ORIGINALS 4つの選択と組織カルチャー

少し前になるが、アダム・グラントの「ORIGINALS 誰もが『人と違うこと』ができる時代」を読んだ。彼の著作は3冊読んだが、どれにも凄く影響を受けた。

誰にでも個性やクリエイティブティはある。しかし、それが発揮できるかどうかは、個人の問題だけではない目に見えにくい何かに影響されるのだろうと感じる。彼の記述の一部を取り上げて、僕の感覚を少し書いてみたい。

 

経済学者アルバート・ハーシマンによると、満足のいかない状況に対処する方法は4通りあるのだそうだ。それは、「離脱」「発言」「粘り」「無視」

「離脱」とは、その状況から完全に身を引くこと。もうその試合から手を引くということだ。

「発言」とは、その状況を積極的に改善しようと行動すること。対案を出し議論するとか、争うのもその範囲でしょう。

「粘り」とは、歯を食いしばって我慢すること。じっとするわけではなく、吹き飛ばされそうな状況でも頑張って続けるということでしょう。

「無視」とは、現状に留まるが努力はしないことだ。流れに身を任せるということでしょう。

なるほど。確かにそうだよね。

どれを選ぶかは、状況の決定権が自分にあるという気持ちと、コミットメント即ち状況に関与したいと思う前向きな気持ちにかかっている。確かに、その選択権は自分の手中にあり、自分の価値観や意志次第だ。ポイントは自分が変化をもたらすことができると信じているかどうか変化を起こそうと思うほどの高い関心を持っているかどうかだ。という。言い換えると、オーナーシップを持てるかどうかだ。これはとても大きな問題で、何に対しても「他人事」の人は何の行動も起こしはしない。このことを意識するだけでも、行動は変わると感じる。そう、自分の意志次第であり、自分の行動如何で変化は起こせるはずだと信じているかどうかなのだ。

上手くいかない時、他者から攻撃を受けダメージを追ったときなど、人により様々な行動に出る。その人のパーソナリティーによって実に様々な行動パターンがあるだろう。それを集約すると上記の4つになるのだろうと思う。ただ、そのどれを選ぶかは価値観とそれによって培われた意志や指向・志向によるのだろうと感じる。そして、その行動を困難なことと思うのか、どうということのない安易なものと思うのかは、ひとりひとりの「自己効力」によるだろう。要するに上手くいかない時のリスクをどう感じるかだ。(もちろん、自己効力の高い人はリスクなんてほぼ考えない)

例えば、入社してからずっと上司の指示のままに働き続ける人もいる。何の動機付けがなくとも、自分で考え最も良い方法などを考え抜き、自分なりの手段でどんどん実行する人もいる。当然、新しい取り組みは上手くいくとは限らない。その時にパーソナリティーに従った4つの行動のどれかを自然に選択するのだろう。

 

多様性の許容度の高い組織であれば、4つのどの行動も上司や同僚は受け止めてくれる。しかし、そうではない即ち独自の行動が許されない組織では、批判され「離脱」の道に進むか、謝罪して「無視」の道に進むかしかなくなってしまう。

私たちの自分らしい自由な意思によって、独自の行動をとることができる寛容性の高い組織で育まれるのが、自立・自律(以下自律)だろう。しかし、自律とは個人の能力の問題であると思われがちで、部下を成長の道に導きたいと考えている上司であっても部下に自律を求めたりする。「自律しろ!」と一種の指示を出しているのかもしれない。しかし、それが実現できるかどうかは、「命令」や「教育」ではなく、多分にその上司も含む組織カルチャーによるのではないだろうか。自律は命令によって成立するのではなく、導くことによって気付くことなのではないだろうか。

そう、部下の行動は上司やその組織カルチャーがどのように職場環境を育んでいくのかによるのではないだろうか。

 

シェリル・サンドバーグは著書「リーンイン」でこのようなことを書いている。発言するのはリーダーらしい行動だが、女性がリーダーシップを発揮すると威張っているというレッテルを貼られがち。それは研究データが証明されている。女性が男性と同じ発言をしても低く評価されるのだ。上司が、その提案を受け止めず実行に移す可能性が低いのだ。その結果、女性が発言をする場合は大きな代償を払わなければならないと気付いてしまう。即ち、女性の方が先ほどの4つの選択をせざるを得ない経験をたくさんしている可能性が高い。そんな悲しいことが現実なのだ。男性の多くは歪んだ眼鏡をかけていることに気付いていない。独自の視点は男女差によっても歪められるのだ。僕たちはI&Dや組織カルチャーの様々な問題を正しく理解しなければならない。

清々しい心は前向きな選択を促すのだと思う
毎年訪れるこの季節が好きだ