4つのイドラ

何歳になっても、もっと大人にならなければ… なんて反省する毎日です。バイアスまみれで自分勝手で怠惰で愚かだとね。ま、事実は事実として向かい合わないといけませんね。

今日は人間の偏見について少し書きたいと思います。今回も出口さんの書いた「哲学と宗教全史」にインスパイアされ、少し引用しながら書きますね。歴史の知識が乏しい私にとって、この本は正に大人の教科書。大昔に授業で習った断片が少しつながり、実に気持ちの良いものです。

さて、時は1,500年代。

ルネサンスの時代にローマ教会は繁栄から堕落へと落ちていきます。「世俗化や高級聖職者の堕落、そして下級聖職者の無教養などに対する批判が嵩じた」のです。バブッたのですね。ローマ教会のシンボルであるサン・ピエトロ大聖堂を改築しようとしたのですが、資金が不足します。その時に、ローマ教皇のレオ10世が贖宥状(しょくゆうじょう)を売り出したのです。これを所有していれば犯した罪を軽減してもらえる赦免状のようなものだったようです。なんでそのようなことをしてしまったのか? 彼はルネサンスを代表する貴族で、要するに聖職者というよりは美や芸術などの文化を優先してしまい、本来ならば信者の浄財を集めるべきところを心の弱みに付け込んだ、何というか汚いお金を集めてしまったのですね。

その2年後、神学教授マルティン・ルター「贖宥状に対する95か条の論題」を協会の壁面に張り出したのです。「人間の罪を身代わりになって宥(ゆる)すことのできるのは、神のみである」という正論です。それが広がり、聖職者たちの堕落や贅沢に批判的な人々はルターの意見に同調しローマ教会を強く批判しました。

これに対して、神聖ローマ皇帝カール5世がルターに教会を弾劾するのを止めるように迫りました。しかし、ルターはそれを拒否。カール5世はルターを追放したのです。ところが、ドイツのザクセン選帝侯が彼を城に匿ったのです。安全になったルターは、聖書をラテン語からドイツ語に翻訳しました。ドイツから、教会を批判するとともに聖書に返れという大きなウェイブを作ったのです。

ルター派は、ローマ教会が聖書に書かれていないことを勝手にやっていると批判したわけです。常識的、保守的だったわけですね。これが宗教改革です。

歴史の面白いところは、いろいろな事件が新しい流れを偶然のように作ってしまうことです。カール5世はルター派を禁止しました(1,521年)。ところが、既に東ローマ帝国を滅亡させていたオスマン朝は西へと軍勢を進めてきます。カール5世はウィーンを守るために、ドイツ諸侯の力を借りようと帝国議会を開き、ルター派の禁止決議を一時保留にします。ドイツは先ほどの流れで、ルター派だったのですね。ルター派は活気づきます。オスマン朝は冬の寒さによって撤退をし、なんとかウィーンは守られたのです。そうすると、カール5世は手のひらを返し再びルター派禁止決議を強行しようとします。笑っちゃいますね。自分のご都合。イデオロギーの違いで党が二つに割れても、勢力の拡大のためにまたくっつくどこかの国の政党みたいです。ルター派はカール5世に抗議書を送ります。分かりますか? 抗議すなわちプロテストしたので、ルター派プロテスタントと呼んだのです。

ちなみに、ローマ・カトリックは先ほどのように華美で堕落的です。それに対しプロテスタントは質素で禁欲的です。歴史的にカトリックの比率が高い国は、イタリア、スペイン、ポルトガル、更に南米の国々です。プロテスタントの比率が高い国は、ドイツや英国、北欧の国々です。分かりますよね。食事や服装は明らかにその影響を受けているように見えます。

宗教改革を支えた人はもう一人います。それがカルヴァンです。カルヴァン「予定説」を主張しました。「聖職者も領主も一般市民も、すべて聖書や法律の前では平等である」そして、「魂の救済を得られる人は、あらかじめ神によって定められている」と主張したのです。ローマ教会はずっと「死後に天国に行くか地獄に行くか、それは最後の審判の時に決まる。だから生きているうちに善行を積み重ねて、最後の審判にパスをすることが肝要である」「善行を積んだのかどうかを誰が判断してくれるのか。結局のところは、ローマ教会の最高権威者であるローマ教皇です。そうすると教会に土地を寄進したり、お布施をたくさん喜捨(きしゃ)したりする」ことを信じていたわけです。

ところが、「予定説」では、生まれる前から死後の運命が定まっているわけですから、「教会で祈ることもお賽銭を積み上げることも何の役にも立たないことになります」ローマ教会としてはとても困るわけですね。面白いでしょ。

不思議なのは、そうであるなら気ままに生きて信仰深い生き方はしないはずなのに、そうではないことです。「自分たちは選ばれて天国に行くのだから、与えられた天職を禁欲的に務めるのだ信じこんだのです」凄いですね。

この教えは商業や工業にかかわる人々に浸透していきます。ちゃんと聖書を読み学習を旨とする人々です。マックス・ウェーバーは「このようなカルヴァン派の人々の生き方と業績が資本主義の原型を生み出し発展させた」と考えたそうです。これまた面白いでしょ。

話が長くなりました。少しはしょりますね。カール5世は帝国議会を招集し(1,555)、「召集されたドイツ諸侯や皇帝に直結する大都市の代表者たちは、自分の領地でルター派を信仰する自由を認めることを可決した」のです。神聖ローマ皇帝であり、ドイツ王でもあるカール5世は認めざるを得なかったのです。しかし、同じプロテスタントであるカルヴァン派はさらに過激であったために認められませんでした。

このように、時代はルネサンス宗教改革の大波によって大きく動いていきます。「神を絶対視せず、合理的に物事を見つめて考える知性の働きの大切さに、人間が目覚めたからでした」「信仰上位の世界から合理性と自然科学の世界へと時代は踏み出していきます。近代の幕開けです。その先頭に立った思想家が、イングランドのフランシス・ベーコン(1,564-1,642)でした」

彼は帰納法を体系づけた人です。「知識は力なり」と言ったことでも有名です。これはある意味画期的だったのです。神ではなく人間の力にフォーカスしているからです。宗教の力ってずっと凄かったんだと気付きますね。

彼は人間は「偏見や先入観に囚われがちな性格があることを」警告しています。その性質のことをラテン語イドラidolaというのだそうです。アイドルidolと語源は同じだそうで、両方とも偶像とか幻想を表します。

彼は、人間には4つのイドラがあり、それに気を付けないと世界の真実を見逃してしまうぞと警告しているのです。これが実に鋭い。

種族のイドラ 「人間が本来、自然の性向として持っている偏見。対象を自分の都合の良い方向に考えたがる性向です。嫌なことは過小評価する。楽しいことは過大評価する。見たいものしか見ない。そのような性向を指します。」

洞窟のイドラ 「個人の経験に左右されて、ものの見方がゆがむケースです。狭い洞窟から外界をのぞきみるようにしかものは見られないことです。幼少時の悲惨な体験が引いて、物事を悲観的にしか考えられない場合や、社会的経験が少なくて自分を中心とした価値判断しかできない井の中の蛙』もこの同類です。」

市場のイドラ 「伝聞によるイドラともいいます。市場の人混みで耳にした噂話から、事件の真相を誤って理解してしまうようなケースです。」ネットニュースに踊らされてトイレットペーパーを慌てて買い込むのなんかは、典型ですねw。

劇場のイドラ 「別名は権威のイドラです。劇場の舞台で有名なタレントが話したことや、立派な寺院で権威のある宗教家が説教したことを、何の疑いもなく信じてしまうなケースを指します。ありがちな偏見です。」

全て耳の痛い話ですね。これらは現代人への警告にもなっているのです。私たち全員が自分と向かい合って諫めなければなりませんね。

宗教の力は本当に強いのですね。ベーコンの時代にその頸木から逃れて、物事とりわけ人間そして自分に向かい合ったということなのでしょうか。人間は愚かです。4つのイドラはその典型ともいえる偏見です。自分と向き合って、どれほど愚かなのかに気付くところから始めなければなりませんね。

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聖書に戻れか

 そういえば、友人の結婚披露パーティーで神父役を演じたことを思い出したw

ちなみにカトリックでは神父、プロテスタントでは牧師というのだそうだ。