Beを開示しヘルプシーキングすることが生きやすくなるこつ

精神的、心理的コンディションやモチベーションは揺れ動く。それが人間というものでしょ、と言うかのように勝手に動く。でも、その理由はよく分からなかったりする。
今の自分の状態、存在していること自体の姿、言い換えると「Be」を素直に受け止めて、観察して、説明できますか? そう、言語化するの。例えば、「彷徨ってる」「迷っている」「流されっぱなし」「悶々としている」「だらしない自分に失望してる」「他者の目や意見を気にし過ぎてビビって心が小さくなってる」とか。
そういうときにどうしますか?
心の内側にこもって、自分とだけ向き合って何やってるんだろうと悶々として、更に深い迷宮に入り込んだりしませんか? 誰にでもありますよね。
 
僕は、そういうときには他者に話してしまうことが良いと思っている。大切なのは、イムリーにヘルプシーキング(援助要請)、アドバイスシーキング(助言要請)することだ。人間は、困っている友人から要請を受けると自然と真剣に向き合ってくれるものだ。困っている友人、弱っている友人には手を差し伸べるものだ。一種の本能に導かれるように。
 
ここで課題は誰にするかですね。信頼できない人や「べき論」を振りかざして話を聴いてくれずに一方的にしゃべる人は、避けたいと思いますよね。恐らく後悔するのが落ちだ。聴く耳を持っている人(傾聴力がある)、受け止める力が強い人(女性性が強い)を選ぶことが肝心だ。これは間違いないポイント。皆さんにはそういう人が身近にいますか? 
裏を返せば、普段からそういう友人を作ることがもう一つの課題になるわけだ。お勧めは自己開示できる相手に普段から自分の心を話すことです。まだいなくても、候補者に徐々に開示することだ。一日ではできないものだが、普段のコミュニケーションを大切にして積み上げていくことが大切だ。これは意図的にやらなければできないことだ。
 
本能的にこういうことが得意な(得意というか自然とできてしまう)人と、苦手な人がいますね。前者はとても少ないかもしれない。即ち、大半の人にとっては普段から努力が必要なのだ。
人生は長い。揺れ動くBeingを素直に話したら、手を差し伸べてくれる(聴いてくれるだけでもいい)友人は最も大切な存在なのです。
 
人生のゴールは遥か先だ。生きやすい日々は意図的に創り上げるのだ。意図的にだよ。

先日、クライアントのオフィスのそばで一人ランチをした。
モールの中で目に留まったのが台湾めしだった。
ルーローハンと似た味付けの鶏肉は実に美味だった。
台湾出張中にオフィスで食べたお弁当の味を思い出した。
その数日後、長女から台湾旅行を誘われた。ただの偶然だが、その巡りあわせに心が躍った。