ORIGINALS  人生は波風だらけのはずなのに

最近読んだ本「ORIGINALS  誰もが『人と違うこと』ができる時代 アダム・グラント」にインスパイアされ少し書きたいと思う。

創造力のあるユニークな考えを持っている子供は生きづらい。教師が問題児として扱うからだ。それに子供たちは気付く。教師が望んでいる答えは何なのだろうかを理解する。そして、望まれるものを考えて答えるようになる。そうしてオリジナリティは封印されていく。そんな話を読み、すごくすごく共感した。

そうして、型にはめれらた子供が「良い子」として育っていくんだろう。着実に。そして、大企業は良い子ばかりを選別して採用してきた。それは残念な事実であり、僕は15年以上前にそれに気付いた。部下たちはとても良い子で、緻密に確実に仕事をこなす。顧客から見たら完璧な企業に見えたことだろう。しかし、構想力がない。枠から決してはみ出ない。言われたことを間違いなくこなせばよかった時代は終わっているのに。即ち、世界は高速に変化し続け今ある製品やサービスは短時間で陳腐化する。ビジネスモデルも変わるかもしれない。その変化に対応できるのは社員の構想力なのだ。25年位前、部下たちのユニークな研修をお願いしたプロ集団からフィードバックを聴き、僕は雷に打たれたようにショックを受けた。同時にすごく腹落ちした。清水さんの部下たちは、緻密さにおいては最高レベルです。しかし、ゼロから1を生み出す構想力がありませんと。そうだ、その通りなんだ。これを治さないとサステナブルな成長はできないと気付き、目が覚めた。まず、人事のトップに採用のやり方を変えてくれと頼んだ。良い子ばかりを採用するなと。何をやらかすか分からないようなユニークな人材を10%でいいから選んでくれと。その願いは無視された。その後、近年は選定が部門で行えるようになり、恐らく徐々にそれが実現できるようになっていったのだと思う。それが必然だからだ。

 

日本企業の多くは、強いリーダーを求め育成してきた。「俺についてこい」タイプだ。そんなリーダーが作り込むのが「支配型ヒエラルキー組織」だ。トップは強制と威圧、褒美と罰で部下を操作する。「俺の命令に従えないやつは・・・」「お前はクビだ・・・」的マネジメントをし、必然的に部下は全員「イエスマンになり、自分の意見は言えず(言うと罰を与えられるから)、全員金太郎飴のムラ社会が出来上がる。多様性はなく、ハイコンテクスト(阿吽)が通じない人はムラにいられない。新入社員もあっという間に型にはめられ、できないやつは排斥されるか、自分から辞めていく

職場で異議を唱えると自分の立場が危うくなるなどと書くと、そんなバカな・・・と感じる人も多いかもしれない。ハラスメントと指摘されるようなことはないと思うが、実はもう慣れてしまって気付いていないのかもしれないし、見えないところで行われている可能性は今でも高いと思う。昔は露骨にそんな組織が多かった。それが日本だ。男性性・マッチョさが美徳、そんなカルチャーなのだ。「支配型ヒエラルキー組織」に違和感を感じる人は案外少ない。

実は日本ほどではないかもしれないが、アメリカも似ている。日本より遥かに自由だしブレストなど子供のころから授業で行われる。しかし、アメリカは優れた成果を凄く求められる傾向が強く、失敗を恐れるあまり周りに迎合する人が多いというのだ。

 

オリジナリティの高い人は、リスクをとることを恐れない。迎合すること、黙っていることができないのだ。オリジナリティとは、発想ではない発想+行動なのだ。オリジナリティとは、創造的破壊(シュンペーターなのだ。波風を立てることを恐れていたらできないのだ。

リスクテイクなき変革など存在しない

構想じゃなくて、これは高層だね