自分と向き合い動機づけする

将来どうなりたいか? 何をやりたいか? どう在りたいか? という問いに向き合うことはどれくらいありますか? 恐らく、多くの人は齢を重ねるごとに減ってきたのではないでしょうか。

大学を卒業するころは、「今、私は何者でもない」という自覚があるでしょう。だから、目標が欲しいし、目指すべきものを欲する一種の枯渇感を感じていたはずです。しかし、そのような心の隙間は、だんだん減っていくのではないでしょうか。現状に満足しきっているわけではないけれど、かといって渇望感に苛まれているわけでもない。だから、自分に対する投資もしないし、時間がないと言い訳を言って新しいことにチャレンジすることもしない。即ち、惰性的な人生を歩んでいる。事実日本は就職後学び直しなど自分に対する学習投資が、OECDの中で最も少ないのです。

 

流れに身を任せることは、ある種「潔い」と考えがちですが、やることは全部やった、あとは「天命に任せる」というのと、変わることから逃げているというのでは、天と地ほどの違いがありますよね。これも前に書いた「メタ認知」ができるかできないかがポイントだと感じます。今の自分を客観的に見ることができるかですね。

今、あなたはどういう状況にありますか。何も挑戦せずに流れに身を任せているだけですか? それとも流れに逆らい必死で泳いでいますか? どういう状況にあるのかを、まず認識しましょう。そして、それで本当にいいのかどうかを考えましょう。本当は泳ぎ出したいのだと気が付いたら、意図的に脱出するための行動を起こせばよいのです。意志さえあれば、時間がないなどという言い訳は二度と言わないはずです。

忙しいとか、時間がないという言い訳は、目標がない人の決まり文句です。明確な目標を持っている人、例えば海外留学を目指すため、秋までに試験に合格しなければならないなど、タイムラインを切ってあらゆる時間を削って勉強に時間を当てるはずです。優先順位の低いタスクは止めるか、徹底的に手抜きしてしのぎます。それでも、辛いとかストレスを感じるなどということはないでしょう。集中し、充実感を感じているでしょう。

むしろ、流れに身を任せたままの人の方が、忙しいことをアピールします。あたかも、忙しい自分を誇らしく感じているかのように。そして、愚痴を言い、本当はやるべきことがあるのにできないことにストレスを感じているかのように、表現したりもします。

別に、常に全力で泳ぐべきだなどと言いたいわけではありません。レイドバックした人生は魅力的です。ただ、何も考えずに漂流しているかのような人生は送りたくないと思うのです。どういう人生を送りたいのか、と自分に問いかけ、その答えを言語化すると人生は変わるのではないかと感じるのです。言語化することによって、自分を動機づけることができると思うのです。

クライアント企業のそばにあるカレーうどん専門店。こんな店があるなんて。
外出先でのランチに困ることが多い。選択肢が少ない中あちこち試しても
ハズレばかりの街では、特にモチベーションが下がる。
結局ファストフードで済ませることを想像するとすごく寂しい。
このランチは、少し糖質過多だったね。でも、旨かった。