上質で価値の高いアウトプットを出すことがビジネスの本質だが・・・

ビジネスパーソン仕事の本質は、上質で価値の高いアウトプットを出すことだろう。なぜ「上質」と「価値の高い」の二つを並べたのか。「上質」は絶対的な審美を追求した結果生み出されるものでしょう。プロなら質を追求してほしい。しかし、顧客の期待を少し上回ればいいし、場違いな上質さは購買意欲につながらない。それ以上過剰な質を求め続けても経済的には成り立たなくなる顧客満足度80%を得るためにX円のコストが必要だとするならば、90%即ち10%向上させるために2Xのコストが必要となろう。更に100%即ち20%向上させるためには10Xのコストが必要となろう。コストと満足あるいは質はそのような関係にある。更に、「価値」。対象顧客が必要としているものと合致していないものは、いかに他の顧客にとって価値の高いものであっても全く意味はない。

顧客に提供すべきアウトプットが的を射たものであるか、本当に理解して創り出しているだろうか。

私がクライアントにアドバイスすることの一つに、「広く見る」「深く見る」「先を見る」ことが重要だ、がある。言い換えれば「洞察力」「先見性」が価値を創造するということだ。それが顧客の想定に合致あるいは超えたときに顧客は満足し十分以上の費用を払う

さて、皆さんが顧客に向けて何らかのレポートを出すことを想像してみてほしい。提案書でも企画書でも調査書でもいい。皆さんはどのような段取りでアウトプットをまとめるだろうか。何の指針もなく書き始めるだろうか? いつ提出する必要があるのか? 顧客の期待しているものは何なのか? 誰が何のために使うのか? あなたに依頼した人が本当の発注者ではない可能性が高いでしょう。彼の上司かもしれないし、彼女が来年度の予算確保をするためにビジネスプランを作っているのだったら、経営会議メンバーが真の顧客なのかもしれない。それによって視座が全然違う。顧客企業の製品ポートフォリオ全体を見渡して論じるべきなのか、対象のものに閉じてよいのかなど「広さ」が全然違うはずだ。当然調査データが全然違うし、必要な知識の幅も変わってくる。そして、顧客の既に有している知識や経験、更に既知の前提は何なのかを知らずして、膨大な資料を書いても大きく的を外してしまう可能性が高くなる。回りくどくなりすぎたり、そもそもそれを調査するだけで膨大なコストをかけなければならなくなる。または、逆にそんなことも知らずに書いたのかと、顧客を落胆させるだけになってしまう。そう、どの程度掘ったら的を射たものになるのか、見えているものだけを考察しても本質には到達できない。しかし、全部の背景や歴史から現在のデータまで見えないものまで調査するのは膨大なコストがかかる。即ち、的確な深さはどの程度なのかを洞察しなければ着手できないはずだ。

「広さ」と「深さ」の当たりを付けなければ、投入すべき経営資源が洞察できない。即ち一人で1か月で創れるのか、10人で5か月かかるのか。調査に白書などを購入すれば済むのか、コンサルなど調査会社に発注しなければならないかなどだ。当然顧客の予算もあるし、それを大外ししてしまうと、ビジネスが成立しないだけでなく、顧客にマイナスの評価をされ今後のビジネスチャンスを失うリスクすらある。

ここで大切なことは、以前に書いたフィードフォワードなのだ。例えば、「こんなイメージでいいですか」「これは前提においていいですか」などと何度か顧客に確認すればよいのだ。

FeedbackとFeedforwardを上手く使う - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

 

期待値が分からず作った料理が空振りに終わるということを想像してみるといい。相手のがっかりした顔は見たくないものです。「あれ、中華が良かったなあ」とか、「外で食べてくるかもしれないって言ってなかったっけ」とか、「今日は胃の調子が悪いんだよね」とか、「今日はシャンパン買ってきたから和食じゃなぁ~」とかね。愛情が空ぶったときの落胆、徒労感やかかったコスト(費用も時間も)は戻すことはできない。

更に仕事であれば、評価されない汗と涙と根性と長時間労働は避けられたはずだ。これは社員個人の虚しさを生み出すだけではなく、会社自体の競争優位性を奪っていく。アウトプットが顧客の期待を裏切り、かつそれに余計なコストをかけ、徒労感による社員の退職まで招いてしまうのですから。

ビジネスは、緻密にやればよいというわけではないのだ。なぜ顧客とのコミュニケーションに躊躇するのか、調べ、考え、戦略的に創造しないのか。プロとは「構想力」で勝負するものだと理解してほしい。

図抜けた構想力は何から生まれてくるのだろうか? 
@デイヴィット・ホックニー