経営資源の問題はカルチャーが足を引っ張る

変わりやすい天気。変わるたびに季節は一気に変わっていく。でも、僕たちのビジネスは毎年同じことをぼやいていませんか? なぜ変われないのだろうか。今日は真面目な話。いやいや、毎回結構真面目な話をしているつもりなんですが・・・

 

企業が成長戦略を考える時、リソースが足りない・・・など経営資源の不足を嘆くケースが多い。皆さんもきっとそうでしょう。

経営学の中で、長きにわたって「資源ベース理論(A Resource-Based View of the Firm:企業を資源から捉える考え方)」が企業の中で戦略を議論するときに、日常的に当たり前のように会話の中に登場し続けた。スタートは1980年代。それまで外部環境に偏り過ぎていると気付き、企業が競争力を持つためには他者が真似できない資源を保持すること「資源獲得障壁」を築くことが重要だという主旨の論文が出たことに始まる。

それから30年以上たった今でも、我々は自社の競争優位性をコア・コンピタンスなどの資源を分析するなどして論じている。この古い概念をもう一度見直してみよう。というのは、今足元でそんなことを分析している視座が薄っぺらすぎるのではないかと危惧しているからだ。

企業が保有する資源は、代替しづらく、模倣困難なことは必須条件となることは言うまでもない。実はそれに加えて大切なのは、その資源が蓄積されてきた過程が独特であることだ。独特であるがゆえに他社にまねができないということだ。

企業が戦略を論じるときに、個々の事業が持つコア・コンピテンスの獲得と育成、そしてそれらのための組織的な集団学習のシステム(仕組み)づくりに注力しているだろうか。事業の成長戦略を語る上で、付け足していくべきコア・コンピテンスを明確にしているだろうか。また、既に持っているものを継承、強化していくために明確な学習プロセスを構築・実践しているだろうか。それらがなければ、コア・コンピテンスは相対的に失われていくし、成長に必要なピースは強化されて行かない。コア・コンピテンスのポートフォリオを明確にしよう。そしてそれを強化する学習システムを定着させよう。それ抜きに成長は語ってはならないと理解しよう。

実は北米の企業は日本企業のコア・コンピテンスを分析して、それを凌駕する戦略を立て実行してきた。その流れは経営学者が作り出したと言っても過言ではない。その間に日本企業の相対的競争優位性は失われてきた。私は、北米企業の成長は経営学者によって支えられてきたのだと、思っている。

 

資源の重要性は現在でも論を俟(ま)たない。多くの教科書で取り上げられているのが「VRIOフレームワーク」だ。Variable(模倣困難か)、Rare(希少性があるか)、Inimitable(模倣困難か)、Organization(組織と適合性があるか)。ここで注目しなければならないことがある。企業は異質性があればあるだけ競争力は高まる。そうであるなら、その資源は交換性の低いものであるほど、競争優位性は揺るぎないものになる。即ち市場で交換しやすい(お金などで手に入る)ものでないものほど価値が高い。ということは有形資源より無形資源が企業に固着していることが重要であることが分かる。

しかし、多くの企業はそれに真剣に向き合っていないように感じる。無形資源とはどのようなものなのだろうか。その考えを進める理論がある。それが「知識」を重要視する考え方。資源には多様な種類がある。多様な資源を再編し、組み合わせる知識とそれを編集する仕組みこそ企業の競争優位の源泉だ、という考え方だ。企業の中には多様な資源がある。その多くは恐らくサイロ化された各組織の中に潜んでいる。残念だが間違いないだろう。さて、皆さんにはそれらを組み合わせる知識や編集したり改変したりする仕組みがあるだろうか。恐らくNoだろう。日本企業の多くは、縦割りが強すぎ、その壁は厚く、資源はオープンにされていない。それがイノベーションを生まない理由でもある。入山教授がいつも言っていることに繋がってくる。

また、「知識」ではなく「能力」が重要なのだという考え方もある。企業内に存在する資源を再構築する能力こそが、競争優位の源泉であり、持続的な競争優位に繋がるという理論だ。能力か知識かの違いがあるが、言っていることはほぼ同じだ。

言えることは、重要な資源は有形なものではなく、知識、知財、プロセス、人財、人のネットワーク、能力、それらによる化学変化が起きやすい環境などなどの、曖昧な「何か」だ。それは現在の経営学の中でも明らかにされていない。

私はあえて言いたい。あなたの会社は、そもそも競争優位を生み出す資源に真剣に向き合っていない。それを生み出し育てることを推進していない。それらは決して短期間でなしえることでなく、成果は目に見えにくい。それゆえ、それはなかなか真剣に議論されない。御座なりにされる。それは、幹部の責任である。先送りにしない決意。それが企業カルチャーであるという事実から目を背けない。そこに横たわる感情や信頼関係の重要性を忘れない。そんなことが大切だと痛感する。

経営学と企業カルチャー。一見全く関係ないと感じるだろう。いろいろなフレームワークを学び、戦略を真剣に考えることは重要ではある。必要なビジネススキルでもある。しかし、それを活かし成長につなげるためにはそのベースとなるエンジンが必要なのだ。そう、組織は人の能力が高ければ成果を出せるわけではない。そこには感情があり、信頼関係をベースにしたイノベーションや、目先のことに拘泥しないビジョン、そしてトップの揺るぎないリーダーシップが必要なのだ。

 

最近野中名誉教授が以前から提唱している「SECIモデル」が多くの人に引用されている。海外でも注目されているそうだ。この論文は、「暗黙知」と「形式知」の知識変換が組織内の新しい知識創造を起こすと述べている。企業内でそのような知識が形成され、共有され、進化するためにはどのようなプロセスが理想なのかを理論化している。それが「共同化(Socialization)」「表出化(Externalization)」「連結化(Conbination)」「内面化(Internalization)」の「SECI」なのだ。ちょっと分かりにくいその理論は凄く当たり前のことを述べているようにも思える。しかし、それが的確に行われている組織は非常に少ないのだろうと推測できる。

例えばIT系の皆さんがよく知るPMBOK(Project Management Body Of Knowledge)がある。プロジェクトマネジメントのノウハウや手法を体系化したもので、いわばSEのバイブルだ。ほぼ全員の人が学んでいるのではないだろうか。足元を考えてみよう。皆さんは先輩や上司から、いろいろな経験やそこから得たコツや利用したオリジナルのドキュメントやフレームワークを継承されているだろうか。その多くは、きっとこんな環境の顧客にこう対峙したら反発されこじれて大変だったとか、どういう特性のあるプロジェクトはどのようなサブチームの構成でスタートすべきだとか、こういうものはスクラムは向かないとか・・・多様な経験は多様な暗黙知形式知に変換して蓄積する。しかし、このような貴重な暗黙知は組織に蓄積され、タイムリーに引き出されることによって継承されているだろうか? 恐らくほとんどの皆さんは感じるでしょう、「No」。それが実態ですね。

なぜそんなことすらできないのでしょうか。そここそが問題だと思う。とても愚直でシンプルな行動。なぜ御座なりにされるのか。

先ほど述べたように、無形の知の蓄積は最重要な資源ではないのか。競争優位性の源泉ではないのか。もちろん短時間で成果に結びつくものではない。だからこそ、カルチャーとして根付かせなければならないのではないだろうか。もちろんそれはIT企業だけが対象ではないことは言うまでもない。

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秋の装いがひたひたと広まってきた。毎年繰り返される四季。
僕たちのビジネスも同じことの繰り返しではないのか。
それを変えるのはリーダーの使命ではないのか。