リスキリング

リスキリング」ってなに? 教科書的に言うなら「職業能力の再教育や再開発」なのでしょう。それも最近の文脈は多くの場合「DX時代の」とか「DXを成功させるための」などという前置きが付く。即ち就業に係わる能力を得ること、それも既に働き始めて時間がたった人が時代に即した新しいことを改めて学ぶこと、的な意味合いだと分かる。

もちろん社会で必要とされるスキルは時代と共に変わる。浮沈も激しい。ちょっと前にもてはやされたスキルがあっという間に流行遅れになったりもする。就業している人にとっては重要な課題だ。

以前「リカレント教育」という言葉が流行った。リカレント教育とはユネスコが73年に提唱した学校教育と社会教育を循環させる考え。即ち社会に出てからも学べる機会を増やし、生涯に学習機会を分散させる考え方だ。何度でも学び直しができる社会、という感じかな。以前にブログにも書いた記憶があるが、OECD加盟国の中でデータがある国だけで比較すると、フルタイムで学び直しをしている日本人は2.4%で28ヶ国中最低。日本人のほとんどの人が、リンダ・グラットン氏の書いた「ライフシフト」で書かれている「学習ー就業ー引退の3段階」をほぼ20年―40年ー20年ときっちり分けて生きている。真ん中の40年はほぼ何も学ばないわけだ。しかし、これからは残りの20年が40年になる。今の若い人の多くはそうだろう、そう人生は100年になる。そんな時代に生産的な人生を送りたくないのか?という話ですよね。多くの人はもっと働きたいとか、社会に貢献したいとその時になると思う。だったら、真ん中の40年でもっと学んで、いろいろな経験を積み、いろいろなスキルや能力を付けて、何度でもギアチェンジして新しい人生を始めればいいじゃないか、という価値観はとってもよく分かる。グラット氏も、これからは、「変われる能力」が最も重要だと説く。同感だ。僕も遅ればせながら学んで第二の就業をスタートさせた。

 

「リスキリング」「リカレント教育」ほぼ一緒。でも僕は前者の、時代に必要なスキルを習得すればお金になる的なドライな感じがなんだか好きじゃない。もちろん、自分の価値を高めることは最も大切なアプローチだし、社会もそういう人を求めているだろう。常にビビッドにチャレンジする姿勢も尊敬できる。でもちょっと何かが足りないと感じるんだ。スキルがあれば何とかなるわけじゃない。社会人として成長しているかどうかはスキルだけでは評価できない。オープンさ、コミュニケーション能力、責任感、リーダーシップ、公共善の価値観、リベラルアーツの深さなどなど、一種の「」が問われるのが「大人の社会人」ではないだろうかと感じるんだ。年齢じゃない、経験の多さでもない、深さは別の何かによって創られると言ってもいいかもしれない。もちろん、僕はいまだにそれらの不足感を恥じることが多い。そう、一種の教養の低さをいまだに自覚する毎日と言ってもいいかもしれない。人生は、永遠のトレーニングという感じかな。

 

毎日目先のことに忙殺され、気付けば50歳・・・ というような人生を送っている人がほとんどでしょう。もちろんそれはそれで十二分に充実した毎日だったかもしれない。自分の人生は自分で決めればいい。しかし、時間は過ぎていく。どんどん過ぎていく。人生を深くしていくためには常に磨き続けることが、必要不可欠だと思う。

考えてほしい。それは、「何を学ぶか」ではなく「なぜ学ぶか」。学ぶことへの渇望。これは人間の本性だと思う。その本性に忠実に生きよう。別に仕事を広げるスキルじゃなくてもいい、哲学でも歴史でも数学でもいいんだ。それは必ずあなたの人生に深い味付けをしてくれるはずだ。

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秋の高尾山。清々しい気候は僕を何かに駆り立てる。
その気持ちを大切に生きていこうと思う。