皆にいずれ来る卒業とはどのようなものか、考えてみた。 

人生に「卒業」があるとしたらどのようなものなのだろうか。

例えば、「欲」がなくなってしまったら・・・ を想像するとイメージが湧きやすいのかもしれないと考えた。想像してみる。

もし、こんな気持ちや動機がなくなったら、それが「卒業」というものではないかと。

好奇心。知りたい、学びたい、という欲望。知識欲。

観たい、見たい、読みたい、聴きたいという欲望。上記とは似て非なるもの。五感に感じるものという感じかな。

どこかに行きたい。知らない土地で何かを感じたい。何かは、上記の何かなのかもしれない。美しさ、風、匂い、歴史などの知識や共感、出会い、醸し出る雰囲気、味、テクスチャーなど。あ、前にも感じたことがあるとか、初めての体験とか、心が満たされる感じ。

多様な人たちとのコミュニケーション。出会い。そして誰かの役に立ちたいという思い。何かを伝えたいという思い。

身体を動かしたい。動くことの喜びを身体が欲していると感じる。

インスパイアされたい、したいという欲。

そうそう、美味しい食事やお酒。食べたい、飲みたいという欲望。それが満たされた時の喜びも大切だ。

情欲もそうかもしれない。

書いてみると、ほどんどは心に刺激が欲しいということを表わしているのかもしれない。

 

それらが薄れることが本当に怖い。失ったら間違いなく「卒業」だと思う。

 

アルツハイマー病など認知症が発症する確率がどんどん増えている。長寿になるから当然ともいえるし、別に原因があるのかもしれない。65歳以上の発症率は間もなく20%程度になる。そしてそれは益々増えていく予想だ。

認知症になると上記の多くは徐々になくなっていくだろう。苛立ちや怒りのような残ってほしくないものだけ残ってしまうのかもしれない。それは何となく想像できる。益々悲しくなる。残念ながら現在の医療では全く解決できていない。見通しもない。

 

僕自身は、本当に欲がなくなったら「人生の卒業」だと感じざるを得ない。

そうなったったらそれを受け止める努力をする意欲だけは残っていて欲しいと思う。

僕の卒業はいつになるのだろうか。将来の僕は僕をどこに連れていくつもりなのだろうか。楽しみだ。

 

僕は、森の様にマイナスイオンを出し、周りの人たちに「1/fの揺らぎ」のようなあるかないか分からないようなエネルギーを出して生きていきたいな。

それだったら卒業してもできるだろうなどと考えたりする。

幸せな夜を構成する重要なピース。熱々のエスカルゴとキリっと冷えた白ワイン。
これが食べられない人生は考えたくない。まだまだ卒業したくないのだ。