不作為の過誤 その1

今回は「不作為の過誤」というテーマで書いてみたいと思います。「不作為の過誤」とは、行うべきことを行わなかったことによって引き起こした過ちのことです。僕が注目したいのは、日本企業が起こしがちな、判断の遅れ、躊躇、全会一致という無責任、不明確な責任と権限によってオーナーシップが存在しない、などと言った事象や状況が成長を阻害している事実をどの様に解決すべきか、ということを考えてみたいのです。これは、日本人という人種の特徴かもしれませんし、島国、単一民族、単一言語という環境が作った文化なのかもしれません。しかし、それによって日本が西欧に比較して著しく競争力を失ってきたことは明らかだと感じています。今までも、ホフステード社の論文や、野中名誉教授の著作などを取り上げて、その論旨に向き合ってきました。それらも復習しながら整理していきたいと思います。一回のブログでは書ききれないと思うので、複数回に分けるかもしれません。

 

きっかけは、HBR(Harvard Business Review )11月号「リーダーの意思決定」特集の「合意形成を重要視しすぎていないか ベンチャーキャピタルに学ぶ意思決定の手法」(IIya A.Strebulaev スタンフォード大学経営大学院教授、Alex Dang ベンチャービルダー、デジタル戦略アドバイザー)を読んだことでした。興味がある人は是非この号を読むことをお勧めします。実は、私が前職の時にも、同様に新規事業開発を行う時にVC(ベンチャーキャピタル)に出来て大企業に出来ないのはなぜなのか、を議論したことがあり、社内にその手法や文化を取り入れるチャレンジをしたことがありました。それは、現在でも脈々と引き継がれ現在のリーダーはメディアに取り上げられたり、自著を出版したりしています。元々日本企業の悩みは深く、私が2017年に(一社)企業研究会で講演・意見交換した際も、参加各社が新事業開発について判で押したように同様の深い悩みを持っていることを吐露されていました。

 

この記事を一部引用してアプローチしてみます。

皆さんはあまり気付いていないかもしれませんが、誰もが知っている新興大企業の多くは10年、20年前は小さなスタートアップでした。なぜ同様の成功事業が大企業の中から生まれなかったのか、ということを考えることが重要なのです。北米のIT大企業は「イノベーションは金で買う」と堂々と行って憚らなかったのです。要するに自分ではできないと言っているわけです。もちろん、日本の大企業にもできませんでした。

それはなぜなのか? 凄くシンプルだけれど凄く難しい問題なのです。上記論文にこうあります。「理論上は、どの企業も既存企業の内部から生まれてもおかしくなかったが、そうはならなかった。代わりに、それらの企業(スタートアップ)に資金を提供し、立ち上げを支援したのはVCだった。実際、過去50年間で設立された米国の大企業のうち、VCの支援がなければ存在しなった企業、あるいは現在の規模に達しなかった企業は4分の3に及ぶと、筆者らは試算している。」 筆者らは10年間膨大な研究を続けその理由を整理しています。

「成功しているVCの意思決定の方法は、伝統的な企業のそれとは異なることが明らかになった。VCは筆者らがベンチャーマインドセットと呼ぶ手法を活用しているのだ。」それは何なのか。

「その特徴の一つは、失敗に対する寛容さだ。VCは投資の最大80%が失敗すると予測している。これはVCのビジネスモデルの特徴であり、欠陥ではない。彼らの投資理論は、投資先のスタートアップ20社のうち19社が失敗しても1社がホームランを打てば、それ以外の案件の失敗で生じた損失を補ってなお余りあるというものだ。要するに、重要なのはホームランであって三振ではない。」

「VCは失敗や損失から投資資金を守ろうとはしない。彼らが恐れているのは、ある企業や業界の命運を左右するかもしれない機会をつかみ損ねることだ。VCのアンドリーセン・ホロウィッツのアレックス・ランベルが筆者に話した通り、『VCの世界では、不作為の過誤作為の過誤よりもダメージがはるかに大きい』のだ。」

日本の大企業も社内にVCを持っているケースがかなり増えました。これをCVC(コーポレートVC)と言います。実は日本にはよく聞く残念な「あるある」があります。そもそもCVCを作ること自体の理解が薄く、社長がいかに熱心だろうが、心の中では反対している幹部が多く、例えば、投資案件3件連続で失敗すると、ホラ見たことだ。VCなんて上手くいくわけはない。止めた方がいい。などと声高に行ったりするわけです。これはCVCを作った日本企業が落ちいる罠です。VCの本質を全く理解していないことが明らかです。

また、「筆者らの研究では、ベンチャーマインドセットは、いくつかの重要な基本原則によって特徴づけられることが明らかになっている。それは『集団より個人』『合意形成より意見の不一致』「教義より例外』『官僚主義より敏捷さ』というものだ。VCはこれらの基本原則を柱として、意思決定を迅速化するとともに、際立った機会を潰す『集団浅慮』に陥らないようにしている。」(「集団浅慮(グループシンク)」のことは前に書きましたね。集団の中に強いリーダーがいたり、テーマの専門家と思われている人がいたりした場合、それ以外のメンバーは考えることを止めてしまい、結果的に不合理な意思決定や間違った判断をしてしまうことです。日本の支配的ヒエラルキー型組織によくある構図ですね。致命的です。)

 

皆さんの多くが勤めているレガシー企業はリスクに向き合うことが苦手です。特に日本企業は大の苦手です。以前にも書きましたが、ホフステード社は世界各国の独特な特徴を6次元モデルとして調査しています。その一つが、「不確実性の回避」です。未来が不確実なのは当たり前ですが、不確実なことに向き合うとどのような行動を取るのかは、国民性により大幅に違います。日本は、最も回避行動に出る典型的な国民性を持っています。即ち不確実なこと、曖昧なことを嫌い、それを避ける行動に出ます。例えば、ルールや規則で縛ります。日々のオペレーションにフォーカスし、予想外のことが起きないようにマイクロマネジメントをするわけです。そして、専門家の意見に頼ります。正しい答えを求め先生や上司を頼ります。だから、考えて考えて止めるとか、自分では決めないとか、承認ルールが細かく、重層的な会議が多いとか、上司はブレーキを踏みまくるとか、やたら動きが遅く、リスクテイクをしないので成長チャンスを逃すなどという、失われた30年を裏打ちするようなことになっているわけだと思います。皆さんも同感でしょう。現代のビジネス環境は変化が激しく、予測可能なビジネスはどんどん減ってきました。そんな環境において、この日本人の特徴は致命的だと言ってもいいでしょう。そのデメリットが出ないような経営をしていかなければなりません。ルールや仕組みを変えると共に価値観や企業カルチャーも変革していかなければならないことは、容易に理解できるでしょう。

また、同時に野中郁次郎名誉教授は著作の中で、日本をダメにした3つのオーバーを指摘しています。これも以前に何回か書きましたね。オーバー・アナリシス(分析過剰)、オーバー・プランニング(計画過剰)、オーバー・コンプライアンス(規則過剰)です。例えば、新しいプロダクトを検討する際に承認を得ようとしますが、もっと分析しろと突き返されたり、売上計画を出しても何度も再検討を要求され、これをしてはダメ、誰誰の承認を得ろとか、あの部署の合意を得ろとか、いつまでたっても先に進めないことになります。これでは事業のスピードで勝てるわけはありません。

この二つの指摘はまったく別のものですが、通底していることが分かりますね。日本のダメな特徴です。ビジネスの世界では本質的に足を引っ張ります

 

もちろん慎重に行わなければならないこともないわけではないでしょう。しかし、この価値観が染みついていること自体はいかんともしがたいのです。

この論文でもこう述べています。「予測可能な事業環境で日常的に決定を下す場合には、ベンチャーマインドセットは必要ない。しかし、不確実性が高く、ディスラプションに直面している時には、企業はVCのように考え、大胆な意思決定を下す構えを取らなければならない。」

 

少々脇にそれますが、では不確実性がそれほど高くない安定している事業、漸進的な成長がほぼ間違いないだろうと考えられる事業であったとしても、そのアップデートやリニューアルに失敗する企業も多い事実にお気づきの方も多いと思います。しかし、それは別の問題(ベンチャーマインドセットではない問題)が隠されていることを付け加えておきます。

 

続きは別途アップします。

言葉が通じなくても何とかなる。試してみなければ感動は得られない。@台北