宗教とビジネス

 

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新木場の発見

起業して一年目が終わりました。昨年春から開業準備を始めて、6月末で前職を退職し、初めて個人事業主として売上が計上できたのが8月、そこから会計処理も板についたという状況にはなかなかならずw、いつも分からないことだらけ。その間税務署主催の記帳説明会や、入会した青色申告会に聞きに行くことなど、計7,8回はいろいろ教えていただいた。会計にまつわる本は3冊読破(実は斜め読み)。何とか決算と確定申告が1/27に終わりました。少し前の話です。本当に知らないことだらけでした。例えばこの確定申告期間。どこを見ても2/17からと書かれていますが、実は青色申告会に行くとそれより前に申告できるのです。今回はルーキーである私にとても親切に教えていただきました。次回からは独力でできるでしょう。きっと😅

 

孟子

中国の諸子百家時代の儒家として有名な人に孟子(BC372頃~BC289頃)がいます。少し彼に係ることを書きたいと思います。と言ってもほぼ出口治明さん(哲学と宗教全史)の受け売りですが…😅

彼(孟子)の主張の一つが「性善説」ですね。同時期に生きた荀子が「性悪説」を唱え、お互い批判しあっていたようです。「孟子は誰をもって性善としたかと言えば、上人を中心とする人たちです」中国では当時人々を上人、中人、小人と分けていたののですが、上人とは中央政府の役人を指します。中国は日本よりはるかに文化が進んでいて、更に100年くらい遡る戦国時代には文書行政が始まっていて、中央政府の役人は文書を書き地方役人に命令していたのです。そのように文章を考え、書く人を上人、読むだけの人を中人、読み書きできない人を小人

と言っていたのです。孟子は、上人即ちインテリ階級の人たちを取り上げて性善の対象にしていたのです。「もともと賢いのだから自分で努力して学べば、それで十分だという意見です」

「対して、荀子は下人を対象としていました。字の読めない人間に自助努力せよと諭しても、やりようがないのだから半ば拘束して勉強させる仕組みを作れ」と言ったわけです。

そうです。前者を「性善説」、後者を「性悪説」と言っているのですね。

実はそれに対し出口さんは面白い指摘をしています。「性善説性悪説は、社会を構成する別々の階層の教育について言及しているのであって、2つの説の間には矛盾はない。むしろ2説を並立さっせたことが、儒家の思慮深いところである」と。対立しあう二人を包んで、社会システムとしてどうやって制度化するべきなのか、という方向へ昇華していったのですね。その数十年後荀子の弟子であった韓非法治主義を唱え、中国に安定をもたらしていくのでした。正常進化

というか成熟していったわけです。

 

■王道と覇道

さて、話は変わりますが、昔私が会社の幹部合宿メンバーになったころの話。一回目だったか、社長以下12人の参加メンバーが想いを出し合うセッションがありました。メンバーの想いを共有し、心を繋げるためのプロセス。私は「王道を歩みたい」と話したのを思い出します。

「王道」とは何なのだろうか。

話を孟子に戻します。かなりはしょりますよ。孟子は「易姓革命」を唱えます。これは天命によって王朝が決められ、人民の安寧を保証できないと天命がくだり、愚かな王に警告(飢餓や自然災害)を発します。それでも改めないと、天は民衆に下克上を命じ王を後退させるという、天命を大事にする考え方です。

出口さんはこう解説します。「天命という抽象的な概念を除去して考えてみれば、実際に下克上(革命)を実行するのは農民であり民衆です。孟子の思想は、人民主権の萌芽ではなかったか、とも考えられます。」なるほど。このように思想家が文化や社会を作っていったわけですね。同氏は、時代が全然

違うルソー(1700年代)の「社会契約説」と似ていると指摘します。「人間は、それぞれの個人が本来、主体的な力や自由を持っています。これは自然法によって規定されています。このように自然法のもとに生きてきた自由な人間が、より主体的に社会で生きる権利を確立させるため、自分が生きている共同体と契約を結ぶことを、ルソーは社会契約と呼びました。この時個人は、共同体の運営を円滑に行わせるために、自分の諸権利の一部を共同体に委譲します。その結果として都市や国家が生まれます。」「個人の諸権利が委譲された共同体には、個々の意志が一つになった抽象的な意志が生まれます。それを『一般意志』とルソーは呼びました。」

「このルソーの社会契約説における『一般意志の存在と、孟子における天命という考え方は、社会生活の秩序を守る行動の基準として、多くの類似性を感じさせます。どちらも『人民主権がすべて』なのですが、民衆の自由気ままな意志を防ぐためには、公共の正義のような道徳的視点が必要であると、

孟子もルソーも考えていたのではないか。」達見ですね。尊敬します。

孟子易姓革命論という過激な発想を採りましたが、王道と覇道をはっきり分けていました。易姓革命論においても禅譲(前王統治権を新王に譲る)と放伐(武力で前王を倒す)を区別しています。」お待たせしました。ここで“王道”が出てきますw。

王道とは仁の力で国を治めることです。覇道とは実力で人民を支配することです。もちろん理想としたのは、王道の政治でした。彼は民衆の生活安定を政治の第一義と考える、民本主義の思想家でした。そして、孔子と同様に武力よりも仁徳を、政治の指針とすべきだと考えていたのです。」

“王道”とは仁徳を有する王が武力によらず、学問による教えや法律で世の中を治める文治政治なわけですが、そこから現代では ☆最も正統的な道とか、☆物事が進む正当な道というような意味で用いられますね。正当、正道、正攻法、正統派、定石という感じですね。

先ほど書いた私の“王道”とは「ITサービス事業を力強い正攻法で大胆に進める正統派でいたい」という意味だったのです。

実はその対極が“覇道”であるわけですが、実は恥ずかしながら当時は“覇道”という言葉を知りませんでした。当時はリーマンショックの後、傷ついた事業基盤の復活や露呈した弱点のカバーにに苦労していた私は、業績回復に奥の手も裏の手も奇襲も邪道もない、顧客価値を上げるという定石を歩むしかないと強く考えていたのです。

しかし、いま改めて“覇道”という言葉に向き合うと、新しいイノベーター特に、ディスラプティブ(破壊的)なイノベーターは、攻撃的で、強引で、奥の手を使いこなし既存のプレーヤーを力でねじ伏せていることに目を向けざるを得ませんね。もちろん昔の“覇道”と違い合法的ですけれど… そう、ビジネスに“王道”も“覇道”もなくなっている現実を直視せざるを得ないのでね。

しかし、私は思います。合法であれば暴力を振るってよいわけではないと。テクノロジーやビジネスモデルのユニークさやマーケティング力、営業力、コスト優位性などで勝負せよと。

 

覇道マネジメントの限界

世の中にいる有名な経営者には、一人で考え、部下たちを力でねじ伏せ、徹底的に尻を叩き、意思決定はすべて自分で行い、指示の通り部下を動かし、気に入らなければ首にする、というタイプの強烈なリーダーがいます。少なくともそういうイメージが付きまとう経営者が多いですね。

特に、成功した創業者、オーナーに多いかもしれません。だから成功したといってもいいかもしれません。戦時のリーダーは平時のリーダーと違い、強烈なリーダーシップを発揮し混沌の中に光を見出し、進むべき道を示し、全社をまとめ上げ荒波を乗り切らなければなりません。創業間もない時期は正に戦時。まさに“覇道”的リーダーシップなのです。

しかし、それは長く続きません。事業は必ず成熟し、さらに成長するためには、新しいマネジメントスタイルが必要不可欠です。社員を自立させ、自分で判断しスピーディーに行動できる人材を育成し、ありたい姿、新しい事業ポートフォリオを実現できる陣営を整えなければ成長できないのです。“覇道”の経営では人は育ちません。力でねじ伏せてばかりでは共感は得られません。最近よく言われる


エンゲージメントは高まらない」のです。

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