正義を飲み込まないで行動するために

4/5日経新聞の「誰のために働きますか」を読んだ方も多いと思う。今まで僕も何度か書いている企業の不祥事に係わる鋭い指摘だ。

記事によると、企業の「不適切行為」は増加している。その原因を三菱電機の社員の話が明確に指摘していると解釈できる。「同僚は皆、製造部や開発部出身の所長の顔を見ながら仕事をしていた。問題を指摘した人は目を付けられて、あからさまな人事で報復を受けた。恐怖人事の効果は絶大で、皆委縮した」

なぜこのようなことがあちこちで起きるのだろうか。早稲田大学久保克行教授はこう言う。「自身のキャリアを考えたときに社外よりも社内の評価を優先してしまう」と。会社の中がいかに内向きなのかがよく分かる。

 

組織の在りようとして、時に強いリーダーシップを求めることがある。以前に書いたようにローマ帝国の歴史を見てもよく分かる。どうしようもない現状を打破するために人民は力で改革する専制君主を求める。しかし、いずれその傲慢さに嫌気がさし、民主化を求める。しかし、人民は幸せにならず、再び強い君主を求める。その繰り返しが歴史だろう。企業においても同様の傾向がある。業績が低迷したり、混沌としたマーケットで将来を描きにくく状況を打破できない時など、社員や株主は強く強引なリーダーを求めるものだ。企業における強いリーダーシップは、日常的な指示命令、目標達成圧力、などが繰り返し、そのリーダーは「支配型ヒエラルキーを作る。指示を守らないと懲罰を課す。そうして組織を統制する。組織構成員は全員イエスマンと化すのだ。そして、ヒエラルキーのトップは好きなように統治するための厚い壁の境界を作る。いわゆるムラ社会を作り出す。価値観を一色に染め、外界とのコミュニケーションを避ける。外の組織とは相互不可侵の関係を求める。「僕の組織に口を出すな、こちらも口を出さないから」 そんな関係では永遠にコラボレーションは起きないし、外からの情報は遮断される。そして、その状態のままムラ社会は維持される。トップは自分の威光を維持するために傲慢さを強め、それは次のレイヤーのリーダー達の傲慢さを育む。そうして、次々に裸の王様が続いていく。正義を求める勇者は打ち首にされ、正義が大きなエネルギーになることはない。

 

そんな組織の特徴は、その他どのようなものがあるだろうか。想像してみるといい。例えばこのようなものだと思う。組織の中に多様性がない。ボスにとっては多様性は邪魔なのだから。仮に中途で入った人も染められる。染まらないといられないからだ。そして、権限委譲は進まない。細かいことまで上司の承認を必要とするからだ。新しいことに挑戦しない。あらゆるチャレンジに上司はいちゃもんを付ける。3つの過剰(以前にも書きましたね)は当たり前の様に行われる。組織外とのコミュニケーションはオープンでなく、コラボレーションは起きずイノベーション当然起きない。組織は硬直化し、腐っていく

 

そんなわけないだろう。と思う人は実に幸せだ。多くの組織は大なり小なりそんな企業カルチャーを持っている。だから、不祥事はなくならないのだ。

 

以前あるクラアントとそんな話になった。正義を追求すべきか、闘わず巻き込まれるべきか。闘えば大きな傷を負うだろうことは容易に想像できる。クライアントは、それでも正義を追求したいと言った。僕も同感だと話した。とても頼もしかった。

もちろん、傷を負おうが死にはしないから恐れる必要はないと考えられる人もいるだろう。僕がそうだった。勤めていた組織では、上司の指示に反対を表明し何度も逆鱗に触れた。「クビだ」と切れられたことも何度もある。その時は僕自身が呆れかえり(呆れる余裕があったということかもしれない)「どうぞ」と言ってしまった。首になどならないという確信があったし、僕の言っていることが正しいという自信があった。そういう姿勢は、少なからず周りに影響を与える。そんなことが何度かあると、周りは「愚かな奴だ」から「骨のある奴だ」に少しは変わっていったのだと思う。誰も僕の意見に表立って賛同はしてくれなかったけどね。僕は運が良かっただけなのかもしれない。

こんな行動をお勧めしているわけではない。では、どんな行動があるのだろうか。

 

正義は追求したい。そんな組織にしたい。それは多くの人にとって理性的な願望だ。しかし、以前に書いたダイハツの不正のケースでも、上記の三菱電機のケースでも一人で闘うことの難しさとリスクはよく分かる。

こんなことにチャレンジしてみたらどうだろう。一つ目は正義の相談相手を探すことだ。意味は違うけど「ホワイトナイト」というイメージだ。普段から人脈を広げる努力をすることが肝心だが、然るべき役職者で「相談相手」になってくれる人を見つけておくことだ。「メンター」と言ってもいい(実は「コーチ」もそういう役回りでもある)。直属のラインの人でなくて少し離れた存在でいい。前に話した「Giver」の人を選ばなければだめですよ。いつでも「相談があるんです」とアクセスしても気楽に「いいよ」と言ってくれる人だ。僕の経験からしても、人は助けを求めてくれる人にオープンなものだ。「僕のメンターになってくれませんか?」とか「相談相手になってくれませんか?」という要請には弱いのだ(了解してくれる)。試す価値は十分ある。もちろん、上司の上司の上司くらいの人でもいい。その人の人柄が分かっているのならね。

二つ目は仲間を探すことだ。同じような問題に悩んでいる人は絶対少なからずいるはずだ。会社によっては、古い体質を変えるために組織を作って改革を進めているところもある。そういう組織はトップの危機感をベースにして会社のカルチャーを変革するために適切な人材を集められている。ラジカルと言っても良い危機感を抱くリーダーと若手で構成され、オープンな議論とトップに庇護された大胆な思考とチャレンジ精神に溢れている。そんな仲間がいれば、彼らと呼応することだ。堂々と呼応すればいい。そんな組織はなくとも、必ず同じ危機感を抱く人はいるはずだ。その輪を広げることに挑戦してほしい。

三つめは今の新しい考え方を学ぶことだ。日本の企業の変革を阻害しているものの大きな一つがそのようなカルチャーであることは間違いない。しかし、それがどれだけ罪深いものなのか、世の中にはそのような病から治療するための漢方薬がある。残念なことに、この薬を飲めばすぐ直るという特効薬はない。体の内部からじわじわ治す漢方薬しかない。先ほどの記事にもこうある。デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザーの中島祐輔氏は「企業に根付いた風土は簡単には変わらない。放っておくと元に戻る」と指摘する。漢方薬で体質を治して完治させないと、すぐにまた病気になると言っているわけだ。僕は、学ぶべきは、「男性性と女性性」「DEIの本質」「ムラ社会の実態」「やってみよう文化」「ウェルビーイングや幸せの4因子」「GRITのリスク」「現状維持バイアス」「ビロンギング」「不確実性に向き合う方法」などなどではないかと思う。何れも、組織に染み付いた根強いカルチャーを変えるためのヒントとなる。そしてすべては、たとえ強烈なボスでも建前としては「その通りだ」と頷かざるを得ない物語りのはずだ。だから、堂々と語れる。それらを現代に生きる組織の当たり前にするための闘いをしれ~っと進めるのだ。

 

ここで一つの懸念がある。「正義」の対抗軸は「悪」ではないということだ。「正義」のに対抗するのは「別の正義」なのだ。これはとても厄介な関係だ。「悪」ならば論理で理解できる。しかし「別の正義」には別の論理があり、説得には早々応じてもらえないのだ。だから変わるのには時間がかかるのだろう。説得しようとすれば、心を閉ざしてしまうか、より対抗軸と強めるかだろう。どうすればよいのだろうか。職場でオープンな対話が飛び交う心理的安全性を培うことだろう。皆さん、普段から雑談してますか。なんでも言い合える関係を作れてますか。この人間関係がとても大切だと理解してくださいね。

 

日本企業の多くは昭和のそんな文化を今でも変えられないままだ。誤解してはならないのは、オッサンが悪くて若者が正しいということではないということだ。改革派のオッサンもいれば、染まり切った若者もいる。言えることは、不祥事を経験した企業が真摯にその原因に向き合えば、必ず乗り切ることができるだろうということだ。しかし、表面的でおざなりな対策を持って変革だと禊をしたつもりになっているとしたら、それは致命的な病巣を持ったままオロナインを塗って対処した気になっている自画自賛バカだということは間違いない。そうなったら退場してもらうしかない。幸い不祥事は起きていないが、病巣は似たようなものだと感じたら行動しよう。まずは、周りの人たちと話し合ってみよう。

周りに見守られて凛と立つ