マーク・トウェイン

企業の不祥事は後を絶たないですね。いろいろ背景はあるでしょうが、その多くは上層部からのプレッシャーではないでしょうか。言い換えると、業績ノルマです。予算は決まっているのだからやり遂げなければならないという強い「男性性」大本営の指示は絶対なのでしょうか。かつて太平洋戦争のときに、南方戦線では兵站もなく、戦力に大きな差があるにもかかわらず、ひたすら戦い続け、どれだけの命が失われたか。実は、現場のトップは何も戦況を理解しない大本営を無視し、退却を命じた人もいたようです。しかし、その人は称賛されることなく退任させられました。もしかしたら、企業の中にもそういう犠牲者がいるのかもしれません。

企業でも同じようなことが繰り返されているのではないかと感じます。「できるまでやれ!」とか「何でもやれ!」とか「あきらめることなど許さない!」「計画通り出荷しろ!」とか・・・ その圧力が強ければ、検査をごまかしたり、売上を確証なく計上したり、サービス契約を売り切ってしまったり、ありとあらゆる手段を考えるでしょうね。以前に紹介した「GE帝国盛衰記」でも色々なことが語られています。非合法すれすれのことは何でもやったような書きぶりです。

不祥事の結末が悲惨なことは分かっているはずなのに、なぜ繰り返すのか。人間は本当に愚かです。ビジネスの本質は価値を渡して、感謝を受け取ることです。顧客と繋がっている感覚を大切にすることは、ビジネスの本質を忘れないための大切な価値観だと感じます。トップから新入社員まで商売の本質を絶対に忘れないでほしいと心から願います。

 

マーク・トウェインはこう言ったそうです。

「歴史は繰り返さないが韻を踏む」

全く同じことではないが、似たようなことは繰り返される、という意味ととれます。「それが問題だなんて十分分かってるよ」でも「これならいいだろう」と、またやってはならないことをやってしまう。本質が分かっていないからですよね。

本質に向き合うことを恐れているように。最低です。

以前に「正義」を宗として生きている友人が、周りから責められると言っていました。融通が利かないと。妥協や偽の円満や話の分かる上司であることを求められるということなのでしょう。確かに強硬に主張を続けると、このような空気が漂うケースがあります。どこで線を引こうが、引いた線は元には戻らないものです。そう、「韻を踏んじゃうのです」「正義を考え続ける」ことが私たちの使命だと強く感じます。

昔から、立派な会議室で行われる会議は「男性性」が強い気がします。
テレビに映る専制国家の贅を尽くした会議室は、見るたびに吐き気をもよおします。