部屋の中のゾウ

都合の悪いことに踏み込まない人が多い。話題はたくさんある中で、あえてそれをテーマにしないわけだ。テーマになったときでも、特に反対したり、賛成したり、意見を言ったりしなければよいのだ。そう、避けて通るわけ。誰も気づかないのだから堂々と避けていく。それがビジネスシーンで幹部がとる行動の基本の価値観だと、暗黙のうちにされてきた気がする。気付いてはいるが、あえてわざわざ取り上げなければ時間が過去のことにしてくれる、という価値観だ。確かに害はない。落とし穴に落ちる心配もない。

 

そのように、見えているはずなのに避けて通る比喩を、北米では「部屋の中のゾウ」というらしい。なるほど、絶対に皆見えているはずなのに見えないふりをしている感じがよく出てるw

 

多くの人の関心ごとであろうがなかろうが、ビジネスマンであろうがなかろうが、それから目を背けず、あえて堂々と自分の意見を言う。波紋を呼ぼうが、逆風が吹こうが、批判されようが、社会にとって良いことは何なのかに向き合う。つまり青臭い議論に参入する。そんな姿勢が問題を解決するのではあるまいか。問題を先送りしないやり方ではないのか。踏み込んではいけない領域を作らない。本当はそれが大人の所業ではないのだろうか。

 

倫理的であることはもちろん、あるべき価値観に忠実でいることを大切に行動する。清廉でいること。それが新しい企業トップのあるべき姿だと思う。如才ないトップなんて社会に必要ないのではないか。丸く収めようとばかりする幹部なんて、企業に必要ないのではないか。そんなことすら感じる。自分のテリトリーのことですら問題の核心に触れずにぼかす。テリトリーを越えたことには、一切踏み込まない。そんな企業カルチャーが会社を滅ぼすのではないか。

 

「一兆ドルのコーチ」にはこうある。「最大の問題はいわゆる『部屋の中のゾウ』。それを探して、部屋のど真ん中に引っ張り出して真っ先にタックルせよ。」と。

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ホワイトボードディスカッションを心待ちしてる。
緊急事態宣言も明け、もうすぐできるかしら。
これの良いところは、問題の核心を部屋のど真ん中に引っ張り出せることだね。