転職の活性化は競争力を上げる  ~アメリカの強さ~

non-compete clause競業忌避義務:通常2年)をご存じだろうか。競業禁止条項とも言われ、企業が従業員に対する雇用契約などにおいて、退職後の一定期間に協業他社への転職や独立して元の会社と競合する事業を行わない義務を負わせる内容の条項のことだ。これはほとんど報道されていないが、米FTC(連邦取引委員会)は4/23付で米全土においてこの条項の禁止を発表した。狙いは、競争を促進し、労働者の基本的な転職の自由を保護し、技術革新を促進し、新事業形成を促進することとされる。これには実は例外がある。年収15万1164ドル以上かつ企業において政策を決定する立場にある上級管理職については、既存の競業禁止条項は引き続き有効とされる。

バイデン政権は、これにより新規事業が年間2.7%増加し、その結果毎年8500以上の新規事業が創出され、今後10年間で最大1940億ドルの医療費削減が見込まれると言われている。

 

アメリカの景気は相変わらず好調だが、一方で事業ポートフォリオ流動性は相変わらずとても高い。例えば、アップルは3月に自動運転EV(アップルカー)の開発プロジェクトを中止し、エンジニアをAIにシフトさせたし、テスラは先月従業員10%削減を発表したと思ったら、5/1にEV急速充電器チーム500人を解雇した。EVの販売が世界的に急速に低迷してきたのは事実として、このように事業を売却したり終了させたり、従業員を削減する動きは相変わらず凄く速い。アメリカの強さの秘訣の一つは明らかにこの点にある。

今回の競業禁止条項の禁止は、今までも高かった優秀な人材の流動性を更に高めることは間違いない。堂々と高額な年俸で競合他社から人材を引き抜けるし、リストラにあってもノウハウや経験を活かせる同業他社に遠慮なく転職できる

これにより、上記のようにイノベーションは加速しアメリカの競争優位性は益々高まるのは明らかだろう。また、年俸は益々上がっていくだろうし、それがインフレを加速させる要素にもなるだろう。

 

このような政策を見ると、アメリカは企業を守るというより、競争を煽り競い合わせることにより成長を促す意図が明確だと感じる。ただし、同時に知財や人材の海外(特に中国)流出は絶対に避ける意図がある。特に、かなりピンチにあるバイデン政権は、若者の支持を集めることに汲々としているとも見える状況において、このような政策を立て続けに押し出しているのも納得する。つい先日、大麻規制緩和を検討していると報道されたが、それも若者の支持を意図しているとされる。

 

アメリカの政策およびその変更は、経済の活性化を蛇口を開けたり絞ったりを場当たりとも感じるようなスピード感で、まるでグラフ上で上下に暴れながらマクロでみれば上がればいいんでしょ的な大仰な姿勢で、実験のように動かし続けるダイナミックさを感じる。正に、やってみてから考えるという「不確実性への向き合い方」だと思う。これが日本には全くない。日本の顕著な特徴だと言える。そう、残念な特徴だ。

丁度ピークの薔薇。近所の住人たちが丹精込めて育ててる。
限られた場所でカラフルな景観を作り出すのはなかなか難しいだろう。
今のシーズンのひとときの喜びのために。いや、育てる喜びも同様なのだろう。
5/11@太陽公園

 

「調子に乗ってる」人生は最高 ~自己効力のマジック

人生の中で、何事も上手くいく時期があった。ともかくなぜだか上手くいく。

「波に乗っている」と言ってもいいし、「ゾーンに入ってる」なんて言ってもいいのかもしれない。他者から見ると「調子に乗ってる」様にに見えたかもしれない。しかし、当の僕は図に乗ったこともないし、ひたすら前向きにリスクテイクしチャレンジしていただけだ。でも、やることなすこと良い方に転ぶのは「なぜだかついている」と感じた。こういう時にギャンブル好きだったら、大きく賭けちゃうんだろうな。僕はそんなことは頭をよぎりもしなかったけど。

 

そんなときのことを思い出すと、こんな感じだったと思う。

調子の良い時って、ステイしている時ではない。新しい取り組みや状況打破の手を繰り出している時だった。そう、考え、仮説を立て、リスクテイクしている時。部下をはじめとして周りの人たちが共感、賛同してくれていた。要するにパワーが何倍かになっていた。そうなんだ。「調子に乗っている」時って総力戦になっている時なんだと思う。これはリーダー冥利に尽きる。その時はきっと僕は最高に幸せだったんだと思う。

 

こういう感覚も一種の「自己効力」だろう。「なんだか上手くいく」という根拠のない自信。そう、自己効力とは「将来に対する自信」と言ってもいい。

僕は、そんな絶好調はあいにく一時のことだったけれど、生来自己効力の強い人はいる。この手の人は実に幸せ者だと思う。悩んだり、自信を失ったりしない。常に「きっと上手くいく」と思ってるんだから。

以前に、ニューヨーク大学の教授の話を聴いたことがあった。世の成功者(学者やビジネスマンだけでなく多様な成功者)はみな自己効力が凄く高かったと。悲観的にならずきっと上手くいくと思い、挑戦を止めないから成功するんだね。納得!

 

「調子に乗ってる」≒「自己効力が強い」と言ったら少々強引かもね。でも親戚みたいなものだと思う。こういう人は、いつもニコニコしてる。時にニヤニヤもするだろう。ちょっとした嫌なことも全部受け流す余裕がある。気が付くとスキップなんかしちゃってるかもしれない。ここまで行くと「ノー天気な奴だ」などとちょっと恨まれたりもするのかしら。

人生「調子に乗ってる」って最高だ。多少まわりに疎まれても、本人は絶対幸せなはずだ。

そんな人生を送りたいものだと心から思う。

ゾーンに入っている時は、ありきたりな景色がとっておきのスナップになる。
残念ながら僕にはできないな。

自律的に行動できる部下を育てるコツとは

今回は「ジリツ」の話をしましょう。

「ジリツ」には2種類ありますね。「自律」と「自立」広辞苑によると前者は「自分で自分の行為を規制すること。外部からの制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること」、後者は「他の援助や支配を受けずに自分の力で身を立てること。ひとりだち」とあります。

企業に求められるジリツジンザイは前者が使われます。「自律人材」とか「自律型人材」という言い方をします。しかし、次に述べる目指すべき人材を考えると両方の漢字とも当てはまると考えられます。

 

企業に求められる人材とはこんな感じだろうと考えます。

自分で考え自分で行動すること。即ち、いちいち上司の指示や命令を待ったり、上司の顔色を伺ったり忖度することなく、主体的に行動することができること。

・特に、「How」だけでなく、「What」即ち、向き合うべき課題、テーマを自分で設定できること。

・いかなる圧力や無言の空気を感じようが、正しいこと、正義を貫く行動をとること。あるべき規範を腹に持っていて、それに従うことが最も重要な価値観だと理解していること。

・自分が向き合うべきテーマに対してオーナーシップを持ち、責任を取ること

・多様なステークホルダーとの対話を率先して行うオープンな姿勢を持つこと

・その結果発芽するコラボレーションに躊躇がないこと。

という感じだと思います。

 

では、このような自律人材をどのように育てるのでしょうか。実は、コーチングを通して感じることは、多くの企業が苦手にしていることではないかということです。これは今までにも何度か同様の指摘をしましたが、改めて整理してみますね。

多くの企業には次のようなカルチャーがあり、それにマッチするリーダーを評価してきました。その結果、組織の中でそのようなリーダーがはびこってきました。

リーダーは強くなければならない。言い換えると、「俺についてこい」タイプの部下を「率いるリーダーシップ」を是としてきました。

・別の言い方をすると、「ああしろこうしろ」と指示や命令で部下たちを制御し続けるわけです。部下が間違った行動に出ると、それを否定しマウンティングし、部下を叱り言われた通り行動しろと要求します。

・そのようなリーダーが作る組織が「支配型ヒエラルキーなわけです。

・即ち、指示通り行動する部下を評価し、それから外れた勝手な行動をとる人に懲罰を与えます。

・リーダーの価値観は、「命令」「制御」「支配」「あるべき論」「与える、教える、指示するのは部下のため」というようなむき出しの「男性性」です。

このようなリーダーの元に育った部下たちはどのようになるでしょうか。典型的には、指示待ちになってしまいます。指示通りの行動をしないと懲罰を受けるのですから当然です。考えることを止めてしまうわけです。挑戦などしません。リーダーはリスクテイクの責任を負ってはくれません。部下の視座は目先のこと以外には向きません。その瞬間瞬間のことだけに向き合います。将来どうなるかなどと洞察することはありません。ひたすら、汗と涙と根性と長時間残業でリーダーの要求に応えようと必死に働きます。つまり、「ジリツ」とは真逆な人材が作り出されるのです。

こんな上司はZ世代には全く通用しませんよね。恐らくほとんどのY世代にも通用しないでしょう。

 

しかし、今のビジネス環境は、常に変化のるつぼにいます。顧客や競合はころころ変化し、テクノロジーやビジネスモデルはどんどん変わります。常にアンテナを高くし、学び、情報を統合し分析し洞察し予測し対応しなければなりません。状況によっては目の前で起こったことをその場で判断し対処しなければ競争に負けたり、タイミングを失したら取り返しのつかないことになるかもしれません。よく言われるVUCAがそれです。チームメンバーは皆統合された情報を理解し、対処方法を議論し納得していなければなりません。また、一人ひとりがアンテナになり情報を共有し、一人の力でなく、チームの多様性が総合力になり、それが対応能力を上げます。バイアスがなくなるわけです。それが行動のスピードを上げ、判断の適格性を上げます。

即ち、前記のようなリーダーの元では明らかに競争力を失っていくわけです。

 

しかし、現実的には企業は相変わらず強いリーダーを求め、支配型ヒエラルキーを求めます。それが自律人材を生まないことを理解せず、そう言うリーダーに限って「部下が育たない」と嘆くのです。自分が部下の成長を阻害していることに気付く人は残念ながら稀です。これが実態なのです。

 

では、どうすれば自律人材を育てることができるのでしょうか。簡単に言えば上記の逆をすればいいのです。以前にも書きましたが、即ち、「率いるリーダーシップ」から「導くリーダーシップ」に。「支配型ヒエラルキー」から「尊敬型ヒエラルキー」。「男性性」から「女性性」です。

少し説明したいと思います。

「俺についてこいタイプ」のリーダーシップとは、言い換えると部下は人についていくわけです。その人の顔色を伺って指示を待つのです。その対極にあるのが「導くリーダーシップ」です。リーダーは平時に「目的」や「理念」「ビジョン」「パーパス」などを説き続けます。リーダーの使命は、それらのナラティブ(物語り)を腹落ちさせることです。部下は人についていくのではなく、「目的」についていくのです。「目的」に従い、自分で判断して自分で行動するのです。リーダーは部下の行動を見守り「目的」に向かって行動できていれば、どんどん権限を委譲していきます。その繰り返しが部下の「ジリツ」を実現していきます。

「支配型ヒエラルキー」のリーダーは威圧や攻撃や恐怖で組織を支配しようとします。部下の意見は懲罰の対象になり、そこに心理的安全性は存在しません。その対称にあるのが「尊敬型ヒエラルキーと言われる組織構造です。リーダーはロールモデルであり、尊敬の対象です。リーダーは寛容で、部下との間に良好な関係を築きます。その関係が組織に伝搬し、集団全体が協力的になります。集団の知が育まれ、多様な価値観や経験がすべてプラスに働きます。即ち「真のチーム」が創り上げられます。これが正に行動心理学でいう心理的安全性」です。

このようなオープンな組織は、コラボレーションが起き、イノベーションが起きやすい環境になります。即ち、「率いるリーダーシップ」や「支配型ヒエラルキー」においては、リーダーにとって多様性は邪魔以外の何物でもありません。ところがオープンな組織では多様性はイノベーションを生むエンジンのようなものです。多様性が生み出す化学反応が組織の力になります。

そこで大切なのが、多様な意見や価値観を受け入れる「受け止める力」です。「寛容性」や「利他心」が高く「柔軟」な価値観です。実はこれは「女性性」の特徴なのです。「男性性」はあるべき論を大切にし、「与えたい」「教えたい」という欲が強く、「結果重視」です。そして、「強い者が支持される」と考え「必死にあがきます」。頑張ればなんとかなると心から思っているので、部下にもそれを要求します。実は、多くの会社で起きている不祥事の原因もこれではないかと思っています。これが先ほど書いた「率いるリーダーシップ」や「支配型ヒエラルキー」を作りがちな価値観です。「男性性」が強い人は部下の意見に優しく耳を傾けることが苦手です。即ち「傾聴の姿勢」に欠けた人が多いのです。報告や相談を最後まで聞くことなしに、指示をしがちです。良く見る光景でしょう。また、結果を求める姿勢が強いために、ともかく「頑張る姿勢」を評価し、「汗と涙と根性と長時間労働」を評価しがちです。これでは現代の若い世代の人たちはついていきませんね。

 

ここまで書いてみると気付くことがありませんか? 「指示ではなく傾聴」「部下が自律的に行動できるように支援する」「ミッション、バリューなどを明確にする」「共感を生むナラティブを語る」「権限を委譲する」「D&Iの価値観」・・・ これらは「サーバント・リーダーシップ」そのものなのです。旧来の日本にありがちなリーダーシップでは部下は自律人材にはなりにくいのです。

 

もしかすると誤解する方がいるかもしれませんので、少し補いますね。

決して誤解しないでほしいのは、決して「いい人」になることをお勧めしているのではないということです。リーダーは時に冷徹な判断や厳しいコメントや評価をしなければなりません。「導くリーダーシップ」や「尊敬型ヒエラルキー」「女性性」とは両立させなければなりません

また、権限委譲は放置とは全然違います。見守る姿勢を貫くことです。いつも見ていますよ、というメッセージをどのように伝えますか? それはできる限りフィードバックすることです。暖かいフィードバックを。これを実行できている人はとても少ないと感じます。

 

さて、心当たりのある方が多いのではないでしょうか。また、あなたの上司が正にそうだと思う人も。 人は意志さえあれば行動を変えられます。努力によって変われるのです。これには一種の修行のような努力を要します。しかし、そのリターンはとても大きいはずです。リーダーとしてのあなただけではなく、部下も含めた全員にとってとても大きいリターンになるはずです。

筋肉食堂のランチにはプロテインがつく(左上の白い液体)。
これは「男性性」とは関係ないですよ(笑)。@六本木

自分の過ちを認めるか それは人間の本質を表わす恐ろしい事実

失敗の科学(マシュー・サイド著)」を読んでいる。実に人間の本質を突く鋭い指摘がたくさん登場する。少し紹介しよう。

「多くの場合、人は自分の信念と相反する事実を突きつけられると、自分の過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。次から次へと都合のいい言い訳をして、自分を正当化してしまうのだ。ときには事実を完全に無視してしまうことすらある」

これは気付きにくいことかもしれない。でも、実は日常的に誰しも行っている思い込みとも言える。本能が自分を守ろうとしているのかもしれない。自分に都合の良いストーリーをあたかも真実のように作り上げてしまう感覚に近いのだろう。

 

人はなぜそんなことをしてしまうのだろうか。「カギとなるのは、『認知的不協和』だ。これはフェスティンガー氏(ミネソタ大学の研究者)が提唱した概念で、自分の信念と事実が矛盾している状態、あるいはその矛盾によって生じる不快感やストレス状態を指す。人はたいてい、自分は頭が良くて筋の通った人間だと思っている自分の判断は正しくて、簡単にはだまされたりしないと信じている。だからこそ、その信念に反する事実が出てきたときに、自尊心が脅かされ、おかしなことになってしまう。問題が深刻な場合はとくにそうだ。矛盾が大きすぎて心の中で収拾がつかず、苦痛を感じる」

「そんな状態に陥ったときの解決策はふたつだ。一つ目は、自分の信念が間違っていたと認める方法。しかしこれが難しい。理由は簡単だ、怖いのだ。自分は思っていたほど有能ではなかったと認めることが

「そこで出てくるのが二つ目の解決策、否定だ。事実をあるがままに受け入れず、自分に都合のいい解釈を付ける。あるいは事実を完全に無視したり、忘れたりしてしまう。そうすれば、信念を貫き通せる。ほら私は正しかった! だまされてなんかいない!」

このような「認知的不協和」は誰でも持つ人間の特徴だ。議論をすればするほどディフェンシブになり、ときに他者との無毛な溝を深めるし、友人を失うかもしれない。事実は歪み間違った認識を心から真実と信じ込む。「人は自分の信念にしがみつけばしがみつくほど、相反する事実をゆがめてしまう」これは悪意はないがとても恐ろしい結果を招いてしまうでしょう。

 

間違いを素直に認められる人は少ない。悲しいけれど、それが人間だ。前にも書いたような気がするが、僕は仕事を進める上で、多様な人を説得しなければならない局面がたくさんあった。幸い多くのケースは相手は納得してくれたが、上手くいかない時も何度もあった。今考えると「認知的不協和」だったのだと分かる。説得しようとすれば、相手はディフェンシブになる。説得されまいと身体が反応してしまうのだ。そこで、的確な行動は「説得」ではなく「対話」だったのだ。私は説得しようともがいた。もがけばもがくほど溝は深まった。もし僕が対話の姿勢で意見交換していたら違った結果になっただろうと推測できる。

 

また、何回か書いた「不祥事」に対してもこの話は鋭い真実を提供していると思う。

多くの不祥事は事実に正対していないことから起きている。もちろん、なぜ正対できないかの論点が必要だし、そのことは以前にも述べた。そもそも、事実をないがしろにすることを許さない価値観が何より重要だと思う。一種の宗教感覚のような感覚、絶対的正義感という感覚と言ってもいいかもしれない。

職場に必要な価値観の一つが、「事実に対して誠実であれ。科学に対して誠実であれ。」ではないだろうか。

絶対にやってはならないことは、「見つめるべきことから目を逸らすこと。都合の悪いことに頬かむりすること。自分の作ったストーリーに必要な事実だけピックアップすること。」だと思う。

実は、これらができない人は想像以上に多い。だから忘れないでほしい。客観的であることは正義への道なのだ。

人間は何と愚かなんだろうか。原爆が悪いと言っているわけじゃない。
人間は醜い。皆自分のことしか考えちゃいない。

ORIGINALS 4つの選択と組織カルチャー

少し前になるが、アダム・グラントの「ORIGINALS 誰もが『人と違うこと』ができる時代」を読んだ。彼の著作は3冊読んだが、どれにも凄く影響を受けた。

誰にでも個性やクリエイティブティはある。しかし、それが発揮できるかどうかは、個人の問題だけではない目に見えにくい何かに影響されるのだろうと感じる。彼の記述の一部を取り上げて、僕の感覚を少し書いてみたい。

 

経済学者アルバート・ハーシマンによると、満足のいかない状況に対処する方法は4通りあるのだそうだ。それは、「離脱」「発言」「粘り」「無視」

「離脱」とは、その状況から完全に身を引くこと。もうその試合から手を引くということだ。

「発言」とは、その状況を積極的に改善しようと行動すること。対案を出し議論するとか、争うのもその範囲でしょう。

「粘り」とは、歯を食いしばって我慢すること。じっとするわけではなく、吹き飛ばされそうな状況でも頑張って続けるということでしょう。

「無視」とは、現状に留まるが努力はしないことだ。流れに身を任せるということでしょう。

なるほど。確かにそうだよね。

どれを選ぶかは、状況の決定権が自分にあるという気持ちと、コミットメント即ち状況に関与したいと思う前向きな気持ちにかかっている。確かに、その選択権は自分の手中にあり、自分の価値観や意志次第だ。ポイントは自分が変化をもたらすことができると信じているかどうか変化を起こそうと思うほどの高い関心を持っているかどうかだ。という。言い換えると、オーナーシップを持てるかどうかだ。これはとても大きな問題で、何に対しても「他人事」の人は何の行動も起こしはしない。このことを意識するだけでも、行動は変わると感じる。そう、自分の意志次第であり、自分の行動如何で変化は起こせるはずだと信じているかどうかなのだ。

上手くいかない時、他者から攻撃を受けダメージを追ったときなど、人により様々な行動に出る。その人のパーソナリティーによって実に様々な行動パターンがあるだろう。それを集約すると上記の4つになるのだろうと思う。ただ、そのどれを選ぶかは価値観とそれによって培われた意志や指向・志向によるのだろうと感じる。そして、その行動を困難なことと思うのか、どうということのない安易なものと思うのかは、ひとりひとりの「自己効力」によるだろう。要するに上手くいかない時のリスクをどう感じるかだ。(もちろん、自己効力の高い人はリスクなんてほぼ考えない)

例えば、入社してからずっと上司の指示のままに働き続ける人もいる。何の動機付けがなくとも、自分で考え最も良い方法などを考え抜き、自分なりの手段でどんどん実行する人もいる。当然、新しい取り組みは上手くいくとは限らない。その時にパーソナリティーに従った4つの行動のどれかを自然に選択するのだろう。

 

多様性の許容度の高い組織であれば、4つのどの行動も上司や同僚は受け止めてくれる。しかし、そうではない即ち独自の行動が許されない組織では、批判され「離脱」の道に進むか、謝罪して「無視」の道に進むかしかなくなってしまう。

私たちの自分らしい自由な意思によって、独自の行動をとることができる寛容性の高い組織で育まれるのが、自立・自律(以下自律)だろう。しかし、自律とは個人の能力の問題であると思われがちで、部下を成長の道に導きたいと考えている上司であっても部下に自律を求めたりする。「自律しろ!」と一種の指示を出しているのかもしれない。しかし、それが実現できるかどうかは、「命令」や「教育」ではなく、多分にその上司も含む組織カルチャーによるのではないだろうか。自律は命令によって成立するのではなく、導くことによって気付くことなのではないだろうか。

そう、部下の行動は上司やその組織カルチャーがどのように職場環境を育んでいくのかによるのではないだろうか。

 

シェリル・サンドバーグは著書「リーンイン」でこのようなことを書いている。発言するのはリーダーらしい行動だが、女性がリーダーシップを発揮すると威張っているというレッテルを貼られがち。それは研究データが証明されている。女性が男性と同じ発言をしても低く評価されるのだ。上司が、その提案を受け止めず実行に移す可能性が低いのだ。その結果、女性が発言をする場合は大きな代償を払わなければならないと気付いてしまう。即ち、女性の方が先ほどの4つの選択をせざるを得ない経験をたくさんしている可能性が高い。そんな悲しいことが現実なのだ。男性の多くは歪んだ眼鏡をかけていることに気付いていない。独自の視点は男女差によっても歪められるのだ。僕たちはI&Dや組織カルチャーの様々な問題を正しく理解しなければならない。

清々しい心は前向きな選択を促すのだと思う
毎年訪れるこの季節が好きだ

 

 

 

「どう生きるか」 物語の様に生きる

90歳も近い大御所の一橋大学名誉教授 野中郁次郎さんが言う。

『経営』は生き方であり、生き方は『物語』で表現される。

だから、戦略には『創作』が入っていい。

そう、戦略は「ナラティブ(物語り)」なのだと思う。そもそもビジネスがどう展開するかは予測不可能だ。とはいえ、できる限り確度の高い見通しを立てて、それに対応できる戦略を考えようとする。市場や競合他社はこう動くという予測だ。しかし、いかにデータを収集し分析しようが正解などない。上司は「だったらもっと分析しろ」と言う。どれだけ分析すれば気が済むんだ。時間ばかりが過ぎていく。その塩梅を判断できるのが構想力のあるビジネスリーダーだ。これ以上時間をかけても無駄だと、早々に見切りをつけて「きっとこうなる」だろうというナラティブを書くのがリーダーの務めだと思う。腹落ちするナラティブ。後はさっさと行動することだ。それが重要なのだ。もちろん、予測は時に外れる。ズレ始めた、もしくは外れそうだと分かったら、この時もさっさと方針を変えればいい。躊躇せずに変えればいい。当初立てた方針に執着する人は多い。成功するまで続けることが大切なんだと。読みを間違えているのだから、しがみついても未来はない。そこは朝令暮改でいいのだ。軽く始めてだめなら止める。これがAmazon社の「2way door」発想だ。始めたら止められないと考えるのではなく、さっさと試そう、ダメそうだったら戻ればいいという考え方。ドアは1方向にしか開かないのではない。出たり入ったりできるのだ。という発想だ。前にも書いたよね。試すことが奨励される会社は居心地がいい。前野教授の「幸せの4つの因子」の一つ目が「やってみよう因子」なのだ。Wellbeingに繋がる重要な文化が「やってみよう」なのだ。

 

野中教授が言う。経営者、リーダーにとって「『どう生きるか』が重要なのだ」と。お爺さんはまだまだ本質を突き続けている。

僕も頑張らないとね。見識のレベルが根本的に違うか~(笑) ごもっとも

コンクリートジャングルにも創作はたくさんある
どんなナラティブがあるんだろう
六本木ヒルズ

正義を飲み込まないで行動するために

4/5日経新聞の「誰のために働きますか」を読んだ方も多いと思う。今まで僕も何度か書いている企業の不祥事に係わる鋭い指摘だ。

記事によると、企業の「不適切行為」は増加している。その原因を三菱電機の社員の話が明確に指摘していると解釈できる。「同僚は皆、製造部や開発部出身の所長の顔を見ながら仕事をしていた。問題を指摘した人は目を付けられて、あからさまな人事で報復を受けた。恐怖人事の効果は絶大で、皆委縮した」

なぜこのようなことがあちこちで起きるのだろうか。早稲田大学久保克行教授はこう言う。「自身のキャリアを考えたときに社外よりも社内の評価を優先してしまう」と。会社の中がいかに内向きなのかがよく分かる。

 

組織の在りようとして、時に強いリーダーシップを求めることがある。以前に書いたようにローマ帝国の歴史を見てもよく分かる。どうしようもない現状を打破するために人民は力で改革する専制君主を求める。しかし、いずれその傲慢さに嫌気がさし、民主化を求める。しかし、人民は幸せにならず、再び強い君主を求める。その繰り返しが歴史だろう。企業においても同様の傾向がある。業績が低迷したり、混沌としたマーケットで将来を描きにくく状況を打破できない時など、社員や株主は強く強引なリーダーを求めるものだ。企業における強いリーダーシップは、日常的な指示命令、目標達成圧力、などが繰り返し、そのリーダーは「支配型ヒエラルキーを作る。指示を守らないと懲罰を課す。そうして組織を統制する。組織構成員は全員イエスマンと化すのだ。そして、ヒエラルキーのトップは好きなように統治するための厚い壁の境界を作る。いわゆるムラ社会を作り出す。価値観を一色に染め、外界とのコミュニケーションを避ける。外の組織とは相互不可侵の関係を求める。「僕の組織に口を出すな、こちらも口を出さないから」 そんな関係では永遠にコラボレーションは起きないし、外からの情報は遮断される。そして、その状態のままムラ社会は維持される。トップは自分の威光を維持するために傲慢さを強め、それは次のレイヤーのリーダー達の傲慢さを育む。そうして、次々に裸の王様が続いていく。正義を求める勇者は打ち首にされ、正義が大きなエネルギーになることはない。

 

そんな組織の特徴は、その他どのようなものがあるだろうか。想像してみるといい。例えばこのようなものだと思う。組織の中に多様性がない。ボスにとっては多様性は邪魔なのだから。仮に中途で入った人も染められる。染まらないといられないからだ。そして、権限委譲は進まない。細かいことまで上司の承認を必要とするからだ。新しいことに挑戦しない。あらゆるチャレンジに上司はいちゃもんを付ける。3つの過剰(以前にも書きましたね)は当たり前の様に行われる。組織外とのコミュニケーションはオープンでなく、コラボレーションは起きずイノベーション当然起きない。組織は硬直化し、腐っていく

 

そんなわけないだろう。と思う人は実に幸せだ。多くの組織は大なり小なりそんな企業カルチャーを持っている。だから、不祥事はなくならないのだ。

 

以前あるクラアントとそんな話になった。正義を追求すべきか、闘わず巻き込まれるべきか。闘えば大きな傷を負うだろうことは容易に想像できる。クライアントは、それでも正義を追求したいと言った。僕も同感だと話した。とても頼もしかった。

もちろん、傷を負おうが死にはしないから恐れる必要はないと考えられる人もいるだろう。僕がそうだった。勤めていた組織では、上司の指示に反対を表明し何度も逆鱗に触れた。「クビだ」と切れられたことも何度もある。その時は僕自身が呆れかえり(呆れる余裕があったということかもしれない)「どうぞ」と言ってしまった。首になどならないという確信があったし、僕の言っていることが正しいという自信があった。そういう姿勢は、少なからず周りに影響を与える。そんなことが何度かあると、周りは「愚かな奴だ」から「骨のある奴だ」に少しは変わっていったのだと思う。誰も僕の意見に表立って賛同はしてくれなかったけどね。僕は運が良かっただけなのかもしれない。

こんな行動をお勧めしているわけではない。では、どんな行動があるのだろうか。

 

正義は追求したい。そんな組織にしたい。それは多くの人にとって理性的な願望だ。しかし、以前に書いたダイハツの不正のケースでも、上記の三菱電機のケースでも一人で闘うことの難しさとリスクはよく分かる。

こんなことにチャレンジしてみたらどうだろう。一つ目は正義の相談相手を探すことだ。意味は違うけど「ホワイトナイト」というイメージだ。普段から人脈を広げる努力をすることが肝心だが、然るべき役職者で「相談相手」になってくれる人を見つけておくことだ。「メンター」と言ってもいい(実は「コーチ」もそういう役回りでもある)。直属のラインの人でなくて少し離れた存在でいい。前に話した「Giver」の人を選ばなければだめですよ。いつでも「相談があるんです」とアクセスしても気楽に「いいよ」と言ってくれる人だ。僕の経験からしても、人は助けを求めてくれる人にオープンなものだ。「僕のメンターになってくれませんか?」とか「相談相手になってくれませんか?」という要請には弱いのだ(了解してくれる)。試す価値は十分ある。もちろん、上司の上司の上司くらいの人でもいい。その人の人柄が分かっているのならね。

二つ目は仲間を探すことだ。同じような問題に悩んでいる人は絶対少なからずいるはずだ。会社によっては、古い体質を変えるために組織を作って改革を進めているところもある。そういう組織はトップの危機感をベースにして会社のカルチャーを変革するために適切な人材を集められている。ラジカルと言っても良い危機感を抱くリーダーと若手で構成され、オープンな議論とトップに庇護された大胆な思考とチャレンジ精神に溢れている。そんな仲間がいれば、彼らと呼応することだ。堂々と呼応すればいい。そんな組織はなくとも、必ず同じ危機感を抱く人はいるはずだ。その輪を広げることに挑戦してほしい。

三つめは今の新しい考え方を学ぶことだ。日本の企業の変革を阻害しているものの大きな一つがそのようなカルチャーであることは間違いない。しかし、それがどれだけ罪深いものなのか、世の中にはそのような病から治療するための漢方薬がある。残念なことに、この薬を飲めばすぐ直るという特効薬はない。体の内部からじわじわ治す漢方薬しかない。先ほどの記事にもこうある。デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザーの中島祐輔氏は「企業に根付いた風土は簡単には変わらない。放っておくと元に戻る」と指摘する。漢方薬で体質を治して完治させないと、すぐにまた病気になると言っているわけだ。僕は、学ぶべきは、「男性性と女性性」「DEIの本質」「ムラ社会の実態」「やってみよう文化」「ウェルビーイングや幸せの4因子」「GRITのリスク」「現状維持バイアス」「ビロンギング」「不確実性に向き合う方法」などなどではないかと思う。何れも、組織に染み付いた根強いカルチャーを変えるためのヒントとなる。そしてすべては、たとえ強烈なボスでも建前としては「その通りだ」と頷かざるを得ない物語りのはずだ。だから、堂々と語れる。それらを現代に生きる組織の当たり前にするための闘いをしれ~っと進めるのだ。

 

ここで一つの懸念がある。「正義」の対抗軸は「悪」ではないということだ。「正義」のに対抗するのは「別の正義」なのだ。これはとても厄介な関係だ。「悪」ならば論理で理解できる。しかし「別の正義」には別の論理があり、説得には早々応じてもらえないのだ。だから変わるのには時間がかかるのだろう。説得しようとすれば、心を閉ざしてしまうか、より対抗軸と強めるかだろう。どうすればよいのだろうか。職場でオープンな対話が飛び交う心理的安全性を培うことだろう。皆さん、普段から雑談してますか。なんでも言い合える関係を作れてますか。この人間関係がとても大切だと理解してくださいね。

 

日本企業の多くは昭和のそんな文化を今でも変えられないままだ。誤解してはならないのは、オッサンが悪くて若者が正しいということではないということだ。改革派のオッサンもいれば、染まり切った若者もいる。言えることは、不祥事を経験した企業が真摯にその原因に向き合えば、必ず乗り切ることができるだろうということだ。しかし、表面的でおざなりな対策を持って変革だと禊をしたつもりになっているとしたら、それは致命的な病巣を持ったままオロナインを塗って対処した気になっている自画自賛バカだということは間違いない。そうなったら退場してもらうしかない。幸い不祥事は起きていないが、病巣は似たようなものだと感じたら行動しよう。まずは、周りの人たちと話し合ってみよう。

周りに見守られて凛と立つ