『あすこに行くと成長できそう』

皆さんお元気でしょうか。

コロナ禍は終息する見込みは立ちませんね。私が聴講する予定だったフォーラムはWeb開催になり、取締役会も延期になりました。このような中でも、残念なことに地下アイドルのコンサートは相変わらず行われているし、さいたまアリーナではK-1が開催されましたね。自治体に開催取り止めを強制する権限はないと言いますが、明確に要請することはできたはずですね。公式に公表されている感染者の数は約2週間前に感染した数です。少なくなってきたと言って安心してはならないのです。その傾向が2週間、1か月と続いて初めて収束方向だと判断できるはずです。皆さん安心しすぎです。先ほどのようなイベントを開催してしまったら、あっという間に新しいクラスターが出てしまいますね。運不運の問題です。社会全体で終息に向かい努力をしているときに、その成果を運に任せてはなりませんね。できる限り感染を終息させるか、最悪でも拡大を遅らせ、ワクチンや薬がリリースされる時間を稼ぐしかありません。最も好ましいのは、報道もあった既存の薬が効くことが証明されることですね。更にそれがジェネリックであれば低価格で普及でき、どの内科医でも措置できればほぼインフル並みの脅威に抑え込めます。それまでの努力と我慢です。オリパラが予定通り開催されるのは諦めましょう。最短で秋から冬の開催でしょうね。それまでに上記の見込みが立つかどうかは、私たち次第です。

 

さて、今日はスキルの価値について書きますね。

皆さんが働いている職場や会社は、社会で通用するスキルや能力を磨ける場所になっているだろうか? 内輪のムラ社会だけで通用するスキルや能力だけを一生懸命磨いても、価値は低いと言わざるを得ませんね。世の中何処に行っても通用する、というような価値のあるものでなければ自分の存在価値は狭い世界の中のそれでしかないですね。私たちは一生、特定の会社をよりどころにして生きていくのだろうか。自分はそんなつもりはなくても、いつの間にか偏った価値観や偏見やバイアスに侵されてはいまいか。

部下や後輩を育てる日常では、「社会人として」とか「日本では」「グローバルで見て」とか「業界では」とか「X-Techの時代では」とかの枕詞をおいて話そう。ともかく「当社では」「ここでは」ということを前提とする会話は避けた方がいい。日常からそういう癖をつけた会話を心掛けた方がいい。ムラ社会の中の価値観に染まらないように。(言うまでもなく、ここで言う社会で通用するというのは、例えば、一般的な品質水準より当社の基準は厳しいというような、ポジティブなものを否定する意味ではありません)

自社の基準、人事評価や予算、KPIなどは会社の枠を外したら客観的かどうかなんて甚だ怪しい。もちろん、公正に評価するためには何らかの基準が必要だ。だが、それはそのためだけに存在するのであって、世界標準の評価基準でも何でもない。自分が世の中でどれだけ通用するかどうか、価値があるのかどうかとは全く関係ないのです。

自社の中だけで通用するスキルなどを身に着けるより、世の中、特にグローバル視点で通用する(必要とされる、高付加価値な)スキルなどを身につける方が、将来性が間違いなくあります。少なくてもその差を認識し、客観性を失わないように努力することが必要不可欠です。これは自分の損得だけの問題ではないのです。もちろんそうなればキャリアアップのチャンスは明らかに開かれます。しかし、それ以外にもメリットはあるのです。顧客やステークホルダーにたいして、客観的に競争力とは何かという視点で訴求ができるようになりますね。また、価値観が磨かれ、自社を正しい方向へ導くエネルギーになります。チームをビビッドにします。即ち我田引水から解き放たれるのです。

みずほファイナンシャルグループ グローバル人事業務部の日置健太氏は「目指す目標は『あすこに行くと成長できそう』と皆に思われる『場』になること。自分の価値を高めたいと考える人材が集積し、その知見が次世代型の金融ビジネス構築を急ぐみずほの一助になる好循環を目指す」と話します。皆さんの職場やチームが『あすこに行くと成長できそう』と思われるようにするにはどうすればよいのかを、よく考えてほしいと思います。リーダーの日常から変えていこう。

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研ぐべき爪が割れてきた。20年位前から白い線がずっとあるが、その先端から裂けてきた。皮膚科に行ったらなかなか治らないと言われた(涙)。ステロイドを塗る毎日。爪を研がないと人生の価値は高められないのにな~w