ゼロベースで考えることは難しいのか?

人は何かを考える際に、勝手な前提条件を付けているように感じます。その条件・制限の範囲の中で最初から考えている、ということです。そもそも、そこに思考の限界を自ら作っているわけですね。

 

時間がないとか、それは無理という無根拠な思い込み、既に賽は投げられたのだから・・・、もう契約してしまったんだから・・・、習慣や日常のルーチンに縛られる、上司の指示や組織の文化・慣習に縛られる、などなど。「こういうもんだ」「それがここの常識だ」「○○さんがそう言っている」「今までこうやってきた」・・・などなども。それってなんなの? それを前提に考えることによって視野狭窄に陥っていませんか? 可能性を捨てていませんか? それらは全部バイアスだと思うのです。

 

それって前提条件なの? もし、それがなかったらどうなの? というようにゼロベースで考えられるかどうかはビジネスにとってとても大きな分岐点です。創造力が乏しい人はそれができない。固定観念に縛られている。バイアスからの開放は、自分自身のふとした視点チェンジや、異動してきたリーダーの素直な疑問、違和感などが起点となるケースが多い。リーダーたるもの(リーダー以外も)、皆バイアスに縛られていることに気付き、それから開放されるようゼロベースで考え直すようアドバイスしてほしい。最初は部下たちは驚くだろう。一度下ろした錨を巻き上げる(アンカリングからの開放)ことの動機はすぐには起きない。下ろしっぱなしの方が楽だから。ごく簡単なことでも一度縛られたものはなかなか解けないものだ。リーダーは外で何が起きているか、顧客は何を考えているかなど、目を外に向けることで部下の目を覚まさせよう。僕たちの将来はどうなるのか。未来はアンカリングされたままでは開かれないのだ。例えば、ブレストする際は、リーダーは前提条件から解き放たれた議論をするよう促さなければなりませんね。そういわれて気付きませんか? あなたのチームのブレストは機能していますか? 結局落としどころを探りながら、予定調和的な議論をしていませんか? それはブレストではありませんよ。

 

少し前ですが、NewsPickの記事にサッカー日本代表遠藤航氏の独占インタビュー記事がありました。彼は最近「DUEL ~世界で勝つために『最適解』を探し続けろ」を上梓しました。お読みになった方もいらっしゃると思います。彼はブンデスリーグで2年連続で「1対1の勝利数」(デュエル勝利数)1位という突出した記録を出しています。躰の大きいドイツリーグにあってその記録を出すことを誰が推測できたでしょうか。「世界と戦う時に、体格に劣る日本人はぶつかり合いでは勝てない、だからストロングである敏捷性や組織力で勝負しろ、というのはある意味で『日本サッカー界の正解』みたいになっていた。」誰しもそう思うでしょうね。ぶつかれば吹っ飛ばされるとね。「でも、僕は日本でプレーしていた時から『1対1』に自信を持っていたんです。海外でプレーするからといって、その長所を試しもせずに捨てるという選択肢はなかった。」「だからその『正解』を疑ってみた。本当に世界で日本人は1対1で勝てないのか?」「きっと『不正解』だと思っているから、やっていなかっただけで、チャレンジしてみたら意外といける、ということは多くあるんだと思います。」

とはいえ、簡単にうまくいくわけではないですよね。彼は、ボブスレー出身のトレーナーにつき(ボブスレーとは、発想が既にバイアスから解き放されているね)、身体を鍛え筋力をアップするとともにスピードも上げたのだそうだ。それは両立はできないと誰しも思っていた固定観念。どちらかを強化するのが「正解」とされていた。

そう、彼は「正解」だと刷り込まれてきたことを疑ったことから変わったのです。

上司や先輩が言っている教え、更にムラ社会に横たわる常識正解なんて、信じていいの? それを信じず挑戦しなければ闘えないことばかりではないのか。その正解が外の世界では不正解の可能性は十分ある。

 

闘う本当の相手は自分の固定観念ではないのだろうか。これを忘れないでほしい。

 

ps. この課題を解決する一つの手段は「多様性」ですね。このことは以前にも書きました。ムラ社会をおかしいと感じ、ローコンテクストを前提とする多様性のあるチームを作り、心理的安全性を確保することです。

固定観念に縛られていると閻魔様にカツを入れられますぞ!!
「何やってるんだ! 修行が足りん! 刮目せよ!」ってね。
@源覚寺(小石川)

 

ウィリアム・ジェームズに学ぶ ~人生は変えられる~

コーチンを仕事にして3年半が過ぎました。いろいろ学び、クライアントの行動変容の背中を押してきました。時々お話しすることは、「意図的に行動を変えよう」「行動を変えなければ何も始まらない」「まずは行動しよう」など、行動を優先する姿勢です。

実は哲学の世界にそれに似た考え方があります。それはプラグマティズムという19世紀後半に登場した哲学の潮流です。私は若いときには全く哲学を学ばず、この歳になって興味を持ち、ちょっとだけ学びました。哲学の簡単な歴史を出口さんの本で学んだり、ポッドキャストのその手のコンテンツを聴いたりしてきました。興味はあるし、学ぶべきことも多いけれど、奥が深すぎてとても難しいのが難点です(汗)。

さて、「プラグマティズム」とは超簡単に私の勝手な理解を言うと「四の五の理屈を言う前に行動しろ!」あるいは「思想的に真であるかどうかはどうでもよく、行動の指針として役立つかどうかを基準として、行動すればよい」というような感じです。すごく実践的に聞こえますが、真理という概念そのものを変えようとしていると捉えると奥が深いですね。

冒頭に話した私の指摘と通じる話でしょ。私がその話を持ち出した理由は、ウィリアム・ジェームスアメリカの哲学者1840-1910)の名言がとても腹落ちしたからです。それは

が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば人生が変わる。

です。それを知ったときは、この言葉がコーチの伝えるべき本質だと感じました。クライアントが心の底からそう感じ、意図的(心が変わる)に行動を変えることができたら、クライアントの人生がよりウェルビーイングにつながるのではないかと思うからです。

その裏には、彼の強い思いがあります。要は、「すべては自分次第」ということです。自分で人生は変えられるのです。しかし、多くの人はそれは無理と思うでしょう。彼は言います。「限界を設けるな」と。やってみもしないでなぜできないと言うのでしょうか。「自分を信じて」進むのです。やってみれば、躊躇していた自分が恥ずかしいと感じるくらい、どうってことないと気付くでしょう。それが人生だと思うのです。もちろん失敗もするでしょう。当たり前です。そこから学べばいいのです。次も決して躊躇することなく、行動することです。

その積み重ねの先に、きっと幸せがあるでしょう。

渡ってしまえばどうってことはなかったと気付くはずです。
@高尾山

 

 

埋没しているDXレポート

「DXレポート」(今はDXレポート2.2まで発表されている)に関して、UiPathが日本国内のIT部門で働く方を対象にアンケートを実施した結果、実に6割の方が「知らない」と回答したそうです。

経済産業省のDXレポートでは、日本のDX化が遅れているために、年間12兆円の経済損失が生じる可能性があるとして警鐘を鳴らしているものの、大多数がその危機にまだ気づいていないという現状が浮き彫りになったと言ってよいでしょう。

IT部門の人ですら6割が「知らない」と。DXを推進すべき事業部門やスタッフ、更に中小企業はほとんどの人が理解していないと捉えられるでしょう。

日本のピンチを知らない。当然向き合っていないわけで、従いプランもない。どうしたら良いのでしょうか。

 

視点を変えて、だからこそIT企業の責任は大きく、機会はいくらでもあるのではないだろうか。現実を認知しどう行動すべきなのか真剣に考えてほしいものです。

膨大なニーズを解決するサービスとは何なのであろうか。顧客の困りごとの本質が分からなければ、シンプルで汎用性の高いソリューション、サービスは作れないことだけは間違いないでしょう。

口を開けて待っているだけの顧客は多い。
しかし、食べたいものが何なのかは自分でも分からない。
どうしますか?
小石川植物園

 

存在の自信

強みは掛け算で捉えられると思います。多くの場合、多様な強みは相乗効果を発揮するように感じるからだ。(同時に掛け算ですから、どれかが0だと結果も0になる。)

私の強みって何だろう。と考えてみる。過去にいろいろなフィードバックがあったとしても、どうしても主観的にはなってしまうことに気付いた。結局、書き出すと似たものが出てくるが、自分では区別したいと感じる。強みといっても、皆大したことはない。他者より多少特長がある程度だと捉えてください。

創造力 構想力 洞察力 決断力 行動力 忘れる力(悔やまない) 自制力 意志の強さ 慧敏性 任せた以上結果は恐れない なるようになると開き直れる 自己効力が強い こう見えても結構謙虚 苦労している友人、困っている友人を助けたい(利他心) 忍耐力 発信力 努力 オーナーシップ 運命と捉え逃げない 明るく照したいという思い 出し惜しみはしない ・・・ 

というような感じだろうか。自分で言語化してみると、我ながら結構能天気な奴だなとも思う(笑) 今まで、結局なるようになってきた。これはもちろん運も重なった結果だ。いやいや、つくづく運がいい奴だと感じる。

僕のことはどうでもいい(笑)。

さて、強みの掛け算とは存在の力ではないだろうか。人は存在に自信を持ちたい生き物だろう。アイデンティティと言い換えてもいいでしょう。それは自分を見つめて、強みを言語化することで認知することができますね。

認知出来たら、あとはそれを利用しましょう。意図的に利用するのだ。それができれば人生は明るくなる。目の前がクリアになるでしょう。自分の特長を利用することは、影響力の拡大につながると思う。掛け算を利用すればそれは更に拡大するはずだ。影響力はコミュニケーションを増やし、繋がりの輪は広がっていくでしょう。人生はますます充実したものになっていくのではないだろうか。

 

ということで、自分の強みを言語化することをお勧めします。同時に、身近な人たちからフィードバックをもらってください。驚くような指摘があるはずですよ。それも楽しんでください。今後の人生に必ずプラスになりますから。

強みを認知できれば、辛い上り坂も前向きに力強く登れると思います。
@高尾山

 

幹部の悩みを整理してみる

エクゼクティブコーチングやコンサルティングを始めて3年半。多くの企業幹部・管理職と話をしてきました。クライアントの悩みを私なりに総括してみたい。

圧倒的に多いテーマは二つ。まず第一にHR関係。とはいえ広い。人財育成、組織活性化、エンゲージメント向上など、人と組織に関係するものだ。もう一つが、中期的な成長戦略の立案と実行だ。もちろん、二つは関係していますね。

それぞれは広く深い。前者であれば、採用やリテンションもあれば、1on1の有効性向上もあるし、風通しを良くするとか心理的安全性を上げるとかのカルチャーに関係しているもの、更に評価やローテーションなどもある。後者だと、中期経営計画の策定方法や、実行に移すプロセス、末端までのオーナーシップ浸透、センスメイクプロセス、ステークホルダーとのコミュニケーションM&Aやカーブアウトなども含む戦略思考のレベルアップなどなど多岐にわたります。

いずれにしても、まるっと言うと人と戦略にフォーカスしていることがよく分かります。考えてみれば当然なことかもしれません。

 

言えることは、近年特にHRに係わる課題が表面化してきたことです。2017年に発表されたギャラップ社の「熱意あふれる社員の比率」が、日本が最低レベルだった記事は、あまりにもショッキングで、その後もたくさんのメディアに引用され、ほとんどの日本の企業人の知れることになり、そこからエンゲージメントとか、ウェルビーイングだとかがいかに重要かの議論が沸騰してきたわけです。それは私自身もヒシヒシと感じるところで、私の学習の対象もHRに重みを置いてきました。2年以上前に、ある上場会社の依頼を受けて人事のコンサルティングを1年余り行いました。まだ、何も手を打っていなかった同社の改革をサポートしたのです。毎月議論し、できることから即スタートしました。僕は元々HRのプロではありません。しかし、40有余年のサラリーマン人生の中でコンサバなHR施策が組織カルチャーに及ぼす悪影響や、管理者や幹部の知識や動機の低さが企業の変革の足を引っ張っていることを、忸怩たる思いで見続けてきました。そして、全社のHRに関係するタスクフォースに入ったり、人事のサポートをしたり、多様な場で話をしたりするプロセスで、気付き、学び、情熱を深め、意見を言ってきたつもりです。私自身の本業(担務)とは関係ないのですが・・・。しかし、重要なミッションだと自覚していたから率先して汗をかいてきました。そんな経験は実は今の仕事に強く関わっています。その会社においても、特に若い人事担当者の賛同を得て多様な施策を展開してもらいました。やはり幹部のコンサバさは障害になりました。人事担当者も苦労していました。その時私は、現実を直視できるか、直接若い社員の生の声を聴いているのか、即ちどれくらい幹部がオープンなのかなどが、キーポイントだと痛感しました。

結局は、HRにまつわるトレンドが理解された現在においても、いや、理解されたからこそ先ほど書いたように、優秀な幹部の悩みの多くはHRに絡むことであり、私が今でも注目している対象なのです。結局、僕はここ数年あまり、多くのHRにまつわる講演を聴き、Web上で知見を漁り、学び、考えてきました。このブログの中でもHRに関することが非常に多いことは、読者の皆さんもお気づきのことと思います。今は、世の中に上質な情報はたくさんあります。手を伸ばせば手に入る。しかし、学んでいない人があまりに多いと感じます。それが残念でなりません。

 

そして、戦略面。企業で働いた期間、嫌というほど戦略を考え続け、方向修正や新しい取り組みを行ってきました。もちろん、基本的なフレームワークなどは学んだつもりだったが、果たしてそれは体系化され身についていたのかは、今となってはダメだしせざるを得ません。付け焼刃だったということです。ということで、去年の暮れからグロービス学び放題」を契約し、学び直しています。改めて整理をされたインプットを得ることによって、今まで私がコーチングしてきた内容とリンクし、整理された形で形式知しています。言い換えると、私の経験と経営学がリンクし再生可能な形で私の脳の引き出しに格納されたわけです。私は、企業を卒業後にそうしましたが、現役の幹部・管理職の方たちも継続して学び続けることを強くお勧めします。経験と(体系化された)知識は掛け算だと思います。両方あれば広さも深みも何倍にもなるということですね。

 

話しは戻りますが、それら2大テーマの次は何だと思いますか? これも非常に多い悩みです。「忙し過ぎる」という問題。思わず笑ってしまうかもしれませんね。なぜ問題なのか? 忙しいことが問題なわけではありません。忙しくてやるべきことが何なのかが分からなくなり、日常の足元のイシューに追われているということが問題なのです。分かります? なんで忙しいか。会議、資料作成、レビュー、決裁、予算、トラブル対応などです。更に悪いことにコロナ禍のせいもあり、Outlookはフルに公開され、部下が勝手にスケジュールを入れてしまうという意思のない行動に甘んじています。結局、考えたり学んだりするのは夜と週末。それもやらざるを得ない納期に追われた足元のことばかり。即ち埋没しているのです。それでは、幹部としてのミッションが果たされるわけはないという問題以外にも、あんな幹部にはなりたくないという若い部下たちのロールモデルになっているという問題にもなっているのです。これに気付いている人は残念ながらほとんどいません。前にも書きましたが、人には「自己保存の法則」があります。「忙しい自分が素敵!(成果が出ているのかどうかは無関係)「しょうがないじゃないか」という気持ちが絶対にあるのです。この事実に気付くべきです。

 

企業の組織の中で昇格していけばいくほど何をやらなければならないのでしょうか。そうです、「ハイレベルな仕事」をしなければならないのです。さて問題です。「ハイレベルって何ですか?」それが分からない人に時間管理はできません。そんな管理者・幹部ばかりな会社は成長するわけはありませんし、部下は成長するわけはありません。それを真剣に考えてほしいものです。

何に時間と情熱と能力とスキルを投入すべきなのか。それがめちゃくちゃな人に組織を任せてはなりません。それらは自分の意志で意図的に管理しなければならないのです。

大切なのは、ビジョンや理念などの浸透と権限委譲とサーバントリーダーシップと、ハイレベルとな何なのか(経営の価値観)を明確にして優先順位をはっきりさせることです。そうすると、現場からどんどん離れてしまう幹部がいますが、それは大きな間違いです。顧客やマーケットから離れた幹部に事業の操縦はできませんハンズオンと権限委譲は絶妙なバランスを取らなければならないのです。それには意志とセンスが不可欠です。鈍感な人にはできません。できない人を昇格させてはならないのです。部下が不幸です。

夜の銀座線@浅草
おろしたてのレトロな車両。「哀愁」はマーケティング的には「有り」だが、
企業の施策には不向きだね。移り変わる環境にアラインできるかがすべて。

 

 

アウトプットは思考の訓練

以前から、「上質なインプットなき人生は先細る」と思って生きてきた。しかし、もちろんインプットだけしていても意味はない。アウトプットがないということは何も行動していないことに他ならないし、それでは他者に貢献できないだけでなく、自分の意識として頭の中に定着しない。インプットがあり、咀嚼し、創造し、意図的に行動し、フィードバックがあり、反省や納得があり、自分のものになる、という感じだろうか。自らの脳で創り出すことが定着に不可欠だと思う。

一から考えひねり出す創造的アウトプットは思考の訓練だと思う。自分の考え、意見、アイデア言語化する。それはビジネスマンとしての訓練でもある。自分ならどう考えるか、何をするか・・・それは指示の通り作業をすることが仕事だと思っている人にはきつい訓練かもしれない。しかし、新しい何かを創り出すのがビジネスの大前提なわけで、それらの訓練なしに「コト興し」(事業の創造とかプロセスの変革とか)をリードできるわけがない。ビジネスは創造なんだ。

自分の考えを言語化する機会が多ければ多いほどあなたは成長すると言っても、過言ではないと思う。それは、自分と向き合うこと、自分は何を考え何を主張すべきなのかに、向き合うことに他ならない。

 

私は以前に、NewsPicksという経済・ビジネスをメインテーマとするニュースサイトに、百数十日連続で自分の意見を書き込んだ。それは結構しんどい習慣だったが、自分と向き合う訓練だった。ただ読んで「ふ~ん」で終わらず、自分はどう考えるのかをアウトプットする。お粗末な内容だな、こんなこと書いていいのだろうか、などとよぎる瞬間を抑え込んで書くのは、少々勇気の要ることだ。見栄を捨てる、本音を書くことから逃げないなどの挑戦でもある。これも一つのアイデア

インプットとアウトプットの両方の量と質を上げることが、人生で重要だと痛感する。

何を学びどうやって創造するのだろうか。アートの神秘性は触れられそうで触れられない。
たまにはアートに触れるのもいいよ。
最近時々見るのが美術手帖 (bijutsutecho.com)

 

思い込み

僕たちの認知能力は凄く思い込みに拘束され、とても狭い範囲に限られている。知識や情報は偏り、知性を支える教養もほとんどの人がとても浅く、客観性の乏しいものだろう。だからこそ、リベラルアーツの必要性が声高に唱えられ、創造性や判断力の向上のためのSTEM教育の重要性が指摘されているのだと思う。私の認知能力もお粗末極まりない。

 

人口が多いとか、個人情報の制約がないとか、外資の制限による守られた市場であるなどにより、中国のDXの進化は世界でも最も速い。そして、実店舗の少なさや、有線ネットワークの広がりがない等、もともとインフラ整備が遅れていたところに、一気にICTの爆発的な進展によって、例えばEC市場が急拡大し、一方でその力の拡大を恐れた習近平氏が規制を強め、急激に利益がシュリンクしたメガIT企業など、相変わらずジェットコースター的に市場環境が暴れ続けている。

そんな中で、EC業界の世界ランキングがWebサイトに載っていた(Top B2C e-commerce companies by GMV 2020(UNCTAD))。僕はECではアマゾンが世界では圧倒的だと思っていた。アリババの成長が急激だろうとも、市場は中国に実質的に限られ、それ以外の世界中をマーケットにしているアマゾンには及びもつかないだろうと思っていた。

しかし、その記事によるとアマゾンが流通総額が年間57,500M$に対しアリババが114,500M$と、約倍の規模があった。僕の想像は全くピントがずれていた。さて皆さん、では楽天はどれくらいだと思います? 4,200M$なんです。アリババの3.7%に過ぎないのだ。携帯事業では躓いている楽天だが、業域は保険や証券などに拡げ、経済圏を拡げてきた巨大企業だ。しかし、世界では全く戦えない。人口の少ない日本の中でいかに(国産)トップを走ろうが相手にならないのだ。もし、アリババが日本に触手を伸ばしたらどうなるだろうか。「あり得ない」と言い切れるのだろうか。そんなことはないよね。ホラーストーリーを考えないと企業の将来はないのだ。僕らは思い込みの世界で生きているのだね。(僕だけかも)

 

先日、ある話を聞いた。日本の大企業の巨大ITシステムのモダナイゼーション(最新のテクノロジーベースに置き換える)コンペがあった。受注したのはインドのソフト開発企業。ご存じのようにインドには巨大なソフトウェア開発企業が何社もある。ほぼ全部北米向けの開発を請け負い、ローコスト、高品質で売上を拡大してきた。北米では顧客から直接大規模な開発を請け負う直販事業で伸びてきた。遅れること10年以上の時を経て、日本のマーケットにも進出してきていた。しかし、ほぼ日本の大手請負企業の下請けだった。日本語を理解する要員が少ないこともネックになった。しかし、じわじわと実力をつけ、いつの間には国内のベンダーに勝ち、大きな商談を獲得したようだ。

僕は10年以上前にインドの大手開発企業を何社も訪問した。その取り組みの戦略性の高さや、技術力の高さ、人材育成投資の大きさや、アメリカへの戦略的な進出方法(どのドメインを狙うかとか、それに必要な技術力を先駆けて獲得するとか)などに目を見張ったものだ。実は、その時僕はインドのソフト開発会社の会長をしていた。その時点では社員は千人に満たない規模で、私が訪問した大手が10万人規模であることに比べ、あまりに小規模で、実力も比較にならなかった。その後戦略転換を志向し足掻くのだけれど、そのきっかけになったのも、多くの企業を訪問し実態を知り将来に思いを馳せたことだった。

同様の感覚を持った人は多かったはずだ。しかし、インド企業が日本において直接顧客から大規模システムの受注をするということを想像していた人は少なかったのではないか。昔、同様にIT市場に韓国のベンダーが突然乗り込んできて、大きな受注をしたものの、日本の因習(顧客の仕様が曖昧とか・・・)に尻尾を撒いて撤退したこととは違うと感じる。10年余じわじわと環境に慣れ、市場にアラインしてきたと想像できるからだ。

 

これらは、一つの例にすぎない。僕らの思い込みは深く広い。それによって市場を見間違ったり、競合環境を見間違ったりする。市場は益々グローバル化、オープン化していく。前にも書いたが、ビジネスパーソンに必要な視座は、ますます「広く見る、深く見る、先を見る」能力が求められるのだ。

映画館でアニメを観たのは何年ぶりだろう。もしかしたら初めてかもしれないと思うくらい記憶がない。やはり、子供じみてるという微妙な思い込みがあったのかもしれない。
本作は最後のシーンにストーリーすべてが結実していると思う。泣ける。