失うものはない。対話は希望を連れてくる。

分かってもらえないから会社を辞める、という人が多いですよね。もちろんいろいろなパターンがあると思いますが、多くの場合は上司や同僚など身近な人が受容的でないケースが多いのではないかと感じます。辞める人の原因は半径〇メートル以内の人間関係にあるという話も聞きます。本当に辞める覚悟があるのなら、その近い人間関係を越えて、なぜ役員や幹部の部屋のドアをノックしないのでしょうか。なぜ自ら孤立する道を選ぶのでしょうか。なぜ対話をしないのでしょうか。なぜ躊躇するのでしょうか。何を恐れているのでしょうか。

じっとして何もしない選択をしておいて、なぜ最後の手段の退職を選択するのでしょうか。

私は勿体なさ過ぎると思います。もし、幹部のデスクに顔を出し、「よく来たね」と温かく向かい入れられ、対話ができたとしたら、どれだけ人生にプラスか想像できますか? もちろん、喧嘩を売りに行くわけではないのですから、「お前に言われる筋合いはない、失礼だ」なんていう話になるわけもなく、前向きな時間を過ごせるはずですよね。人間は教えてほしいとか、相談に乗ってほしいという援助要請にはおおらかなものです。本能的に弱者に手を貸したいものなのですから。万が一受け入れられないとしても、そもそも辞める覚悟ができているのだったら、何も失うものはないはずですよね。

なぜ行動しないのでしょうか。

きっと多くの人は逃げたいのでしょうね。もちろん、そう言う気持ちになるケースも想像できます。既にさんざんお願いしたが、聞く耳がなかったとか…。だから辞めるのですか? そのチャレンジは最善を尽くしたのですか? 反対された理由を理解していますか? 説得しようとしたアプローチは溝を作っただけではなかったですか? オープンな議論は実はなかなか難しいものです。人は簡単にディフェンシブになるし、理解できないことを脳が拒否したりします。積み重ねがバイアスも作ります。心に余裕のないときもあります。もし、そうであったとしてもあなたが心から対話を求めているなら、その気持ちは汲み取ってもらえるでしょう。そして、何らかの光を見出すことできるでしょう。

道は開かれています。ただ、言えることは、それは行動する者だけが得られる特権なのです。

気付けば秋の風が吹いている。風は寂しさを連れてくる。対話は希望を連れてくる。