自由とは? アメリカの価値観に迎合してほしくない

前回、哲学者スピノザの話として「・本当の自由とは、何の束縛もないことではなく(束縛があることは当たり前)、自己や世界の必然性=原因・法則を知り、納得して生きること。」と書きました。今回は別の切り口から「自由」について少し話を続けてみたいと思います。

 

自由の捉え方は多様です。例えば「財産権と自由」が国によって(民主主義国であっても)全然違うことがある。「資本主義と自由」(ジョセフ・E・スティグリッツ)にこうあります。「重要な医薬品に関する特許を所有していれば、望みの価格を設定する権利があるのか? あるいは、そうあるべきなのか? その答えは、アメリカとヨーロッパとでは違う。アメリカでは、その独占力を正当に手に入れたのであれば、望みの価格を設定できる。一方ヨーロッパでは、独占力の乱用は認められない。この事実もまた、市場に課せえられた規制により特徴づけられることを証明している。この場合、どちらのシステムの方がいいのかは明らかだと思われるが、アメリカがそんなシステムを採用している理由もまた明らかだ。それは、その方がいい結果をもたらすからではない。権力者(この場合で言えば有力な製薬会社)がルールの決定に影響力を持っているからだ。ヨーロッパの規範になれた人間の目でこの状況を見れば、アメリカの製薬会社がその独占力を利用して手に入れた莫大な超過利潤に、道徳的正当性はない。社会には、その超過利潤を取り戻すあらゆる権利がある。」

なるほど。これは、アメリカとヨーロッパの価値観の違いを典型的に表していると感じる。僕は、昔から規制に関する取組等は明らかにヨーロッパの方が社会のためにどうあるべきなのかを考えて、より厳しい基準を設けていると感じていました。例えば、データ保護・プライバシー、プラットフォーム規制(囲い込み)、データ共有(クラウド)、サイバーセキュリティ、AI/アルゴリズムなどなど、(かつての仕事柄)IT関係を見るだけでも多様な規制があります。日本企業がEUでビジネス展開を進める時などは、十分注意する必要があるわけですね。日本よりずっと厳しいのです。

 

さて、皆さんはアメリカとヨーロッパのどちらの方が好ましいと感じるだろうか。

そんなヨーロッパもだいぶ変わったように感じます。例えばドイツ。メルケル氏までとそれ以降では大分寛容度が変わったし、各国の極右政党の伸長がポピュリズムに火をつけ、社会の理想を追求するより今日の金という風潮にどんどん変わっています。

また、トランプ氏に媚びる姿勢は見ていて悲しくなりますね。歴史的に見れば、フランスの二枚舌外交や、大国の利害だけを追求したヤルタ会議における英国など、自国のことしか考えていないこともたくさんあったわけで、ヨーロッパがいつも清廉かと思ったら大間違いなのです。

 

しかし、理念とか価値観はあるべき姿を追求する姿勢を失ってはならないとつくづく思います。

そんな中で、自民党内にも批判されながらも出した石破首相の「戦後80年の所感」は、立派な姿勢だと思います。為政者は反省すべきは反省し、理想を追求する姿勢を忘れてはならない。課題は、どんな時もそれを土台にして他国の傲慢なトップと対話できるかどうかです。我が国は世界の見本となって欲しいし、国連が機能するようにもっと汗をかくべきだとつくづく思います。

 

冒頭に書いたアメリカの価値観が、世界中に蔓延しないことを切に願います。

自由でいいじゃないかと思いつつも、縛られてしまうもの。
しかし、70歳までしかない目盛りは今時の世情を反映していないな。
@いつも行くジムのトレッドミル