OSと人生

私はコーチングの初回にクライアントに「人生観」や「仕事観」をお聞きしている。多くの人はそんなこと考えたことがなかったと言う。そうだろうと思う。私だって、そんなことを考えたのは相当シニアになってからだ。私の場合は、長年ブログを書き続けていることもあり、自分は何を伝えるべきなのか、伝えたいのか、などと自問自答することが多い。そのように自分と向き合い続けていると、いろいろなことが頭をよぎる。主に内省。しかし、結論が出るわけではなく、結局悶々とした気分になったりする。しかし、自分の気持ちを整理したり、言語化したりするプロセスを大事にしてきた

何かの本質を考える(自分ことを考えるのはそのひとつ)。そのアプローチが固定的な切り口からだとすぐに迷宮に入り込む。アプローチのコツは多様な視座、視点、視野から多面的に見ることだと思う。

何度も言っているが、現代は人類史上最も変化が激しい。そんな中では今まで以上に、自分は何をすべきなのか、何に向き合うべきなのか、なぜそれをしなければならないのか、何のためにそれをしているのか・・・などを考えないと激しい流れに流され続けるだけだ。流され続けることは何も対処していないこと。流れの渦に身を任せてぐるぐるし続けているだけなのかもしれない。世間の変化にも気付かず、友人や家族の混沌にも気付かず、渦の中にいる。

どういうタイミングで、何をセンシングして、どう解釈して、何を取り上げて、どうアクションするのか・・・それはいわば僕たちのOSの役目。そのOSはバクだらけだったりする。だからさっき書いたような多様な視座、視点、視野から多面的に見た結果や、実際経験した「」、それによって成熟した「価値観」などによって、そのOSをアップデートし続けなければならないと思う。もしかして、自分をコントロールする僕たちのOSは凍結したままではありませんか?

人生に向き合うプロセスは、自分のステータス(状態)を気付かせてくれる。正に「今ここにいる自分」即ち「Being」に気付かせてくれる。悶々としているのか、元気に走っているのか、渦の中をぐるぐる回っているだけなのか・・・

 

「人生観」「仕事観」を考えてみよう。僕は何のために仕事をしているのか。なぜ仕事をするのか。人生に意味を与えるものは何なのか。何が人生に影響を与えるのか・・・

自分と向き合い自分を変えるその繰り返しが人生だと思う。その繰り返しが成長・成熟だと思う。そのためには自分の行動を司る陳腐化したOSをアップデートしよう。

世界で何が起こっているのか。歴史、社会学、哲学・・・などはOSのアップデートに必要不可欠だ。その刺激が脳を活性化させる。本を読もう。いろいろな人の話を聴こう。新聞を読もう(メディアの信頼性は下がったが)。「知識」ではなく「知性」。「教養」かもしれない。

実は僕が一番自信のない分野なのかもしれない。いまさら反省しても少々遅いかなw

でも結構一生懸命です。ちなみに、今読んでいるのは「経営戦略原論」と「世界史のなかの昭和史」。読むきっかけは「反省」でした(笑)

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緑と黄と青。気持ちの良いコーディネーション。樹によっては早くも🍂が。
僕たちのOSも新陳代謝がないと虫に食われて、冬も越せないよ。