自立とウェルビーイング

最近クライアントと対話していてふと気づいた。長い社会人人生の中で、より良くあり続ける(即ちWell-Being)ためには、他者との関係を客観的に感じ取ること、そして、自分なりの考えをちゃんと持つことが必要不可欠なのだろうと。当たり前のようですが、それができていない人が多いと感じます。

 

例えば、アセスメントという機会がありますよね。多くの企業で行っているのではないだろうか。その結果をちゃんと受け止めていますか? 結果が出たときだけ、「ああそうなんだ」と思っても、それを受け止め行動を変えようと努力する人は少ないでしょう。そう、真剣に捉えていないし、自分を客観的に見る努力をしていませんね。自分を俯瞰的に見る、即ちメタ認知してみることの大切さを考えたい。

アセスメントでなくても、こんな機会はあるでしょう。信頼できる、空気を読まないストレートでオープンな友人からフィードバックを受ける。「君って〇〇だよね」と。素直に受け止める器のない人は、「この野郎! 好きなこと言いやがって。豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ!」なんて相手を恨んだりする。そんな人は大切なフィードバックの機会をすべて失うわけです。方向修正する機会や成長する機会を失っているわけですね。すべて、批判に受け取ってしまう。その延長線がTESマンに囲まれた裸の王様の生活に行きついてしまうことを知らないのでしょう。耳の痛いことを言ってくれる人を遠ざけ、耳障りの良いことを言ってくれる人だけを取り立てるわけです。いますよね。万が一そういう人が幹部に昇格したら、YESマン以外のすべての人から、尊敬されるどころか呆れられることは間違いないでしょう。つまり、すごく勿体無い人生を送ってしまうということです。

人は弱い。実に弱い生き物です。自分のことを自分の都合よく解釈している。実は他者からこう見えているという客観はなかなか得難いものなのです。その事実に向き合うことは案外難しいのです。そう、見たくないものは見えないのです。その本能に抗うことがフィードバックを得て考え直すことなのです。

自分を客観的に見るということはどういうことなんだろう。僕は思う。見たいものだけ見る弱い自分の頸木から逃れること。それは自立主体的に生きるということ。自分と他者の関係を理解し、どのように生きるべきなのかを考えること。そうすれば、自ずと、相手の顔色を窺い、お追従的人生を生きるという選択はしないのではないか。意味のない会議に参加する、嫌々指示に従う、フィードバックもない報告書を書く、型にはめたがる上司や会社に従う・・・ 自分は何を考え、何を喜びに感じて仕事をしているのか。心に向き合い正直に生きてほしい。自分の姿をメタ認知することから始めよう。その先にあるのは、「りたい自分」のはずだ。

そう。受け身ではない自立したキャリア主体的な仕事自分で考え、自分で選択した行動。(そんなこと許されないなんていう)許す許される(それも頸木)ではない自立。そんなこと許されないなんて、あなたの思い過ごし・虚像にすぎないのです。

 

自立・自律がウェルビーイングのスタートライン。自分で選んだ行動を堂々と行う。ありたい姿を堂々と追及する。できないと思っているの? やってないだけでしょ。

ウェルビーイングは自立なしに成立しないと分かってほしい。

今までの自分からの自立。バイアスからの自立。学習してきたことからの自立・・・

それが実行できると、スカッとした人生にギアチェンジできるような気がする。

キャリアの自立を地でいく「マーヴェリック」。だからカッコいい。