ピーター・ドラッカーのことは皆さんもご存じのことと思います。1909年生まれでありながら今でも尊敬される経営学者ですね。彼が書いた名著「現代の経営」は私が生まれた年1954年に書かれたものです。彼が言った「マーケティングとイノベーションが企業において重要であり、それ以外はコストでしかない」という指摘は、今でも鮮烈に記憶に残っています。
その彼が、企業文化のことを指摘している話は、あまり有名ではないかもしれません。「Culture eats strategy for breakfast」(直訳すると、文化は戦略を朝食として食べてしまうですが、企業文化は戦略に勝るとか、戦略も企業文化の前では歯が立たないとか訳されています)彼は企業文化の重要性を指摘していたわけです。HBR9月号でErin Meyer INSEAD教授がこう述べています。ドラッカーがそう言った以来「企業文化のマネジメントこそが会社の成功のカギを握ると広く信じられてきた。それなのに、自社の企業文化をきちんと明文化し、その文言を社員が職場で実感し行動指標とするまでになっている企業はほとんどない」と。
なぜなのだろうか。
日本では、命に係わるはずの医薬品会社が不正を行ったり、品質世界一を謳っていたはずの製造業が検査不正をしたりの事件が近年頻発している。企業文化を信じ、コミットしたからこそ入社し、日々業務に邁進していたのではないのか。企業文化より優先すべきものがあったのだろうか。このことを考えるだけで、Erin Meyer氏の指摘が核心を突いていることが分かりますね。
企業文化は何よりも守るべき北極星ではなかったのか。迷ったときはあれを目指せと信じているのではなかったのだろうか。
企業とはそれを信じる者だけが集まり、研鑽を積んでいる集団なのではないのか。
企業文化を守ることより、立てた戦略を実現したり、予算を達成したり、効率や生産性の目標を達成することを優先しているのか。
それは果たして企業文化と言えるのだろうか。
私は起業以来多くのクライアントの悩みに耳を傾けてきました。私は既に企業人ではありません。企業人として自分の属する組織の文化について今の気持ちを述べることはできません。しかし、その多くのクライアントの気持ちに寄り添って、もし私が彼らの環境にあったら、そして彼らの立場になり切ったつもりで、企業文化を語るとするならばどうなるだろうかと想像してみました。
・プロとして振舞え
・正しい道を進め
・長期的視野で考え行動しろ
・チームに奉仕しろ
これが根付いた組織を想像するととても幸せな気持ちになるのです。
企業文化は、そこに働くもの、働きたいものにとって鮮烈で共感できるものでなければならないでしょう。そうでなければ、上辺だけの綺麗ごとで終わってしまうからです。
上記HBRにこうある。「鮮烈なイメージを生み出すのが、エアビーアンドビーの『象、死んだ魚、嘔吐物』だ。この文章が言わんとするのは、リーダーたるもの、誰もが気付いていてもあえて口にしないこと(象)、腐臭を放ち始めた不愉快な出来事(死んだ魚)、職場から取り除くべきみんなのストレス源(嘔吐物)に正々堂々と取り組むべきである、ということだ」(象の話は以前にもしましたが、ことわざで「elephant in the room」部屋の中に象がいれば誰でも気付いているはずなのに、あえて触れようとしない状況を言います) 本当に鮮烈ですよね。この会社がどのような文化を大切にしているのかがすぐ分かるし、その行動ができないリーダーは会社に必要ではないと表わしているわけです。
近年は、企業内に文化改革に取り組むチームを経営企画あるいは人事内、またはそのそばに置くケースが増えてきました。そのチームは何を目指しているのか? 会社がどうありたいのかなどをエッジの効いた言葉で表現しましょう。そして、組織リーダーが自組織をどうしたいのかを考え、日々のオペレーションの中で常にそれを口を出すことを意識しましょう。文化は一日には構築されるものではありません。何年もかかるでしょう。しかし、それを意識しないと何も始まりません。会社や組織のサステナビリティ―向上には正しい文化の浸透が必要不可欠だと確信します。

@秋田県立美術館