監査の矮小化

先日の三菱に関する記事で更に感じることが湧いてきた。それは「監査」の役割。以下に思っていることを書きますが、かなり言い過ぎだと自覚しています。監査に係わる人たちに袋叩きに合うかもしれません(笑)が、どうか笑って読んでください。

 

企業には監査を行うチームが存在する。監査役とは、企業において取締役や役員の執行を監査することが仕事とされる。監査チームは更に現場に近く各事業が的確に行われているかを監査するわけですが、それは法令順守だけを指すわけではないはずです。HBRでは「学習に関する監査を毎年実施し、意思決定やチームの交流が不十分だったところを確認する」「期待した成果を出していない取り組みを特定し、その根本原因を調べる」とあります。前に書いた通り、当該部署内の人たち(インナーサークルの人たち)はバイアスだらけなわけです。部外者が客観的に見ることがどれだけ重要なことか。しかし、現状は監査チームは、風通しが良いカルチャーかとか、学習が適切に行われているかなどの評価は自分たちの仕事だとは思っていませんね。即ち、三菱で起きたような原因に行きつくことは、監査の対象だとは思っている人は恐らくいないでしょう。私は「監査」の仕事が矮小化されている気がしてなりません。即ち定義された最小限のことしか自分のミッションだと思っていないということです。

 

企業は残念ながらムラ社会の集まりの要素が捨てきれません。スタートアップだってスケールしてきたら、チームごとのエゴが出ます。トップが株主へのリターンプレッシャーに押し殺されそうなら、部下たちは目先の数字に汲々とし、怒られないようにすることを最優先にオペレーションし始めます。企業においては、そのような本能的な行動にを抗うことがどれだけ難しく、かつ重要なのかを理解しなければなりません。

その中において、三者の監査監査役でなくても、事業ラインのスタッフでもよい)や品質管理部門の使命は大きいと理解すべきです。

 

僕の友人にも監査役は何人もいる。彼らはきっと分かってくれると思う。(といいな)

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自分で見ると真っ直ぐかどうかは分かりにくいもの。