過去から学ぶ ~孔子の言葉に驚く~

ご存じのように論語は「子曰く」で始まる。孔子の思想を孔子と弟子たちの問答を通してまとめたものであるから、「孔子先生が言うには」と始まるのだ。

最近その論語の解説本を読んだ(といってもAudibleで聴いた)。論語に触れたのは人生でそれが初めてだった。読むと不思議な感覚になる。紀元前500年ころに世界で不思議なことが起こった。孔子が生まれ、釈迦が生まれ、ソクラテスが生まれた。もちろん、彼らだけが活躍したわけではなく、それに弟子たちが続いた。いわゆる「知の爆発」という世界の変化だ。この頃って、鉄器が全世界に波及した時代。そんな時代に、世界で呼応したように思想家が生まれ、哲学が広まった。そんな大昔の彼らが説いた内容は今でも違和感なく刺さってくるのが信じられない。それは、表現を変え近代の思想に生まれ変わってきた。例えば、こんな感じだ。

「温故知新」 故きを温ねて新しきを知る 過去に起こった出来事や教えを学び、そこから新しい道理や見解を得ること。ですよね。

これはビスマルク宰相の「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 自分の経験だけに頼って判断をしてはならないという教えだ。言いたいことは通底することに気付く。

 

私がクライアントに話すことに、「意図的に行動を変えよう」「まず行動しよう。それができないと何も変わらない」がある。変わり続けることが成長だし、行動することによって新しい何かに気付き、それによって得られるものが、掛替えがないと考えているからだ。それに通じる孔子の教えがある。

「子曰く、まず行う。その言や、しかる後にそれに従う。」

まず行動しなさい。言葉は後からついてくる。まず実践するひとが尊敬できる人であり、口先ばかりの人は尊敬できない。心から、その通りだと思う。

 

また、私は「率いるリーダーシップ」を美化する人(俺についてこいとばかりに部下をすべて指示することで統制するタイプ)が作る組織を、「支配型ヒエラルキー(マシュー・サイド)と理解するが、そのタイプの人は、自分に意見する人に懲罰を与え、力で捻じ伏せ、自己陶酔し自己中心的で出世志向が強い。それは僕たちが目指すリーダーの姿とは程遠く、今の時代には全く合わない過去の遺物だと考えている。目指すべきは「尊敬型ヒエラルキーだと確信する。これにも通じる孔子の教えがある。

「子曰く、君子は義に喩り、小人は理に喩る。」

人格を磨き自己修養に努めている人物は、何が正しい生き方か、何が道理かすぐ分かる。つまらない人物は自分の利益になるかどうかばかりを気にしていて、そのことだけがすぐ分かる。小人とはつまらないさもしい生き方をしている。これも、核心を突く言葉だ。

 

更に、変化の激しい時代に、最善の解を求め悩み抜くのがリーダーの常だが、その場の空気を読んでどちらが得かばかりを考えるリーダーも多い。信念がないのだ。それに対しては、

「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同して和せず。」

立派な人格者は、人とは仲良くするが、雷同(考えもなく他の説に同調すること)することはないが、つまらない人間はすぐ雷同するが、ここぞという時に協力しない。

すぐ人と群れて流されていく人なのか、自分の信じる正しい道を何と言われようがそれを貫くのかの違いが明らかだ。

 

本質はずっと変わらない。しかし、愚かな人間はそれに向き合わない。学ばない。考えない。

王道を歩くことが重要なのだ。本道を学んでから変化に対応する力をつけることが大切だ。王道を歩くが、環境が変われば、または、変わりそうならば瞬時に道を変えればいい。王道が分からない人にはそれができない。学ぶべきことはたくさんある。

春が来る。それはずっと変わらない。
その変わらないサイクルが僕たちの気持ちを整えてくれるようだ。
さあ、次のステップに進もう。

 

好奇心が人間関係の起点 ~部下との信頼関係構築のポイント~

デール・カーネギーの名著「人を動かす」の中に「人に好かれる6原則」がある。その一番目が「誠実な関心を寄せる」だ。人が最も関心を寄せるのが「自分自身」のことだ。だから、自分のことに関心を寄せてくれる他者を受け入れ、好意を寄せる。逆に関心を持ってくれない人に対しては冷淡な態度が出てしまう。確かにそれは真実だと思う。恋愛だってそうだ。

こんな当たり前に聞こえることに人間関係のポイントがあると思う。あなたがリーダーまたは上司だとする。あなたは部下たちと心を開き合い信頼関係を築けているだろうか。部下に報告を求めた際、あるいは部下から相談をされた際、あなたはつい(良かれと思って)部下の報告を途中で遮り、内容を否定し具体的な指示や命令をしてはいませんか。「そうじゃなくて、こうしなさい…」というように。悪意などないでしょう。ただ、話をちゃんと聞くのがまどろっこしい。なぜそんなこともできないんだ。具体的に教えた方が早い・・・と腹の中で思っていますよね。部下の多くはこう思う。「なぜ話をちゃんと聞いてくれないんだ。任せてくれないんだ。いつもマウントを取られてボコボコにされるばかり。彼の好みの回答を用意しないと面倒でしょうがない。適当に答えておこう」と。または、「あの人は僕のことを嫌っているのではないだろうか」と。

部下やチームメンバーが自分らしく振舞うことに躊躇がなくなり(心理的安全性)、自律が進み、メンバーとの信頼関係が進むためのコツを一つお教えする。そのポイントは「傾聴」だ。そんなの当たり前でしょと仰るあなた、本当にできていますか? 先ほど書いた例の様に振舞っていませんか? もちろん悪気は全くないでしょう。それが男性性の強さなのです。前にも書きましたが、男性性はあるべき論が強く、与えること、教えることが相手の為だと信じている、そんな行動をとりがちです。部下との信頼関係を壊しがちで、部下への権限委譲が進まず、部下の自律を阻害する可能性が高いのは明らかなのだ。

「聴く」と「聞く」の違いは前に書きました。傾聴」とは心で聴くこと。相手の気持ちや考えを深く理解しようと努力することだ。思いを理解し、共感し、その裏には何があるのかを想像し、真剣に向き合うことだ。そうなると、次に実現するのは「直観」だ。「もしかすると○○なのではないだろうか」と相手のことに想像力が深く働きかけるわけだ。その次に来るのが「好奇心」なのだ。もっと知りたいとね。デール・カーネギー「関心を寄せる」と同じことだ。あなたは、部下ひとりひとりに「好奇心」を抱いていますか?

部下との雑談、報連相、レポートやチャット・・・職場に流れる情報と感情に向き合っていますか? 部下のモチベーション、キャリア、スキル、能力・・・の将来に気持ちを寄せていますか?

部下とのコミュニケーションは、何よりも大切なことだ。絶対に軽んじてはならない。是非「傾聴」⇒「直観」⇒「好奇心」が実現できているのかを自分で振り返り、努力を続けてほしい。

何に並んでいるんだろう? そう感じること(好奇心)が大切だ。
そして、即調べること。そして並ぶこと!
台北 人気のドーナツだった 美味しかった!
今は本当に便利。Google Mapを見れば何でも分かる。

 

Beを開示しヘルプシーキングすることが生きやすくなるこつ

精神的、心理的コンディションやモチベーションは揺れ動く。それが人間というものでしょ、と言うかのように勝手に動く。でも、その理由はよく分からなかったりする。
今の自分の状態、存在していること自体の姿、言い換えると「Be」を素直に受け止めて、観察して、説明できますか? そう、言語化するの。例えば、「彷徨ってる」「迷っている」「流されっぱなし」「悶々としている」「だらしない自分に失望してる」「他者の目や意見を気にし過ぎてビビって心が小さくなってる」とか。
そういうときにどうしますか?
心の内側にこもって、自分とだけ向き合って何やってるんだろうと悶々として、更に深い迷宮に入り込んだりしませんか? 誰にでもありますよね。
 
僕は、そういうときには他者に話してしまうことが良いと思っている。大切なのは、イムリーにヘルプシーキング(援助要請)、アドバイスシーキング(助言要請)することだ。人間は、困っている友人から要請を受けると自然と真剣に向き合ってくれるものだ。困っている友人、弱っている友人には手を差し伸べるものだ。一種の本能に導かれるように。
 
ここで課題は誰にするかですね。信頼できない人や「べき論」を振りかざして話を聴いてくれずに一方的にしゃべる人は、避けたいと思いますよね。恐らく後悔するのが落ちだ。聴く耳を持っている人(傾聴力がある)、受け止める力が強い人(女性性が強い)を選ぶことが肝心だ。これは間違いないポイント。皆さんにはそういう人が身近にいますか? 
裏を返せば、普段からそういう友人を作ることがもう一つの課題になるわけだ。お勧めは自己開示できる相手に普段から自分の心を話すことです。まだいなくても、候補者に徐々に開示することだ。一日ではできないものだが、普段のコミュニケーションを大切にして積み上げていくことが大切だ。これは意図的にやらなければできないことだ。
 
本能的にこういうことが得意な(得意というか自然とできてしまう)人と、苦手な人がいますね。前者はとても少ないかもしれない。即ち、大半の人にとっては普段から努力が必要なのだ。
人生は長い。揺れ動くBeingを素直に話したら、手を差し伸べてくれる(聴いてくれるだけでもいい)友人は最も大切な存在なのです。
 
人生のゴールは遥か先だ。生きやすい日々は意図的に創り上げるのだ。意図的にだよ。

先日、クライアントのオフィスのそばで一人ランチをした。
モールの中で目に留まったのが台湾めしだった。
ルーローハンと似た味付けの鶏肉は実に美味だった。
台湾出張中にオフィスで食べたお弁当の味を思い出した。
その数日後、長女から台湾旅行を誘われた。ただの偶然だが、その巡りあわせに心が躍った。

主権在民は国民が判断力を有することが前提ですね

国民主権とか主権在民という言葉がある。中学で習った記憶があるが、現在ではあまり使われなくなってしまった。

国民が政治を決定する。言い換えれば、世論がすべてを決めると言っても過言ではないだろう。国民は何をもって判断するのか。第一は情報、即ちマスメディアでしょう。一番手っ取り早く事実を伝えてくれるからだ。しかし、本当に事実? それが一番大事な視点? と感じている国民も少なからずいる。メディアの劣化につていは何回か触れた。本質をついていないことがあまりに多すぎるからだ。現代は大人ですらニュースにあまり関心を示さない。シラケているのかもしれない。それがメディアの劣化を招くネガティブなサイクルを作り出したとも言える。視聴者・読者が減るから、メディアは目を引くことだけに注力する。「読まれてなんぼ」ということが第一優先となり、国民の低俗な嗜好に寄り添うということだろう。また、国民はニュースに興味がないだけでなく、メディア自体が多様になり、その多くはフェイクで満たされているから始末が悪い。悪いことに、それを判断する眼力や洞察力がないので、フェイクに振り回されたり、本質とは全くズレた論点やスキャンダルしか興味を示さなかったりする。

即ち、結果的にマスメディアが政治を決めてしまうという状況は戦争中であろうが、現代であろうが変わらず、悪いことにその媒体自体のレベルが落ちていることによって、国民自体のレベルも落ちている状況にあると言っていい。残念ながら、それに引きずられるように政治家のレベルも落ちている。多くは国民のレベルが落ちていることをいいことに、国民を舐めている。まともな人を探すのも苦労する有様だ。毎日のように呆れかえるような記事を目にする。

自民党の驕慢ぶりに呆れかえる - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

1/22の谷川弥一氏(元衆議院議員)の会見など酷いものだ。大臣になるために金をばら撒いた。辞めるんだから文句はないんだろうと言っているのも同然の傍若無人さだ。開き直りにもほどがある。あんな人を当選させた国民が悪いとしか言いようがない。

 

昔、国策捜査(民意を意識して捜査する)を認めた検事もいたが、それの裏では、それは僕らのお陰だと鼻高々なマスコミがいたに違いない。僕ら(マスコミ)が検察を動かした、凄いでしょと言わんばかりだ。皆傲慢すぎる。

国家の品格」を書いた藤原正彦氏が「国民は永遠に成熟しない」と言ったが、残念ながら本当にそうだなと思う。

 

人々はある時に驕慢で支配的なリーダーに嫌気がさす。そんなリーダーが作り上げたチームは多様性がなく、違う意見の人は懲罰を受け排斥されムラ社会が形成されていく。人々がそれに気付いた時に、反驕慢リーダーの狼煙が上がるのだ。国家で言うなら、専制国家のリーダーに嫌気がさし民主化が進むというわけだ。

しかし、民主化に成功したとしても、不況などいろいろな理由で国民のウェルビーイング度合いが下がると、その不安定な状況を脱するために新しい支配的リーダーを求めてしまう。即ち先祖返りのようなものだ。それは歴史が物語っている。それは企業でも同じで、「ワンマンな人物は、不安定な状況の中で組織が失った主導権を取り戻して安定を保証する期待の星に見える」(マシュー・サイド「多様性の科学」)からだ。業績が不安定で将来が見えなくなった時には、強烈・強引、言い換えれば驕慢でもあるリーダーを求めてしまうのだ。

例えば、フランスの歴史を見るとよく分かる。ホッブスジョン・ロック、ルソーが社会契約説を唱え、民主主義の萌芽が見られた1600年代後半から1700年代後半を経て、1789年にフランス革命が起こったわけだが、その時点までルイ16世は「朕は国家なり」(最初に言ったのはルイ14世)なんて言っていたのだ。その王政が、革命により立憲君主制、共和制、ナポレオンによる帝政、王政復活、共和制、帝政・・・そしてマルクスエンゲルスが登場しヨーロッパの一部に社会主義の流れが深まっていく。などと、国民はそれまで懲りたはずなのに、現状打破のために逆のリーダーを求めて、また失敗することを繰り返した。それが歴史・事実なのだ。

僕たちの知的レベルや倫理観、知恵をこれ以上劣化させたくないと思う。何かがおかしい!という勘も働かなくなりつつあることは間違いないのだ。感度が痛烈に鈍化してはいまいか。心から恐ろしいと感じる。

 

今の自民党に国民はどういう判断を下すのだろうか。史上最低とも言える支持率。次の選挙で国民は自民党を見限るのだろうか。思い出してほしい、2009年麻生首相の時。国民は民主党を選んだ。単独過半数を大幅に上回る308議席を獲得し鳩山幸雄政権が発足したのだ。その後の迷走ぶりに国民は落胆し、2012年には自民党単独過半数を獲得し3年3か月ぶりで政権に復帰し、安倍首相が選出された。民主党の実力不足は明らかだった。その後、野党の低迷は現在も続いている。

今、政権を任せられる野党が存在するとは思えない。しかし、自民党の驕慢ぶりには鉄槌を下すべきだと思っている国民は多いだろう。成熟しない国民はどのように行動するのだろうか。2024年は国内も荒れる。

 

さて、ここでこの話を付け足したい。

孔子はこう言っている。「衆(しゅう)之(これ)を悪む(にくむ)も必ず察す。衆之を好(よみ)するも必ず察す」論語

これは、大勢の人が皆憎む人でも良く調べなければならない。同様に、皆が好む人も良く調べなければならない、という教えである。即ち、現代に置き換えると、売上のために人心を先導する意図のあるマスコミの言いうことを信じることなく、自分の目で調べ考える人が、本物の知性のある人だ、ということを指しているのだ。本当にそうだね。

御神木はそんな僕らにカツを入れてくれるだろうか

 

ORIGINALS  人生は波風だらけのはずなのに

最近読んだ本「ORIGINALS  誰もが『人と違うこと』ができる時代 アダム・グラント」にインスパイアされ少し書きたいと思う。

創造力のあるユニークな考えを持っている子供は生きづらい。教師が問題児として扱うからだ。それに子供たちは気付く。教師が望んでいる答えは何なのだろうかを理解する。そして、望まれるものを考えて答えるようになる。そうしてオリジナリティは封印されていく。そんな話を読み、すごくすごく共感した。

そうして、型にはめれらた子供が「良い子」として育っていくんだろう。着実に。そして、大企業は良い子ばかりを選別して採用してきた。それは残念な事実であり、僕は15年以上前にそれに気付いた。部下たちはとても良い子で、緻密に確実に仕事をこなす。顧客から見たら完璧な企業に見えたことだろう。しかし、構想力がない。枠から決してはみ出ない。言われたことを間違いなくこなせばよかった時代は終わっているのに。即ち、世界は高速に変化し続け今ある製品やサービスは短時間で陳腐化する。ビジネスモデルも変わるかもしれない。その変化に対応できるのは社員の構想力なのだ。25年位前、部下たちのユニークな研修をお願いしたプロ集団からフィードバックを聴き、僕は雷に打たれたようにショックを受けた。同時にすごく腹落ちした。清水さんの部下たちは、緻密さにおいては最高レベルです。しかし、ゼロから1を生み出す構想力がありませんと。そうだ、その通りなんだ。これを治さないとサステナブルな成長はできないと気付き、目が覚めた。まず、人事のトップに採用のやり方を変えてくれと頼んだ。良い子ばかりを採用するなと。何をやらかすか分からないようなユニークな人材を10%でいいから選んでくれと。その願いは無視された。その後、近年は選定が部門で行えるようになり、恐らく徐々にそれが実現できるようになっていったのだと思う。それが必然だからだ。

 

日本企業の多くは、強いリーダーを求め育成してきた。「俺についてこい」タイプだ。そんなリーダーが作り込むのが「支配型ヒエラルキー組織」だ。トップは強制と威圧、褒美と罰で部下を操作する。「俺の命令に従えないやつは・・・」「お前はクビだ・・・」的マネジメントをし、必然的に部下は全員「イエスマンになり、自分の意見は言えず(言うと罰を与えられるから)、全員金太郎飴のムラ社会が出来上がる。多様性はなく、ハイコンテクスト(阿吽)が通じない人はムラにいられない。新入社員もあっという間に型にはめられ、できないやつは排斥されるか、自分から辞めていく

職場で異議を唱えると自分の立場が危うくなるなどと書くと、そんなバカな・・・と感じる人も多いかもしれない。ハラスメントと指摘されるようなことはないと思うが、実はもう慣れてしまって気付いていないのかもしれないし、見えないところで行われている可能性は今でも高いと思う。昔は露骨にそんな組織が多かった。それが日本だ。男性性・マッチョさが美徳、そんなカルチャーなのだ。「支配型ヒエラルキー組織」に違和感を感じる人は案外少ない。

実は日本ほどではないかもしれないが、アメリカも似ている。日本より遥かに自由だしブレストなど子供のころから授業で行われる。しかし、アメリカは優れた成果を凄く求められる傾向が強く、失敗を恐れるあまり周りに迎合する人が多いというのだ。

 

オリジナリティの高い人は、リスクをとることを恐れない。迎合すること、黙っていることができないのだ。オリジナリティとは、発想ではない発想+行動なのだ。オリジナリティとは、創造的破壊(シュンペーターなのだ。波風を立てることを恐れていたらできないのだ。

リスクテイクなき変革など存在しない

構想じゃなくて、これは高層だね

 

トヨタと日本 一連の不正の裏に横たわる日本らしさ

皆さんもニュースに気付いたことと思うが、先日トヨタグループで新たな不正が見つかった。日野自動車(2022/3)、ダイハツ(2023/12)、そして豊田自動織機(2024/1)だ。あまり大きく取り上げられていなかったが、実はそれ以外に販売店11社での車検不正(2021/9)、愛知製鋼での規格外鋼材出荷(2023/5)などという不正もあった。

ご存じのように、自動車産業はEV化の流れとそれにアラインするためのイノベーション合戦、国益優先の自国内生産優先政策でメーカーの生産地政策の急転換、EV化の流れが加速化すると見られる反面、ガソリン車、ディーゼル車の販売禁止の延期の流れ、BYDがテスラを抜くとう新興メーカーの台頭などなど、変化が大きくかつ早い。その中において、トヨタグループはハイブリッドで各国で叩かれる一方で、業績を伸ばし続け、目の敵にされ続けてきた。その裏で、生産革新を地道に続け品質向上とコスト削減の両立を実現するとともに、レクサスというハイブランド戦略も成功させてきた。

そのセクセスストーリーの裏に、絶え間ない努力があったことは疑問の余地がない。当然それに寄り添うように「GRIT」が根付いたのだと思う。それはもちろん尊敬に値することであることは間違いない。

 

現実的に洞察すると、その裏でどのようなことが起きていたのだろうか。以下に述べることはトヨタグループに限らず、何度も触れてきた多様な業界での不正などの根源的な問題に通底するポイントだと考えている。

企業が業績を伸ばし続けることは、マーケットを創造することと共に、競争に勝つことが重要視される。即ち、マーケティング(営業を含む)とイノベーション、そして品質とコストだ。先進的で魅力的な商品を他社に先駆けて追いつく暇を与えず間断なく出し続けることだ。それもローコストでだ。これがどれだけ困難なことかは容易に想像できよう。多くの場合その指針や計画はトップダウンで出される。そして、それは何が何でも実現しなければならないという圧力に昇華される。それが僕たちの使命なのだと。それが「GRIT」だ。

GRITは言うまでもなく「やり抜く力」などと言い換えられ、以下の4つで構成される。

Guts(度胸・根性)

Resilience(復元力・折れずに立ち直る・粘る)

Initiative(自発性・自分の意志で努力を続ける)

Tenaciity(執念・執着心)

これらは上記の様に業績を伸ばし続けるという観点でとても有用な価値観だと分かる。同時に、これらにはリスクも含まれる。もし、方針や目標が現時点で的確でなくなっていたらどうなってしまうのだろうか。行き過ぎたGRITが不幸な結果を招くことはよく知られている。この辺は以前にも書いたが、アダム・グラントの「THINK AGAIN」に指摘されている。GRITに溢れる人は「見たくないものは見えない」状況に陥っているかもしれない。即ち、マーケットの変化の予兆に気付かないかもしれないし、現場の疲弊やサプライチェーンの不満に気付かないかもしれない。気付かないのではなく、見たくないのだ。やり遂げることにだけフォーカスしている人には邪魔な情報なのだ。そして方針を変更するタイミングを失してしまう。

現場には「何が何でもやり遂げろ!」だけが染み渡る。そして不正が起きるのだ。今回の報道でも「不合理な開発日程の策定(豊田織機)」「過度にタイトで硬直的な開発日程(ダイハツ)」とある(日経新聞)。

更に、日本の組織にある特徴が悪さをする。日本では、リーダーはビジョナリーで部下を引っ張るタイプ、即ち的確な指示命令による強いリーダーシップが求められる。彼らが作る組織が「支配型ヒエラルキー(マシュー・サイド『多様性の科学』)」で、威圧と褒美/罰で組織を操作するために職場に心理的安全性が乏しくなる。否定的なことは言えないのだ。言うと懲罰の対象になってしまうということだ。「俺の言うことがきけないのか」と。報道では、「問題が適切に上司に共有される環境が整っていない(豊田織機)」「言ったところで何も変わらない(日野)」とある(日経新聞)。

即ち、「言っても聞いてもらえない」「できないと言えない」「相談しても『で!』といわれるだけ」日経新聞)そう、やむにやまれず不正をしたのだ。これは組織カルチャーそのものだ。それに向き合う幹部がいなかったのは間違いない。これが根本だと思う。

 

もう一つ触れておきたい。先ほど書いたリーダーシップやヒエラルキーはなぜ出来上がってしまうのかだ。Hofstede Insight japanの調査によると、日本は男性性が40ヵ国中1位であり、目標は必ず達成されるべき、それには絶え間ない努力が必要、強い者が支持される、という価値観が最も強い国なのだ。男性性とは誤解を恐れず言うと、相手に良かれと思って、こうあるべきだと指示したくなる、教えたくなる思考が強かったり、結果重視でもがく、あがく、必死になる価値観を重視するなどの特長を持つのだ。上記のようなことが起きやすい価値観だと気付く。

それに対して女性性とは、受け止めたいという気持ちが強く、寛容性が高く利他心が強い、柔軟性が高いなどの特長がある。もし幹部が男性性むき出しでなく、女性性とのバランスが取れていたら、このような企業カルチャーになっていなかっただろうと想像する。

 

「賢者は時を待ち、愚者は先を急ぐ」スピード第一で起業した企業より、様子を見て他社の課題を理解し対策を打ってから起業した企業の方が成長する。遮眼帯を付けてひたすら全力で走り続けるより、周りをよく見て落ち着いて行動した方が良い場合の方が多い。内なる心の声を聴き自分らしい道を歩ける他者の意見に耳を貸し客観的になる瞬間を待てる慌てるな、気付いている人は他にもいるはずだ。時にはこの言葉を思い出そう。

2019に始めたこのブログは、先日累計12万アクセスになった。
承認欲求は強くないと思っているが、より多くの人の役に立てば嬉しい。
こんなブログが役立つと思っていることが傲慢なのかもしれないが・・・



 

建前と本音、裏と表。呆れかえるそのギャップを前に・・・

トーマス・ジェファーソンをご存じだろうか。アメリカ建国の父と称される「アメリカ独立宣言」起草者であり、第三代アメリカ大統領である。

 

彼は人間の平等を訴え、奴隷解放の立場を一貫して取っていた。一方で200人とも600人とも言われる奴隷を所有していた。彼の平等には黒人奴隷は入っていなかったということになる。

さらに、所有する黒人奴隷サリー・ヘミングスとの間に7人の子供がいた。これはDNA鑑定によって証明されたといわれる。そのサリーは死ぬまで解放されることはなかったのである。

 

そして、NY市庁舎の議会室にはトーマス・ジェファーソンの像があったが、2021年市庁舎から撤去された。歴史に名を残した人の末路と言ってもいい。

 

建前と本音。裏と表。成し遂げた快挙の大きさの前にこの程度のことは小さいことだと目をつぶりますか。これは本質を突いた問いだ。

実は、政治家であろうが、ビジネスマンであろうが、大きな成果を上げた裏ではおよそ人格を疑うようなエピソードを持つ人はたくさんいる。現役の時または引退直後にロールモデルとして発刊された自伝的ベストセラーはたくさん存在し、その一部はその後暴かれた真実によって評判は地に落ちた。英雄伝説の陰に、金に汚かったというようなお粗末な話や、人格者という評判の裏で実はパワハラだったとか、見事な事業成長を遂げた実力経営者のレッテルの裏に、違法な会計処理や節税処理があったというような話など、枚挙に暇がないのだ。

 

トランプ氏などはその典型だろうね。しかし、それでも選挙は勝つんだから、分からないものだ。人格とか倫理が人を選ぶ基準になっていないわけだからね。孔子は天国でこんな世界を憂いていることだろう。

僕は、どんなに地位の高い人であっても、そのような建前と事実のギャップが大きかったり、裏と表がある人を決して尊敬はしない。僕の身近にもそんな人はいた。彼の足を引っ張ったり悪評をたてたことは一度もないが、決して信頼したことはないし、盲目的に指示に従ったこともなかった。僕は僕の信じる正しい道を歩きたかったからだ。幸い潰されなかったのは運が良かっただけなのかもしれない。

乾ききった世。心が温まる話は本当に少ない。
でも、ひとりひとりは恥じない行動を当たり前のように続けましょう。
そうすれば、きっと暖かさは人から人へと伝わっていくよ。