民主主義と成熟

民主主義のことを考えていたら、ルソーのことを思い出した。そう18世紀のフランスの社会哲学者で「社会契約論」が有名ですよね。実はかなり変な人(街で女性にイチモツを見せるような、今なら変態の犯罪者的な癖もあったことはトリビア)だったらしいが、民主主義の原型を唱えた人なんですね。彼が言っていたとても大切なことの一つが、「自然人」と「社会人」の話。人間には二つの概念がある。一つが自然人、つまり自分のために生きる人。もう一つが他人のために生きる社会人という概念。当時は庶民に人権など存在しなかったし、子供もそう。社会のために生きるなんていう考え方などなかった。王政のフランスはすべての権利は王様が持っていて、フランス革命によってルイ16世が処刑されるなんていう蜂起がなければ、自由も人権も、社会と自分という概念もない世界だった。その時代に自然人と社会人の概念を持ち込み、その両方のバランスが大切なんだなんて言い出したわけだ。著作が発禁になった彼は逃亡した。カソリックと政治がほぼ一体の世界の中で、反社会的とされたわけです。しかし、現在ではそのバランスが社会を成り立たせるためにいかに重要か、皆本能的に分かっていますね。コロナ禍において、自然人の価値観と社会人としての価値観がバランスしているお国柄、個人、の差が大きく出ましたね。そう、日本はバランスしている国民性なんだろうと思う。ところが現実的には…という視点を持つことも重要だろう。将来のために。

 

思想家の内田樹さんという人がいる。彼がNPでこんなことを書いていた。

「民主主義がちゃんと機能するかどうかを決めるのは、制度設計の出来不出来よりも国民の『成熟度』です。国民の中に『まっとうな大人』の頭数があるラインを下回ると、民主主義は簡単に機能不全に陥ります。現代日本がそうです。」と。「今の日本では、民主主義が弱まっているのは、システムの問題ではなく、民主主義を機能させるだけの成熟度に達していない国民の数が増えすぎたからです。」

去年の総選挙がバロメーターと考えられる。「得票率は戦後3番目に低い55.93%。しかも、20代の若者に限ると、30%台にとどまっている。」この事実は確かに民主主義の危機と考えられるかもしれない。

「民主主義というのは、その集団のできるだけ多くの人々が意思決定に参加し、その決定について責任を持つように仕向ける仕組みです。意思決定が適切なものであるために成員たちが市民的に成熟していることを求める仕組みです。」その通りですね。その面倒臭さの意味を理解している人たちの集団でなければ成立しませんね。

「選挙で多数を制した政党に全権を委ねて、そこで市民が思考停止してしまうことを許したら、民主主義の最も重要な遂行的課題である『市民的成熟を促す』という仕事を放棄することになります。」そう、専門家がいるから彼に任せたと、考えることを放棄した集団「グループシンク」がそこに横たわってしまうのです。

企業における意思決定もそうなっていませんか。何の意見もない、偉い人がそういっているからそれに従う、もしくは従っている振りをしているひとがほとんどじゃないですか。

 

今年は日本の大きな変わり目かもしれません。米中、北朝鮮、台湾、東アジアは益々煙たくなります。日本の自衛隊は敵基地をも攻撃する能力を持とうとしています。防衛予算は拡大し、煙たい状況を武力で解決する姿勢です。憲法の議論も国民抜きに進めたい人たちもいるでしょう。自分の考え方が正しく国民には分からないとでも思っているような、傲慢な価値観を持つ一部の人たちにとっては、国民の「成熟度」は邪魔なのかもしれませんよ。僕は日本の(成熟度を上げるべき)メディアの劣化は相当ひどいと感じていますし、僕たちはメディアに流されないように自分の意見を持たなければならないと強く感じます。「成熟」は「自律」抜きに獲得できません。

 

デフレ基調の続く日本。収入の増えるインフレにシフトしていかないと、輸入に頼る環境(自給自足ができない)では、エネルギーも半導体も食料も高騰するばかりで、国民の生活は楽にならない。高騰ならまだしも、奪い合いに負ける状況になれば、GDPは下がっていくかもしれない。成長、成長と言わず、足るを知る価値観で幸せに暮らせばいいじゃないか、という気持ちは僕にもあります。しかし、それは自給自足できる場合だけです。今の日本は(当分)無理なのです。

 

「成熟」なき「自律」はないのです。そして自主的に(自分で考えて)生きる道を選ぶためには、学び続けるしかないと思うのです。

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成熟は枯れることじゃない、耐えることでもない