会議は2時間が限界?。さて、あなたはどうしますか?

COURRiER Japonは「米IT大手『スラック・テクノロジーズ』が世界中のデスクワーカー1万人以上を対象に調査したところ、大半の回答者にとって会議は2時間までが限界だという結果が出た」と報じている。これによって集中できる時間が不足し生産性が落ちる問題が起きているという。

私がコンタクトしている企業エクゼクティブのほぼ全員が異口同音に「会議が多過ぎる」と言っている。私が企業で働いていた時も同様の問題を抱えていた。特に私は複数のユニットや組織を兼務していたために、それらの組織の幹部が集まる会議や承認や合意形成のために会議が、他の方たちの何倍も召集される対象になっていたことも大きな原因だった。

会議が多すぎる弊害は、言うまでもなく顧客や市場に向き合う時間が確保できないこと。更に、事業を創っている現場にコンタクトする(ハンズオン)時間が確保できないことなどにある。これがないと、イノベーションは起きないし変革の糸口を得ることもままならない。即ち、成長の源を確保できないのだ。

もう一つの弊害は、集中力を維持することが困難になることだろう。やはり長時間の会議の間ずっと集中力を維持することは難しいし、会議の連続ならば更にそうなる。いくら集中力に自信があったとしても、集中の品質は維持できない。重要な意思決定は必ず午前中に行うべきだという主張もそのためだ。

更に、一人で考えたり、少数の部下と壁打ちの様にフランクに議論をする時間が確保できないのも、致命的な弊害だ。

 

さて、そのように皆さんも同様に会議は減らすべきだと思っているなら、なぜできないのだろうか。減らせばよいではないか。

1つの重要なポイントは権限委譲が進んでいないという事実だろう。幹部にはいろいろ言い訳が存在する。典型的なのは「部下に任せられない」だ。どう思いますか? これって、部下を育ててこなかったということを示していると言ってもいい。即ち、自分にマネジメント能力が欠如しているかを自白しているのと同じだ。更に言えば、やらせてみなければ実力はつかないという事実だ。失敗しするから成長するわけで、小さな失敗を経験させて、そのプロセスでコーチンすることによって自分でなぜ失敗したのかに気付き、反省し、成長するプロセスを経るように上司が行動しなければならないのだ。

もう1つのポイントは、男性性の強さだ。「あるべき論」を振りかざすことが上司の上司たるゆえんだと思っている。だから、会議でマウンティングすることで私は上司だと行動で示すことが使命だと勘違いしている人が多いということだ。このような男性性の強さは、組織から自律を剥奪する。常に私が君臨し私が決めるという姿勢で存在意義を確保しようとしているわけで、部下は何も逆らわずじっとしていた方が幸せだ、余計なことを言えば皆の前でマウントを取られバカ者扱いされ、プライドを傷つけられるばかりか、周りの人たちもやる気を失い退職への道を進む。こんな会議は全部止めた方がいい。

皆さんはどう対処しますか? 「スラックは四半期に2度、丸一週間すべての内部会議をキャンセルし、また金曜日の内部会議は通年で廃止している。金曜日の会議を制限するのは、他の企業もやっている策だ」 これはある会社のサンプルでしかない。しかし、言えることは、トップの決断ひとつで大胆な策を挑戦することから始めてほしいということだ。事業の種類によって方策はまちまちだろう。ただ、言えることは一日中会議を入れるなどという愚かなことは絶対に行わないと決めることだ。会議はすべて午前中に行うとか、特定の曜日は会議ゼロにするとか、承認レベルを大胆に下げて、部長や課長クラスの権限と責任を大きくし、何段階もの承認を必要としないように再設計することも重要だ。また、報告のための会議はすべてメールやTeamsのチーム内のコミュニケーションのような共有プラットフォーム内で済ますことだ。その代わり必要なものは必ず読むことを義務付けるなどの新しい規律を全員がコミットしなければなるまい。

 

皆さんは、自分が処理しなけらばならないタスク群のマネジメントをどのように行っているだろうか。前にも書いたが、仕事には「作業」と「創造」の2種類しかない。そして「作業」の多くは付加価値が少なく、かつどんどん自動化が進んでいる。少ない工数で行うべきだし、行えるようになっていく。即ち、そこを圧縮して「創造」即ち付加価値をいかに付加していくかに時間と能力と情熱を割くべきなのだ。しかし、多くの人は「作業」を熱心に行い多忙を極めている。なんなら「忙しい私って素敵でしょ」なんて思っていたりする。これはかなり重症で、付加価値を称賛するのではなく、汗と涙と根性を称賛する企業文化が染みついている証拠だ。それは上司がちゃんと部下の仕事をマネージしていない証拠、もしくは上司に付加価値とな何なのかのセンスが欠如している証拠だ。要は、何にどれだけの工数をかけるのかを見える化する努力をするかどうかがポイントだと思う。仮にまだジュニアな社員を部下に持っているならば、毎週1on1の機会を作り、見える化させ優先順位とタイムラインがどうあるべきなのかコーチングするといいと思う。また、その際に以前書いたフィードフォワードを行うといい。それを繰り返せば、部下は確実に成長していくだろう。上司もそう行動することによって、自らの行動を正すことにもつながるかもしれない。上司はそうやって部下を育てればいい。その工数を惜しむと、自分で何も決められない、即ちいずれ権限移譲先になってもらわなければならない対象に成長しないのだ。

 

古い価値観や習慣は一度捨ててみよう。並行して何をどう改革していけば良いのか考えトライしてみよう。弱点が見つかれば変えればいいし、もっと大胆にできそうだと分かれば更に進めればいい。意思決定の質や、生産性や、創造が進んだかどうかや、ストレスや、コミュニケーションの量などなどがどう変わったかは、捕捉するよう努力してみるといい。そのような変革へのチャレンジがなければ、組織カルチャーは陳腐化し、市場から遊離し、人材は定着せず、しまいに業績は落ちていく。たかが会議と舐めない方がいい。それが組織を蝕んでいく。誤解しないでほしい。コミュニケーション量は上げなければならない。しかし、その確保を会議に頼ってはならないのだ。

脳が活動するには糖質の摂取が必要不可欠。
同時に、糖質を摂ると血糖値が急激に上がり、それを身体が下げようとする。
下がると今度は眠くなるのだ。日中の摂り過ぎは禁物なのだ。特に会議の前にはね。