富士通と徳俵

■コロナ禍による変革は他人事じゃない

富士通がオフィススペースを3年で半減させると発表しましたね。既に4月ごろから在宅勤務・テレワークを積極的に推進している企業の中で、そのような議論はたくさんありました。私の友人の企業でもテナントビルの契約更新タイミングでそうするつもりだとか、社長や副社長は基本在宅を続けるなど、ウィズコロナ、アフターコロナを考え、明確にシフトを表明している企業はありました。しかし、大企業が10万人以上の規模で指針を示したのは初めてだと思います。

メディア対策で、目立つ戦略を示しマーケットの共感を得るという一種の戦略もあり得ますが、同社の若いトップはそうではあるまい。古い経営OSを自ら否定し、バイアスまみれの社員の目を覚ますために自ら変革をリードする覚悟が見えますね。

さて、皆さん想像してみましょう。長い歴史の典型的日本企業、そう、新卒一括採用、終身雇用、年功序列、時間拘束が就業規則の人事労務管理の文化・・・が、オフィス半減をどう受け止められるのか。

コロナ禍が終息してもなお、会社に集まって鳩首会議は行わないし、行う場所ももうありませんと決めたのです。一定の組織(事業部や部)が一堂に集まる場所はありません。皆、いつどこで仕事をしてもかまいません、成果をちゃんと出してくれればそれで評価します、と決めたと同義です。

スペース半減に賛同する企業はたくさんあるでしょう。そして、事実そうなっていくでしょう。しかし、その裏には企業としてのあらゆる考え方、価値観の変革が必要不可欠なのです。コミュニケーション、コラボレーション、イノベーション、仕事と成果の定義、評価、客観性、共感、尊敬、指示、フィードバック・・・ あらゆるものが今までと変わるのです。それらは、企業におけるあらゆるプロセスに宿っています。それがどうなるのか、どんな課題があるのか、プラスもあればリスクもある。それをMECEに洞察して対策を考え、一人一人が腹落ちする改革を進めなければ上手くいきませんね。

トップのリーダーシップだけでは解決しないでしょう。HR、IT、監査役、事計、法務などが大胆なアイデアを生み出す必要があります。恐らく、多くのスタッフは自分は関係ないと思っているでしょうね。そう思っている間は取り組みは失敗します。

この私の指摘に腹落ちする人はどれくらいいるのだろうか。

 

■公共善という価値観

先日あるウェビナーでサンデル教授の話を聞きました。そう10年前NHKの「ハーバード白熱教室」で有名になったマイケル・サンデル氏だ。当時、なんてカッコいいんだなんて軽いノリで観ていましたっけ。

彼の話を久し振りに聞いたわけですが、いろいろインスパイアされました。考えさせられたのは、彼のこういう指摘です。

正義が働く社会が再興できるのか。

自由とは何か。

連帯とは何か。

正義とは何か。

市民とは何か。

でした。そう、彼はこのコロナ禍真っただ中の社会を憂いているのです。行き過ぎた民主主義、資本主義によって、自由の権利が強調され、例えば、マスクを付けない自由を主張する人、マーケットにすべてを任せるべきだという挙句、なんでも金で買え、処理してしまう社会。成功者は自分の能力のお陰だと声高に言う社会。なんだかわたし的にはトランプ大統領の顔がどうしても浮かんでしまいます。

私は改めて考えるべきなのは「公共善」「共通善」という価値観だとつくづく思いますね。私が今あるのも、社会との関わりがあってこそ。社会の一員であるから存在できているのであって、社会を成立させるためには守らなければならない共通の理念があるはずだ、という考え。だから、社会のために我慢するとか、自分のことはさておき社会のために協力するとか手を貸すことが大切だ、という価値観

そう考えると、アメリカは自由主義が行き過ぎた挙句、コロナに感染するかどうかは自分の勝手でしょ的な考え方に犯されているように感じます。もちろん、経済を優先する(再選のため)というトランプ氏も自国優先を第一に掲げることで、その流れに油をさしています。他人の健康をリスクにさらすことが自由なわけはないと私は思いますが、そう思わない人が多いのでしょうね。

誰のためでもない、他人のために我慢する、努力する。それが当たり前だという価値観を子供たちにも伝えなければなりません。薄まる公共善の価値観。徳俵に足がかかった(土俵際)今、大人がしっかりしないとね。つくづく思います。

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20年弱前に母から昇格祝いとしてプレゼントされた時計。今の時代、ハンドソープでジャブジャブ洗えるこの時計が実にありがたい。最近はこればかり。

これが母からの最後のギフトだったな。