ヤバい

■ストレスを感じる不自然な日本語

最近日本語が退化していますね。というか使い方を明らかに間違えている人が多すぎますね。別に「このラーメンやばい!」というような新しい語彙を否定しているわけではありません。ま、TPOはわきまえてほしいですけどね~ (^_-)-☆

テレビを見ていても一番気になるのが「~させていただきます」です。丁寧に言いたくてそういう表現をとるのだけれど、勝手にやりゃあいいじゃないか、ということまでそう表現する人がなんと多いことか。いい大人がね。例えばこんな感じ。

「2時間かけて通勤させていただいています」

「今日のランチはハンバーグを食べさせていただきました」という感じ。

別に僕に許可をもらう必要ないんだよ~ って思わず言いたくなっちゃう。

ちゃんと解説すると、①相手に許可をもらって行う時。②それで自分が恩恵を受けているという気持ちを持っているとき。に使うのですよ。まったくもってそんなシチュエーションでないときに「させていただいています」なんて連発する。本人は“へりくだって丁寧に話していて上品でしょ!” とでも思っているのかもしれませんが、恥ずかしいですよ。

また、シチュエーションは間違っていなくても丁寧過ぎておかしな使い方をしている人もいますね。それを、二重敬語というそうです。例えば、「拝見させていただきます」。拝見だけで謙譲語なので、「拝見します」で十分丁寧。それに「させていただきます」を添えることが間違っているのですね。

許可してもらうこともなく、シンプルに自分が行うことを丁寧に言いたければ、「いたします」(いたす:するの謙譲語 + ます:丁寧語)が正しい使い方です。十分丁寧ですし、へりくだってもいるのです。

 

■大きな変化の予兆

最近耳にしたニュースが何かを予感させる。別に根拠なんて何もないし、それが何かなんて具体的にイメージすらできない。しかし、時々感じるんです。大きな波が起きようとしているって。数年前は、中国の急進的な動きが連発した時。Fintech、無人店舗、プライバシーを無視したイノベーション(顔照合など)などなど…

今回の一つがIBMのジニー・ロメッティーCEOが4月に退任し、クラウドのトップを務めているアービン・クリシュナ氏が後任になること。ロメッティー氏は前職の時にお会いしている。実にカッコいいw人だった。近年の同社は業績の下降が止まらず、クラウドシフトに乗り遅れていると酷評されていたが、彼女はGEなどと違いさっさと首になることもなく、王道の改革を進めているのかと思っていた。それが、2018年発表のレッドハットの買収。この時は驚いた。その買収が完了したのが昨年の7月。そして今回の退任。CEOの後退とともに今回発表されたのが、新COO。それが買収されたレッドハットのCEOだったジム・ホワイトハースト氏だ。この人事はIBMが変わることを象徴している。言うまでもなくクラウドとオープン化ですね。ホワイトハースト氏とも何回かお会いしている。人懐こい柔らかい人。以前勤めていた会社が日本におけるレッドハットの最大のパートナーだったからだ。彼も異色のキャリアを持つ。ボストンコンサルティンググループからデルタ航空そしてレッドハットだ。IT業界の人ではないわけです。それがついにIBMのCOO。ロメッティー氏はトランプ大統領に手紙を送ったことでも有名ですね。そう言えば、HPのCEOだったフィオリーナ氏は大統領選に立候補したっけ。ロメッティー氏もその道???なんて思っちゃう。

そして、ビリー・アイリッシュ。全然関係ないじゃないか。その通り。関係ありません。彼女はご存じの通り、1月末のグラミー賞で主要4部門を受賞したスーパースター。彼女は18歳なのですぞ。粒ぞろいのアメリカのポップスの世界にあって最年少で上り詰めるなんて。これも時代の変化を感じるのです。

更に、アメリカの民主党指名選挙。初戦であるアイオア州は僅差でブティジェッジ氏が勝利した模様(再集計するらしい)。本命のバイデン氏がなんと4位。大番狂わせだ。38歳対78歳、77歳、70歳の闘いに無名の市長が勝つとは。もちろん大統領選においてオバマ民主党の代表になった時もトランプが共和党の代表になった時も、誰も勝利するとは思っていなかった。これから嵐が起こるのだろうか?

さて、この三つの話。なんの脈絡もありませんw でも、世の中がドド~っと変わる時なんてそんなものって思いませんか? え~っ 僕だけ??

今年は何かが起こりそう。良いことであればいいんだけどね~ ヤバいことが起きるよ。きっと。ヤバいにはいろいろな意味があって分からないでしょw

シルエット

シルエット
 
足速に歩く冷たい夜
降り出しそうな雪
ふと感じる視線
ショーウィンドウの中
振り向いた時には誰もいない
次に感じた時にははっきり見えた
いや、見えた気がした
俯く男が
 
雪の積もる街はずれ
音も灯りもない
聴こえるのは雪を踏む足音だけ
そう、僕の足音
森の中に感じる人影
月明かりに動くシルエット
僕を見ている
 
香りがたつ居心地の良い空間
いつものカフェ
奥の席に案内される
お気に入りの席
柱の陰からふと感じる射るような視線
コートを着た男
そう、明らかに男だった
席に着き振り向いた時にはいない
 
朝起きるとポストに封書
宛先も差出人もない
中には3つに折った綺麗な和紙
広げると一瞬で文字は消えた
何かが書いてあった
網膜の画像は再現できない
何かが引っかかる
何かが僕に語りかける
 
それは過去の僕
彼が見つめる
煽るような視線
ちゃんと歩いているかと
ちゃんと見つめているかと
向かっているのはどこなのかと
 
Don't mind.
心配するな
ニヤッと笑ったような気がする
 
シルエットが

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事業拡大と逝ってしまった師

■事業拡大という当たり前と闘う

企業において、売上や利益を伸ばし続けるのは重要な課題だ。しかし、それは尋常な難易度ではない。もちろん、ブルーオーシャンな事業を持ち参入障壁を確立していたとしても、それは永遠ではない。更に、競合が現れないとしてもマーケットはいずれサチる。運が悪ければ、破壊的イノベーターが現れ、左団扇は短期間で終わるだろう。

結局は、企業は現事業は梃入れをしつつ、漸減を前提として事業ポートフォリオの入れ替えや新規顧客の獲得を常にチャレンジし続けるしかない。

決して営業マンのノルマをかさ上げしてプレッシャーをかけ続けることに、解を求めてはならないのだ。いかに効率的に事業を拡大するかには王道がある。

B2Bの事業を考えてみよう。新規の顧客を獲得するのに無差別に絨毯爆撃するのはナンセンスだ。マーケティングコストの無駄遣いなわけだ。まずは、財布の大きな顧客を狙うこと。IT事業であれば、IT予算やIOTなどDXの予算(財布)が大きい顧客から狙うわけだ。そして、顧客の成長に目を向けよう。伸び盛りの企業であれば、今の財布は小さくとも財布は拡大の道を進むだろう。まずは少額でも受注を獲得し、それを糸口に事業を広げていくことを狙うわけだ。三つめは既存顧客を狙うことだ。長年顧客との信頼関係があれば、それを梃子にして他の部門に攻め入るわけだ。情シスが顧客であれば、CMO管轄のマーケティング部門を責めるとか、DXを担う生産部門にアプローチするとかだ。信頼関係があるのであれば、情報をいただくとか責任者を紹介してくれるだろう。要するに新規に顧客をハンティングするよりはるかにマーケティングコストが少なくて済むのだ。少なくとも、信頼がある、どこの馬の骨だか分からないということはない。それに、事情が分かっている。その顧客の経営課題や成長戦略、役員構成や組織構造、役員の人となりや異動経緯、即ち何をしようとしているのか、誰にやらせようとしているのか、お金の流れやキーマン周辺の構造もおおよそわかるだろう。戦争(ゲームでもよい)を想像しよう。明らかに闘いは有利なはずだ。敵よりは正確な地図を持っているのだから。生産性のことを語るのであれば、既存顧客にアプローチする以上の効率性はないだろう。

しかし、もちろんそれだけにフォーカスしてはならない。新規顧客へのアプローチも前述の視点で並行して戦略的に進めなければならない。

近年はMAマーケティング・オートメーション)も定着してきた。プロスペクト候補層がターゲットコンテンツにアクセスした情報や、展示会やセミナーに参加した情報などを分析し、自動的にリードを絞っていくのだ。とはいえ、営業に情報を提供しても「そこは狙っていない」とか、「そこのことは俺が一番分かっている、余計なことをするな」的な昭和の時代の匂いがする価値観丸出しの壁にぶつかったりもする。その壁を乗り越えるために、営業マンとターゲット企業を共有して、そこにフォーカスしたMAを行うABMアカウント・ベースド・マーケティング)も浸透してきた。知りたい人はググってください。たくさん載っています。

世は「働き方改革」。残業時間を減らすことが目的だと、バカバカしい理解もまかり通るのが情けない。本質は生産性を上げること。企業は最も古典的な一人一人の経験に培われた勘と度胸に頼った「営業」を、改革しなければなりませんね。

 

■巨星堕つ

ご存じの通り1/23に「イノベーションのジレンマ」があまりにも有名なクレイトン・クリステンセン氏が67歳で亡くなった。世界で最も影響力のあった経営学者だ。実は前職(NECCMO)の時2015年に彼を自社のフォーラムに招聘した。その時は、「これが最後の来日だろう」とも言われ、多くの企業経営者がその講演やパネルディスカッションに聴き入ったものだ。私も、そして当時一緒に新規事業を開発していた仲間たちも皆深く影響を受けていた。彼の教えを受けて事業創造の考え方やプロセスは大きく変わったと言っていい。確実に成果は出始めているのだ。彼の死を惜しむ人は後を絶たない。

以下に、彼に係る過去のブログを転載します。

 

2017/07/31  「暑い夏を乗り切ろう。企業研究会とカネヴィン・フレームワーク

■新規事業創造の悩み

一般財団法人 企業研究会”からの依頼により7/18に、「新規事業開発担当幹部交流会議」で当社の新規事業開発の取組に係わる講演を90分行った。その後のワークショップや懇親会にも参加し、約40人の各社事業開発幹部の深い悩みに共感しながら、濃密な半日を送ってきた。

同法人は昭和23年に発足した由緒ある団体だ。復興に貢献することを目指し集まった経営幹部の勉強会から発展し、今日に至っている。1,400社が参加する大法人で、研究交流事業、公開セミナー事業とビジネススクール事業を行っている。私が参加した交流会議は1年ごとに参加者を募り、異業種が集まり相互啓発と新規事業開発に繋がるネットワーク形成を目的としている。同様の悩みを持つ人たちの集まりのようだ。

90分話し続けるというのはなかなかしんどく、私自身が何を話したいのかの吟味から、裏付けとなる事例や書籍の内容やデータの整理、シナリオ作成、パワポ作成などなど結構大変だった。事業イノベの方に支援してもらい、単刀直入を旨としたプレゼンと議論ができたと思う。NECの悩みと葛藤のほとんどは各社も同じと感じたし、当社の取組は各社から見ると相当進んでいると映っていて、とても参考になったようだ。

以前にも書いたと思うが、クリステンセンがいうように大企業にはイノベーションは起こしにくい。CDOフォーラムでも出たが、ちゃんとした企業に染み着いた“ロジカルシンキング”がイノベーションの芽を摘んでしまうのだ。「市場規模は?」「回収まで何年かかるのか?」等々細かいことまでロジカルに埋めるコトを要求する。そもそも、新しい事業を探索しているIdeateの段階ではやってみなければ分からない段階なわけで、そんなこと分かるわけはない。それをダメ出しする上司がいるから芽を摘んでしまうのだ。(プロセスは事業イノベのサイトに詳細が出てるからね)だからMVPを使ってリーンに顧客探索を行うわけだ。そこで大切なのは、CDOフォーラムで出た“Test&Learn”の発想だ。やってみてダメならピボットするか止めれば良い。そこに不必要なのがPDCAのプロセスなのだ。

既存事業はロジカルシンキングPDCA。新規事業はデザインシンキングでリーンスタートアップでTest&Learnなのだ。

ここで大切なのがクリステンセンの教えだ。大企業でイノベーションを起こすならば、①買収した企業にやらせる。②その事業をスピンオフ(切り離して)別会社にしてそこでやらせる。それしかない。それがどうしてもできないなら、③社内で従来の事業ラインから切り離して隔離した環境で行うのだ。なぜかって? さっき言ったように既存事業をしている組織知であるロジカルシンキングPDCAが新規事業を潰してしまうからだ。

この交流会でも、多くの人が「そうだそうだ」と仰る。「軒並み潰された」と。「新規事業をやれと言っておきながら潰す幹部の対応によってデモチになりやってられない」と。日本企業は本当にダメだね。ダイナミックに企業文化は変えられないし、変えられないならやり方を変えるしかないのに、トップの理解とリーダーシップがないから変わらない。トップ自らが潰してしまう。

やろうと思えばできる。意志の問題。当社もまだまだ。頭が堅い人ばかり。先日も事業部長のコミュニティーである“SessionJ”に参加したけれど、皆が自ら言っていることは、要は事業部長の再教育が必要だということだ。自分でははっきりとは言わないけどね~(笑)

 

■Cynefin Framework(カネヴィン フレームワーク

ある回の“SessionJ”に出たときにこの話を聞いた。世の中に起きる問題を分析すると4+1に分類できる。1というのは、まだ問題が何か分かっていないもの。いわば“混乱”。それを除けば4つに分類できる。

Obvious/Simple(単純系とか自明系と呼ぶ)原因が明確で誰でも分かる課題。自明。

Complicated(煩雑系とか困難系と呼ぶ)こみ入っていて分かりにくいけれど、専門家の助けを借りるなり分析すれば論理的に原因が分かる課題。因果関係は明確なわけだ。

Complex複雑系とか複合系と呼ぶ)いくら分析しても解けない。因果関係は後から振り返ることによってのみ分かる。やってみなければ解決できるかどうか分からない。失敗して学習するしかない。

Chaotic(カオス正に混乱系と呼ぶ)突発的に起こりともかくすぐにその状況から脱出しなければならない課題。因果関係が存在せず危機的状況。危機かも知れないけれど機会かもしれない。リーダーシップはカオスから抜け出すこと。

我々は問題に直面したとき、その問題の種類によって解決の方向が違うことなんか意識せず一生懸命何とかしようとする。原因がそもそも分からない問題なのに、一生懸命原因究明しようとしたり。③複雑系の問題に対して原因追及型の問題解決に注力するケースはとても多いと思われる。その様に間違ったアプローチをしても答えは出ないし、場合によっては関係者のデモチになったりもする。 さて分類に戻ろう。この四つの中で大きく違うのは①②と③④の間に大きな差あると言うこと。右の絵でいうと右と左(青と赤)の違い。①②(右)は解決のプロセスが明確で秩序的でルーチン化することができ、マニュアル化することもできるだろう。それによって「ちゃんとやる」ことを旨とする統制が重要だろう。それに対して、③④はルーチンなどないし非秩序的で挑戦的だ。これは根本的に違う。

我々は顧客の課題を解決すること自体が事業だ。その事業とはほとんど顧客の①②の解決だった。顧客の課題は明確もしくは分析すれば分かったのだ。ネスレの高岡CEOはこう言う。Conscious Problem(気付いている/自明な問題)を解決するのはRenovation(修理、改変)であり、Unconscious Problem(気付いていない/無意識の問題)を解決するのがInnovationだ。現在我々の前に横たわる顧客の課題にはConscious Problemはもはやほとんどない。あるとすれば改善もしくはクリステンセンのいう持続的イノベーション(価格を2割安くするとか性能を2割良くするなど)でしかない。我々が立ち向かわなければならないのは顧客のUnconscious Problemの解決だ。それが伸びしろであり、できなければ事業は細るしいずれ自然死を迎えることになろう。

さて、気がついたでしょう。Conscious Problemの解決が①②(右)であり、Unconscious Problemの解決が③④(左)と置き換えても良い。

我々は①②の事業をずっと続けてきた。そこに染み着いた我々の文化はロジカルシンキングであり、PDCAだ。それによりより効率的により正確に問題を解決するのだ。これは言うまでもなく当社の言う2階建ての経営手法の1階であり、即ち継続的に事業を安定的に続けるために必要なプロセスであり、2階即ち新しい事業を興すプロセスには全く不向きで、前にも書いたようにイノベーションをすべて潰してしまう。正に③がベンチャーの向き合っている領域であり、やってみなければ分からない課題なのだ。そこに必要なのはデザインシンキングでありリーンスタートアップでありTest&Run(前回書いたよね)(試してピボットを高速に繰り返す)なのだ。

違う種類の問題を染み着いたいつものやり方で解こうと思っても上手くいかない。リーダーは目の前に横たわる問題の種類を慧敏に見分け、どのように解決すべきなのかチームをリードしなければならないのだ。

右は準備を怠らず、ちゃんと計画してちゃんとやる。ロジカルに考えてPDCAを回す。その手法を教え、管理する。左は、トライしてその結果で判断しよう。責任は私がとるからチャレンジしよう。リーダーの振る舞いは右と左で全然違うのだ。リーダーによっては右しかできないとか、イケイケの左しかできないとかのタイプがいる。両方のマネジメントスタイルを使い分けられる人は多くはない。であれば、どうするのかを考えて欲しいのだ。適任者に分担してもらうとか。事業イノベに任せるとか。それができないと不幸なのは部下だ。

一般的には一つの組織の文化、それもロジカルシンキングで効率的に大量の課題を解決することによって成長してきた組織に③は難しい。失敗することを当然と考え、試すことが唯一の課題解決である③は許せないのだ。だから大企業にイノベーションは起こせないと言われる。それは紛れもない事実でそれを乗り越えるのは難しい。

イノベーティブな組織は②と③を行き来していると言われる。困難な課題も分析して理解して解決する②が、時々出てくる分析しても経験でも分からない課題を、試しにやってみてダメなら繰り返す③、結果失敗しようが成功しようが学習した知恵として②に活かしていく。その行き来を自然と行っているのだ。大きな組織の中で自然と違うやり口で問題に取り組んでいるのだ。

先ほどの話のように、イノベーションを起こせないと成長はできない。価格争いでレッドオーシャンを泳ぎ切れるとは思えないマーケットでは、イノベーションしか我々を救う手段はない。(イノベーションと言ってもテクノロジーとは限らない、ビジネスモデルのイノベーションなど方法は多々あり)従い、イノベーションは起こせないと諦めるわけにはいかないのだ。どうすれば良いのか。クリステンセンのいう三つの方法を多面的に取り入れるしかない。ご存じの通りFintechベンチャー創薬ベンチャーを起業した。今後もいろいろなやり口をチャレンジしていくだろう。プロの選択肢を学ぶことだ。事業イノベが支援できる。あとは既存事業を遂行している事業ラインでどのようにイノベーションを起こすのかだ。イノベーションを阻害する要因を排除するのか? それが難しければ、事業イノベと協力し合って支援をもらいながら新しいやり口(プロのやり方)にチャレンジするかだ。

CDOフォーラムと企業研究会。DXができる企業しか生き残れない時代を泳がなければならない我々は、学ばなければならないことがたくさんあると思い知った。いや、学ぶのではなく、もはや実践あるのみだろう。強い意志でやりきるしかないのだ。

■誤解しないで

右と左、1階と2階。どちらが良くてどちらが悪いという問題ではない。違うことを理解し、やり方を変えないと絶対に上手くいかないということ。

前にも書いたが、イメルトが言うように、企業の中でほとんどの人は既存事業をちゃんと正確にやり、正常進化を続けることによってキャッシュを得続けることに集中し、一部の人がリーンスタートアップのやり口(GEは名前を付けているがやり方は我々とほぼ同じ)新規事業を創造することにチャレンジする。全員前者でも会社は自然死の道に進むだけだし、全員後者なら早晩倒産だ。

後者は小さく産んでスケールさせる、即ち運良く大きなビジネスになるとしても時間がかかる。早いにこしたことはないが魔法もなければ飛び道具もない。プロが最も効率よくマネタイズする道を探すしかない。

イノベーションは数の勝負”というのも真理。しかし、プロは短期にスクリーニングする。お金をかけずにスクリーニングする。会社の事業ドメインやビジョンに合わなければ検討しない。VCはとても厳しく審査する。彼らだってビジネスなんだ。有限の投資資金を何に投資をすれば効率的に回収できるか? プロの目で選び支援する。VCは厳しいけれど社内はゆるいなんてあり得ないんだ。社内だってプロの審査とアドバイスで事業を効率的に成功させスケールさせなければならない。あなたの上司がVCと同様のプロの目を持っているのだろうか? 常識的に見てまずない。VCだって一流の目利きはそうはいないんだ。だから外の力を借りたり、事業イノベにプロを育成したりしているのだ。

企業研究会での私のプレゼンの最終ページは

「大企業にイノベーションは起こせない」

 

「やり方を変えなければ・・・」

とした。

当社は右で成長してきた。企業のほとんどがそうだ。それをやりきる実力(QCD)を十分持っている。困難なOMCSを作りきる実力は秀でているし、根性も据わっている。その能力は絶対に停滞させてはならない。(最近ちょっと曇ってきたかなと案じていはいるが。)

そのパワフルなエンジンはフルパワーで吹かしながら、左のコンバクトな新世代エコエンジンが今まで行ったことのない世界に踏み込んでいく。そんな双発エンジンの会社になりましょう。

 

プーチン大統領の暴挙

メディアによれば、プーチン大統領が「院政」を敷こうとしている。大統領は憲法で連続2期まで定められているのの裏をかき、一旦首相になった後に大統領に返り咲いたのはご存じの通りだ。更に今回憲法を改正して、下院の議長が大統領に代わって政府の主要人事権を握ることができるようにしようとしている。もちろん、自分が下院の議長になるシナリオを描いているというのが、メディアの予想だ。更に、国家評議会議長も兼ねるのではないかといわれている。政府や議会に並ぶ権限を持つポストに変貌させるという予想だ。2024年に退任する予定だが、それに向かって憲法まで変えてしまおうとは、何という暴挙だろうか。
 
ここまで強引なケースは近代では聞いたことがないが、我々に身近でも似たようなケースがあるのではないだろうか。会社の中で繰り広げられるポジション争いや長期政権への執着だ。時々メディアに取り上げられるケースの多くは、その結果コンプラ問題を起こしてしまったり、不正な金銭収受や公私混同など。メディアに取り上げられないものは五万とあろう。
 
最近ではLIXILの瀬戸社長に対する創業家の潮田取締役(当時)の強引な更迭劇や、その後の返り咲き劇、その裏にあるガバナンス不全はあきれ返ったものの、学びになった。
 
もちろん、ステレオタイプに長期政権が悪いなどというつもりはない。優れた経営者の一部は事実長期にわたる成長など素晴らしい実績を残している。それらの方は自らを律して継続的な変革をリードしてきた人だろう。しかし、中には何冊も本になったような超有名経営者も、引退後実は名を汚すような公私混同に染まっていた、などという事実が報道されるという落ちが付いたりする。人間はなぜ高潔さを失ってしまうのだろうか。
 
 恐らくひとりひとりには正義がある。典型的なものが、自分以外に能力のある人がいないと思っているパターンだろう。自分しか出来ないと思うこと自体傲慢の極みだと思うのだが… 自分だって大したものじゃないとなぜ気付かないんだろう。あなたがそのポジションに就いた時より優秀な人はたくさんいますよ。
 
なぜそのポジションに執着するのだろうか? 僕はこう思う。横滑りだろうが降格だろうが良いではないか。自分は新しいチャレンジをすれば良い。能力があると思っているなら尚更だ。その自信のある能力を活かして新しい道を切り開けばよい。ポジションにしがみつくほど見苦しいものはないと思うのだが。
 
任せられる人がいないというセリフもよく聞く。後継を育てなかった、いや育てられなかったこと自体が本人の実力のなさ、見通しの甘さではないのか。恣意的に育てなかったのではないか、最悪後継候補を異動させていたのではないか……などと勘繰りたくもある。
 
後継者に引き継ぐという道は、会社をイノベーティブに維持、変革させるためにも必要不可欠でもある。バイアスを壊すためにも新しい血は効果を発揮するだろう。去っていく身はこういう道もいい。会社員の場合の転職だ。自分を頑張るしかないところに追い込むのだ。きっと楽しいよ。リスクテイクしない人生なんて、ライムもレモンもないジントニックのようなものだ。パンチや切れ味ががない。
 
人生にはいろいろな道がある。以前に書いたように目的地のないジャーニーだ。自分の価値観に従って歩き続けるしかないのだ。いろいろな経験や学びが人生を豊かにしてくれる。

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昨日の雪の中でもまだしぶとく成長し続けているよ。見習わないとね。

謹賀新年


明けましておめでとうございます。

清々しい新年をお迎えのことと思います。今年も皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

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 Eテレによると僕の今年の運勢はこれらしい。なかなか良い年になるではないか。問題は何にチャレンジするかだな。自らの価値観に忠実な年を送ろうっと。

 

■冬の景色

さて、皆さんは子供のころの正月の景色を思い出しませんか? 

年末から続く一年で最も重大な行事ですよね。特に昔はそんな色合いが強かった。年末に届く「板もち」。もう何十年も見ていません。小学校くらいからそれを切るのは僕の役目でした。包丁で押し切る手が痛かった感触を今でも手が覚えています。そのお餅をお雑煮に入れて3つも4つも食べたものです。今では、一つw。だいぶ変わったものです。

こたつ、そしてその上にある木の蓋つきのお菓子いれ(菓子器の一種なんでしょうね)。こたつももう30年くらい使ってません。我が家の中身はほぼお煎餅とさきいかだったような。母が好きだったのでしょうね。

石油ストーブで焼く餅。受験勉強の時は夜中にストーブの上で自作するカレーうどん。これも真冬の原風景。

そして、外はいつも寒かった。子供のころは都下の小金井に住んでいたのですが、真冬は池には氷、5CMくらいの霜柱、窓のサッシは凍り付き、今よりずっと寒かった。その霜柱を踏みながら凧あげを楽しんだな。小金井公園で行われた凧揚げ大会で入賞し、ゴッホの絵が表紙になっているスケッチブックをもらったな。自作の凧を作ったこともあった。楽しかったな。ダウンジャケットが登場したのが、大学生のころ。それまでの防寒着なんて頼りなく、今考えれば寒くて当然だ。

なぜか思い浮かぶそんな景色は、僕の頭の中ではほぼ白黒だ。寂しく寒い。

 

■一年

一年なんてあっという間。そう考えると残りの人生の短さを感じざるを得ない。別にいいんだ。長く生きようなんて考えちゃいない。ただ、残った時間を充実させたい。新しい発見をしたい。歩き続けたい。それが楽しめる間は。

LIFE DESIGNにもう遅いはない。目的地のない旅のように毎日が探索だ。地図もなければ指示もない。自分の意志で歩むんだ。手にある武器はコンパスだけ。生きるために与えられた唯一の道具。それは「価値観」。何のために生きているのか。何が大切で、何はそうでもないのか。何を信じ何を選べばよいのか。仕事の意味は何なのか。なぜ仕事をするのか。人生に意味を与えるものは何なのか。善や悪とは何なのか。そんな「人生観」や「仕事観」。心を揺さぶるそれらの価値観が行動を決めるコンパス。僕たちはそのコンパスに忠実に生きればいい。それが人生を充実したものにしてくれる。

僕は1年くらい前に人生をリデザインした。起業して人と向き合うことにした。企業が変革を続けるためには人を育てなければならないことに、フォーカスすることに決めた。僕が貢献できること。それが、経験を活かしたコーチングとコンサルティングだと気付いた。

寒さが薄らいだころから、起業準備を始めた。それは思いのほか楽しいものだった。すべて自分で調べて自分で行動した。慌てたり失敗したり。フリーランサーは皆同じ道を歩んでいるんだろうな。

 

■学び続ける

縁があって多様な仕事をした。ある時は全く経験のない仕事。そのために勉強もした。本を読みネットを調べ、フォーラムにもたくさん参加した。それは決して辛いものではなかった。むしろそれを楽しんだ。私の経験や思いに新しい学びを掛け合わせ、新しいビジョンを生み出した。それがクライアントに役立つ喜びは大きな成果だ。

いつまでもビビッドでいたいと思う。何を感じどう行動するか。その慧敏性を支えるのは感性だ。そして何より「自己効力」。「できるかもしれない」と思うこと。「楽しいぜ」と思うこと。これは前に書いたね。

価値観を磨くこと。それは、正解がある勉強をしても得られないのではないだろうか。あえて言えば、それを解けるのは方程式でなく一般教養と本質を突き詰める力。勉強するより考え続けること。そのベースを築くのが教養リベラルアーツだろう。脳みそが解放されて、真理を考えるために必要な武器だ。

私が大いに反省していること。若い時にもっともっと本を読んでおくんだった。しかし旅は続くんだ。今からでも遅くはない。

という思いがあり、「哲学と宗教全史ー出口治明ー」を読み始めたw。いやいや知らないことばかり。人間は考えるために生きているんだ。それが楽しいからね。

 

■自分に向き合う

僕って誰? 結局は自分に真摯に向き合って生きること、「意図的に生きる」ことが最も大切なことだと知った。鈍感な自分に反吐をはき、内なる自分を解放する。学びは無限。感性も無限。実は「開放性」即ち美的、文化的、知的な経験に開放的な傾向、例えば、好奇心や想像力、審美眼は20歳くらいまで成長しその後水平飛行となり、60歳くらいから衰えるというのが定説らしい。それに精々抗おうではないか。特にフォーサイト(先見性)とインサイト(洞察力)がビジネスの世界では必要不可欠。特に変化の激しい現代ではリーダーに最も必要とされるのがこれだ。他の人より、先が見えて、広く見えて、深く見える、ということ。これは知識ではない。感覚やセンスに近いもの。

常にビビッドでいたい。そんな渇望がぼくのエネルギーだ。

 

■経験は積み重なって価値に変わる

皆さん、同じ仕事を何年も何十年も続けているのだったら、変わった方がいい。全く違うセクションに異動するとか、職種を変わるとか…、異動ができなければ兼務でもいい。社外のポジションを得るのもいい、副業もありだろう。もちろん転職もある。

いろいろな経験をすること。その経験は決して無駄にならない。いつか必ずそれらが繋がり僕たちの人生を豊かにしてくれる。もし、特定分野の職人として死ぬまで技術を磨きたいのならその道はありだが、僕たちビジネスの世界では同じ仕事をずっと続けていると、明らかに価値観に広がりがなくなる。そのまま齢を重ねると行きつく先はバイアスにまみれたオッサンだ。若い人に疎まれることは必至だ。

経験は種類を何度も変えて積み上げる。だから強度を増す。更に新しい触媒を常に投入する。それが学びだ。だから化学変化が起き、更に強度を増しそして柔軟性まで手に入れるのだ。

 

 今年も頑張ろうっとw 

元旦の朝。

6時過ぎには目が覚めてしまい。AMAZON MUSIC ULTRA HD で「雨の街を」(by松任谷由実)を聴きながらこれを書いている。青春を思い出しながら。

今年も良い年にしよう。

皆さんもね (*^^)v

正論の美

 環境活動家グレタ・トゥンベリさん 温室効果ガスの排出の多い飛行機を避け、ヨットで大西洋を横断してマドリードに到着したのは先日のこと。

環境マフィアだとか、結局自分では何もできずに具体的目標数字も出さない、ただのパフォーマンスだ、炎上芸人だ、経済成長と利益優先を批判されると腹が立つ、パフォーマンスとしては筋が悪い、…… 彼女はなぜおじさんたちにこうも人気がないのか??

温室効果ガスを減らすための大胆な取り組みは、コスト増等我々の日常を脅かす?、コスト増は世界の貧しい人たちに重くのしかかる?、温暖化より安くて便利な方を選ぶ?、すべて経済優先、現実解はないと諦める?、環境対策企業にフォローの風が吹くように動く回し者?、自分が生きている間だけ幸せならいいの?、そんな綺麗ごとは幻想なの?、いろいろな思惑や感情が入り乱れる。 

国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による気候のシミュレーションは「一連の過去の変化を全然再現できておらず、地球の気候の複雑さを表現できていない」すなわち、IPCC自身科学的ぶれは大きいと認めているとのことだ。

要するに地球温暖化は確かに起きている。ただし、100年で1.5度程度。これはCO2排出が少なかった昔の100年、即ち自然に温度が上がった時と変わらないという。

CO2ではなくて太洋磁場の影響だという人もいる。

 

彼女は言う。「各国の指導者は未来と今の世代を守る責任がある」

「科学に基づいて行動しろ」と言っている。即ち感情的に言っているのではないととれる。一方で、科学は正しいとは限らないという大人が蒸し返す。今までだって科学は覆ったことが何度もあったと。

結局は既得権益者との戦いなのか。政治家は皆既得権益者。即ち経済を謳歌し豊かさを求める国民に媚びている人たちだとも言える。電気料が上がるけど我慢してくれ、ガソリン値上げも我慢してくれ…と環境のためにコストを強いる政治を避けてきた。耳障りの良いことに終始し、結局そのツケは未来の子供たちが負うのか。グレタさんの気持ちはよく分かる。

結局は科学的根拠が揺らいでいるのが問題の一つ。合理的な改善策が明確でなく、強硬論の戦いになってしまって世界的な合意が得られないのが問題の二つ目。

 

私は正論を堂々と言う潔さ、を感じざるを得ない。それ自体が正しい根拠があるのかどうかという意見はあろうが、それは学者が寄ってたかって解決しなければならない問題。正論を堂々と言うことによって、衆目を集め新しいウェーブが起きる。イノベーションだったり、科学的根拠だったり、政策合意だったり、人々の努力だったり。大人はそれに耳を傾けよう。温暖化は事実であり、諸問題を引き起こしているのは間違いない。それに向き合おう。できること、すべきことは何なのか真剣に考えよう。行動しよう。それは小さなものかもしれない。しかし、その積み重ねが必ず清廉な人々を巻き込み、誰のものでもない皆の地球を、より住みやすいものにする努力のエネルギーに繋がるでしょう。 

つまり、こんな感じだ。CO2が地球環境に与える影響は非常に大きいという前提に立って、即ちそれが現代の新しい常識だと理解し、将来の危機を共有し、一人一人ができることを前向きに行う。全員が行動する。ということをすることが大切だろう。その常識が定着し、お金が動き、イノベーションが加速し、政治が動き政策が力強く発動し、そんなことは無理だと思われてきたことも、国民の理解を得られ、舵が切られる。そうなることを皆で期待し、将来に向かって責任を持った行動をするようになると素晴らしい。

例えば、ESG投資(ESG銘柄の株を買う)だっていい。そんな小さな行動がきっと未来につながる。

 

ローマ法王の今回の来日は人々の心に正論とは何かという楔を打ち込んだ。すべての命を守るために核兵器の使用は倫理に反する、即ち核は廃絶しなければならない。自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。抑止力のバランスの上に成り立つ冷戦など意味はないのだ。自国優先を叫ぶ多くの国家元首。皆現実的にできるわけないじゃないかと口をそろえるだろう。しかし、永遠に目指すべきものは間違いなく正論中の正論「世界平和」のはず。誰がその当たり前の正論を説くのだ。北朝鮮やイランを前にしてどの大統領が正論を説くのだ。正論を捨てた“ディール”という外交。

 

正論を言い続けるという美意識は人としてとても大切だと思う。実は企業も同じ。「何をもって美しいと思うかで企業も決まってしまう」。これは先日会食したある社長の言葉である。実に正しいと思うのである。

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 ふるさと納税で手にいればクラフトジン。美味しいといいが。これ、鹿児島の焼酎メーカーが作ったんだよ。

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「心理的安全性」

固定観念やバイアスに縛られる人間。僕だって縛られまくってる。がんじがらめだ。その呪縛から逃れるのにはとても苦労する。残念だが皆そんなものだ。

年配が「今の若いもんは…」とぼやく。でもあんたの方がよっぽどマナーを守ってない現実。自分だけが正しいと思い、自分の方を上に見てしまう「傲慢」「横柄」「驕り」「高慢」「傍若無人」「高飛車」「僭越」「尊大」「虚飾」「権高」「居丈高」「不遜」…この手の言葉がどれだけあることか。どれもロクなもんじゃない。この手の人が上司だったら逃げたくなる気持ちはよく分かる。私も何回かこの手の人が上司だった。僕は相手にしなかったけれどほとんどの人は心を砕き、必死に対応してた。

 

 

職場の「心理的安全性」。上司や先輩、前に書いた典型的“オッサン”たちが壊してきたもの。それがこれ。

風通しの良い職場。自由に何でも言える環境。出る杭は決して打たれない。笑いが起きる。ニックネームなどで呼び合う仲間。仕事が終われば後は自由。休暇もフレックスもテレワークも仕事の都合さえつけば誰の遠慮もいらない。助け合う仲間たち。目標達成に最高の生産性で挑む。成果を喜ぶ同僚や上司。皆友達。そうこなくっちゃね。

雑談などしようものなら白い目で見る上司。帰ろうとすると“暇なのか?”の目線。“シ~ン”としている職場。余計な資料を要求する上司。Slackでギャグも書けない。

それでいて、部下から突然の「今月で会社辞めます」宣言。「目をかけていたのに… なぜ相談してくれなかったんだ?」当たりめぇだろ。そんな関係で相談なんかするわけない。自分が「心理的安全性」を作ってこなかった報いだ。

コミュニケーションは絶対に「量」が勝負。「質」より「量」なのだ。「雑談」のない関係に「相談」なんか存在しないのだ。雑談と相談に区別をするな。言い換えれば、雑談を奨励しろ。それが新しい職場の常識。そんな職場でなければコラボレーションなんて起きない。イノベーションなんて起きないんだ。創造的で刺激的な職場なんて作れないのだ。

職場は「チーム」。雑談のない職場に「We are the team」の感覚が生まれますか? 絶対に生まれません。

心理的安全性」は上司が作るんですよ。しかめっ面して睨みを利かせて偉そうに上司面してちゃダメなんですよ。笑顔で明るくニックネームで話しかけ、雑談を持ち掛け部下とのコミュニケーションの中で、自分の想いを伝えるんだよ。何を言われても怒らず「面白いね~」「鋭いこと言うね~」「もっと聞かせてよ」…なのよ。間違いはすぐに認めるんだよ。

ドレスコードフリーも、職場のハイテーブル(雑談をするためのもの)もSNSも、会議や資料の激減もタウンホールミーティングも懇親会も、皆心理的安全性」を作るためのものなんだよ。上司が率先して材料にならないと変わらないよ。

「1on1」もいい。「エンゲージメント・サーベイ」もいいでしょう。でも、その前に職場の「心理的安全性」を作り上げましょうよ。

楽しいよ。仕事ってw

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たった100円で大抵のものはくっつく。離れた心も努力次第で修復できる。まずは「心理的安全性」の担保から。