自己トランスフォーメーション

人が複数人集まれば集合・集団・グループ(「集団」とします)と言いますね。同じ集まりと言っても、それと「チーム」とは大きな隔たりがありますね。違いは何でしょうか?

同じ目標を共有しているかどうかですか?

それも重要な要素でしょう。しかし、私たちが所属する企業においては、「集団」であっても目標は共有していますよね。トップからパーパスやビジョンなどをはじめ向かうべき方向は幾度となく伝えられているはずです。共有していないとは言わせませんよ(笑)。

問題は、心の底から腹落ちしているかどうかですね。

 

先日あるワークショップで話をさせてもらいました。私は「自分は何者なのか?」「使命とは何か?」を考えることによって、「存在の根拠に自信を持ちたい」と思って行動してきたのかもしれない、と。それがドライバーとなって、「意図的に生きる」ように努力し、「流されない人生」を目指し、「最善と尽くす」という価値観を大切にしてきたように感じます。最後は「なるようになるさ」と楽観的に考えていたのだと思います。

そう考えると、私などは凡人の典型ですから、恐らくすべての人は「意志さえあれば行動は変えられる」そして「行動が変われば自分が変わる」という経験をしているはずです。しかし、その動機はどこから生まれるのか? 動機が強いから行動を変えられるのか? もちろんそうできるはずです。しかし、多くの人は強い動機を持てません。人間は意志が弱いものです。そうなると、どうしたら良いのか? 

私は、まず「えいやと行動を変えちゃうこと」が大切だと思っています。考えて考えて何もしない、ということは避けるべきことです。また、考えてから行動するのではなく、「まず行動してしまう」ことが肝要なのではないかと考えています。

ちょっとした意思があれば行動は変えられます行動が変われば動機が強くなるはずです。その行動による周りの変化を感じ取り、もっとやりたくなる。そして強くなった動機が次の行動を駆り立てるのです。そのサイクルは一度経験すると自信につながり、行動を変えることに躊躇が薄まってきます。大切なのは「最初の一歩」。「ファーストペンギン」即ち「勇気」ですよね。元京大教授で南極越冬隊だった西堀さんがこう言っています。「勇気が自信に先行し、経験が勇気を創る」と。サイクルが回っている人と、初めの一歩が踏み出せない人の違いがそこにあります。

私は同時にその時の一歩を左右する重要なドライバーがあると思っています。それは「誰のために」やるか。そして「誰とやるか」です。思いの先には必ず誰かがいるはずです。利他心が勇気を後押ししてくれるはずです。そして、同じ気持ちを持つ誰かと共に行動したいはずです。共感に包まれずに自信を感じることは難しいものです。仲間と言える誰かと笑顔でチャレンジすることの充実感を私たちは求めているはずです。

 

そう、「チーム」と言える仲間はそこが強みのはずです。お互いを補い合い、人の数だけある「能力」の「総和」以上の成果を出せるのが「チーム」なのです。「集団」のメンバーは、個人の責任の範囲内で仕事をします。そのから出ようとはしません。「チーム」メンバーは個人の責任を越え、チーム全体の責任を全員が感じています。即ち全員が「オーナーシップ」を持つのです。だから、一人一人の能力の総和以上の成果が出せるのです。「誰のために」「誰とやるか」の気持ちが強い人が集まる「チーム」ほど強いものはないと感じます。一人一人がプロアクティブにあるべき方向に向かって行動します。周りを見ながら他のメンバーの行動を感じながら「次」を考えて行動するのです。そう、「広い視野」で「先を見て」行動するのです。それはすべて自分でやらなければならないことではなく、「補完し合って」行えばよいのです。「チーム」の中で育った人々は「コレボレーション」の素晴らしさを体感します。違うチームと仕事をする時チーム同士をつなげる役を果たすでしょう。それが「コラボレーション・リーダーシップ」ですね。

「チーム」に存在している価値観などの特長とはどのようなものなのでしょうか。尊敬、共感、理解、学び、昇華、同期、化学反応、補完、共助、多様な人の集まりであっても目的に向かってはハイコンテクスト・・・などではないかと思います。

 

「行動を変える」「自己を変える」すなわち「自己トランスフォーメーション」に自然とチャレンジする自分になりたいとつくづく思います。できれば、何歳になってもね。

南アルプスを望む@富士見台高原
秋ど真ん中を楽しみたいものですね。