Progress

最近、経済的成長を求め続けることに意味があるのだろうか、というような議論が広がってきた。大量消費、過剰生産、お金は使うから社会が回る、生活は豊かであれ、成長率、売上利益増、株価上昇、株主至上主義・・・ そんな価値観が見直されつつある。

即ち、「経済成長し続けなくてもいいじゃないか」「ポスト資本主義」更に、SDG's的価値観の浸透によりグリーン、エコが強く歌われ、経済的分断を減らすベーシックインカム社会主義的価値観も広がりつつある。

最近20年位の間、日本は先進国の中で一人経済成長から取り残された。デフレが続き、給与は増えない。最近まで物価も低いまま。世界で最も物価が安い国の一つだ。それはよく聞く「ビックマック指数」を見ても明らかだ。

失業率も低い(安価な非正規の人は多いのは問題だが)、国民皆保険も維持している。医療環境も高レベル(コロナ禍で問題が顕在化したが)、寿命に至っては世界最高レベルだ。

西欧の国々に比べると、高収入者と低収入者の差ははるかに少ない(経済的分断が少ない)。

本来、日本人の満足度や豊かさは非常に高くてもいいはずだ。

 

このまま進んでいくとどうなるのだろうか。僕は経済学者でも社会学者でもなく全くの素人的な感想で恐縮だが、ちょっと考えてみる。DGPがこのまま伸びずに行くとする。先進国の多くは継続してインフレが緩やかに進む。今と同様に大量消費、贅沢志向も更に進む。最近のミートショックを典型とするように、食料品やエネルギー、鉄など原材料を輸入に頼っている日本は、それらの価格がどんどん高騰していくことに耐えられなくなる。為替がそれを補正できないなら、明らかに収入が増えないままインフレが進む。国内の付加価値が増えないままインフレが進むということは、インフレが給与増をもたらさない。生活は苦しくなる。企業も産業セクターごとに差は広がるだろう。材料などを輸入に頼ると競争力はどんどん下がっていく。

即ち、自給自足ができないまま成長しない国は、相当劣後していくだろう。

その一番の背景は少子高齢化。生産年齢(働き手)が激減していくということは、経済競争力の低下に直結することは誰しも分かることだが、それを止めることは不可能だろう。

 

成長できない国が目指すべきものは何なのだろうか。

間もなく中国も下降フェーズに入る。それが分かっているので指導者も慌てたように強引な手に出ている。批判も覚悟。情報は操作できるから国民だけは洗脳し続けられると思っている。それも近い将来限界が来よう。

世界中で競争するように「成長」を求め続けてよいのであろうか。地球はもう耐えられない。地球更に人類のサステナビリティ―を考えれば「成長」を捨てるしかないのではないか。もう、そう考えざるを得ないことは多くの人が気付いているのではないか。

「成長」を求めず「豊かさ」を求める。そんな「変身」が目の前に迫ってきた気がする。しかし、それすら、醜い押し付け合いや、自分さえよければいいという独りよがりの価値観のせめぎ合いだ。自分だけは「成長」を続け、繁栄(贅沢)を独り占めしたいという欲望。全世界が一斉に「成長」のスイッチをオフにできないものか。今は、絶対に不可能と感じざるを得ない。Z世代が新しいエネルギーになりつつある。彼らが核となり世界の価値観は変わっていく。きっと。

 

「成長」の代わりの「Progress」(前進、進歩、発展、進化)とは何なのだろうか?

皆さんの企業においても、そんなことを考える時期に来ていませんか?

売上や利益をひたすら伸ばすことだけが、ステークホルダーの幸せなのだろうか? 社会に還元すべき価値を向上させることが、一番の「Progress」なのでは?

囲い込まれる「コモンズ」と、意志共鳴型社会へのステップ ~NEC未来創造会議講演レポート~

この記事にインスパイアされ思わず書きなぐってしまった。斎藤准教授は素晴らしい論客(最近TVにもよく登場する)だが、この記事では発言が少なく(ピックアップが少なくかな)残念。

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枯れても心は温かい