建白魔 渋沢栄一が今の時代に生きていたら…

日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一氏のことは皆さんもご存じのことと思う。2021年の大河ドラマ「青天を衝け」のモデルだったし、来夏に発行される新一万円札のデザインになることも有名だ。
さて、その渋沢栄一氏、ドラマでもその特徴はあちこちに表れていたが、彼は「建白魔」と言われたことでも有名だ。建白(けんぱく)とは上司や政府などに自分の意見を申し立てること。尊王攘夷に染まり討幕まで計画していた、いわば当時のテロリストだった彼が、なぜか(ここは省略)討ち果たすべき将軍家の一員である名門一橋家(後に最後の征夷大将軍徳川慶喜)に雇われ、勘定組頭だったころのこと。いわば財務部長代理と言っていいポジションにあった。その時なんと25歳。部下は100人位いたようだ。彼はやたらたくさん提案(建白)をしたのだ。建白と言っても、彼が違うのは、こうした方がいい、すべきだ、で終わるわけではなく、「僕がやります」と言ってしまうことなのだ。勘定組頭のいわゆる担務を越えて手を上げるわけだ。言い換えると、行動の人だったわけだ。そういうパーソナリティーだったからこそ、その後大成していくわけなのだ。想像がつきますよね。
 
さて、ここで考えてほしいことがある。近年多くの企業がメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用にシフトを進めている。これは皆さんも認識していることだろう。ジョブ(仕事)を定義し、それに人を付ける(アサインする)ことだ。こういう仕事に的確な人材を当て込むわけだ。必要な仕事なわけだから、社内に的確な人がいなければ社外に求めることになる。仕事を定義し人をアサインすることを進めれば、流動化は進むし、誰も応募しないときなどは条件を変えるなど需要と供給のバランシングが進む、即ち年俸の適正化などが進むわけだ。ところが、多くの場合仕事の定義を会社サイドが細かく準備はできない。即ち、自分で自分の仕事を定義するわけだ。それが「職務記述書(ジョブディスクリプション)」。仕事はこれですと、定義するわけだ。そして(本来は)それに見合う年俸で会社と契約することになる。
これを正しく運用しないと、合意したジョブディスクリプションに書いていないことは「私の仕事でない」と平然と言う輩が増える。会社の運営、成長に必要な仕事をすべて詳細に記述することは不可能だし、変化の激しい時代は新しい未経験のことをやり続けなければならないのに、そのような姿勢では企業は立ち行かなくなるはずだ。
即ち、ジョブディスクリプションに書かれていることは、あなたのやるべきことの70%でしかないというような定義が必要不可欠なのだ。ジョブ型で先行している有名企業は、敢えて曖昧に記述し、それにかかわることすべてという解釈をするようにしていると言っていたりする。それもどうかと思う。できる限り具体的に書く方が良いと思うが、それが的確に機能するためには必要なことをすべて行わなければならない、という主旨をビルトインする必要があるのだ。いろいろな企業で苦肉の策を弄しているようにも感じる。
さて、ジョブ型が曲がった解釈で浸透していくとどうなると思いますか? 絶対に渋沢栄一は現れないのだ自分で建白して自分でオーナーシップを持つなんていう人は登場しなくなるのだ。企業の成長は、新しいことにチャレンジすること、ちゃんと機能するように連携すること、不足を埋めること、新しい価値を創造することなどによってのみ、実現する。ジョブディスクリプションで自分の責任範囲を決めてしまい、それ以外は私の仕事ではありませんという解釈がまかり通ってはならないのです。
 
因みに、僕はジョブディスクリプションに記述された仕事の定義は、自分の能力や情熱やモチベーションの50%程度で実現するくらいの感覚が適切だと考えている。その%は職位が上がるごとに下がっていくことが必要不可欠だ。即ち、新入社員は90%程度で良いかもしれないが、幹部になったら50%程度に考えることが大切だろう。
また、言うまでもなく、その余白によって生み出された渋沢栄一のような行動を、もれなく評価する仕組みがなくてはならないのはお気付きの通りだ。そしてそのような行動の人を登用していく企業が成長していくのは間違いない。
 
あなたの会社に真の建白魔はいますか?
 
この記事はWakeup社のメルマガに投稿した(10/13)ものを加筆したものです。メルマガは同社HPの一番下から申し込めます。

リーダーシップは秋晴れの様に清々しいのが望まれる @皇居外苑