前提は「ローコンテクスト」

最近感じたことを少し書きます。社内でのコミュニケーションは、コロナ禍の在宅ワークの浸透というアゲインストの風の中、社員の孤立を避けるため、またはコラボレーションを進めるため、またはエンゲージメントを高めるために、多面的に機会を増やす努力をしている企業も多いことと感じています。一方で、上司と世代ギャップのある若者たちとの間は、お互いの立場や価値観を理解し合い信頼関係が進んでいるとは思えません。その一つの理由を考察してみました。

 

年に一回の上司との面談。長い会社生活の中で、私は一度もされたことがなかった。常に上司は「いつも話してるからいいよね」という調子。その多くは仕事の後の飲み会だったりするのだが、そんな時にシリアスな将来のキャリアなどを話すわけもなく、恐らく上司のほとんどは僕の希望や思いを知らなかったと思う。正直言って、話してもしょうがないと思ってもいた。ま、それで困ったことは起きなかったのはラッキーだが・・・

ここで問題提起をしますね。今、皆さんが取り組んでいる1on1ローコンテクストを前提にしていますか? ローコンテクストとは、経験や言語や文化的背景などが違い直観的に意図が伝わらない関係ですね。例えば、突然あなたの部下の一人が一度も日本に住んだことのないフランス人になり、双方片言の英語でコミュニケーションをせざるを得ない時のことを想像してみてください。背景や歴史などを丁寧に共有しなけばビジネスの会話は成り立ちませんよね。なぜその戦略を取るのか、なぜそのような評価を下すのか・・・ 納得のいく説明には相当の努力と時間を必要とするでしょう。そうです、あなたとは経験もリテラシーもスキルも能力も違う若い部下も、同様のギャップを持っている前提で話さないと伝わらないかもしれないのです。もちろんフランス人ほどではないでしょうが・・・、一言で腹落ち・納得すると思ったら大間違いですね。丁寧に言葉を尽くすことを忘れてはなりません。

それができなければ、恐らく職場の心理的安全性を高めることはできないでしょう。(「心理的安全性」とは、ありのままでいることに心地よさを感じられるようなチームの風土のこと)

 

日本人のダメなところがそこにあります。単一民族、単一言語、個性よりも「皆と同じ」を尊重して育てられたこと。入社したら定年までそこで働くのは当たり前、一つの企業カルチャーに染まり、社内で使われている言葉も社外では使われない言葉だったり、組織には壁があり、皆率先して境界を作る人ばかり。ムラ社会は会社にはびこる。などなど。およそそんな環境なわけです。

だから、ハイコンテクスト(お互いの意図が察し合える環境があり、阿吽の呼吸が存在する)が当たり前になり、それを理解できない人が排斥される。多様性を前提としていない狭い社会。これが日本をだめにしたと強く思います。そんなの昭和の時代でしょ、と仰る方もいるかもしれませんが、そういう人に限って今でもそうなのかもしれませんよ。言わなくても分かるだろうという圧力を出してませんか? 絶対に出していないと言い切れますか? 奥さんに対しても言い切れますか? 奥さんもそう思ってますか?

D&Iローコンテクストが前提だと思う。それを理解しないと、カルチャーは変わらない。伝統を否定しているわけではありません。守るべきものも多い。しかし、阿吽で分かれよ!は絶対にダメですよ。若い人やキャリア採用で入った人は「なぜそうなの?」と皆思っていますよ。ハイコンテクスト同調圧力になるときもあるし、押しつけに感じる人もいるだろう。幻の心理的安全性を自慢している管理職ははっきり言って「能天気」です。

 

「僕の言いたい文脈は分かっているはずだ」という前提を捨てましょう。そこから新しいコミュニケーションが始まります。

これがチーズケーキ??
固定観念は捨てるべきですね。実に美味しいのです。幸せの時間