100年の意味

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web会議のない朝。2時間強のウォーキング。雲の動きが速い。梅雨入りが近いぞ。


■人生の意味

リクルートワークス研究所の調査では、日本企業の中には社内失業者が現在推計408万人いるとされています。日本の雇用システムである年功序列や終身雇用が悪影響を与えているのは間違いありませんが、右肩上がりの経済成長の中で、ローコスト大量生産が求められていた時代が終わり、多様化したニーズに対して価値を創造し続けることしか、成長の芽がなくなっている中で、社内で価値を出せなくなっている人が増えているのと同時に、企業サイドもそういう人材を育てられていないし、使いこなせていないことが大きな要因だろうと推測します。
 
人間はなんのために働くのでしょうか? 一人一人が社会の中で付加価値を創り出すから社会が存続します。そして、その価値の大きさによってほかの人の便益や感謝の量が変わります。それが対価となって人々の生活が成り立ちます。一般的にその対価を得るために、起きている時間の多くを仕事に費やします。もちろん能力や情熱の多くも投入します。
 
従って、多くの人にとって否が応でも仕事観が人々の価値観の重要な基軸になると思います。自己実現と仕事観が同じベクトルに重なった時に、人々は最も充実を感じるのだろうと思います。
 
そこに必要不可欠なのが、“学び”です。上質なインプットを得て、それを消化し成長し続けなければ、人生はただの消耗戦です。徐々に細っていく人生に甘んじることは、人が本能的に持つ自己実現欲求にも逆らって生きることです。そこに充実感は存在しにくいでしょう。前にも書きましたが、私にとっては、先細りの人生は最も避けるべきものです。
 
本質的には、利己的な満足を得るために利他的に生きる、ということが人間のエコシステムだと思います。そのエコシステムの一員になるために、自分の能力を発揮しましょう。周りの人達とつながりましょう。できることはあるはずです。


 
 ■人生100年 
NP(NewsPicks)の記事によれば、「最先端のサイエンスでは、老化を予防することにとどまらず、夢のような『若返り』についても現実味を帯びてきています。」とのこと。節制をすることが寿命を延ばすということは、1930年ころから分かっていて現在も定説です。一方、人間の欲望は千差万別で、運動もせず食べたいものを食べたいだけ、それも夜中まで食べる一方で、長生きしたいと願っている人もたくさんいます。
 
それが、医学の進歩によって、そのような長い間のの不摂生をキャンセルできるようになりかけています。なんだか、人間の倫理観というか本質的な価値観も変わりかねない時代が訪れそうです。努力したものが報われるという時代の終焉です。もちろん、そのような医学はめちゃくちゃ高価格で提供されるわけで、高収入者あるいは資産家しか利用できないわけですが、そもそも高収入になるためにすごく努力したのだから当然でしょ、という資本主義的意見もありましょうが、貧乏根性の染みついた私から見れば、ただの強欲にしか見えません。金持ちは努力しないで寿命を買えるのですから。
 
そもそも私は、長寿であることに価値を感じてはいません。もちろん、若くして癌になったりアルツハイマーになったりするような方々を、最新の医療で何とか救えないかと思います。しかし、高齢者の寿命を科学の力で更に延ばしていくことに意味を感じません。

 「長生きする」ことの価値ってなんだろう?

2016年のベストセラー、リンダ・グラットン氏のはライフ・シフト 100年時代の人生戦略」で先進国で2007年以降に生まれた人の半分が100歳まで生きる予測(恐ろしいね)を引き合いに出し、「『教育・仕事・引退』といった3ステージの人生モデルが崩壊した」ということ。「今の60歳は昔の40歳と同じぐらいの健康状態を持っています。しかも昔の40歳よりも20年多く経験を積んでいます」という状況を捉えれば、昔でいう定年・引退という概念がもはや意味を持っていないということがよく分かります。

彼女の主張で納得するのは、僕たちは「有形資産」と「無形資産」という2つの資産を考えることの重要性だ、との考え。「有形資産」とは、お金やモノのことを指しますが、それ以上に健康や仲間、変化への対応力といった「無形資産」が重要だとの主張です。「平均寿命が短い時代では、『引退』ステージのために、金融資産を蓄積することが合理的でした。しかし寿命が延びると、お金を蓄積するより、『より長く働くための資産』を蓄積する必要があります。それこそが、『変身資産』、『生産性資産』、『活力資産』からなる『無形資産』です

その中でも特に『変身資産』という捉え方が面白い。これからの人生は今までより多い人生ステージを歩んでいくことになります。そのプロセスで、自分自身でその変化を制御することが求められます。「自分は一体どうなりたいのかを選択しなければならないのです」 必要なことは、「具体的には自分自身に対する深い理解や、変化を助ける多様なネットワークが挙げられますが、変身できることそれ自体が、これからは資産になってくるのです」 これはとても刺激のある指摘ですね。変身できること自体が資産(能力とも言えるのではないか)だと。う~む。唸らざるを得ません。

更に彼女の主張は「重要なのが、余暇の時間をレクリエーションではなく『リ・クリエーション』(再創造)に使うことです。余暇の時間は引退後ではなく、人生のあらゆるステージに細切れにやってきます。その時間を学ぶ時間として使うべきです」 「リ・クリエーション」(再創造)ね、これまた唸ります。そう、またここで“学び”の重要性が指摘されています。

人生のステップを再構成する。言い換えれば、自分を再創造する。そのためにはそのプロセスで上質なインプットを得て消化する“学び”が必要不可欠ですね。

そう、長生きすることに意味があるわけではないのです。本人が社会の中で充実を感じられることが何より大切でしょう。目的を失っては生きる喜びは感じられないでしょう。目的を考え、自分を再創造する・・・ 惰性で生きないためのハードルは、自分で設置しないとね。

私自身は、長生きしたいなど考えたことはありません。人とのかかわりの中で楽しく価値を発揮しているうちに、「そう言えば、清水さんいないわね」「先月死んだらしいぞ」なんてポックリ逝くのが理想ですね。賞味期限はあと10年くらいかな。十分です。
ところで、私は「健康のためなら死んでもいい」なんて言いがちな健康オタクではありません。お美味しいものを食べて、美味しいお酒を楽しみながら、日常はバランスよく節制する、そんな均衡を保つのが心地よいと思います。
一方、記事の中にある「20年分の不摂生をキャンセル」する医学の時代が来つつあるとは。なんと神をも恐れない所業なのでしょう(笑)。人間の欲はどこまで進むのだろうか。同様に、私は、もし不摂生を続けた人にポックリ逝ける薬を処方できるようになれば、どれだけ多くの人が不摂生の蟻地獄に落ちていくのだろうかと、想像すると恐ろしくなります。子供が親にプレゼントしたりしてね。ああ、恐ろしや。
健康寿命も金で買える世の中か~ 
僕は、DIY健康寿命を延ばすぞ! でも寿命自体は長い必要はない。

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人生、価値を発揮できるうちが花