プーチン大統領の暴挙

メディアによれば、プーチン大統領が「院政」を敷こうとしている。大統領は憲法で連続2期まで定められているのの裏をかき、一旦首相になった後に大統領に返り咲いたのはご存じの通りだ。更に今回憲法を改正して、下院の議長が大統領に代わって政府の主要人事権を握ることができるようにしようとしている。もちろん、自分が下院の議長になるシナリオを描いているというのが、メディアの予想だ。更に、国家評議会議長も兼ねるのではないかといわれている。政府や議会に並ぶ権限を持つポストに変貌させるという予想だ。2024年に退任する予定だが、それに向かって憲法まで変えてしまおうとは、何という暴挙だろうか。
 
ここまで強引なケースは近代では聞いたことがないが、我々に身近でも似たようなケースがあるのではないだろうか。会社の中で繰り広げられるポジション争いや長期政権への執着だ。時々メディアに取り上げられるケースの多くは、その結果コンプラ問題を起こしてしまったり、不正な金銭収受や公私混同など。メディアに取り上げられないものは五万とあろう。
 
最近ではLIXILの瀬戸社長に対する創業家の潮田取締役(当時)の強引な更迭劇や、その後の返り咲き劇、その裏にあるガバナンス不全はあきれ返ったものの、学びになった。
 
もちろん、ステレオタイプに長期政権が悪いなどというつもりはない。優れた経営者の一部は事実長期にわたる成長など素晴らしい実績を残している。それらの方は自らを律して継続的な変革をリードしてきた人だろう。しかし、中には何冊も本になったような超有名経営者も、引退後実は名を汚すような公私混同に染まっていた、などという事実が報道されるという落ちが付いたりする。人間はなぜ高潔さを失ってしまうのだろうか。
 
 恐らくひとりひとりには正義がある。典型的なものが、自分以外に能力のある人がいないと思っているパターンだろう。自分しか出来ないと思うこと自体傲慢の極みだと思うのだが… 自分だって大したものじゃないとなぜ気付かないんだろう。あなたがそのポジションに就いた時より優秀な人はたくさんいますよ。
 
なぜそのポジションに執着するのだろうか? 僕はこう思う。横滑りだろうが降格だろうが良いではないか。自分は新しいチャレンジをすれば良い。能力があると思っているなら尚更だ。その自信のある能力を活かして新しい道を切り開けばよい。ポジションにしがみつくほど見苦しいものはないと思うのだが。
 
任せられる人がいないというセリフもよく聞く。後継を育てなかった、いや育てられなかったこと自体が本人の実力のなさ、見通しの甘さではないのか。恣意的に育てなかったのではないか、最悪後継候補を異動させていたのではないか……などと勘繰りたくもある。
 
後継者に引き継ぐという道は、会社をイノベーティブに維持、変革させるためにも必要不可欠でもある。バイアスを壊すためにも新しい血は効果を発揮するだろう。去っていく身はこういう道もいい。会社員の場合の転職だ。自分を頑張るしかないところに追い込むのだ。きっと楽しいよ。リスクテイクしない人生なんて、ライムもレモンもないジントニックのようなものだ。パンチや切れ味ががない。
 
人生にはいろいろな道がある。以前に書いたように目的地のないジャーニーだ。自分の価値観に従って歩き続けるしかないのだ。いろいろな経験や学びが人生を豊かにしてくれる。

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昨日の雪の中でもまだしぶとく成長し続けているよ。見習わないとね。