終わりは始まっているのかもしれない

寿命とは何なのだろうか。再生医療など医療科学はどんどん進歩し、健康はお金で買えるだけでなく、長寿はお金で買える時代になりつつあります。早晩、百数十歳くらいはお金で買えることになるでしょう。

それでいいのでしょうか。

社会は成り立つのか、それで幸せなのか、結局若い世代にしわ寄せがいくだけなのではないか。持てる者の我儘が社会をいびつにしていくだけなのではないか。

一方で、人間は地球を壊し続け、自分の寿命は伸ばせるのに、人類の生存危機は深まっている。

科学がどんどん進歩すると、少し前までSF映画で描かれていたように、脳だけが生き残り、まるでコンピュータの中のAIが人間と化したように、生き続ける世界も実現するかもしれない。それは人間なのでしょうか。

興味や好奇心が人生の喜びを支えていると思っていますが、脳だけが生き残り、身体はアバターを使うことができれば、学び、感動し、考え、行動することさえできるかもしれない。お金がそれを実現できるとしたら、それを人は許すのだろうか

寿命が果たす意味とは何なのだろうか。

 

生きるとは何なのか、文化とは何なのか、そう、これからはAIが勝手に文化を創るかもしれない。ごく近い将来に。本当に充分あり得る。

唯一人間だけができることだったはずのことが、AIができるようになり、どちらが創ったか分からなくなる世界。

欲望と倫理観存在意義。一人一人が「生きるということの意味」を考えなければ、人は暴走し続ける。欲望のままに。

100年後はどんな世界になっているのか、今の地球は残っているのか、既に終わりの始まりが始まっているのではないか。

僕のアバターが僕の躰となって行動するって? 
それが新しい「僕」になるってこと? 
ちっとも嬉しくない。