ぐうの音も出ない「バイオリージョン」とは ~成長から成熟へ~

年末に様々な雑誌で2024年予測とか2030年予測というような将来を洞察する特集が組まれた。いくつかを斜め読みしたが、今年は大荒れになりそうだ。それは記事を読むまでもなく、既に存在していた昨年後半からの動きが一層加速化するという流れが呼び覚ます直観であり、恐らくほとんどの人が感じていたことだと想像する。

例えば、ウクライナ戦争はロシア優位のまま続きそうだとか、ロシア、イラン、北朝鮮の現状の民主主義国家の秩序拒否姿勢は強まりながら続くだろうとか、アメリカ大統領選挙いかんでは敵対勢力はアメリカの決意(どこまで本気で世界の秩序をアメリカがリーダーシップを発揮して守ろうとするか)を試す行為に出るだろうとか、アメリカ主導の経済秩序は停滞するだろうとか、習近平政権統率力は経済の低迷の影響もあり低下するだろうとか、中東の混迷は世界を翻弄させ、中ロイラン主導の秩序が進むだろうとか、AI失業が現実化するとか様々だ。残念ながらほとんどすべてが混沌を深める方向ばかりだ。今年は何が起きるか分からない

そんな中、「東洋経済2024年大予測」に載った「ポスト資本主義」と題してジェレミー・リフキン氏のインタビュー記事が目を引いた。

地政学的な発想は時代遅れだ。なぜならば、気候変動によって住み慣れた土地から離れざるを得ない人たちが、たくさんの数に上るからだ。そこで重要なのが、バイオリージョンの考え方であり、人間の持つ生命愛や他者への共感力だ。私は若い世代の人たちの行動力に期待している」

バイオリージョン(生命地域)。「国家の主権や地域の自治権はもちろん存在し続けるが、共通の生態系を『コモン(共有材)』として重視する統治の必要性が高まっている

これでは、いったい何を言っているのか分かりにくい。記事も短絡した書き方をし過ぎだ。松下政経塾の藤沢祐美さんはこう言っている。「バイオリージョンとは、人間の都合による境界線ではなく、自然の特徴により、一つのまとまりを持った地域と認められるものであり、多くの場合、一つの河川の流域、あるいはいくつかの地域を集めたものと重なっている。バイオリージョナリズムは、私たちの生活の場である地域を、『多様な生物の共生的な相互関係が、持続性を保証する一つのまとまりを持ったシステム』ととらえ、それぞれの土地をよく観察し、その持続性を損なわないための自然の制約条件を見極め、これらの条件を人間社会のありかた(政治、経済、文化)に組み入れることが不可欠と考えるものである」

ちょっと分かりにくいが、僕は、自然の上に成り立っている私たちの生活の場の持続性を損なわないためには、自然の制約を理解し、その上で人間社会を構築することが必要だというように読み取った。

リフキン氏は更にこう言う。「統治の仕方としては、工業化の時代にスタンダードとなった代議制民主主義を見直し『分散型ピア(対等者)政治』に道を譲る必要がある。これは市民一人ひとりが統治の過程そのものの一部となるというものだ。地方自治体は市民に協力を求め、市民は『ピア議会』(ピア主導の能動的な市民議会)に参加して、自治体と共に働く」

きっと、工業社会を前提とした社会のシステム、即ち経済が生態系を壊していくことを前提としている時代は終焉を迎え、自然と共生するためには一人一人が地方自治の一員となり能動的に政治や行政に関り、自分たちの生物圏・生態系の統治を進める社会に変わっていくという意味なのだろうと思う。自然を含めた生活圏の自治市民一人ひとりに委ねられる時代になるということだろう。

 

この視座の高さをどう表現すればいいのだろうか。限界費用ゼロ社会」でも彼のあまりに高潔な意見に圧倒されたが、今回の彼の意見も同様に清廉過ぎて根本的過ぎて、流れを俯瞰する力にぐうの音も出ないのだ。

限界費用ゼロ社会」でもコモンズの概念などが書かれていたっけ。地産地消、ローカルで最適な社会を自らの力で構築するような考え方だ。都会で金銭的な贅沢や、口は出すけど汗はかかないという価値観とは全く違った将来の在り方だ。少子高齢化の先にはそのようなコモンズの社会様式が、特に地方では必要になっていくように感じる。

力強い経済成長、十分な税収、温暖化など将来の生活に影響を与える地政学的変化など気にする必要がない。そんな時代はとうに終わった。環境を壊さず、自然と共生し、そしてそれにはコストはかけられない。それでいて十分ウェルビーイングな生き方を目指す社会。それには個人個人の我儘や強欲さは邪魔になる。市民一人ひとりが地域の統治に関り、どうあるべきかを考え行動する。なんでも国にぶる下がることはもうできない。地域が自律して問題を解決していく社会だ。

世界は成長モードから成熟モードへと変わろうとしてるのだ。これは一人一人が社会に対して果たす責任が重たくなることを示し、オーナーシップを持つことから逃れられない状況になることを示していると思う。

地域の皆さんと同じベンチに座ることができない人はすごく多いと思う。
でも、そうすることが生き残る術だと分かれば、きっと自然とできるようになる。