自由主義の限界が来ているのか

自由主義は限界が来ているのでしょうか。

トランプ前大統領は、米疾病対策センターの予算を減らし、オバマ政権時代に設けられた疾病対策部局を解体しました。コロナウィルスのような危機に対応する体制は、彼が弱体化させていたのです。彼は科学者の警告を無視し、完全に舐めた対応をし対策を講じなかったわけです。もし彼が大統領でなかったら、たとえ共和党の別人であったとしても死ななかった人はたくさんいたはずです。世界一裕福な国アメリカの現実がそこにあります。

振り返ってみれば、アメリカの成長は科学を重視したことにあった。国家予算をふんだんに科学の進化に当ててきました。政府の支援によって世界一科学が進化しその結果経済が潤った。大学などの研究機関だけではなく民間企業にも税制などの戦略を駆使して、イノベーションが生まれやすい環境を作ってきた。ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ氏は去年こう言っています。

「米国が右往左往しているのは、政府を弱くし過ぎたからです。その起点は、80年のレーガン大統領の登場。英国は前年にサッチャー首相が誕生していた。両者は『経済運営で問題は政府、解決は市場』と主張した。イデオロギー市場原理偏重の新自由主義、政策は規制緩和・福祉削減・緊縮財政、つまり『小さな政府』。市場の規制を外し、大企業を優遇すれば、経済は活性化し、経済規模が拡大し、全体の暮らしが向きが良くなるという理屈です。この路線は今日まで続き、トランプ大統領の出現に至るのです」

更にこう続けます。「全くの過ちです。新自由主義の名の下に富裕層が強欲な利己主義を発揮しただけです。米国最上位1%は今日、全米の資産の約20%(恐らく今日ではもっと)を持っています。一方、労働者の実質賃金はこの40年間、変わっていない。しかも、この間に拡大した経済規模は、第二次大戦直後からの30数年間の三分の二でしかないのです。米国で貧富格差の拡大と並んで独占化が横行しています。21世紀に入ってからはIT業界に顕著です。・・・ 米国の競争原理は骨抜きになりつつあります」

「疫病・災害・気候変動などの危機から国民を守り、社会全体に奉仕するのは本来、政府です。無数の利己心を程よく調整し、社会を秩序立てる『見えざる手』は結局、市場には存在しない政府を強くし、市場に適切な規制をかけ、政府・市場・市民社会が均衡関係を保つような資本主義が望ましいと私は考えます。『進歩資本主義』と名付け、新自由主義路線からの転換を提唱しています」と。

 

日本を見てみましょう。日本は更に「小さな政府」で有名です。消費税は低く更に歳入に対する政府支出も少ない。2000年から2010年の間に国家公務員は82万人から31万人に減っています。国のIT予算は2004年から2008年の間に9%位減っています。特殊法人も大半がなくなりました。自分で食っていけ、ということだったのです。無駄な国家予算を使っているとの批判はよく分かります。合理化をし意味のあることにフォーカスして運営すべきという意見もよく分かります。しかし、その裏で失ったものも多かったのです。小さな政府、即ち「官から民へ、国から地方へ」は、即ち税負担が少ない分自己責任でやってくれという自由主義なわけです。その分規制も少なく、成功者に恩恵が大きい制度ですね。日本は世界の中でも相続税が高い国なので、金持ちが何代も続かないという制度になっていますが、マイナンバーによる名寄せができないなど、特別徴収のサラリーマン以外の節税効果が大きいなどの課題がまだ残っていますね(いわゆるクロヨン《964》問題)。更に、日本は「足るを知る」的価値観があり、北米のように年俸が10億円を超えるような経営者はいません。徐々に上がっては来ていますが、相対的に見ると高額ではありません。質素な生活をしている経営者もとても多い。もっとお金は使ってほしいですけどね…w 上記のように、官庁で働く人は昔に比べると民営化や特殊法人改革によって大幅に減り、新しいことをやろうと思うと民間企業に頼らなければ何もできない状況になっています。厚労省の「COCOAアプリ」などもその例ですね。自分で要件も決められないしテストもできないのですから。先日の某大臣のベンダーを干してやる発言も驚きましたが、発注者が機能不全になっていると感じます。中央官庁には企業からの無償の出向者がたくさんいて、彼らが不足した工数と能力を補完しています。それは決して悪いことではありません。多くの企業が貢献したいと思っているでしょうし、社員の多様な経験をさせたい思いもあるでしょう。

問題は、政府が正しい市場競争と成長のためにどのような統制と規制をすべきなのかなどのアプローチ、即ち本質的な社会改革に志が向かっているのかということですやっていることが時代の変化についていっていないと感じます。日本は歴史的に排外的、排他的な規制が多かった。既得権益を守るための規制が多く、それがかえってイノベーションを阻害していた。近代になって外圧からそのような規制は大分姿を消しました。しかし、欧米とはルールに関する国民性がだいぶ違うと感じます。守るべきルールを詳細に厳しく作り、それさえ守れば何をしてもいい(ちょっと言い過ぎ)という欧米とはだいぶ違います。欧米は、イノベーションを起こすことを前提として、乗り越えるべき課題を明確にして、こう変えるという意思を明確にした規制が先手先手で制定されてきました。GPDRなどもそうでしょう。

先日の東芝の取締役会不全と経産省の株主に対しての圧力問題にしても、官僚の古い価値観と透明性の欠如などの強引なアプローチは、実は「小さな政府」の結果によって実力不足、グローバル感覚の欠如が起きているのではないかと感じます。即ち、国の将来を考える前に目先のハエを追うことばかりをやっているのではないかと。倒産してもおかしくなかった東芝を救ったのはファンドです。そのファンドに余計な口を出さないでくれとは本末転倒です。そうなるに決まっているのは誰にでも分かっていたはずです。

 

皆さんもご存じのように、ピケティ氏が言うように持てる者が永遠に持たざる者との差を広げる「r>g」なわけで、自由主義は格差をどんどん広げるばかりです。更にアメリカの例を見ても、その最たる資産家たちがほとんど税金を払っていないという現実を聞くと、本当にそれでいいわけはないと感じますよね。トランプ氏も大資産家であるのに税金をほぼ払っていないし、その割に格差に不満をつのらす白人ワーカーの味方を演じているわけですから、笑っちゃいます。更に自由主義の負の面を丸出しにし「マスクをしない自由」とか言っていたわけです。公共善の微塵もない。その反動で、民主党の左派による「社会主義」的価値観が若い人たちの賛同を得たわけですね。

自由主義とは自分のことだけ考えればいい、という考え方では絶対にないはずです。しかし、現実的にはそうなっている。東芝の隠ぺいも過度なノルマも、実力以上のM&Aも自分だけ美しければいいという傲慢さが生んだものです。社会のために正しい行いを徹底する倫理観、何も隠さない透明な行動、それを称賛する文化、他人のことを一番に考える公共善の価値観・・・等が力強く存在して初めて自由なのです

真っ新な子供に恥ずかしい、と思うような行動は絶対にしてはなりません。きれいごとに終始したり、都合の良い解釈しかしなかったり、都合の悪い情報は幹部会議に上げないなどの行動をする上司は少なからずいます。そういう上司の指示に対して批判的でいてほしいものです。不都合な事実から目をそらさないでください。自分一人で言えなければまわりの人たちと話してみてください。多くの人は共感してくれるはずです。声を上げることから会社の変革は始まります。絶対にグループシンクにならないようにしましょうね。前にも書きましたね。

 

トランプ大統領の登場、英国のEU離脱、中国習近平政権の独裁、日韓の反目・・・ これからどうなるんだろうか。ハラリ氏はこう言います。「民主主義は繊細な花のように、育てるのが難しい。独裁は雑草のように条件を選ばない」とても残念な事実です。

2年ぶりで行われたG7は希望の兆しを見せている。国際社会が分裂と敵対を選ばず、協力の道を再び歩んでほしい。「民主主義の自己刷新能力を信じます」ハラリ氏のこの言葉に私は大きく頷きます。私たち一人一人も自由の意味を噛みしめて生きていきたいものです。

*民主主義とは、自由主義的政治制度。資本主義自由主義思想を実現する経済体系。

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