戦後生まれの僕たちは民主的な国に生まれ育った。もちろん日本的な特徴はあるものの、民主主義国家の典型だろう。それが当たり前に感じてしまっているが、世界を見渡せばそれが当たり前ではないことに気付く。
スウェーデンの研究所が、世界の民主主義の状況を分析している。昨年1月にNHKの解説委員会室というサイトで紹介された。その時点で、世界の中で民主的な国が60ヵ国に対し、非民主的な国が119ヵ国あるという。(「公正な選挙」「基本的人権の尊重」「言論の自由」「女性の社会進出」などの基準を設けて世界の国々の実態を調査した)
更に、非民主的な国の中で、民主化の方向に向かっている国がどれくらいあるかというと、1999年の約70ヵ国から2021年で15ヵ国と一気に減ってきている。ところが権威主義化(政治権力を一部の指導者が独占する)を強めている国は33ヵ国と過去最高になっているのだ。皆さんもそうだと思うが、その数字には驚かされた。同時にすごく落胆した。世界は「僕らの当たり前」の方向には向かっていない。
皆さんも覚えてるでしょう。アラブの春。あれは2010年のことだった。あの時、多くの国が一気に民主化に進むものと期待していた。しかし、民主化に進んだように見えた国々で、国民は新しい指導者に失望し、反動的な指導者に走った結果上記のような状況になったと言われているのだ。格差の拡大、腐敗、移民問題、飢餓・・・諸々の社会問題を抱えると、民主的な価値観に拘らず、現状を打破してくれそうな強権的なリーダーを求めてしまうのだ。その裏には、ロシアや中国がSNSなどで民衆を煽る偽情報を流したことも影響しているといわれる。
今、世界は正に二分されている。民主的か専制的かだ。民主主義か非民主主義と言い換えてもいいだろう。残念ながら非民主化の流れは加速している。それは混沌とした社会が強いリーダーを求めた結果だといえる。強いリーダーは必ず暴走する。国民には都合の良い情報しか流さず、結局国民を騙し続ける。それに気付いた時に暴動が起き政権が倒れる。そんなことが今まで何回も繰り返されてきた。フランスはその典型だ。
昨年民主主義サミットが行われたが、そのような結束を呼びかけ、グローバルサウスを取り込もうとするような動きは、かえって非民主主義国を頑なにさせ、溝が深まるだけの結果しか生まなかったのではないだろうか。非民主主義国は民主主義国を分断を煽る傲慢な国だと思っている。お互いを批判すればするほど、または仲間を集めようとすればするほど溝は深まり、埋めようとする努力自体が無駄に感じてくる。
今年は、アメリカ、台湾、ロシアなどの大型選挙が続く。ヨーロッパでは極右が台頭し、ウクライナ疲れと相まって、安心していられない状況が続く。アメリカ主導連合と、中ロ主導連合の競合、ナショナリズムの進行などが益々進行する年になるだろう。もしアメリカに再びトランプ政権が発足したら、中・ロ・北朝鮮・イランなど敵対勢力がアメリカの決意を試すような試みをするかもしれない。反応を推し測ったり値踏みをするかのように。アメリカは甘く見られないように強硬な姿勢に出るだろう。一歩間違えば一触即発だ。2024年はとても恐ろしい年になるかもしれない。
日本の役割は何なのだろうか。足元では内向きの話に終始する国内事情。グローバルリーダーシップに意識が向く様子はない。これでいいのか日本。次の選挙は国民の見識が問われる。国民は内向きに終始するような姿勢にならないでほしい。