Beを開示しヘルプシーキングすることが生きやすくなるこつ

精神的、心理的コンディションやモチベーションは揺れ動く。それが人間というものでしょ、と言うかのように勝手に動く。でも、その理由はよく分からなかったりする。
今の自分の状態、存在していること自体の姿、言い換えると「Be」を素直に受け止めて、観察して、説明できますか? そう、言語化するの。例えば、「彷徨ってる」「迷っている」「流されっぱなし」「悶々としている」「だらしない自分に失望してる」「他者の目や意見を気にし過ぎてビビって心が小さくなってる」とか。
そういうときにどうしますか?
心の内側にこもって、自分とだけ向き合って何やってるんだろうと悶々として、更に深い迷宮に入り込んだりしませんか? 誰にでもありますよね。
 
僕は、そういうときには他者に話してしまうことが良いと思っている。大切なのは、イムリーにヘルプシーキング(援助要請)、アドバイスシーキング(助言要請)することだ。人間は、困っている友人から要請を受けると自然と真剣に向き合ってくれるものだ。困っている友人、弱っている友人には手を差し伸べるものだ。一種の本能に導かれるように。
 
ここで課題は誰にするかですね。信頼できない人や「べき論」を振りかざして話を聴いてくれずに一方的にしゃべる人は、避けたいと思いますよね。恐らく後悔するのが落ちだ。聴く耳を持っている人(傾聴力がある)、受け止める力が強い人(女性性が強い)を選ぶことが肝心だ。これは間違いないポイント。皆さんにはそういう人が身近にいますか? 
裏を返せば、普段からそういう友人を作ることがもう一つの課題になるわけだ。お勧めは自己開示できる相手に普段から自分の心を話すことです。まだいなくても、候補者に徐々に開示することだ。一日ではできないものだが、普段のコミュニケーションを大切にして積み上げていくことが大切だ。これは意図的にやらなければできないことだ。
 
本能的にこういうことが得意な(得意というか自然とできてしまう)人と、苦手な人がいますね。前者はとても少ないかもしれない。即ち、大半の人にとっては普段から努力が必要なのだ。
人生は長い。揺れ動くBeingを素直に話したら、手を差し伸べてくれる(聴いてくれるだけでもいい)友人は最も大切な存在なのです。
 
人生のゴールは遥か先だ。生きやすい日々は意図的に創り上げるのだ。意図的にだよ。

先日、クライアントのオフィスのそばで一人ランチをした。
モールの中で目に留まったのが台湾めしだった。
ルーローハンと似た味付けの鶏肉は実に美味だった。
台湾出張中にオフィスで食べたお弁当の味を思い出した。
その数日後、長女から台湾旅行を誘われた。ただの偶然だが、その巡りあわせに心が躍った。

主権在民は国民が判断力を有することが前提ですね

国民主権とか主権在民という言葉がある。中学で習った記憶があるが、現在ではあまり使われなくなってしまった。

国民が政治を決定する。言い換えれば、世論がすべてを決めると言っても過言ではないだろう。国民は何をもって判断するのか。第一は情報、即ちマスメディアでしょう。一番手っ取り早く事実を伝えてくれるからだ。しかし、本当に事実? それが一番大事な視点? と感じている国民も少なからずいる。メディアの劣化につていは何回か触れた。本質をついていないことがあまりに多すぎるからだ。現代は大人ですらニュースにあまり関心を示さない。シラケているのかもしれない。それがメディアの劣化を招くネガティブなサイクルを作り出したとも言える。視聴者・読者が減るから、メディアは目を引くことだけに注力する。「読まれてなんぼ」ということが第一優先となり、国民の低俗な嗜好に寄り添うということだろう。また、国民はニュースに興味がないだけでなく、メディア自体が多様になり、その多くはフェイクで満たされているから始末が悪い。悪いことに、それを判断する眼力や洞察力がないので、フェイクに振り回されたり、本質とは全くズレた論点やスキャンダルしか興味を示さなかったりする。

即ち、結果的にマスメディアが政治を決めてしまうという状況は戦争中であろうが、現代であろうが変わらず、悪いことにその媒体自体のレベルが落ちていることによって、国民自体のレベルも落ちている状況にあると言っていい。残念ながら、それに引きずられるように政治家のレベルも落ちている。多くは国民のレベルが落ちていることをいいことに、国民を舐めている。まともな人を探すのも苦労する有様だ。毎日のように呆れかえるような記事を目にする。

自民党の驕慢ぶりに呆れかえる - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

1/22の谷川弥一氏(元衆議院議員)の会見など酷いものだ。大臣になるために金をばら撒いた。辞めるんだから文句はないんだろうと言っているのも同然の傍若無人さだ。開き直りにもほどがある。あんな人を当選させた国民が悪いとしか言いようがない。

 

昔、国策捜査(民意を意識して捜査する)を認めた検事もいたが、それの裏では、それは僕らのお陰だと鼻高々なマスコミがいたに違いない。僕ら(マスコミ)が検察を動かした、凄いでしょと言わんばかりだ。皆傲慢すぎる。

国家の品格」を書いた藤原正彦氏が「国民は永遠に成熟しない」と言ったが、残念ながら本当にそうだなと思う。

 

人々はある時に驕慢で支配的なリーダーに嫌気がさす。そんなリーダーが作り上げたチームは多様性がなく、違う意見の人は懲罰を受け排斥されムラ社会が形成されていく。人々がそれに気付いた時に、反驕慢リーダーの狼煙が上がるのだ。国家で言うなら、専制国家のリーダーに嫌気がさし民主化が進むというわけだ。

しかし、民主化に成功したとしても、不況などいろいろな理由で国民のウェルビーイング度合いが下がると、その不安定な状況を脱するために新しい支配的リーダーを求めてしまう。即ち先祖返りのようなものだ。それは歴史が物語っている。それは企業でも同じで、「ワンマンな人物は、不安定な状況の中で組織が失った主導権を取り戻して安定を保証する期待の星に見える」(マシュー・サイド「多様性の科学」)からだ。業績が不安定で将来が見えなくなった時には、強烈・強引、言い換えれば驕慢でもあるリーダーを求めてしまうのだ。

例えば、フランスの歴史を見るとよく分かる。ホッブスジョン・ロック、ルソーが社会契約説を唱え、民主主義の萌芽が見られた1600年代後半から1700年代後半を経て、1789年にフランス革命が起こったわけだが、その時点までルイ16世は「朕は国家なり」(最初に言ったのはルイ14世)なんて言っていたのだ。その王政が、革命により立憲君主制、共和制、ナポレオンによる帝政、王政復活、共和制、帝政・・・そしてマルクスエンゲルスが登場しヨーロッパの一部に社会主義の流れが深まっていく。などと、国民はそれまで懲りたはずなのに、現状打破のために逆のリーダーを求めて、また失敗することを繰り返した。それが歴史・事実なのだ。

僕たちの知的レベルや倫理観、知恵をこれ以上劣化させたくないと思う。何かがおかしい!という勘も働かなくなりつつあることは間違いないのだ。感度が痛烈に鈍化してはいまいか。心から恐ろしいと感じる。

 

今の自民党に国民はどういう判断を下すのだろうか。史上最低とも言える支持率。次の選挙で国民は自民党を見限るのだろうか。思い出してほしい、2009年麻生首相の時。国民は民主党を選んだ。単独過半数を大幅に上回る308議席を獲得し鳩山幸雄政権が発足したのだ。その後の迷走ぶりに国民は落胆し、2012年には自民党単独過半数を獲得し3年3か月ぶりで政権に復帰し、安倍首相が選出された。民主党の実力不足は明らかだった。その後、野党の低迷は現在も続いている。

今、政権を任せられる野党が存在するとは思えない。しかし、自民党の驕慢ぶりには鉄槌を下すべきだと思っている国民は多いだろう。成熟しない国民はどのように行動するのだろうか。2024年は国内も荒れる。

 

さて、ここでこの話を付け足したい。

孔子はこう言っている。「衆(しゅう)之(これ)を悪む(にくむ)も必ず察す。衆之を好(よみ)するも必ず察す」論語

これは、大勢の人が皆憎む人でも良く調べなければならない。同様に、皆が好む人も良く調べなければならない、という教えである。即ち、現代に置き換えると、売上のために人心を先導する意図のあるマスコミの言いうことを信じることなく、自分の目で調べ考える人が、本物の知性のある人だ、ということを指しているのだ。本当にそうだね。

御神木はそんな僕らにカツを入れてくれるだろうか

 

ORIGINALS  人生は波風だらけのはずなのに

最近読んだ本「ORIGINALS  誰もが『人と違うこと』ができる時代 アダム・グラント」にインスパイアされ少し書きたいと思う。

創造力のあるユニークな考えを持っている子供は生きづらい。教師が問題児として扱うからだ。それに子供たちは気付く。教師が望んでいる答えは何なのだろうかを理解する。そして、望まれるものを考えて答えるようになる。そうしてオリジナリティは封印されていく。そんな話を読み、すごくすごく共感した。

そうして、型にはめれらた子供が「良い子」として育っていくんだろう。着実に。そして、大企業は良い子ばかりを選別して採用してきた。それは残念な事実であり、僕は15年以上前にそれに気付いた。部下たちはとても良い子で、緻密に確実に仕事をこなす。顧客から見たら完璧な企業に見えたことだろう。しかし、構想力がない。枠から決してはみ出ない。言われたことを間違いなくこなせばよかった時代は終わっているのに。即ち、世界は高速に変化し続け今ある製品やサービスは短時間で陳腐化する。ビジネスモデルも変わるかもしれない。その変化に対応できるのは社員の構想力なのだ。25年位前、部下たちのユニークな研修をお願いしたプロ集団からフィードバックを聴き、僕は雷に打たれたようにショックを受けた。同時にすごく腹落ちした。清水さんの部下たちは、緻密さにおいては最高レベルです。しかし、ゼロから1を生み出す構想力がありませんと。そうだ、その通りなんだ。これを治さないとサステナブルな成長はできないと気付き、目が覚めた。まず、人事のトップに採用のやり方を変えてくれと頼んだ。良い子ばかりを採用するなと。何をやらかすか分からないようなユニークな人材を10%でいいから選んでくれと。その願いは無視された。その後、近年は選定が部門で行えるようになり、恐らく徐々にそれが実現できるようになっていったのだと思う。それが必然だからだ。

 

日本企業の多くは、強いリーダーを求め育成してきた。「俺についてこい」タイプだ。そんなリーダーが作り込むのが「支配型ヒエラルキー組織」だ。トップは強制と威圧、褒美と罰で部下を操作する。「俺の命令に従えないやつは・・・」「お前はクビだ・・・」的マネジメントをし、必然的に部下は全員「イエスマンになり、自分の意見は言えず(言うと罰を与えられるから)、全員金太郎飴のムラ社会が出来上がる。多様性はなく、ハイコンテクスト(阿吽)が通じない人はムラにいられない。新入社員もあっという間に型にはめられ、できないやつは排斥されるか、自分から辞めていく

職場で異議を唱えると自分の立場が危うくなるなどと書くと、そんなバカな・・・と感じる人も多いかもしれない。ハラスメントと指摘されるようなことはないと思うが、実はもう慣れてしまって気付いていないのかもしれないし、見えないところで行われている可能性は今でも高いと思う。昔は露骨にそんな組織が多かった。それが日本だ。男性性・マッチョさが美徳、そんなカルチャーなのだ。「支配型ヒエラルキー組織」に違和感を感じる人は案外少ない。

実は日本ほどではないかもしれないが、アメリカも似ている。日本より遥かに自由だしブレストなど子供のころから授業で行われる。しかし、アメリカは優れた成果を凄く求められる傾向が強く、失敗を恐れるあまり周りに迎合する人が多いというのだ。

 

オリジナリティの高い人は、リスクをとることを恐れない。迎合すること、黙っていることができないのだ。オリジナリティとは、発想ではない発想+行動なのだ。オリジナリティとは、創造的破壊(シュンペーターなのだ。波風を立てることを恐れていたらできないのだ。

リスクテイクなき変革など存在しない

構想じゃなくて、これは高層だね

 

トヨタと日本 一連の不正の裏に横たわる日本らしさ

皆さんもニュースに気付いたことと思うが、先日トヨタグループで新たな不正が見つかった。日野自動車(2022/3)、ダイハツ(2023/12)、そして豊田自動織機(2024/1)だ。あまり大きく取り上げられていなかったが、実はそれ以外に販売店11社での車検不正(2021/9)、愛知製鋼での規格外鋼材出荷(2023/5)などという不正もあった。

ご存じのように、自動車産業はEV化の流れとそれにアラインするためのイノベーション合戦、国益優先の自国内生産優先政策でメーカーの生産地政策の急転換、EV化の流れが加速化すると見られる反面、ガソリン車、ディーゼル車の販売禁止の延期の流れ、BYDがテスラを抜くとう新興メーカーの台頭などなど、変化が大きくかつ早い。その中において、トヨタグループはハイブリッドで各国で叩かれる一方で、業績を伸ばし続け、目の敵にされ続けてきた。その裏で、生産革新を地道に続け品質向上とコスト削減の両立を実現するとともに、レクサスというハイブランド戦略も成功させてきた。

そのセクセスストーリーの裏に、絶え間ない努力があったことは疑問の余地がない。当然それに寄り添うように「GRIT」が根付いたのだと思う。それはもちろん尊敬に値することであることは間違いない。

 

現実的に洞察すると、その裏でどのようなことが起きていたのだろうか。以下に述べることはトヨタグループに限らず、何度も触れてきた多様な業界での不正などの根源的な問題に通底するポイントだと考えている。

企業が業績を伸ばし続けることは、マーケットを創造することと共に、競争に勝つことが重要視される。即ち、マーケティング(営業を含む)とイノベーション、そして品質とコストだ。先進的で魅力的な商品を他社に先駆けて追いつく暇を与えず間断なく出し続けることだ。それもローコストでだ。これがどれだけ困難なことかは容易に想像できよう。多くの場合その指針や計画はトップダウンで出される。そして、それは何が何でも実現しなければならないという圧力に昇華される。それが僕たちの使命なのだと。それが「GRIT」だ。

GRITは言うまでもなく「やり抜く力」などと言い換えられ、以下の4つで構成される。

Guts(度胸・根性)

Resilience(復元力・折れずに立ち直る・粘る)

Initiative(自発性・自分の意志で努力を続ける)

Tenaciity(執念・執着心)

これらは上記の様に業績を伸ばし続けるという観点でとても有用な価値観だと分かる。同時に、これらにはリスクも含まれる。もし、方針や目標が現時点で的確でなくなっていたらどうなってしまうのだろうか。行き過ぎたGRITが不幸な結果を招くことはよく知られている。この辺は以前にも書いたが、アダム・グラントの「THINK AGAIN」に指摘されている。GRITに溢れる人は「見なくないものは見えない」状況に陥っているかもしれない。即ち、マーケットの変化の予兆に気付かないかもしれないし、現場の疲弊やサプライチェーンの不満に気付かないかもしれない。気付かないのではなく、見たくないのだ。やり遂げることにだけフォーカスしている人には邪魔な情報なのだ。そして方針を変更するタイミングを失してしまう。

現場には「何が何でもやり遂げろ!」だけが染み渡る。そして不正が起きるのだ。今回の報道でも「不合理な開発日程の策定(豊田織機)」「過度にタイトで硬直的な開発日程(ダイハツ)」とある(日経新聞)。

更に、日本の組織にある特徴が悪さをする。日本では、リーダーはビジョナリーで部下を引っ張るタイプ、即ち的確な指示命令による強いリーダーシップが求められる。彼らが作る組織が「支配型ヒエラルキー(マシュー・サイド『多様性の科学』)」で、威圧と褒美/罰で組織を操作するために職場に心理的安全性が乏しくなる。否定的なことは言えないのだ。言うと懲罰の対象になってしまうということだ。「俺の言うことがきけないのか」と。報道では、「問題が適切に上司に共有される環境が整っていない(豊田織機)」「言ったところで何も変わらない(日野)」とある(日経新聞)。

即ち、「言っても聞いてもらえない」「できないと言えない」「相談しても『で!』といわれるだけ」日経新聞)そう、やむにやまれず不正をしたのだ。これは組織カルチャーそのものだ。それに向き合う幹部がいなかったのは間違いない。これが根本だと思う。

 

もう一つ触れておきたい。先ほど書いたリーダーシップやヒエラルキーはなぜ出来上がってしまうのかだ。Hofstede Insight japanの調査によると、日本は男性性が40ヵ国中1位であり、目標は必ず達成されるべき、それには絶え間ない努力が必要、強い者が支持される、という価値観が最も強い国なのだ。男性性とは誤解を恐れず言うと、相手に良かれと思って、こうあるべきだと指示したくなる、教えたくなる思考が強かったり、結果重視でもがく、あがく、必死になる価値観を重視するなどの特長を持つのだ。上記のようなことが起きやすい価値観だと気付く。

それに対して女性性とは、受け止めたいという気持ちが強く、寛容性が高く利他心が強い、柔軟性が高いなどの特長がある。もし幹部が男性性むき出しでなく、女性性とのバランスが取れていたら、このような企業カルチャーになっていなかっただろうと想像する。

 

「賢者は時を待ち、愚者は先を急ぐ」スピード第一で起業した企業より、様子を見て他社の課題を理解し対策を打ってから起業した企業の方が成長する。遮眼帯を付けてひたすら全力で走り続けるより、周りをよく見て落ち着いて行動した方が良い場合の方が多い。内なる心の声を聴き自分らしい道を歩ける他者の意見に耳を貸し客観的になる瞬間を待てる慌てるな、気付いている人は他にもいるはずだ。時にはこの言葉を思い出そう。

2019に始めたこのブログは、先日累計12万アクセスになった。
承認欲求は強くないと思っているが、より多くの人の役に立てば嬉しい。
こんなブログが役立つと思っていることが傲慢なのかもしれないが・・・



 

建前と本音、裏と表。呆れかえるそのギャップを前に・・・

トーマス・ジェファーソンをご存じだろうか。アメリカ建国の父と称される「アメリカ独立宣言」起草者であり、第三代アメリカ大統領である。

 

彼は人間の平等を訴え、奴隷解放の立場を一貫して取っていた。一方で200人とも600人とも言われる奴隷を所有していた。彼の平等には黒人奴隷は入っていなかったということになる。

さらに、所有する黒人奴隷サリー・ヘミングスとの間に7人の子供がいた。これはDNA鑑定によって証明されたといわれる。そのサリーは死ぬまで解放されることはなかったのである。

 

そして、NY市庁舎の議会室にはトーマス・ジェファーソンの像があったが、2021年市庁舎から撤去された。歴史に名を残した人の末路と言ってもいい。

 

建前と本音。裏と表。成し遂げた快挙の大きさの前にこの程度のことは小さいことだと目をつぶりますか。これは本質を突いた問いだ。

実は、政治家であろうが、ビジネスマンであろうが、大きな成果を上げた裏ではおよそ人格を疑うようなエピソードを持つ人はたくさんいる。現役の時または引退直後にロールモデルとして発刊された自伝的ベストセラーはたくさん存在し、その一部はその後暴かれた真実によって評判は地に落ちた。英雄伝説の陰に、金に汚かったというようなお粗末な話や、人格者という評判の裏で実はパワハラだったとか、見事な事業成長を遂げた実力経営者のレッテルの裏に、違法な会計処理や節税処理があったというような話など、枚挙に暇がないのだ。

 

トランプ氏などはその典型だろうね。しかし、それでも選挙は勝つんだから、分からないものだ。人格とか倫理が人を選ぶ基準になっていないわけだからね。孔子は天国でこんな世界を憂いていることだろう。

僕は、どんなに地位の高い人であっても、そのような建前と事実のギャップが大きかったり、裏と表がある人を決して尊敬はしない。僕の身近にもそんな人はいた。彼の足を引っ張ったり悪評をたてたことは一度もないが、決して信頼したことはないし、盲目的に指示に従ったこともなかった。僕は僕の信じる正しい道を歩きたかったからだ。幸い潰されなかったのは運が良かっただけなのかもしれない。

乾ききった世。心が温まる話は本当に少ない。
でも、ひとりひとりは恥じない行動を当たり前のように続けましょう。
そうすれば、きっと暖かさは人から人へと伝わっていくよ。

2024 恐ろしい扉が開いてしまうのか

今年はアメリカ大統領選挙が行われる。誰もがバイデン対トランプだと予想している。そのような最中イスラエルパレスチナの戦争だ。バイデンはイスラエルを全面支援する姿勢を示しているが、イスラエルハマス殲滅行動で民間人が大量に犠牲になる事実を前にして、相当困っているようにも感じる。実はアメリカのZ世代はイスラエルではなくパレスチナを支持していると言われる。イアン・ブレマー氏によると「バイデンはアラブ系アメリカ人の票の獲得が難しい状況だ。彼らはミシガン州では人口の約5%、ペンシルバニア州では人口の2.3%を占め、選挙結果を左右する重要な浮動票となる」この戦争はバイデンにとって大きなマイナス要因だ。でも、考えてみれば共和党特にトランプは更に強硬な親イスラエル派なわけで、トランプにとっても頭の痛い状況なはずでも、国民の心は時の政権への不満に動く。そんなものだと感じる。トランプが復活する姿は想像もしたくないが、前回の選挙の様に最後まで予想のつかない展開になるのではないだろうか。

ロシアはプーチンで決まりだろうが、心配していた台湾は民進党頼正徳氏が当選し、民主主義陣営を守るためには追い風になった。その中でウクライナ支援のエネルギーは縮小していく今年の世界は揺れ続ける。悲しい動向になろうが、僕たちは直視し続けなければならない。

 

国民が政治を決める主権在民は国民が理性と客観性を持っていることが前提だ。しかし、そんな前提など絶対に成立しないと感じざるを得ない。残念ながら国民に正しい判断力など期待できない。SNSやメディアにフェイクニュースが溢れ、トランプ氏自身がバイデン氏のことを極左と罵る。自身が自分に資する極端なイメージを刷り込み、愚かな国民がそれに踊らされる。そこに知的な判断力など存在しないかのように。残念ながらそれが実態であり、トランプ氏をはじめとする政治家の多くは、国民は愚かだからいかようにも操縦できると舐めてくさっている。舐めているという意思がないのだとすれば、狂っているとしか言いようがない。日本でも同じだ。どうせ国民は喉元過ぎれば熱さを忘れるからしばらく大人しくしていればいいと、厚顔無恥を押し通す。

トランプ氏が共和党予備選初戦アイオワ州を制し第2戦ニューハンプシャー州も制してしまった。今頃ロシアや中国やイランの専制政治体制の人々は笑っているに違いない。民主主義は自滅に進んでいると。

 

続きはまた書こう。

冷たい冬の後には、必ず春が来る。
本当に来るのだろうか。

 

前向きなフィードバックは充実感を連れてくる

「充実感」を感じた時を想像してみてください。

僕は満たされた感覚や精神的な幸せを頭に描く。日々充実した時間を送れたと実感できれば、こんな幸せなことはない。しかし、「あなたはどのような時に充実感を感じますか?」の問いかけに、「何かを完遂した時」と答える人は多い。もちろんよく分かる。「やり切った感」は何にも増して充実感を連れてくる。しかし、それではめったに現れないことを指してしまう。任せられているプロジェクトが成功に終わるなどというシーンは年に一度という感じのサイクルになってしまう。それではずいぶん寂しいではないかと思う。

もっと日常に「充実感」を感じる瞬間を創り出せないだろうか? 実は、それはリーダーの振る舞い一つにかかっていると思っている。何かの目的で集まったミーティングは、テーマの難易度が高い程、満足を得られる結論は出にくい。時間切れになったり、議論が空中分解したり、ストレスを感じたり、スカッとはしないものだ。しかし、チームが頭脳を持ちより真剣に議論したはずで、結論は出ずとも間違いなく一定の進捗を果たしたはずだ。多様な意見があることが分かったとか、混沌の中に一筋の光を感じたとか。ただ、都合の良い結論に至っていないだけだ。

そこで、リーダーの果たすべき役割は、進捗を客観視し肯定することだと思ってほしいのだ。抽象的でもいい。自分の感覚でいい。「A君の意見には驚いた。全く僕には気付かない新しい視点だった。次に進む素晴らしいヒントを得られた」とか、「問題点がたくさん出たね。僕は大分見えてきた感覚を得ているよ。トンネルの先に明かりが見えてきた」でもいい、「ありがとう、みんなの真剣さがよく分かったよ。それだけ難しい課題だったわけだ。今日は時間切れだったけれど、きっと次回には皆が腹落ちできる解を得られると確信している」という表現もある。要するに、リーダーは確実に進んだということ、この先にゴールは見えるという希望を口に出すことが重要なのである。悶々とした時間が報われる瞬間を生み出すのだ。そして、「また明日集まろう。皆の協力で必ず前向きな案を決めよう」と締めればいい。

充実感は毎日得られた方が良いに決まっている。そしてそれは、リーダーのる舞いやフィードバックによって如何様にも演出できるのである。皆の気持ちを受け止めて将来にスポットライトを当てればいいのだ。決して難しいことではない。

すぐにでもやってみよう!

大分登ったね。もうすぐ登りきるさ。