チームを創るということ

チームとは何なのでしょうか。人が集まれば集団ですね。しかし、ただの「集団」「チーム」と呼べる集まりとは全く違うと感じます。企業の中にあると、「集団」も「チーム」も目標達成のために集まった集まりのはずです。しかし、全然異なる要素があると思います。それは、前者は「個人の責任の範囲を実行する人たち」であり、「構成員の能力の総和以上の結果は出せない」のです。それに対して、後者「チーム」は一人一人が個人責任に加え、「チームの責任」即ち「総和の拡大」の責任を負っています。言い換えると、「行動は個人の責任範囲を越え」ひとりひとりがそれに「オーナーシップを持つ」のです。そうなれば「構成員の能力の総和以上の成果を得られる」のです。そこに横たわる価値観は、「利他心」「補完」「他者認知」「共感」「絆」「個性を活かす」などです。チームの目標に向かい、能力の凸凹や現状の課題を理解し、自分の個性を活かし補い合い助け合い、声を掛け合い行動するのです。前者は1+1+1は3以上にならないのに比べ、1+1+1は3以上になるわけです。後者は「多様性」を強みにでできますね。強みの違いを理解した上で弱みを補完しあえるわけです。

皆さんの所属する集団は「チーム」でしょうか。そうでないなら、どうやったら「チーム」に昇華できるのかを考えてみてください。あなたがリーダーなら、どう振舞えばよいのか考えてみてください。

 

越川慎司氏(「17万人をAI分析した分かった 最強チームの条件を一冊にまとめてみた」著者)によると、成果を出し続けるチームにアンケートを取ると、「自分の弱みを出すことに抵抗がない」人が63%もいた、ということ。強みや弱みを知ることで助け合うことができるわけです。自己開示できる組織は「心理的安全性」が高いと想像できますね。こんなデータも頷けますね。

「チーム」に必須なのが「心理的安全性」だと感じます。多様性を躊躇なく出せるのは、「自分らしくあること、ありのままでいることに心地よさを感じられる風土」がチームに存在している証拠ですね。多様性は「心理的安全性」があって初めて意味があるのです。

心理的安全性」が高い組織は上司とのコミュニケーションに躊躇がありません。「頼まれた資料こんな感じでいいですか?」「○○な主旨なら、△△のところだけ強調して、先方は役員で時間がないでしょうから、ポイントだけ2,3枚の資料がいいですよね?」などと気楽に確認できますよね。ところが、「心理的安全性」が低いと、上司に確認できません。確認しようとすると「そんなこと自分で考えろ」なんていわれてしまいそうですからね。そうなると、上司に忖度して、丁寧で補足説明だらけの重要かもしれないと勝手に思って、指摘されそうな要素をすべて網羅した膨大な資料を作ることになりますね。同氏いわく「そんな忖度ページの約8割が上司にめくられもしなかった」のです。これ凄くあるあるですよね。

また、同氏が経営しているクロスリバーがクライアント企業の会議を2.7万時間録画して分析したところ、上司自らが仕切っている会議は、会議時間の7割以上は上司がずっと話している「暴走状態」が多発しているそうです。それでは、参加者のオーナーシップなんて生まれるはずはないし、満足度は低いに決まっているし、「心理的安全性」など生まれるはずはないですよね。上司が仕切るケースは、上司自身がファシリテータに徹するケースのみであるべきです。

 

そすなると、「チーム」におけるリーダーの振る舞いに必要な要素は、次のようなものかもしれません。

・ともかく、上機嫌で話す。

上下関係なんて無視する。(敬意は示せどフランクに話す。偉そうに話さないなど)

ロー・コンテクストを前提にして、皆分かっているはずだと思わず話す。

トップダウンは最低限にする。もしそうするときも、皆の意見が出尽くした後。

・必ず雑談から入る。

議題は事前に共有し、各位が考えておくべきことを事前に共有し、検討の上参加する。

・テーマが決まっている会議はファシリテーターが仕切ること。重要な議論はリーダー自らファシリテートする。

・意見のやり取りに対しては、必ず何らかの反応をすること。(ポジティブな反応。無反応が一番悪い)

在宅ワークの時は上司へのチャットでの割込みは歓迎すること。出社の時も上司にはいつでも話しかけOKにすること。(嫌な顔は絶対にしない。これ大切)

利他的な行動は必ず評価すること。(感謝がチームにみなぎること)

会議はできるだけ減らすこと。そのために権限は積極的に委譲すること。

 

 

次に、集団主義的チームのよくある姿を想像しましょう。勝つことに執着し、競争にむきになって臨みます。競争といっても個人個人の競争ではなく、集団間での競争です。集団として勝つことに意味があるのです。従って、リーダーの掲げた目標に向かって、フォロワーは我儘を言わず盲目的に指示に従うのです。そしてその姿を美化するのです。これは、あるあるですよね。

自分が所属する企業やチームをアイデンティティとして捉えることは、間違っているとは思えません。しかしこれが過ぎると、盲目的な集団が出来上がります。リーダーの暴走が起こりやすくなります。専制国家の暴走のように。リーダーが自分の名誉のために行動したり、リーダーの野心がチームの目的にすり替わったりしますね。

フォロワーはロボットのように行動するいわゆるYesマンの集合になってしまうリスクがあるわけです。

「理想のフォロワー」は、リーダーの命令に盲目的に従う、即ち依存的ではなく、独自の考えを持ち、リーダーの判断や行動に積極的に関与し自律的に主張や提言を述べ、納得したら積極的に協働するのです。リーダーが本質的に求めるべきなのはこのような「理想のフォロワー」です。Yesマンだけ集めるリーダーにろくな人はいません。ムラ社会の中にいるだけだと皆気付かない。それが外の世界を知るとどれだけ感覚がズレているのかに気付きますね。ムラ社会の長はほぼ裸の王様でしょう。

 

リーダーがもし、自分の弱みを晒していたらこんなことにはなりません。自分を自虐的に客観的に評価できるからフォロワーがリーダーを信頼し、指示待ちにならず自律的に行動するのです。フォロワーに心理的安全性」が芽生えるのです。

リーダーは、皆を魅せる大輪のバラのような存在でなければならないのでしょうか。
そんなことはありませんね。どんな花にも美しさはあるし、
誰かの心を動かす個性があります。
ひと時の潤いを感じてくれれば幸せだと思っていればいいのだと思います。
それは必ずチームに伝わるはずです。