「ちむどんどん」から考える

■ちむどんどん

朝ドラを観ていますか? コロナ前で私がまだ会社員だったころは、在宅ワークもなく、既に会社に到着している時間でしたので、全く観ることはなく、かつてやっていたドラマの題名も全く知りませんでした。それが、近年は完全に朝の習慣になっています。それも、日によっては7:30からBSで、8:00地上波でと、2回観たりして(笑)

その最新作が始まった。その名も「ちむどんどん」(胸がドキドキするという意味)だ。主演の黒島結菜がいいね。「スカーレット」に出演していた時に「いい女優だな~、今に大物になる」と僕の直観がささやいたが、2年経って主人公役を射抜いたわけです。

彼女の言う「『女のくせに』とか『女らしく』って何?」が心の響く。私も彼女同様「カチンとくる!」のです。その意気その意気と呟いてる(笑)

その「ちむどんどん」の暗黒ぶりが話題になっている。アメリカ占領下の貧乏家族の姿が痛いのだ。借金に苦しみ、サトウキビを作り、内職をし、何とか生計を立てていたところに、父が亡くなり、益々家計は苦しく、子供たちには体操着や運動靴も買ってあげられず、普段来ているものはつぎはぎだらけ、母は農業に加え工事現場で働き、夜中まで内職の毎日、長男は働かず、どうやらこれから騙され借金を増やすというストーリー展開になるらしい。ともかく暗黒。子供たちの明るさがそれを救う。その中にあっての反骨精神が冒頭のセリフにつながる。

「女のくせに・・・」なんていうセリフは昭和の当たり前だった。いや、今だって時々聞くかもしれない。その一部は冗談のつもりかもしれないが、根っこには性差に対する決めつけがあるのは間違いない。

東京五輪組織委員会の会長を務めていた森喜朗氏が「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」なんていうのも、その典型でしょう。私が知っているある企業幹部も「女性には厳しい仕事をアサインしないように気を付けている」と言っていましたが、それも差別ですね。個人の特徴や希望ではなく性別で決めつけているわけですからね。本人はそれが「上司の優しさ」だと勘違いしているわけです。それが現実です。もちろんはっきり間違いを指摘しましたが・・・

 

■女性性、男性性

「女性性」「男性性」とは何だろうか。いろいろな考え方があるようですが、少し僕の考えをまとめてみますね。

「女性性」とは積極的にありのままを受け止める力、身を委ねる力、誰も置いていかないという包み込む力、すなわち受け取る力なのではないだろうか。感性、情感、本能に近いもの。

それに対して「男性性」とは、自分の意志を固めてエネルギーを結果を出すために出力しコントロールする力、すなわち出す力なのではないだろうか。愛をベースに何でも受け止めようとする「女性性」に対して、目標を明確にして「こうしなければならない」と決めつけてエネルギーをフォーカスするのが「男性性」だと思うのです。それを支えるのが、論理、理性、言語化に近いものではないだろうか。

だから、よく言われるように、「女性性」は全員を受け止め置き去りにしない行動をとり、「男性性」は決めつけ、できない人を置いていく行動になる。そうなると、「女性性」が「Inclusion」を培っているのに対して、時として「決めつけてしまう」「男性性」が悪さをするケースがあるということですね。

誤解しないでほしい。女性にも「男性性」はあるし、男性にも「女性性」はある。昔はそんな概念はないので、決めつけが激しい男性が「女性はこうあらねばならない」なんて当たり前に思っていたわけだ。この価値観も「男性性」の典型なわけです。(男はこうあらねばならないと考える女性は、男性性を発揮しているということ)

考えてみると、受け止め、理解し、幸せを願う、包み込むことは、愛やエネルギーを受け止め貯めこむことに他ならなりませんね。それに対して、考え、計画し、行動することは、ロジカルに考えた目標に向かって強い意志で計画的にエネルギーを出していくことに他なりません。受け止め、願う「女性性」、計画し、出力する「男性性」と大雑把に表現しても間違いはないでしょう。

ビジネスシーンを想像すると、成果を求めて追及する「男性性」にフォーカスしてしまいがちになるのは分かりますね。しかし、出力ばかりにフォーカスして成り立つのでしょうか。一人一人の個性を受け止め、個性を活かして補い合い、一人一人に合った将来を考え、ともに歩んでいくそんな組織にしたいですよね。成長のための自律した個が助け合うのが「チーム」ですよね。だから、多様性を受け止められるし化学変化が起き、イノベーションが生まれます。即ち、「男性性」だけでは「チーム」は作れません。1on1を単なる「業務報告」「評価」に終らせてしまうのも「男性性」のなせる業ということですね。そう、ありたい姿を共有し、キャリアプランを一緒に考えるためには、リーダーの「女性性」がなくてはならないのです。

以前にも書きましたが、コーチングの世界でよく「Being」「Doing」を分けて考えます。前者は「在ること、在りたい姿、状態」を意味し、後者は「なすこと、やり遂げたいこと、行動」を意味します。その両方を考えることが大切だというアプローチをするわけです。考えてみると、前者は「女性性」のアウトプット、後者は「男性性」のアウトプットに近いかもしれませんね。

 

 

これは、ステレオタイプな「女性らしい」「男性らしい」という価値観を捨てるべきということ。即ち誰にでも「女性性」も「男性性」もあるということ。更に、なければならないということ。そしてそのバランスやTPOは一人一人皆違っていい。あなたらしいバランスを考えればいいということ。出すべき時に使い分けられればいいということだと思う。

五月晴れ。二日酔いの昼下がりはウォーキングに限る。