真っ新な朝

組織に属するいわゆるサラリーマンにはいろいろなことが起きる。例えば、中途採用された人が登用され、新採以降ずっと同じ会社で働き続けた、いわゆる生え抜きである自分が冷や飯を食った話。英語ができないと昇格できないと言われたものの、仕事では全く使う機会がないので、その必要性を理解できず努力する意欲がわかないまま、後輩にどんどん抜かれていく話。長い経験から学んだビジネスの基本や成功パターンを、若手に積極的に伝授してきたつもりだが、どうも煙たがられているらしいと気付いた話。新しいビジネスへの挑戦の機会は、若手ばかりに回ってくる。彼らが次々に失敗するのに、経験も実力もあるのにチャンスが巡ってこないと愚痴る話。枚挙に暇がない。

 

僕たちは真っ新になれるだろうか? 一からスタートする覚悟がありますか? 肩書のない人生を想像できますか? 360度評価を直視できますか? 俺は貧乏くじを引いていると愚痴っていませんか? 滅私奉公してきた自分の人生をはもっと評価されるべきだと、思っていませんか?

 

あなたの前に姿見(鏡)があります。そこに写る自分を客観的に評価してみましょう。あなたにはどう写っていますか? あなた以外の第三者はどのようにあなたを見ているか、想像してみましょう。あなたは、自分の価値をどのように第三者に説明しますか? 試しに転職マーケットに身を投じてみてください。あなたの価値を朗々と説明してみてください。相手はあなたを高給で迎え入れると想像できますか? あなたがもし成功するとすれば、その陰に採用されなかった人がたくさんいるはずです。その人たちに比し自分の能力や可能性は、どう秀でていると想像できますか? その能力が明確に存在し、それにempathy(共感)する人たちがいることを客観的に説明できますか?

 

本当の実力を相手に伝えることはとても難しい。若いとか、エネルギーに満ち溢れているとか、最新のテクノロジーに詳しいとか、そんなことに比し劣等感に苛まれているシニア。

 

あなたの経験や能力やモチベーションを必要としている人に、どうやって巡り合えるのだろうか。将来の可能性に投資をするなら、若い人に投資をしたいと企業は考える。だから、メンバーシップ型雇用の文化が日本には定着している。課題は多いもののジョブ型雇用の要素が浸透してくれば、企業の採用要件は具体的になる。〇〇ができることというように。そう、僕たちの価値は具体的に△△ができること、というように定義できないと門は開かれない。もちろん、それは実績によって証明できなければならない。そして、その実績は、こんなに努力してきたとか、社命でこんなに苦労してきたというようなことでは全くないはずだ。

 

それが自分の価値。価値をお金に変換するのが雇用でしょう。自分の価値を客観的に俯瞰するよい手段が、職務経歴書を書いてみることだ。何が強みなのか、それが客観的なのか、即ち第三者が評価できるエビデンスなどがあるのかなどを考えながら書くことだ。マネジメントができる、などでは評価されないことは当然。自分にどれだけ自信があろうが、鏡に映る自分はバイアスまみれな虚像かもしれない。オファーされた金額の少なさに愕然として、初めて市場価格を知るなどというケースは多い。

 

シニアになるほどに、バイアスまみれになるのが人間の本性かもしれない。しかし、それに抗ってこそゼロクリアだ。一からスタートし直す勇気が、新しい協調を培う。新しい切磋琢磨を呼び込む。実績という土台の上に、新人の様に新たに学んだ工法で使ったことがない材料を使って、フレッシュなデザインで、新たにアバンギャルドな建物を建てる。そんなチャレンジが潔い。その姿に多くの人は共感するだろう。そして経験は新たな価値をまとい、多くの人がそれを必要とするだろう。

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太陽は何度沈もうが、必ずエネルギッシュで新鮮な朝が来る