価値観とオーナーシップとフォロワーシップ

「自分は何者か」というシンプルな問いと向き合ったことがありますか?この問いは、人生で最も重要な問いかもしれません。

私は皆さんに、自分と向き合う時間を作ることをお勧めします。自分とは何者かを問いかけることで、自分の価値観を言語化してほしいのです。何が喜びなのか、何を成し遂げたいのか、誰のために生きているのか、どう在りたいのか、生きるとは何なのかなどです。

 

私の個人的な感覚を少し書きます。考えれば考えるほど、人間関係の渦の中にいることに気付きます。もちろん、一人孤独と闘って生きることに意味を見出している人もいるかもしれません。私はとてもそのように生きることはできません。

既に会社員生活に終止符を打ち、幸い個人事業主として多くのクライアントと定期的にコミュニケーションをとっていますが、それがなくなったら次の人生を再設計する必要があるなと、感じています。即ち、コミュニケーションが私の人生のキーだと感じているのです。傾聴すること、話すことで、相手の混沌をクリアにすることができるはずだと挑戦する。恐らく多くの人はクリアな人生を送りたいと思っているでしょう。スッキリとした気持ちで、在りたい自分の実現に挑戦できればウェルビーイングを感じることでしょう。私もそうです。そんな考えを前提にして生きることに価値を見出しているのです。

価値観を言語化することによって、自分にとって何が大切なのかを明確にすることができます。そうすればフォーカスすべき行動が分かります。それに向かって行動を変えることができやすくなるはずです。

意志さえあれば行動は変えられます。自分を主人公にすることができます。別に舞台の中心で演じられると言っているわけではありません。自分で決められるということです。主体的に生きるということです。

 

自分の人生に向き合うと、これでいいのか?と自分に問いかけることが増えるでしょう。目の前で起こったことを自分とは関係ないと、見なかったことにしてしまうかどうかを想像すると分かりやすいかもしれません。自分のチーム、事業部、会社の、自分の担当外の顧客や仕事に関してたまたま知ることになったチャンスやピンチを、他人事にして聞かなかったことにしますか? 僕の担当じゃないと。

もしくは、その話を当該担当を探して伝えますか? 結局はたらい回しにあって匙を投げますか? それとも、自分の力で解決するように動きますか? こんな話は枚挙に遑がありませんよね。私も何回も経験しました。企業には担当が不明確な仕事はいくらでもあります。どのセクションが担当なのかを調べようもない仕事もたくさんあります。あなたはその時、放っておきますか?

亡くなった稲盛さんが、JALの再生を任された時、事実上倒産しているJALの社員が皆他人事だったことを感じ、一人一人が「自分がJALだ」と思ってほしいというような話をしていたと聞きます。皆が他人事で事業の再生などはできるわけがありません。一人一人が血も汗も流し、絶対何とか再生させてみせると当事者意識すなわちオーナーシップを持たなければなりません。JALは全くその真逆だったのです。再生途上のJALの社長~会長だった大西さんに話を聴いたことがあります。なぜ、社員だけで改革できなかったのかとの問いに、彼は「(当事者意識を失った社員ではできなかった)(おかしいことをおかしいと言える)外の血が必要だった」というようなことを仰っていました。

誰も自分のことを自分がJALだとは思っていなかったんですね。それに気付いた稲盛さんの改革はさぞ苦しいものだったと推察できます。他人事・無関心ほど恐ろしいものはありません。逆に、自分事、オーナーシップ、当事者意識の強い社員ほど強いものはありません。誰も見て見ぬ振りはしないし、自分のこととして困難に立ち向かっていくでしょう。

 

自分と向き合うとき、向き合う課題の一つが信頼関係だと感じます。空気を読んだり、傷つけたくないなどと感じて、言いたいことも言えない(意図的に言わない)ことで信頼関係は構築できるのか。傷つけないことが優しさだと勘違いしていませんか? 結局は問題を放置していることにつながっていませんか? 「アサーティブ(assertive)コミュニケーション」という言葉を聞いたことはありませんか? DIAMOND onlineでは「適切な日本語に訳すのが難しいですが、『自分の気持ちをごまかさず、相手の気持ちも尊重した上で、適切に自己主張する様子』といったような意味です」と表現しています。要は、上品に言いたいことを言うことですね。ところが日本、とりわけムラ社会の色の濃い組織では、言いたいことが言えない。言うのは常に年長者。そして彼らは単刀直入に人を傷つける言葉で命令を下すのです。そんな組織で育った人にアサーティブなコミュニケーションは難しいでしょうね。問題は言いたいことを言えるかどうかです。森真一氏の書いた「ほんとはこわい『やさしさ社会』」の中に、相手を傷つけないようにするのが「予防的やさしさ」。その背景には、相手を傷つけたら立ち直れないという思い込みがある。もう一つが、「治癒的やさしさ」。なんでもストレートに話す。それで相手が傷ついてもそれは修復可能だ。ケアするのが優しさだ、という考え。前者が優しさだと思っている日本人。子供のころからブレストなどで激しい議論をやりなれている欧米は、完全に後者です。日本は前者の典型。日本が本質的な問題に立ち入らずに、ずるずると時間任せにしてしまう構図がよく出ていますね。

もちろん、我儘な表現や汚い表現で話せと言っているわけではありません。アサーティブなコミュニケーションは「治癒的やさしさ」に通じる考え方だろうと思います。同時に「インクルーシブ」という考え方とも通じますね。

日本人の多くはコミュニケーションが下手です。もしくは、コミュニケーションを避けていますね。面倒だと感じているのかもしれません。率先して孤立するように行動している人もたくさんいます。在宅ワークが増え、結局はそれに苦しんでいる人もいます。それはちょっとした努力で解決できる問題かもしれませんね。

 

話は、拡がります。フォロワーシップという言葉をご存じだと思います。フォロワーというとリーダーの指示に従う盲目的な補佐役のように思っている人も多いでしょう。実は今「フォロワーシップ」の重要性に注目が集まっています。例えばグロービスのコンテンツにあるくらいです。ロバート・ケリー教授が指導力革命」でこのようなことを書いています。細かくは書きません(興味のある方はネットで調べてください)。フォロワーには5つの分類があります。①消極的フォロワー②順応型フォロワー③孤立型フォロワー④実務型フォロワー⑤模範的フォロワー です。考え方の重要なポイントは、横軸に関与度、縦軸に批判的思考を置いていることです。即ち、関与が積極的か消極的か、批判的な考え方を独自の視点で持っているか、依存的かです。

想像の通り、⑤模範的フォロワーは、自分で考えリーダーに対し建設的な提言・批判をし、組織に貢献するのです。前提はリーダーは万能ではないということ。当たり前ですよね。そう感じていているのに何も行動しないのなら、その時点ですべて他人事という証拠です。そして、どんどんフラット化し、多様なミッションを各自が持つ中で、全員がリーダーでありフォロワーでなければならない。即ち、あるミッションにおいてはリーダーシップを発揮しチームを目標に導いていく。あるミッションにおいては、フォロワーとして自分の能力を発揮しリーダーを支え、独自の視点でリーダーに意見を言いながらミッションの完遂にオーナーシップを持つ。模範的フォロワーがいないと、リーダーは裸の王様に陥ってしまうのは、皆さんの想像の通りでしょう。

 

他人事、自分事などの話から始めましたが、フォロワーシップは他人事と近い価値観だと思ったら大間違いだと言いたかったのです。リーダーだろうが、フォロワーだろうがオーナーシップのないメンバーは活躍できないし、貢献できないと思うのです。独自の提言や批判は自分事として(自分は何者かという考えが、ある程度昇華している状態)考えられなければ、できるものではありません。

 

前回、リーダーに反対表明ができますか?と問いかけました。実は、正に優れたフォロワーは自分の意見を組織のために遠慮なく言えるのです。そして、組織のトップ(リーダー)にはそんな「模範的フォロワー」が必要不可欠なのです。

台風が過ぎれば本格的な秋が始まる。旅に行きたいと感じる今日この頃。
浜離宮恩賜庭園