思考と成長

エマニュエル・トッドの思考地図」を読んでいて少々インスパイアされた。最近、コーチングしていて、「考える」ことにいかに向き合うかが重要なテーマのように感じ、「思考」を考えてみたくなったのだ。

僕にとって「思考」とは、今目の前で起こっていることの理由や因果関係や本質など、表面的には分かりにくい深いところを突き詰めるプロセスだと感じます。その時のポイントは、掘っていくこと広げていくこと。即ち見る範囲を大きくすること。見ていくと、何かを「発見」しますよね(もちろんしない人もいる。それは感度の問題で別のテーマ)。その多くは、今まで積み重ねた学びや経験に照らして、それらとの関係や類似性や方程式のような何かだと思います。その結果、なんとなく「なるほど、そういうことか」とか「ということは、あれもそうなのか」というように自分なりに腹落ちするというか、したり顔をするというか、なんとなく納得するのです。または、「それは分かったが、昔はそうじゃなかったような気がするが、いつ頃から変わったんだろう」などと、次の思考探索が始まったりもする。

「思考」に大切なのは、インプットの量だ。比較対象したりする対象が多くなければ発見がないということ。以前にも「上質なインプットがないと人生が先細る」と書いたが、その意味がここにあると思う。常に学び続けてデータベースに格納しておくことが「思考」に不可欠だということです。残念ながら加齢によって、徐々にデータベース自体に霧がかかってしまうのは避けられないが(涙)。

 

さて、冒頭のコーチングをしていて感じたことを少し書きますね。僕たちは常に「流される」状態に陥っていると言っても過言ではないでしょう。その自分に気付いているでしょうか? ほとんどの人は、「そんなこと考えたこともない」と答えるでしょう。また、「どうありたいのか」と問いかけても同様の答えが返ってくるでしょう。

そうです。流され続けているとどうありたいなんて考えないし、当然それと現状のギャップを考えることもありません。ということは、「流れを変える」行動を起こしようがないということを示します。

行動を変える」ことが成長のエネルギーです。しかし、鏡に映る自分を見て今の状況を感じ、なぜそうなのか考え、どうしたいのかを深く掘っていくことをしなければ、絶対に変わることはできません。

立ち止まって考える。逃げずに事実と向き合う。それが人生だと思うのです。

 

客観的に自分を見ることは難しいですよね。しかし、データベースが膨大で、それらと比較することを恐れなければ、相当客観的に自分と向き合えるでしょう。それは行動変容を促し、成長の触媒になります。「思考」は人生のエネルギーなのです。

しかし、目の前のことで常にてんてこ舞いなあなた! 考えてないですよね。自分と向き合ってないですよね。インプットを増やす努力をしてないですよね。

それで本当にいいんですか?

一年で最も花の綺麗なシーズン。街はカラフル。
社会も多様性に溢れもっとカラフルになるといいね。