終戦記念日に思う~ビジネスの要諦~

先送りしない。自分がけりをつける。という価値観。

それがトップの仕事。トップと言っても社長を指すわけではない。部門長もそう。組織の責任者、リーダーの責任だと思う。

もう既に進んでいるプロジェクトなど、もう今更止められないと思ってしまう。その多くは傷を広げ多くの血を流すあの時止めておけばよかったと思うのが常。そんなプロジェクトをたくさん見てきた。それらを反面教師にして生きてきた。

なぜ止められないのか。もちろん将来のことななんて正確にわからない。神風が吹いて突然良い方向に進むのではないか、などと期待する。しかし、絶対に神風なんて吹かない。常に人間は自分に都合の良いように考える。きっと何とかなるさ。それは自己効力とは言わない。いや、それも自己効力ではあるかもしれない。しかし、最悪な事態から目をそらし逃げていることを自己効力とは言いたくない。

以前にも書いた。ビジネスの要諦は「自滅」しないこと。手を打てるときに手を打たない。それは、最悪の事態を想定できないから。ホラーストーリーを想定しないから。ビジネスの要諦は、ホラーストーリーの回避だ。想定できれば手を打てる。躊躇しなければ手は打てる。世のトップの多くは「見たくないものは見えない」に陥るのだ。これも何度も書いた。見たくないものを直視し、ホラーストーリーを想像する。そしてそうならないように、今すぐ躊躇なく手を打つ。もしくは、こうなったらこうすると、プランBを用意し、そのタイミングで躊躇せずに発動する。それがトップの仕事だ。

 

なぜ、今そんなことを書いたのか。終戦記念日に日本中国友好協会の丹羽会長が書いていた。負けると知りながら必勝を叫び続けた無責任。第二次大戦で日本人は350万人が亡くなった。マリアナ沖の海戦を経て戦況は雪崩を打つようにどん底に落ちていった。マリアナ海戦後に200万人が亡くなったのだ。実は、戦前、海軍兵棋演習(机上の演習、一種のシミュレーションゲームのようなものだと思う)ではマリアナ諸島を米軍に取られてしまったらそこで終わりにしていたのだ。即ち、負けが決定だということ。即ち、演習の通りマリアナ諸島を奪われた時点で、戦争を終結させておけばよかったのだ。つまり降参だ。200万人の命を無駄に失う必要はなかった。なぜ負け戦をずるずる続けたのか。分かっているのに誰も結論を出さない。即ち誰も責任を取らなかったのだ。

 

実は、ビジネスの世界でも、政治の世界でも、今でも同様のことが目の前で繰り広げられてはいまいか。

止めることの難しさ。しかし、それが「自滅」を避ける要諦なのに。止めることを決めるのが責任者の使命。それができるのが真のリーダーだと思う。絶対に自分がけりをつける。そう決意してほしいものだ。

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私の祖父母も東京空襲で亡くなった。父はすべてを失った。遺骨すらない。