ラストマンと民主主義

例えば、皆さんは、企業において社長とか事業部門のトップが集中した権限を持ち、スピーディーに大鉈を振るい続けることを是としますか? VUCAといわれる変化の激しい時代においては、その変化を感じ取り、将来を洞察し、それに対応できるよう誰よりも速く変化し続けることが重要です。そうなると、権限が集中し一人の判断でさっさと戦略を変え、組織を変え、経営資源の投下分野を変え、買収や売却を大胆に行い、部下はそれに振り回されながら、指示に従いついていくという姿が想像されますね。

しかし、いかにスーパーマンであっても予測不能な変化や競争環境の中で、正しい判断ができるとは限りません。株主や投資家の批判を恐れて、判断がぶれるかもしれませんし、名誉や名声、野心や私利私欲によって客観的で透明な判断を優先しない場合も十分あり得ます。

では、すべて皆で話し合い、議論を重ねたうえで、ボトムアップであらゆる事業戦略や執行を行うことを想像すると、それはめちゃくちゃスピードが遅く、リーダーたちによる経営資源の奪い合いや足の引っ張り合いが起きることは間違いないでしょう。一見民主的な構造に見えても、それは凄く面倒なだけではなく、正しい判断ができるかどうかは全く分かりません。

企業だけ考えてみても、そのように権限の集中と分散はどちらであるべきなのかは明白なわけではなさそうですね。

 

川村隆(元日立製作所会長兼社長)氏はこう言っています。「最近のコーポレートガバナンスにおいては権力の分散化を進める傾向があります。確かに社長がすべて独断で決めることには問題があるものの、権力というものは分散化するほど実行力がなくなり、痛みを伴う決断が困難になるように思います」 河村氏は、ご存じの通り同社が2009年度に7,873億円という当時製造業最大の赤字を出したときに、再生を託された方です。彼はもちろん日立にあってはエリートであったわけですが、その中では傍流を歩み、その直前まではグループ会社の会長を務めており、表現は悪いですが、引退間近の状況であったわけです。その彼が引き戻され再生を託されたのには、深い意味がありそうです。彼はその時点でもすでに高齢で、本社の役員もグループ会社の社長も皆後輩になり、傍流だけに本社を客観的に見ていたのです。即ち、強いリーダーシップを発揮しやすい人だったわけです。ライバルはいないし、妬みや嫉みの対象にもならない。彼が火中の栗を拾うならついていくしかないという人格だったと言えそうです。彼は「自分の後ろにはもう誰もいない(ラストマン)」という表現を使っていたことを思い出しますね。

想像してみてください。このような企業状況、即ち沈みかけたタイタニックを立て直す時船長がやるべきことを。会議で議論を重ねている場合ではないわけですよね。腹心達に客観的なデータを収集させ、即対処を判断し行動する。その繰り返しを行うとともに、短期的、長期的な財務的改革を行う。即ちあるべきポートフォリオを決め、それに必要ではない事業は売却し、必要な事業は買収する、の繰り返しを即断・実行する。そうですね。パニック状況にあっては、権限は集中していないと大胆な変革をスピーディーに断行することなどできません。ただし、トップは関係者から全幅の信頼を得なければ協力は得られないことは、言うまでもないことです。

5/12にアップした「日本の働く人の特徴とは」で書いた「組織文化の特徴です。日本の特徴は「上層部の決定にとりあえず従う」「社内では波風を立てないことが重要」「オープンな議論ではなく事前の根回し」など権威主義・責任回避」的なのです。」を思い出してください。日本人は普段からオーナーシップを持たず、成り行き任せで上司の指示に従って仕事をしてきた。だから、時代の変化にアラインできず落ちこぼれた。上司だってそうなのですから、すべて後手後手。日立だってそうだったのでしょう。沈没間際になって、今すぐ手を打たなければ沈没する。だから私の言う通り大きく変えていけば、沈没はさせないからついてきてくれと言えるリーダーに変えたということでしょう。川村、中西両氏が登場しなければ、今の日立はなかったと思います。

 

国家の統治はどうでしょうか。選挙で選ばれたリーダーが必ずしも正義の道を進むとは限りませんね。民主主義が常に正しい判断をするとは限りません。一方で、世襲の君主や帝王による統治が暴走するとは限りません。システムの問題と個人の問題は全く別物ですね。

権力が分散したり、話し合いによる民主主義などは、ある意味とても面倒であり、時間と手間をかけなければ機能しません。

強いリーダーとは、専制的に一人で決めて命令をする人ではないはずです。圧倒的に「広く見て、深く見て、先を見て」いるからこそ将来の物語を語ることができ、自分が痛みを感じる改革であったとしても、国家や地球、または企業がどのようにあるべきなのかに納得性が感じられるから、リーダーの示す方向に賛同するわけですね。

美しい国」とか抽象的で何を目指しているのか、なぜ目指しているのかなどが、全く理解できない厚化粧や、「しっかり・・・」などという曖昧模糊とした副詞で表す「自分だけがそのつもり」な我田引水な表現・行動、では本質は伝わらないと思います。もっとも、本質はそもそもないのかもしれませんが・・・。

 

将来は誰も分からない。データなどのエビデンスも、本当に正しいかどうかは将来検証するしかないのです。しかし、いろいろはデータや状況、変化、歴史などの組み合わせが、「きっとこうなるだろう」と納得性の高い物語に昇華できるはずで、リーダーの探求心や本質を追求する創造力がなければ、民主主義も企業統治も成り立たないでしょう。時間ばかりが浪費されたり、将来を共有できないばかりに分断を生んでしまったり、共感できないばかりでただ批判することしかできなくなったり、当事者意識の欠如した集団と化したり、そこに集う人々は不満しかないか、「自分は関係ない、どうでもいい」と捨て鉢になったりするのが関の山です。

 

本当にリーダーの行動や統治システムは、国や企業だけでなく、管理組合や自治会などのコミュニティーにとっても本当に重要な問題だと感じます。

目指すべき山は、どんなに険しくとも、雲に隠れていようとも、
リーダーが指し示さなければならない。