ということだったのです。無駄な国家予算を使っているとの批判はよく分かります。合理化をし意味のあることにフォーカスして運営すべきという意見もよく分かります。しかし、その裏で失ったものも多かったのです。小さな政府、即ち「官から民へ、国から地方へ」は、即ち税負担が少ない分自己責任でやってくれという自由主義なわけです。その分規制も少なく、成功者に恩恵が大きい制度ですね。日本は世界の中でも相続税が高い国なので、金持ちが何代も続かないという制度になっていますが、マイナンバーによる名寄せができないなど、特別徴収のサラリーマン以外の節税効果が大きいなどの課題がまだ残っていますね(いわゆるクロヨン《964》問題)。更に、日本は「足るを知る」的価値観があり、北米のように年俸が10億円を超えるような経営者はいません。徐々に上がっては来ていますが、相対的に見ると高額ではありません。質素な生活をしている経営者もとても多い。もっとお金は使ってほしいですけどね…w 上記のように、官庁で働く人は昔に比べると民営化や特殊法人改革によって大幅に減り、新しいことをやろうと思うと民間企業に頼らなければ何もできない状況になっています。厚労省の「COCOAアプリ」などもその例ですね。自分で要件も決められないしテストもできないのですから。先日の某大臣のベンダーを干してやる発言も驚きましたが、発注者が機能不全になっていると感じます。中央官庁には企業からの無償の出向者がたくさんいて、彼らが不足した工数と能力を補完しています。それは決して悪いことではありません。多くの企業が貢献したいと思っているでしょうし、社員の多様な経験をさせたい思いもあるでしょう。

問題は、政府が正しい市場競争と成長のためにどのような統制と規制をすべきなのかなどのアプローチ、即ち本質的な社会改革に志が向かっているのかということですやっていることが時代の変化についていっていないと感じます。日本は歴史的に排外的、排他的な規制が多かった。既得権益を守るための規制が多く、それがかえってイノベーションを阻害していた。近代になって外圧からそのような規制は大分姿を消しました。しかし、欧米とはルールに関する国民性がだいぶ違うと感じます。守るべきルールを詳細に厳しく作り、それさえ守れば何をしてもいい(ちょっと言い過ぎ)という欧米とはだいぶ違います。欧米は、イノベーションを起こすことを前提として、乗り越えるべき課題を明確にして、こう変えるという意思を明確にした規制が先手先手で制定されてきました。GPDRなどもそうでしょう。

先日の東芝の取締役会不全と経産省の株主に対しての圧力問題にしても、官僚の古い価値観と透明性の欠如などの強引なアプローチは、実は「小さな政府」の結果によって実力不足、グローバル感覚の欠如が起きているのではないかと感じます。即ち、国の将来を考える前に目先のハエを追うことばかりをやっているのではないかと。倒産してもおかしくなかった東芝を救ったのはファンドです。そのファンドに余計な口を出さないでくれとは本末転倒です。そうなるに決まっているのは誰にでも分かっていたはずです。

 

皆さんもご存じのように、ピケティ氏が言うように持てる者が永遠に持たざる者との差を広げる「r>g」なわけで、自由主義は格差をどんどん広げるばかりです。更にアメリカの例を見ても、その最たる資産家たちがほとんど税金を払っていないという現実を聞くと、本当にそれでいいわけはないと感じますよね。トランプ氏も大資産家であるのに税金をほぼ払っていないし、その割に格差に不満をつのらす白人ワーカーの味方を演じているわけですから、笑っちゃいます。更に自由主義の負の面を丸出しにし「マスクをしない自由」とか言っていたわけです。公共善の微塵もない。その反動で、民主党の左派による「社会主義」的価値観が若い人たちの賛同を得たわけですね。

自由主義とは自分のことだけ考えればいい、という考え方では絶対にないはずです。しかし、現実的にはそうなっている。東芝の隠ぺいも過度なノルマも、実力以上のM&Aも自分だけ美しければいいという傲慢さが生んだものです。社会のために正しい行いを徹底する倫理観、何も隠さない透明な行動、それを称賛する文化、他人のことを一番に考える公共善の価値観・・・等が力強く存在して初めて自由なのです

真っ新な子供に恥ずかしい、と思うような行動は絶対にしてはなりません。きれいごとに終始したり、都合の良い解釈しかしなかったり、都合の悪い情報は幹部会議に上げないなどの行動をする上司は少なからずいます。そういう上司の指示に対して批判的でいてほしいものです。不都合な事実から目をそらさないでください。自分一人で言えなければまわりの人たちと話してみてください。多くの人は共感してくれるはずです。声を上げることから会社の変革は始まります。絶対にグループシンクにならないようにしましょうね。前にも書きましたね。

 

トランプ大統領の登場、英国のEU離脱、中国習近平政権の独裁、日韓の反目・・・ これからどうなるんだろうか。ハラリ氏はこう言います。「民主主義は繊細な花のように、育てるのが難しい。独裁は雑草のように条件を選ばない」とても残念な事実です。

2年ぶりで行われたG7は希望の兆しを見せている。国際社会が分裂と敵対を選ばず、協力の道を再び歩んでほしい。「民主主義の自己刷新能力を信じます」ハラリ氏のこの言葉に私は大きく頷きます。私たち一人一人も自由の意味を噛みしめて生きていきたいものです。

*民主主義とは、自由主義的政治制度。資本主義自由主義思想を実現する経済体系。

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真っ直ぐ見よう 道はあなたの前にある

 

ベゾス氏のバトンはリスクテイクの文化

アマゾンCEOのジェフ・ベゾス氏が退任し、7/5付で今までクラウド部門を率いてきたアンディ・ジャシー氏がCEOに昇格する。Fobesによると、最後の株主総会でベゾス氏はこう言った。「アンディがアマゾンをありふれた会社にすることは決してない」と。アマゾンはチャレンジを続けてきた。最近でも映画スタジオMGMの買収(約9300億円)を発表したばかりだし、自動運転の配送車や衛星事業などのイノベーションへの投資は積極的に続けていくだろう。ベゾス氏はこう続ける。「これらのアイデアが、すべて成功すると保証はできない。しかし、平均以上のリターンを得るための唯一の方法はリスクをとることであり、その多くは失敗しない」と。まるでドクターXの大門未知子のようでもあるw。違うか?

今や世界で130万人以上の従業員を抱えるアマゾン。どんなに大きくなろうが、その成長の原資はリスクテイクと言っているのだ。

前にも書きましたが、ホフステード社のレポートによれば、日本は「不確実性の回避度が高い国」の典型だ。即ち不確実なこと、曖昧なことを嫌うのだ。やってみなければわからないイノベーション。スタートアップはすべてそう。それから逃げていたら新しいビジネスなど立ち上げられるわけがないリーンスタートアップなどのフレームワークは学べるけれど、不確実を避けて通る価値観から脱却しない限り、即ち、ルールや形式や慣行に縛られていたら、何も起こせないのです。とはいえ、ベゾス氏の言うように「その多くは失敗しない」という自信と執着が大切だし、その成功確率を高めるためにいろいろなフレームワークやプロとしてのやり口があるわけで、それを学びもしないで不確実なことを避けてばかりいることが、いかに愚かなことか気付いてほしいものです。日本は変わらなければならない。

リスクテイクなき成長なし」 ビジネスの常識です。

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私の住む街にあちらこちらにこの花が咲いている。私の住むマンションにも。

グーグルレンズによると「セイヨウキンシキンシバイ」という名前らしい。

僕は花の名前をほぼ知らない。星座の名前も知らない。ロマンチックじゃない典型かしら?

 

中東の地殻変動 と ワクチン

■中東の変化

イスラエルネタニヤフ首相の退陣が決まりましたね。通算15年も首相を務めたとのことです。イスラエル与野党のバランスは微妙な状況が続いていて、ネタニヤフ首相は連立で過半数を満たすのに苦労していたことは、報道で聞いた記憶があります。ネタニヤフ氏が長期政権を続けられたのは、ユダヤ教宗教政党ユダヤ民族主義の諸政党がバックアップしてきたからです。ところが、そのバランスは微妙で、過半数を少し超えているだけ。そのバランスが今回崩れたんです。右派ユダヤ民主主義政党のベネット前国防相が、自分の率いるたった7議席を率いて寝返ったのです。そして、合計8党の連立が成立し、自分が首相に収まるというネゴが成立したわけですね。この8党連立の共通点は「反ネタニヤフ」です。主張が異なる政党がくっついたり離れたりの構図は、どこかの国と同じですね。

ユダヤパレスチナの抗争は収まる方向であればよいのですが・・・ そんな楽観的な状況にはなりませんね。新しい連立政権は、中道派、左派、アラブ人政党などで構成されるようですが、ベネット氏自身はイスラエルパレスチナ人が住む余地はないと主張してきた強硬派で、和平などありえず、パレスチナ人はエジプトに追放すると言っているらしい。エジプトも黙っていないでしょうし、これからも安定とは逆行する方向に進みそうなのです。

今後欧米諸国の対応は変わってくるのだろうか。極東にありそんな状況に興味の薄い日本人。同時に、イスラエルともアラブ諸国の多くとも円満な関係を築いてきた日本の果たすべき役割は何なのでしょうか。政府の外交手腕が問われますね。我々国民も他人事でいないことが大切です。目が離せません。

スタートップ天国と言っていいイスラエル。今ではイノベーションの聖地です。優秀な人材と国の支援。すごく戦略的です。VCに国がリターンなしで資金提供をしています。それに比べると、日本の無策さが際立ちます。そんなイノベーションにブレーキがかからないといいのですが・・・

 

■ワクチンのばらつきに思う

さて、6月に入り関東も梅雨入り間近。ワクチンの輸入も加速化し、接種が順調に進んでいる自治体では、既に高齢者以外への接種も進んでいます。我が街は全くダメで、まったく予約は取れない状況が続いています。集団接種会場での計画が下方修正されています。情けない。自治体ごとにオペレーションの実力がもろに出ていますね。自治体ごとの接種率が公表されたら(今は県ごと)、市長は赤っ恥でしょうね。そうなっちゃえばいいのに、なんて思います。

企業での接種も始まります。気がかりなのはデータの管理ですよね。接種券によらない管理はどのようにやるのでしょうかね。いずれワクチンパスポートを発行することになるでしょうが、そのデータはどこから持ってくるのでしょうかね。全く分かりません。マイナンバーカードが国民にいきわたり、銀行口座との紐付けができていれば、休業補償金の裏付けになる納税額のデータによる一律でない補助金の配布や、接種管理など、統一システムで簡単にできたものにね。国の戦略も国民の理解も低レベルな日本です。残念でなりません。というより、情けないですね。この手のインフラは義務付けるべきだと思います。インドなどは、指紋と虹彩ですべて個人を特定できます。接種管理などはいとも簡単なはずですね。

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夏だ @四季の森公園

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ふふ。これも夏。 先日初物を食べた。