ポジティブな未来への第一歩  ~前向きに生きるヒントがそこにある~

毎日「上機嫌」で生きたいものですね。心配ごとで頭が一杯になったり、落ち込んだり、イライラしたりはしたくないものです。今日は前向きに生きるヒントを書いてみたいと思います。

 

観的とは楽天的とは違う

有名な心理学者アドラーは「楽観的」であることを「悲観的に準備し、楽観的に行動すること」と定義しています。「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」とアランは言っているように、楽観的とは本能的な明るさではなく、自分の意思で選ぶ態度です。ここが大切な点ですね。

それに対し「楽天的」とは

「能天気」「極楽とんぼ」と表現され、注意すべき対象とされています。リスクを無視し、何とかなるだろうと根拠もなく放置する姿勢です。現実の課題から自分の意志で目を逸らして何もしないために、アドラーは真の勇気(意志ある行動)とは見なしていません。

 

深刻と真剣

仕事が上手くいかないだけではなく、その状況が続き事態は悪化の一途だったりすると、人は「深刻」に捉えますね。その深刻とはどのようなことなのでしょうか。

「深刻」とは心理学的に言うと「心理的視野狭窄」と表現されます。人は時としてこれしかない、もう終わりだなどという極端な考えに陥りがちです。これを視野狭窄と言います。問題の解決策や別の選択肢が目に入らなくなり、ひとつの悩みだけが世界のすべてのように感じられる状態なわけですね。同時に、問題と自分を切り離すことができなくなり、問題=自分になってしまう。「失敗した」という事実を「自分はダメな人間だ」と存在そのものの否定にまで広げてしまうことで、重圧が大きく膨れ上がってしまいます。

アドラーは深刻になると、不安に縛られ心が「停止」して重苦しい状態になると言います。

それに対して「真剣」は「今、ここ」の課題に集中して解決に向けて心が「動いている」状態だと言います。

では「深刻」になっている時どう対処することが肝要なのでしょう。もし苦しい状態であれば、「深刻になっている自分」を客観的に眺める(メタ認知)ことから始めることが効果的だと言います。

私は昔部下がトラブルで苦しんでいる時に「深刻になるな、真剣にやればそれでいい」と言っていました。その元部下本人があるパーティーで私にそう言われたエピソードを紹介し、思い出しました。心理学的にはとても適切なアドバイスだったと気付きました。私自身も体感的に深刻になることは解決に繋がらないと思っていました。それに暗闇に陥らないように本能的にそのように対処していたのだと思います。

 

お世話になったある神社の神主さんの話

私が40代のころ担当していたビッグユーザで、こんなことが起きるはずがないというような超レアなトラブルが何度も何種類も起きました。その都度苦労して解決してきましたが、何年かにわたって時々起きるので関係者は疲弊していました。偶然が重なるような状況に私は「あとは神頼みしかない」などと考え、自宅から遠くない神社にお祓いに行きました。神主に状況をお話しし、丁寧にお祓いをしていただきました。すると続いていたトラブルはパタッと起きることはなくなりました。その後毎年20年以上お祓いに行き続けました。

その時神主が仰ったお祓いの時の言葉が印象的です。「清水は真面目に一生懸命努力を続けてきました。しかし、今とても困っている。だから助けてやって欲しい」という主旨の話だったのです。要するに真剣にやっている人には神の手が差し伸べられるということのだったのです。

 

自己効力感とは

もう一つ似た言葉があります。「自己効力感(セルフ・エフィカシー)」です。これは「私にはそれをやり遂げる能力がある」という「自分への信頼」です。即ち、具体的な行動に結びついています。

よく似た言葉に「自己肯定感」がありますね。ある学者がこう説明してくれました。分かりやすいので私もよくその表現を使います。「自己肯定感」は過去の実績から出る自信で、「自己効力感」は将来に対する自信だと。分かりやすいでしょ。自分を信頼しているから、必ずやり遂げられるはずだと自信を持っているという意味なんですね。

歴史に残るような偉人たちは、皆「自己効力」が高いという研究結果がありますが、うなずけますね。自分を信じることの大切さを認識しましょう。

 

自己効力感と楽観性の関係

そうなるとこの両者はほとんど同じようなニュアンスがありますね。しかし、少し違います。楽観性とは「これから良いことが起きるだろう」という「未来への期待」です。もちろんアドラーが言うようにちゃんと準備し努力しているから未来に期待できるのです。即ち能力に関わらず状況全体を肯定的に捉えているわけですね。それに対して、自己効力は、能力があるから何とかなるという自信なのですね。

別に分けて考える必要はありません。両方とも前向きに生きるためにとても大切なアプローチだと思えばよいと思います。

 

ポジティブサイクルが生まれる

この二つが揃うことでポジティブなサイクルが生まれます。

まず、挑戦の開始です。楽観性があるから「なんとかなるさ」と一歩踏み出せる

そして、努力の継続です。自己効力感があるから「自分ならできる」と信じて粘り強く取り組めるわけですね。

 

失敗への耐性を上げる

誰でも失敗はします。その時いちいち落ち込まないようにしたり、落ち込んでも即復活することが大切ですね。その時も楽観性と自己効力はスーパーパワーを発揮します。

楽観的な人は失敗を「一時的なもの」と考え、自己効力感が高い人は、「次はやり方を変えればできるはずだ」と自然と考えて対処するわけですね。

つまり、楽観性が「ガソリン(動機付け)」で、自己効力感は「エンジン(遂行能力)」というような関係だと表現されます。なるほどですね。

 

今日のアドラーの話も、私のエピソードもみんなつながっているんです。私たちがネガティブサイクルに入り込んで苦しむことがないよう、ポジティブに生きるヒントがそこにあるんですね。

10年ほど前に大変お世話になった友人と鰻のコース。たくさん食べたくさん飲んだ。
旨い食事は明らかに僕を楽観的にも楽天的にもしてくれる。
旨い食事のない人生はとても味気のないものだろう。@日本橋小舟町

 

知性とポップの関係

前回「反知性主義」のことについて書きました。今回はその続きとして、ではなぜ「知性」は疎まれるようになったのか、そして、とはいえ知性はどのように形態を変えて僕らの生活に浸透しようとしているのか、について書いてみたいと思います。

 

ポップってどういうこと?

「知性」とはとかく上から目線で、正義を振りかざす感じの厭らしさや不愉快さに繋がったりする。即ち、「知性」は身近ではなく分かりにくく、従ってアクセスしにくいものになってしまった。「知性」がその逆にならないと現代社会で今以上に疎まれる存在に成り下がってしまうのではないだろうか。その危機感から、最近「知性がポップになる」ことはできないのか、という議論が出始めたようだ。調べてみるとこんな意味を指していた。

そもそも「ポップ」の意味がこの場合違う。即ち、「ポップ」とは☆簡単 ☆浅い ☆分かりやすい という僕がイメージするような意味ではなく、現在の「ポップ」とは◆参加できる ◆キャラが立っている ◆続きが気になる ◆語っても怒られない ◆自分の言葉に翻訳できる という一種の「性質」「感じ」らしい。なるほど…

 

日本において「知性」はなぜポップになれなかったのか

なれなかった失敗原因は3つあるという

知性=正論=説教 というネガティブなエネルギーを発している。言い換えると、正論は場の空気を壊す行為、と受け止められていたのだ。これ分かるでしょ。反省しきりという人も多いと思います。僕もその一人です。

知性=泥まみれではない綺麗な安全圏から話しているように聞こえた。現場から遠いところで綺麗ごとを言っている感じ。即ち、責任を取らない人の発言に聞こえてしまうのだ。これもあるあるかもしれない。

知性=人格評価と思ってしまう。知的に批判をされると、人格を否定されているように感じてしまう。こうなるとポジティブな対話が成り立たなくなってしまう。これも想像できる。

 

「知性」がポップになり始めた

とはいえ、現在徐々に知性がポップになり始めている。以下の状況に気付くと皆さんもなるほどと頷くのではなかろうか。例えばこんな傾向に気付かないだろうか。

スピーカー(話者)が「先生」から「ナビゲーター」に変わり始めた。例えば、「教える」と言う空気は消え、「一緒に考える」とか「問いかける」「ファシリテートする」などだ。例えば7年前に始まったポッドキャストの「COTENラジオ」がその典型ではなかろうか。僕も一時期ハマっていた。凄く知的だが、上から目線など微塵もない。近年はポッドキャストの長尺な対話番組が凄く増えた。これらのほとんどは明らかに「ポップ」だ。

知性が「キャラ」を持ち始めた。上記ポッドキャストの例をあげてもそうだが、知性は無色透明ではなく、誰かの個性の上に存在していてその個性ごと魅力を醸し出しているのだ。

「分からなさ」をオープンにする姿勢が共感される。上から目線の「私は知っている」から「私も分からない」「一緒に考えましょう」に変わってきて、それが一種の知性の民主化に繋がっているような気がする。

知性がポップになると、知性は「武器でも権威でもなく」良いところを突いている問いを立て、説得や教育ではなく対話や共感を生み出す場を作る力になっていくのではないだろうか。

 

今幹部がやるべき振舞い

さて、時期は正に新年度。あちらこちらで「キックオフ」とか「スタートアップミーティング」が行われていることでしょう。そこに登場するのが幹部のプレゼンだ。時代は変わっても多くは昔とコンテンツの文脈は変えず、ステレオタイプに行われているのではないだろうか。数字、数字・・・とか、ロジカルな分析、上から目線の施策、やって欲しいこと(さすがに命令というトーンは薄まっている)など・・・ 正論に満ちていることだろう。

それに普段から幹部はブログなどで発信することを心掛けている人も多いだろう。ここにも同様の空気が満ちているのではないだろうか。僕が現役の時は、幹部のブログなどのメッセージは絵を描いたように皆そうだった。(それに対して私のブログは明らかに異質だった。)

これらが少しでも「ポップ」に変貌を遂げることができたら、きっと職場の雰囲気や会社のカルチャーは少しずつ明るく前向きに変わっていくと思う。

 

コーチングやメンタリングに必要

「知性」が説得や教育ではなく対話や共感を生み出す場を作る力に繋がるのであれば、僕の仕事でもある「コーチング」や「メンタリング」に必要不可欠な「問いを立てる力」「壁打ちを続ける技術」に通じるはずだ。「コーチング」や「メンタリング」の本質は答えを提供することではなく、自分の力で考え行動する力を取り戻すことや、思考の広がりを拡張することだ。知性が高ければ、クライアントの悩みが想像でき、自分事にすることができる対策に正解のないことも理解し、一緒に立ち止まって心の中・頭の中を整理すことを手助けできる。それは決して正解を教えることではなく、クライアントの思考の資源をフルに利用する潤滑油になることに他ならない。知性は場の空気を豊かにする。即ち、考える状態を生み出していく曖昧な中でも心をクリアにしていく意識を高めていく。

もちろん、僕は未熟でいつも反省している。知性は成長を促すだろうが、老境・老衰がそれを許さない域に入ってきたのかもしれない。ま、それでもよいではないか。なけなしの知性をフル活用するさ。

 

これは年長者や上司の話に繋がる。本人はそのつもりがなくても「説教」じみてしまうのだ。これは僕も大いに反省しなければなるまい。

メンティー二人との懇親会。一人早く到着し、ジントニックを飲みながら読書して待つ。
僕はもっぱら聴き役なのです。@高輪ゲートウェイ

反知性主義とは? ~あなたの組織は既に蝕まれているかもしれない~

良い季節です。スッキリ爽やかな毎日を送りたいものですが、
世界は知性的ではない人達によって苦しめられ、とても心穏やかではいられません。
@高尾山頂上


最近よく「反知性主義」という言葉を耳にしますよね。それがどのようなもので、私たちの生活にどのような影響を与えるのかなどはっきりとは自覚していません。今回は少し整理してみたいと思います。

 

「反知性主義」とは

「反知性主義」とは、学識や専門知識や論理的な思考などいわゆる知性よりも、個人の信念や感情、感覚などを優先する考え方や態度、行動のことを指す。ストレートに「愚か」「馬鹿」であることを示しているわけではなく、エリート層が持つ知性や知識を偏重しているように感じ権威主義的だとラベリングし、それに基づく支配(されていると感じ)に対して反発したり懐疑心を持ったりする感情から生まれると言われる。

本屋大賞をとった「イン・ザ・メガチャーチ」でもどこかの黒幕がスパイを送り込み、日本は彼等の陰謀によって操られている・支配されている信じている人が登場しますが、それに似ていると感じたりもする。

「反知性主義」と言われて思い浮かべるのがトランプ大統領ですね。正しかろうが、事実であろうが、客観的であろうが、合理的であろうが自分の価値観や(無根拠な)感覚・直観に合わなければ一切耳を貸さず、仮に情報として聴いたとしてもかえって反発し、無根拠に罵詈雑言で否定し、傲慢な意思決定をする。そのあまりにピンボケな発言に多くの人々は呆れかえるが、実は反エリート感覚の強い人口は多く、特に学歴が低い人や貧しい人の多く、特に貧乏くじを引いていると思っている白人の多くはトランプを支持している。(最近では、トランプは認知症だという意見が広まっていますが)

トランプの言う「ディープステート」とはそんなエリート層が支配する官僚機構やエリート大学などの学者や元々評価の高い(調査などをしっかりしているお高くとまったように見えるレベルの高い)メディアや専門家等を指し、ことごとく不信感を発信し攻撃してきた。有名大学の補助金をカットしたり、「政府効率化省(DOGE)」を発足しエリート支配構造を解体しようとしてきたわけだ。法律を無視した関税政策や多国間の枠組みを無視したり脱退したりし続けているのも、同じ文脈だ。最近でも国際法など関係ないというような発言をしたり、NATO脱退をほのめかしたり、相変わらず「反知性主義」の志向に衰えはない。

トランプの志向を分かりやすく表している表現にこんなものがある。トランプが敵視しているものとその表現はこんな感じだ。大学:左翼洗脳拠点、学者・専門家:民衆を支配、メディア:フェイクニュース、科学:政治的で信用できない、という具合だ。正に「反知性主義」の分かりやすい言説と言えよう。

 

宗教との関係

キリスト教に対する信仰心を大切にする宗教右派の価値観には、理性や科学より宗教を優先するという感覚がある。福音派を典型とするキリスト教右派の流れには、進化論や気候変動科学、ワクチン、ジェンダー(性科学)を敵視あるいは否定する思考が色濃くあるのは、ご存じの通りだ。

かつての宗教右派は「道徳の右派」と言われてきたと言う。家族や性道徳や敬虔さを重要視してきた。しかし、トランプ登場以降はそれが、怒り、被害者意識、反知性主義が中心になり、「道徳的運動」から「文化戦争の政治勢力」に変質したと表現されたりしている。その感覚がアメリカの分断を自ら深める結果に繋がってきたと思われる。

日本を考えると全く違うことに気付く。それは日本には宗教が存在しない点にある。日本にも反知性主義は拡がっているが、アメリカは「宗教が知性を拒む」に対して日本は、「空気(雰囲気)が知性を面倒くさがる」と表現されたりする。深く頷く。アメリカは「あいつらは嘘を言っている」だが、日本は「正論だけど、現場じゃできない」という違いなわけだ。これも納得。日本における「難しい話はやめよう」とか、「専門家に任せておけばいい(グループシンク)(と言いつつ従わない)」などは危険信号と言えるだろう。

今ほど「知性」を最も大切なものと感じる時代はなかったのではないだろうか。「知性」を手放してしまったら世界は荒廃するのは間違いないと思う。

 

ビジネスの世界

「反知性主義」が私たちのビジネスの世界にどのような影響を与えるのだろうか。少し考えてみましょう。

まず、イノベーションは起きにくくなると考えられます。イノベーションには、仮説を検証するアプローチや、固定観念化していることに対して批判的な思考で考え直すアプローチや、学術的知見・技術トレンドの理解などが不可欠です。しかし、反知性主義に染まった組織では、「前例がないことはやるな」「小難しい議論は無駄だ」「学術的・理論的考えには現場感がない」という空気が充満しています。そうなるとどういう方向に向かうでしょうか。既存事業の延長線上でしか考えが及ばないし、陳腐化した遅れた技術から離れられなくなるし、その結果スタートアップや斬新な破壊的イノベーターに後れを取ってしまうことは間違いないでしょう。

また、データや分析、専門知識よりも限られた経験や勘や圧力を持ったリーダーの意見が優先されるし、不都合な事実やエビデンスが「現場を知らないやつの意見だ」「理屈っぽい」などと排斥されるので、意思決定の質が下がることは明らかだ。

更に、そんな環境になれば、優秀な人材は明らかに流出する。そうなれば、更に組織の知的レベルは下がっていきます。負のスパイラルが加速化するわけだ。

そして、専門家や第三者の意見が無視されるので、不正や隠蔽、品質問題が起きる可能性が増える。即ち企業価値の棄損リスクが増すことが想定される。

もう一つ、皆さんの組織でもありがちなことは、理性的、知性的な人ほど冷や飯を食わされることだ。そのような組織では、論理より根回しが優先され、事実に向き合う人が軽視される。それでは、組織のサステナビリティーは下がる一方だ。

どうでしょう。皆さんの会社でもそんな予兆を感じたらあなたはどのように行動しますか? 時として正しいことは耳が痛いこと、嫌なことになりますね。上司が明らかにそんな嫌な顔をしたらどうしますか? 内容より「誰が言ったか」が重視されたり、勉強熱心や事実に向き合い深堀する人を「扱いづらいやつ」とラベリングしたりすることがあったらどうしますか?

「反知性主義」という言葉を聞いても自分事に感じない人が多いと思いますが、実は身近な事なのです。「反知性主義」の恐ろしさを職場で共有し、「あるある」のことが身近で起きていないかを感じ取り、警鐘を鳴らすことから始めてはいかがですか?

公園のベンチに腰掛けて、ゆっくり自分と向き合う時間をとるのも
いいのではないでしょうか。

 

宗教と政治と戦争とテクノロジーの関係

今年も大好きなモッコウバラが咲く季節になった。
太陽の光がさんさんと降り注ぐシーズンに似合う。


今日お届けする投稿は文脈がはちゃめちゃで、言うならばカオスの域を出ない。しかし、書き直す努力より取り急ぎ発信したかった。発信した上で、私自身がちゃんと学ぼうと思っている。続きを書けるかどうかは分からないが・・・。 取りあえず駄文にお付き合い頂ければ幸いだ。

 

パランティア・テクノロジーズ

Palantir(パランティア・テクノロジーズ)という企業をご存じだろうか。

2003年にピーター・ティールなどが設立した軍事・AI・データ企業だ。

先月そのピーター・ティールが高市首相を訪問している。それはもちろんPalantirを売り込むためです。

高市首相がアメリカ訪問した際も夕食会には同社のCEO アレックス・カープとCTO シャム・サンカーの二人も参加していました。明らかに国家として同盟国日本に浸食しようという意志の表れだろう。

アメリカ戦争省の技術トップがどのように使っているかを発表している。ネット上でプレゼンを見ることができる。恐ろしい時代に入ったと感じざるを得ない。また、彼がその素晴らしい(?)機能を自慢するかのように(私がそう感じているだけかもしれないが)プレゼンする姿は人間の逸脱を象徴するかのように感じた。もしかすると、このシステムを実戦で使う機会を虎視眈々と探していたのかもしれない。

ターゲットの選定、行動計画などが自動的に行われる。それも瞬時に。そのプロセスに人間が関与する必要がないのだ。従来もそれに類するシステムはあったらしいが、バラバラ。それがすべて統合され、一つのシステムとして動いている。

私には、「終わりの始まり」に感じられる。

 

あらゆるデーターは武器であり、それらを統合することによってAIが膨大な情報からデジタルツイン上に今まで見えなかったことが可視化され、自動的に上記のような判断までもができるようになっているのだ。それが戦争で使われたのだ。

このようなとてもやばい企業が国の中枢に入り込んでいる。こんな企業が存在すること自体が信じられないし、そこがアメリカたる所以のように感じる。このようなシステムの顧客は官庁であり、政府なわけで、ビジネスとして成り立つとは思いにくい。従ってこのようなベンチャーに投資をするVCなど存在しない。なぜできるのか。それはピーター・ティール(PayPal創業者のひとり)が自ら創業したPayPalを売却して大金持ちになり、その資金と技術(マネーロンダリングや不正送金を検知するソフト)でPalantirを創業したからだ。いつマネタイズできるか分からない企業に投資をするのは彼のような個人資産があるからに他ならない。更に、彼はニューライト(新右派)の一人と言われ、その信条が強く影響していると思われる。(当初はCIAのVCもっ極少額出資している。CIAがVCを持っていること自体がアメリカらしい)

 

裏にある保守思想

アレックス・カープCEOもかなり強烈な保守思想(元々はリベラルだった)で、グーグルなどの企業は戦争に加担することを拒むのに対し、今の自由な国家があるのは戦争で勝ち続けて勝ち取った繁栄なのに、その自由の上に成り立っていながら戦争を嫌うのは詭弁だ、勝ち取った自由に便乗して儲けているだけではないか、くらいの視座に立ちグーグルを批判するような人なのだ。だから当然国家のために働くという主義の持ち主なのだ。ティールとカープは西欧の自由と繁栄を守るのは技術と組織的暴力だと明確に言っていて、そうではないという人は偽善者だと言い切るのには驚きだ。

ベネゼエラ大統領拉致とイランの急襲の裏にはPalantirのシステムとそのAI部分としてのAnthropic(アンソロピック)社のClaude(クロード)が使われている。Anthropic(ダリオ・アモディCEO)は戦争に加担しないと発表してトランプ大統領の怒りをかい、連邦政府全機関での使用禁止(調達排除)なったのはご承知の通りで、恐らく現時点では使われていない。(多分今はOpenAIが使われているだろう)

トランプが瞬時にすべての橋を破壊するなどと大ぼらを言う裏にはこのシステムがあるのだ。ということは大ぼらではないということを示している。

 

トランプが支持される裏にある右派の台頭

少し話は拡張するが、トランプはなぜこれほど支持されてきたのか?その背景にはどのような思想があるのか? 私はよく分からない。今でこそ支持率を下げてきたが、民主党の自滅があったものの、トランプがまさか再選されるとは思っていなかったし、なぜあんな傲慢で自画自賛のジャイアンが支持されるのか全く理解できないままだった。

その背景にあるアメリカの右派を理解しなければ分かりようがないと気付いた。日本にいると、そして私のようなアメリカ政治に疎い人にとってとても分かりにくい実情を知ることが大切だと思ったので、学者が解説した話の一部を取り上げて整理してみたいと思う。これは直観ですが、アメリカ人も一部の知識人を除いてほとんどの人が分かっていないのではないかと感じる。

アメリカはずっとリベラル対保守、即ち民主党対共和党の構図が続いてきた。しかし中身はどんどん変わってきたと神戸大学井上教授は言う。実は大きく変わってきたのは保守だと言う。リベラル派きちんと考え方が固まっているが、アンチリベラルの立場を続けている保守はアンチの立ち位置によって様々な種類の右派が出てきたという歴史がある。

近年では、2010~2020年代 ポリコレやマイノリティーを重視する社会正義を推進するリベラリズムが台頭し(そういう風潮だった)、それに対しアンチの立場をとる文化保守の流れがトランプの登場少し前から力を付けてきた。これが第三のニューライトと言われる新右翼の流れだった。

この中でも色々な似て非なるグループ・潮流がある。その一つのグループ(ポストリベラル右派、代表的な人はデニーン氏)はリベラリズムはなぜ失敗したのかの理由を二つあげている。第一に個人(の自由)を重視するあまり文化を軽視している。第二に経済格差・階級格差を拡大する思想が組み込まれている、と。

2016年トランプの登場によって、今こそと出てきたのが、それまで傍流として扱われ大人しくしていた陰謀論的思考や反ユダヤ主義など極右的思考だ。即ち、保守の中で、主流と傍流の交代劇が進んできたという。

第三のニューライトの中でも力点の違いによりその他にも多様なグループがある。オルトライト(トランプ登場と共に白人至上主義を表に出してきたが、今は衰退というか当たり前になってしまい勢いを失った)、ポストリベラル(社会保守、宗教保守の流れを汲み、キリスト教的価値観をベースに国を作るべきだ)、ナトコン(ナショナル・コンサバティブ:国民保守主義。アンチグローバリズム)、リフォーミコン(保護主義的な政策重視)、テック右派(西海岸のテック関係の人は元々民主党支持だった。イノベーションには自由が必要なので民主党支持だったが、バイデン政権で暗号通貨などの規制を強化したことにより共和党に乗り換えた。ピーター・ティールやイーロン・マスク)などだ。

トランプ大統領は特定のグループに依存するのではなく、適時各グループから思想や政策を受け取り、都合よく神輿やナラティブに乗っている感じなのでしょう。

 

今そしてこれから

平等化の推進がリベラリズムの中核の理念・価値観だったはずなのに、格差が進んできたのがリベラル衰退の原因だろう。だからこそ攻める共和党、受け身の民主党という関係が続いてきたのが現時点でしょう。今後の事を推測すると、白人の人口比は益々減り国民の価値観も変わっていくだろう。そんな中でニューライトの流れがどうなっていくのか、思想家の登場や政治家がどう動くのかよって、アメリカの混沌が更に進むのか収束するのか、全く見当がつかないが、少しは流れを理解した上で見守っていきたい。

政治的にはトランプがイラン戦争で世界から批判され、相対的に地位を落としていく流れが進むでしょう。中ロはほくそ笑み(敵が失敗している時は大人しく見守っている)米中会談が表面面で終わり、両者とも成功だったと自画自賛して終わるのか、トランプの東アジアに対する無関心を感付かれるのか、歴史の分水嶺になる可能性もあるのではないかと感じる。

もう一つの大きな潮流の中心人物がピーター・ティールではないだろうか。元々テックリバタリアンと言われ、神の御業としてのクリエイティビティを大切にするという宗教感覚を持ち、元々はカトリックの影響を強く受けている。今シリコンバレーではキリスト教右派やカトリックが再評価されている。元々起業家・投資家で現時点でもそうなのだが、国家観や宗教が表面に出始めそれが増していくとすると、しばらくの間は彼のビジネスは右方向だろうし、政治の匂いのするビジネスであちこちに登場する予感がする。ちなみに、彼は影響力は強いが決して思想家ではない。

 

■福音派とトランプ

ご存じのようにアメリカにおいて福音派の影響が近年取りざたされてきた。国民の1/4を占めると言われ、中絶や同性婚に反対し、ずっと多様性を重視してきたリベラリズムを文明的な衰退と考え徹底的に批判している。それがまるでリベラル対保守(左対右)を鏡のように映しているわけだ。保守的なカトリックも含めて国家と宗教を密接に関係づけて位置付けているのがキリスト教ナショナリズムと言われる流れだ。第2期トランプ政権でホワイトハウスに「信仰局」を作り福音派テレビ伝道師のポーラ・ホワイト氏をトップに据えた。トランプが執務室に座りその周りにたくさんの伝道師が囲みポーラなどがトランプの肩に手を置き祈っている写真を見た方も多いと思う。あのシーンの違和感は半端なかった。あのような景色を理解できないとアメリカは分からないのでしょう。

アンチDE&Iやアンチリベラリズムの流れはあらゆるシーンでアメリカに浸透してきている。その根幹にキリスト教が深く係わっている。政教分離が浸透している日本人には理解できない価値観で、多くのアメリカ人もトランプ政権はキリスト教国家主義を押し付けようとしていると気付き始めている。しかし、キリスト教右派の力は強くなる一方のように感じる。これはリベラルが弱体化しているからなのかもしれないが。

福音派の特徴の一つは、「終末思想」。世界が破滅的な終末(ハルマゲドン)迎えた後には、イエス・キリストが再臨し神の国が完成すると信じているという点だ。そのハルマゲドン(最後の戦い)は中東(イスラエル)で起きるとされているのだ。イスラエル重視は、キリストが再臨するのがイスラエルの地だからイスラエルを保護するのが使命だと考えているから。この思想がアメリカの政治を動かす強い力になっているという現実に、我々日本人も気付くべきだろう。

このように宗教や思想に立脚した考え方が違う集団が、政治的立場をも動かしてしまうという現実が、国民の多くが毎週教会に通うキリスト教信者を分断に追いやっているような構図ではないだろうか。

 

国家観がビジネスに大きく影響し、その裏には宗教観が力強く存在し、それが社会に対して強く影響している社会を、私には想像できない。しばらくは世界を騒がせるだろう大本がここにある。

最近買った書籍。 今読んでいる本の次に読もうと思う。
今回の投稿がトリガーで知的好奇心が湧いた。そういうのって凄く大切だと思う。
この手の最新刊は当然Audibleにはない。

やる気を削ぐホワイトハラスメント

ホワイト過ぎるという風潮

少し前にある企業からの依頼で若い人たちを集めたワークショップを行いました。幹部は若い人たちにやりがいを感じてもらいたいし、プロとして成長してもらいたいなどを、真剣に考えていますね。しかし、今の若手の多くは管理職になりたくないとか、そこそこやればいい、それよりはプライベートを優先したい、条件の良い会社があれば転職したいなどなど、働く事に対しての考え方が変わってきていて、キャリアに対する戦略や自分の社会人人生をどの様に送りたいのかなどをほとんど考えていない人が多いように感じます。そのような課題に向き合っている幹部からの要請で、キャリアを考えるワークショップを開いたわけです。

私は4時間の中で、キャリアに対するバイアスを壊したかったし、スキルだけでは未来は開かれないことを理解してほしかったし、視座を上げることがビジネススキルとしてとても重要だということに気付いて欲しかったし、管理職は実は楽しいということに気付いて欲しかったなどなどの思いを込めテーマを設定してグループで議論してもらったのでした。その結果として、目指したいリーダー像を言語化することをゴールとして設定しました。

今回はその中の一つのテーマを書きたいと思います。

それは、「ホワイト過ぎる問題」。昨今は優秀な人材を獲得することはどんどん難しくなり、それゆえ給与水準は鰻登り、やっと採用してもすぐ辞めるなど、採用→育成→リテンションの流れを今まで以上に戦略的に行う必要に迫られています。そのせいか、現場の上司は腫れ物に触るように新人に対して過度に優しく振舞うことが増えたと言われます。新人は残業を嫌がるという固定観念があるせいか、「残業はするな、すぐに帰れ!」と言うとか、明らかなミスが続いても叱れないとか、失敗させたら可哀想だからと難しい仕事は与えないとかの間違った対応をしてしまうわけです。

それによって、居心地の良い職場だ、上司は優しいと喜ぶ人もいるかもしれませんが、それではプロとして育ち、厳しい競争環境で勝ち抜ける人材になるとは思えません。それを感じて、「早く一人前になりたいので、もっと難しい仕事をさせて欲しい」とか「やりかけの仕事が終わるまで残業させてほしい」「責任を任せてほしい」と上司に要求する人も出て、上司が慌てるなどと言う冗談みたいなことも起きています。

このように成長欲求の高い若手にとっては「ぬるま湯」はマイナス以外の何物でもありません。ブラックは避けるべきですが、「ホワイト過ぎる」ことも大きな問題なのです。そもそも、成長欲求を持つよう動機づけするとか、プロとは何なのかという価値観を根付かせるのも上司の仕事のはずですよね。上司はちゃんと部下の育成に向き合ってほしいものです。

 

ホワハラの問題点

実は最近このような「ホワイト過ぎる現象」を「ホワイトハラスメント」(略してホワハラ)と言うそうです。一見すると「優しさ」「配慮」「コンプラ重視」「アンチパワハラ」に見える行動が、結果的に部下の成長機会を奪い、不利益を与えてしまう行為を指すわけです。

このような「一見優しい」「過度な(余計な)配慮」は部下にとってプラスにならないことに気付くべきです。

 

少し考えてみましょう。もちろん、部下の成長機会やキャリア形成にとっては明らかにマイナスでしょう。それに、場合によっては部下は「期待されていないのかもしれない」と感じてしまうかもしれません。そうなると明らかにモチベーションは下がります。成長が鈍化するわけですから、結果的に時間と共に評価も下がってきます。そうなると、結果的にメンタル不調や離職・退職になってしまうリスクも高くなります。

管理職はそれに気付くべきです。

ではどのようにしたらよいのでしょうか。もちろん、ホワハラよりパワハラの方が良い等と考えたらだめですよ(笑) どちらもダメです。上司は行動を変えなければなりません。まず、大切なのは先ほど書きました「プロとしての矜持」「仕事観」「マーケットの競争環境」などを話すことが大切でしょう。そして、キャリアについての対話を続けること。すぐには無理でも時間をかけて「どういう人生を歩みたいか」「プロとしてどう在りたいか」それを実現するために「何にチャレンジしたいのか」などを言語化するよう話し合うことを強くお勧めします。

また、日常の仕事の中では、「指摘しない」「叱らない」ではなく、前向きに建設的に具体的に指摘すること、あるいは「何を困っているの?」と言うように質問を投げかけることが重要です。更に、日常の仕事のレベルを意図的に戦略的に徐々に難易度を上げることです。徐々に任せ、結果を見てフィードバックすることが大切です。そして、入社数年間は多様な仕事を経験させることも大切です。その経験が目を開かせるでしょう。自組織だけでは実現できなければ別組織の管理職と相談して数ヶ月間修行に出すなどを繰り返せばよいのです。

そう、難しいことではありません。「正しいことをするのがリーダーの務め」なのです。

少しは痛い目を見ないとね(笑) 鍛錬を怠ってはなりません

リーダーのBeingと組織カルチャーを考える

サクラに先駆けて咲き乱れる。春だね~


トップが醸し出すもの

前回「共感される独裁」や「愛される独裁」は存在し得るのか? リーダーは常に自分の「倫理観」や「哲学」「信念」「正義感」「人生観」「仕事観」「今の世界情勢をどう見ているのか」などを発信し続けなければならない。などと書きました。

実際独裁的な行動をするかどうかは別にして、組織カルチャーは組織トップの普段の言動によって作られると言っていいと思います。トップはどのような組織カルチャーを持つ組織を作りたいのかの意思をどの様に育んでいけば良いのかを考えてみたいと思います。

そこで考えたいのが、トップが醸し出すトーン、倫理観、信念、情熱、人間性・・・などです。組織カルチャーはトップのそのような本質に影響を受けます。それらにいかに部下たちが共感しているかが非常に重要だということです。

 

Beingとは

私が今日書きたいことは、コーチングで言われる「Being」についてです。これは非常に重要な概念で一人ひとりがウェルビーイングな毎日を送るために、行動を変えていく大切な視点を気付かせてくれます。改めて整理してみたいと思います。

まず、一人ひとりの状態はどのように作られているのかを整理しますね。まず土台になるのが

①Being(在り方・心のなか・内的な状態・価値観・姿勢)

その上にあるのが

②Doing(行動していること・プロセス)

そしてその結果として

③Having(持っているもの・結果・成果)

というように整理されます。

とかく、私たちは②や③にフォーカスしてしまいます。②私たちが、上司あるいはトップが醸し出すトーン、倫理観、信念、情熱、人間性・・・などに影響を受け、実際どのような行動をしているか、何をしているか、どのように振舞っているか、どんな習慣を持っているか。や③行動した結果、どのような地位や、役職、収入、能力を有しているかなどです。私たちは外から見えるこれらに意識を向けているということだと思います。

しかし、そのベースに①Beingがあるのです。即ちこういうことです。「どのような在り方、姿勢、意識で存在しているか」言い方を変えると「どのように在りたいのか、どのような姿勢で生きたいのか、どのような意識で毎日を送りたいのか」という感じです。そういう思いが自分にあるから②それを満たす行動をし、その結果③を獲得していくという構造になるわけですね。

 

③は外形的過ぎて今回は話題から外します。考えて欲しいのは、①があるから②は自然に生まれるということです。①があれば誰に指示されることもなく自分の意志で自然に②ができるようになるということです。

Beingは自らの心の中から湧き出るもの、あるいは自分の心で選び、意識する在り方なのです。

例えば、「私は常に挑戦する存在として在る」とか、「私は常に相手の尊厳を大切にする存在で在る」「私は常に他者が望むものを与えるGiverとして存在する」「私は常に学び続ける存在として在る」というような感じです。言い換えると、もちろん行動ではなく、気分でもなく、姿勢やスタンスに近い感じと思っていただければいいでしょう。

 

トップが持つBeingの意味

ここで考えて欲しいことがあります。先ほど書いた「トップが醸し出すトーン、倫理観、信念、情熱、人間性・・・など」はトップのBeingから生まれたもののはずです。トップのBeingが皆の共感を得られれば、組織カルチャーはトップの人間性やメッセージにアラインしたものになるはずだということです。

トップはリーダーとしての自分のBeingを常に語り部下が共感することが一つ。そしてもう一つは、リーダーが組織のBeingを語り共感を得ることです。その二つが揃えば組織は確固たる軸を獲得し、皆の行動のベクトルは一つの方向を指し示し、各位が自律的に行動し始めると思います。

組織のBeingはリーダーが発信するのもいいでしょうし、全員参加で織物を織るように生み出すのもいいでしょう。何れにしても、コミュニケーションの量が足りないと組織のBeingを共有することはできません。

 

整理すると、

リーダーが自分のBeingを語る(自己開示する)こと

リーダーが組織のBeingを語ること

リーダーの哲学や信念などが共感されること

皆が組織のBeingを共有し共感すること

組織のBeingにアラインした組織カルチャーが育っていく

もし組織がカオスの状況になった場合、リーダーが「率いるリーダーシップ」(独裁的な行動)を発揮しても皆が理解し一枚岩になり問題解決に向き合う

というように進化し、組織の力は強くなっていくと考えられます。

自分たちのBeingに従って踊っているのね  ご当地アイドル@富士宮

独裁とは  ~C&Cを考えてみる

春ですね。晴れるとスカッとします。 @近所の公園 3/15

C&Cとは

C&C(Command &Control)とは軍隊用語で指揮・統制のことです。Command=指揮とは指揮官が部隊に目的を与え、意思決定し、任務を与えることを指します。主な要素は以下の通りです。意思決定(状況を判断し、戦略を決定すること)。任務の付与(やるべきことを具体的に明確化すること)。そして、最終責任はすべて指揮官にあり、部隊編成や資源の配分などの権限を有しています。

Control=統制とは指揮官の意図通りに部隊が動けるように調整し、状況を監督するプロセスのことを指します。要素は以下の通りです。情報収集。命令伝達。状況監視(作戦の進行状況を把握する)。調整と修正(必要に応じ適宜命令を変更する)。

現代の軍事作戦は複雑で、地上・海上・航空・サイバー空間・宇宙すべてを含みます。従って、膨大な情報を迅速・正確に処理し、部隊を統合的に動かすことができる仕組みが必要不可欠になります。最近の米国によるベネゼエラのマドゥロ大統領拘束・移送やイランの指導者ハメネイ師暗殺には多様な情報戦とAIによる作戦計画立案など従来にない新しい戦い方が使われたと言われています。

 

企業におけるC&Cの欠点

さて、これを私たちの世界、即ち企業の環境に置き換えたらどうなるかを考えてみたいと思います。

最近で思い浮かぶのは粉飾を行い続けていたニデック会長の永守さん失脚の事件でしょう。超ワンマンで有名な彼が行ってきたことは軍におけるC&Cに近いものがあったと思われます。最近誌上でも報道されていますが、強引な経営手法は明らかにコンプラを無視した間違ったC&Cであったと思われますが、誰も口答えできないほどの過指揮、過統制であったことは間違いないでしょう。

C&Cの欠点を考えてみましょう。まず第一に思い浮かぶのは過度な権力集中でしょう。全て指揮官が最終意思決定を行う構造なので、部下たちは全員指示待ちになるわけです。全て指揮官が情報を理解し、判断し命令します。正しい判断をするためには膨大な情報が必要でしょう。企業の場合は事業が多岐にわたりますから、トップが分からないものも多いはずです。しかし、すべてを理解し判断しなければなりません。現実的には処理しきれず意思決定の質は落ちるでしょう。もちろん、時間もかかるし部下たちは判断待ちになる、即ち行動が遅くなるわけです。また、大きな組織程、阿吽の呼吸で指示が末端まで浸透することなど不可能ですから、意志は正しく伝わらないし、動機のレベル(なぜそうしなければならないかの理解度など)は下がるはずです。

また、統制でもそうです。統制が強すぎると、現場は指示待ちになり、想像力や創造性が明らかに低下するでしょう。自分で考えないので当たり前です。更に先ほど書いたことと共通しますが、正しく情報が伝わることが難しく、承認に時間がかかるだけではなく判断の質が落ちると考えられます。現場では時々刻々と状況は変化し続けます。闘いは多様な相手と行っているわけで、いちいちトップまで話を上げないと判断できないなどと言っている暇はありません。その場で決めて即行動しなければならないことばかりのはずです。状況対応能力は明らかに低下するでしょう。

現代の企業を取り巻く環境を考えるとこんなことも言えるでしょう。判断には正しい情報が必要不可欠です。しかし、サイバー攻撃を受けたり、情報が書き換えられたりしたら、指揮系統は正に麻痺状態になるでしょう。最近のアサヒビールがその典型ですね。回復に長時間を要し、大きな損失になりました。また、逆に情報過多の傾向は近年の課題です。トップの認知機能の負荷が爆発的に過大になります。しかし、分析には時間を要し、情報にノイズや個人的思い込みも入るでしょうから更に判断の遅れと質の低下を招きます。

C&Cは上意下達の階層構造を前提にしています。即ちすべて縦割りで、現場が独自の判断をすることを許さない仕組みになっています。現場の想像力は必要ないという仕組みなのです。それでは対応力は低下する一方ですし、最初からエリート教育を受けた一部の人材以外は自律人材に成長できないでしょう。

 

独裁の是非

C&C(Command &Control)はこのように企業において危険をはらんでいます。部下の自律や人材育成を考えるとやってはならないものだと思います。

しかし、企業がおかれた状況によっては必要になってくる場合もあると思います。以前に2種類のリーダーシップの話を書きましたが、覚えているでしょうか。「率いるリーダーシップ」と「導くリーダーシップ」です。前者は「俺についてこいタイプ」のリーダーシップで、C&Cと近い概念ですね。平時はできる限り避けるべきですが、正に現場がカオスの時はどうでしょう。部下たちはおろおろするばかりで統制が取れた行動ができません。そのような状況下では強いリーダーのC&Cが必要でしょう。

そこで考えたいのが次の論点です。

「独裁の是非」です。上記の観点から独裁が良いとは言えませんね。しかし戦時(カオス)において登場してほしいのが独裁者でしょう。ちゃっちゃと決めて皆を動かすリーダーです。しかし、皆さんもそうでしょうが悪いイメージしかないですよね。そこで考えたいのが普段の行動と価値観です。

「共感される独裁」や「愛される独裁」は存在し得るのか? です。想像してみてください。大切なのは普段(平時)の行動にかかっていますね。日常どのようなメッセージを発信しているのか。そこに人間性や人格や精神が宿っているのかです。それを部下たちが理解するために必要なのは、コミュニケーション量です。量がなければ人間としてのリーダーの本質などは分かるわけがありませんし、風通しが良い(言いたいことが言える)やりとりができるわけがありません。

そうです。リーダーは常に自分の「倫理観」や「哲学」「信念」「正義感」「人生観」「仕事観」「今の世界情勢をどう見ているのか」などを発信し続けなければならないのです。それができていれば、カオスの時だけの「独裁」は反発などはされずに必ず共感されると思います。どうでしょう?

独裁者はどれだけ威厳を放てばいいのだろうか。@掛川城