ちょっとした幸福を感じる

旅先で道を聞いた通りがかりのおじさんの親切、たまたま入った食堂の店主の笑顔と何気ない会話、いつもの美容師との他愛のない世間話で新しい発見をしたとき、すごく久し振りに昔の友人を飲みに誘ったときの快諾のメール・・・そんなどうでもいいようなちょっとした意図的な出会いが僕たちの幸福感を少しだけ高めてくれる。人生にはそんなちっぽけな幸せが詰まっていると感じます。そんな記憶にも残らないようなコミュニケーションが僕たちの心の安寧を支えています。出会いは、偶然かもしれませんが、コミュニケーションは意図的なはずです。話しかける時はもちろんのこと、話しかけられた時も決して“話しかけないでほしい”オーラを出すことなく、“にっこり”“待ってました”とばかりに受け止め、打ちやすい球を打ち返すテニスの練習のように会話を始めるのです。それは意図的以外のなにものでもありません。インクルーシブな人にはできて、そうでない人には苦手なことかもしれませんが、実は意図的にできることなのです。悩んでいる友人の相談相手になれる人と、なれない人がいますね。実は、そんな日常の積み重ねがそういう関係を生み出せるかどうかを決めているのではないかとも感じます。

 

COURRiER JAPONにハーバード大学成人発達研究所の責任者ロバート・ウォルディンガ―博士の話が出ていました。同大学は85年に亘って幸福に関する大規模な調査研究をし続けてきたとのことです。

「ウォルディンガ―とマーク・シュルツ博士が共同執筆した新著『グッドライフ:世界最長の幸福実験でわかったこと』(未邦訳)は、世界中から収集された多少性に富む研究にも触れているが、人を幸福にする要素はどの研究結果でも類似していると強調する。人は社会的なつながりが強いほど健康で、長生きしやすい。これに対し、孤独ははやり病のように現代社会に広がり、喫煙と同じくらい健康に悪いとみなされる」

「人間関係がストレスからの回復を手助けすると、私たちは考えています。社会的に孤立している人は一種の闘争状態に慢性的に置かれていて、少しでもストレスを感じると、コルチゾールなどのストレスホルモンが高止まりし、炎症を起こしやすくなります。それが、身体のさまざまなシステムを徐々に消耗していくのです」

 

皆さんは、誰かのために行動できていますか。些細なコミュニケーションが他者を幸せにする可能性はとても高いと思います。そういえばあいつ元気かな?と思ったらメールでもSNSでもいいし、手紙でも電話でもいい、気楽にコンタクトを取ってみたらいかがだろうか。顔を思い浮かべると面倒だなと思うかもしれません。意志さえあれば行動は変えられます。一言声をかけるだけでいいのです。特に在宅ワークが多く、たまに出社しても仲間はいなくて更に寂しい思いをしてしまいがちな組織の方々。一人一人のちょっとした声掛けと笑顔があれば、それで誰かの孤独は和らぐはずです。ほのかな幸福が感じられるはずです。

博士は、戦後の調査を取り上げてこう言っています。「当時、調査の際に『困難を克服できたのはどうしてだと思いますか?』と尋ねると、回答者は異口同音に『他者の存在のおかげ』だと答えました。兵士は、『故郷からの手紙をくれる人たちや戦友のおかげだった』と言いました。大恐慌について尋ねすと、『近所の人たちが協力し、限られた物資を分け合った』という回答が返ってきました。良好な人間関係のネットワークを維持していれば、嵐を乗り切り、幸福になれる可能性が高まることが、長年の調査で分かったのです」

僕らの日常はどうだろうか。そして、僕たちはどのように努力すればよいのだろうか。博士はユニークな視点でこう言います。「自分の交友関係にもより気を配り、維持するように心がけています」と。そして、こう言うのです。「それを『ソーシャル・フィットネス」と表現します。交友関係にも“トレーニング”が必要なのだ」と。「ジムに一度や二度、行っただけでは体力はつきません。良好な人間関係も、放っておけば消えてしまいます。それによって必ず問題が起きるわけではありませんが、他者のとの関係を維持しようとしなければ、それは人生からこぼれ落ちていきます。活発な社会的ネットワークを維持している人というのは、そういう努力をしています」「人間関係を維持するために、大げさで、手間のかかることをする必要はない。定期的にメールを送り、コーヒーや散歩に誘えばそれで充分だ」と。

 

いかがですか? 僕自身も反省しきりです。

最も気持ちの良いシーズン。清々しい気候の日に、友人にコンタクトしてみませんか。

じっとしていられないシーズン。太陽をいっぱい浴びて歩くだけで幸せだ。