オッサンを考える

この記事は社内で公開(2018/11/19)したものの再掲です。

 

■オッサンとは

オッサン”とはある特定の年齢の男性を指すのではありません。「劣化するオッサン社会の処方箋」を書いた経営コンサルタントの山口周さんは以下のように定義しています。とても腹落ちするものです。

1.古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する

2.過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない

3.階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る

4.よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

よく分かるでしょう。典型的な態度は、「ありがとう」や「ごめんなさい」を言えないとか、間違いを認めないとか、肩書きと名刺がないと生きられないとか、昔話それも自慢話が長いとか、何年入社かとか何歳なのかを良く聞くとか、自分が客という立場だとめちゃくちゃ上から目線とか、「凄い!」とか褒めてさえおけば機嫌がいいとか……

“オッサン”気質は、変化を無視するのではなく自らが変わり続けなければ存在すら危うい現在、企業にとってウィルスというか爆弾というか、健全に生きようとするなら存在して欲しくないものなのです。

皆さんもよくご存じのサミュエル・ウルマンは「青春」をこう表現しています。

「青春とは、人生のある期間を言うのではなく、心のありさまを言う。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、恐れをしりぞける勇気、安易を振り捨てる冒険心… これを青春という。年を重ねただけで人は老いない、理想を失うときに初めて人は老いる。」

そうですね、山口氏は“オッサン”とは年齢や性別を問わず、ウルマンの青春」を失った人だと言っているのです。

 

■傲慢

以前も書きましたが、今年はオッサンによる不祥事が続きました。これは上記のオッサンの条件が傲慢さを生んだ結果ですね。共通していることは“自分がエライ!”と思っていることですね。何様だと思っているんでしょうね。実にみっともなく哀れです。思いやりがあり、笑顔が素敵で、謙虚で他人や社会のために努力を惜しまないと言う人の真逆です。自分のためだけに生きている人たちでした。

自分に尻尾を振る人以外を排斥するトランプ大統領の態度が分断を深めていることや、先日の第一次世界大戦終結100周年式典でマクロン大統領が、「国際的な協力が疑問視されるようになり、国家主義的な視野の狭い考え方が再び広がっている」と指摘したことや、今回のAPECでの保護主義による貿易制限措置の応酬のように、各国が競うように内向きにシフトしている状況も同様です。本当に憂うべき状況です。

世界のリーダーが、最も尊敬を集めなければならないリーダーが、自分だけ良ければ良い、他国の貧困や環境問題なんか知ったこっちゃないと言っているのと同じです。

 

■オッサンの劣化

本来いろいろな経験を積んだシニアにあるはずの教養や哲学や美学はどこに行ったのか? 隠蔽やハラスメントや傲慢や拝金主義や利己主義… いやいや絶対に残っているはずだ。取り戻そう。取り戻してもらおうじゃないか。そして、再び尊敬しようではないか。 

山口さんの説が実に面白い。要約すると、企業が少数の一流(天才かもしれない)によって起業され成長していく過程で、代を経て二流の人がトップにつき、三流がそれを支える構図になる。組織の中で時間と共に世代交代が進むと、人材のクオリティがどんどん低下していくことは避けられないと。余程意識して天才や才人を人選しないとクオリティ低下は止められないのだと。

そう、オッサンは時間と共に劣化していくのです。彼は劣化が止まらない最大の要因は「下からの突き上げがなさ過ぎること」だというのです。要するに“おかしい”“間違っている”というような下からの突き上げ(フィードバック)がないのです。本来フィードバックは「組織の中でリーダーに付き添っているフォロワーがやるべきことなのです。ところがフォロワーがしかるべきフィードバックをしないがゆえに、自らのリーダーシップのクオリティーを過大に見積もる(俺は凄いリーダーだ!と勘違いする)年長者が増えてきて、一種の増長慢(悟っていないのに悟ったと思い傲り高ぶること)を生んでいるのではないか。」 幹部の周りにいるスタッフがYESMANばかりでは最悪だと言うことです。私も社内で増長慢の人を何人も見てきました。共通するのは裸の王様だと言うことです。御輿に乗った管理職を続けてきたのでしょう。いかんともしがたい。

同氏が面白い引用をしています。「老人が支配するのは、奴に力があるからでなく、こちらが大人しく忍従しているからだ。」(シェイクスピアリア王」より)その通りですねw。のさばらしていたらだめですよ。裸だと教えてあげましょう。鏡を持ってきてあげましょう(皆がどう思っているか教えてあげましょう)。

 

■権力とイノベーション

山口さんは先日の日経新聞にこう書いています。「リーダーの再定義も欠かせない。『年長者に向かって反論できる心理的な抵抗の度合い』についてオランダの心理学者が『権力格差指標』をつくった。この指標とイノベーションには相関があると思う。日本は欧米に比べ権力格差指標が高く、イノベーションランキングは低い。リーダーは権力で支配するタイプでなく、地位と関係なく、他者に奉仕するサーバントリーダーが求められる。」と。

若い人たちがさまざまなアイデアを考え、年長者たちが作った仕組みに対して『これはもう駄目だから変えていこう』と反論することがイノベーションの基本的な構造だとすれば、権力格差指標の数値が低い国ほどイノベーションが起こりやすいのは当然だということになります。」

簡単に言うと、年長者が偉そうにしている職場ではイノベーションが起こりにくい、ということなのです。よく分かる話ですよね。年長者が部下達の頭を抑え付けたり、年長者が何かと言えば否定ばかりするなどせず、自由で風通しが良い職場がイノベーティブだと言うことです。皆さんの職場はどうですか?

年長者は年長だと言うだけではリスペクトされはしないのです。いかに費やしてきた時間のなかで素晴らしい経験をし、そこから何を学んだかが重要なのです。そして、決して権力で押さえ込もうとしたり、操縦したりするのではなく、若い世代の価値観やプロトコルを理解し同じ土俵の上でフランクに議論し、彼らに尽くすのです。それが、年長者の生きる道だと思います。決して愛の感じられない「おまえ!」呼ばわりをしたり、むっつりした表情をしてえせコワモテぶりを発揮してはならないのです。それではリスペクトされるわけはありません。いつも笑顔で奢りのない謙虚な姿勢で、教養溢れるコミュニケーションが出来ないとね。先日書いた目指すべきリーダー像の通りですね。

 

■カリスマ性の限界

HBR10月号にある研究結果が出ていた。カリスマ性についてリーダー自身の自己評価と一緒に働く人々の評価の関係だ。とても面白い結果だ。カリスマ性の自己評価が上がると周りの評価も上がる。しかしそれは途中まで。ある程度以上あがると周りからの評価は下がってくるのだ。自分に溺れているのかも知れませんね。「自信過剰、ナルシシズム、人を操ろうとする態度などは危険信号ともいえる。このように、カリスマ性が高すぎるのにも落とし穴があり、リーダー達は自己認識と自制心を養うために総合的な評価、コーチング、開発プログラムなどを考慮すべきであろう。」と。上記にもつながる話ですね。このレポートの題が「『ちょこっとしたカリスマ性』こそ効果が大きい」だってw そういえばオッサンの不祥事の中にカリスマ性を自慢している人がいましたねw

 

 

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“オッサン”は


“熟成”が進めば良いってもんじゃないねw

熟成じゃなくて“腐っている”んじゃない?