倫理より優先するものがあるのか

上司の命令は倫理より優先するのだろうか

もちろん違う。しかし、第二次世界大戦時の上官の命令は絶対だったし、自分以外のまわりの人々が行おうとしている行動が、どう考えても間違っていると思っても、一人だけ反対する勇気が出ず、空気を読んで止められないのが人間だとも言える。しかし、それと闘うのが真の正義感だと思う。

ヒトラーの命令に従い、大量のユダヤ人移送・殺害を進めたアイヒマン(最後は親衛隊中佐:500万人のユダヤ人を運んだと自慢していた)は、戦後逃亡生活を続け、最後はアルゼンチンでイスラエル諜報特務庁(モサド)に捕まり、イスラエルに連行された。裁判では15の犯罪で起訴され、275時間にわたる予備尋問が行われた。「ふてぶてしい大悪人」だと想像していた傍聴者は、アイスマン「小役人的凡人」という印象だったことに驚いたという。公判時に彼はこう言った。「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」と。彼は、死刑宣告を受けた後も、一貫して無罪を主張し続けた。命令に従っただけだと。

倫理と命令。僕たちはその相克にあって正しい行動をとれるだろうか。

 

最近また悲しい事件があった。多くの方も驚いたと思う。沢井製薬の不正だ。

私は知らなかったが、後発薬業界では2020年以降、品質不正が続いていた。大手の日医工や中堅の小林化工が業務停止命令を受けていたのだ。最近はニュースでも後発薬の供給不足が続いていると報じられているが、これら品質不正に端を発しているとも言える。

メディアによると、沢井製薬の不正の概要は次の通りだ。薬は経年劣化する。確かに処方された医薬品の使用期限は3~5年と言われる。引き出しの中に残っている古い薬を安易に服用してはならないのだ。同社の不正は、販売後1~4年経った薬の劣化を調べる安定試験においてだった。その薬は時間が経ってくるとカプセルが溶けにくくなるという性質があった。となると、もちろん試験をパスできない。試験の担当者は試験時に新しいカプセルに詰め替えて試験をパスさせていたのだ。発覚したのは今年の4月にそんなことをしていたとは知らない別の担当者が、本来の手順で試験を行ったところカプセルが解けないケースが多発したからだった。

調査の結果、2015年以前にも3度その薬の試験で不正が行われていたことが分かった。

今回も以前のケースでも工場長には報告が上がっていた。工場長の曖昧な指示「原因特定のためにカプセルと取り換えてみろ」とか「カプセルの影響を確認のこと」を受け、カプセルを変えて試験をしていた。しかし、溶けにくい状態だったと発覚しても、適切な対処即ち検証や回収などは行われていなかった。工場長が不正を命令したわけではなかろう。部下たちが空気を読んで、悪いと知りながらそのような不正を行ったのだと推測する。工場長はその行動を見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。結局この行動は、明らかに省令違反だとされている。当然だ。

調査報告書では、「法令よりも上司の指示を優先する」異様な組織カルチャーがあったと指摘している。

品質を確保する、もちろん法令を遵守する、更には安心安全な商品を顧客に届けるというのは、技術者の矜持ではないのか。そもそも倫理観はないのか

今回のケースも近年他業界でも多発したケースでも品質問題は、大体皆似ている。現場のオーナーシップが欠如している。仕事にプライドを持っていない上司の顔色を伺って仕事をしている。そして上司はカルチャーを創るオーナーシップを持っていない予兆があれば些細なことも見落とさず、真因を探求しそれを取り除き二度と同じ過ちを犯さないように、自分の責任で変革する。何より、オープンな風通しの良いカルチャーを定着させるカルチャーを

品質は何にも優先されるべきターゲットであり、試験で不合格になったことにより、契約納期を守れず、売上などの予算が守れなかろうが、回収によってブランドを棄損しようが、不合格であった事実を真摯に受け止め的確な行動にでるしかないのだ。納期を守れなかろうが、それが結局は顧客の為だからだ。そこに躊躇があってはならない。幹部にその価値観がなければ会社は腐っていく。だからこそ、品質は上流から作りこむ必要がある。それが技術者の矜持であり、カルチャーでなければならないのだ。

幹部の責任は重たい。倫理より大切なものはない

昔の同僚と食べるベトナムランチ。
正直に生き過ぎると、自分の影響力を過小評価する。
三者の目が新しい価値を気付かせてくれる可能性が高い。
だからこそ他者との繋がりが大切だと思う。